快楽の都編07
「得意属性の把握?基礎の基礎だな、それは」
「ええ、魔法使いの入門の難しさに参っていたんです」
「まあなあ、基礎は基礎だがちゃんとした指導者がいなきゃ、難しいかもな」
一応は店舗らしい建物の奥は、粗末な寝台と古びたテーブルと椅子が一脚あるだけの狭い部屋だった。
ドゥンは寝台に腰掛け、ベスパーラは椅子に座っている。
椅子の軋む音がやけに響く。
「まず、何をすればいいんでしょう?」
「魔法の入門の秘儀は、この呪文の詠唱より始める。体の力を抜き、何も考えず、魔法を受け入れるがいい」
急に低い声で、語りかけるようにドゥンは喋る。
低い声が大変心地よく、催眠状態というのか、トランス状態というのか、わからないが精神の深いところへ届くように、ゆっくりと聞こえるようにしゃべっているのはわかった。
これが、真の魔法使いの入門なのか。
ベスパーラへの言葉は続く。
「真理の杖持つガストランディアに乞う。かの者は入門者なり、その真理を求める者なり。汝の導きを賜らん。
聖杯を司る女神ジュオレンゼルに乞う。かの者は求道者なり、その知恵の雫を受ける者なり。汝の慈悲を賜らん。
暁の剣を振るいしアーリードーンに乞う。かの者は探求者なり、その剣にて道塞ぐものを切り払う者なり。汝の刃の助けを賜らん。
天恵の符を重ねるベリオラスに乞う。かの者は苦悩者なり、その符にて道を示される者なり。汝の天恵を賜らん。
浄火の守護姫イクセリオンよ。彼は汝の加護を受けし者なりや?
粛水の女王レフィアラターよ。彼は汝の加護を受けし者なりや?
大地の巨人ドラスティアよ。彼は汝の加護を受けし者なりや?
風の旅人ソライアよ。彼は汝の加護を受けし者なりや?
闇の神ジャハンよ。彼は汝の加護を受けし者なりや?
“杖”の第三階位“マナヴォイド”」
長い詠唱が終わり、かけられた魔法にベスパーラは衝撃を受けた。
突如、訪れた倦怠感に椅子からずり落ちる。
「きついか?今お前の魔力を全て消した。その状態で瞑想し、得られたものがお前の意志、即ち得意な属性だ。さあ、目を閉じよ」
ドゥンのその言葉は、半分以上聞き取れなかった。
最後の言葉、目を閉じよ、だけが聞こえ、その言葉の通り、目を、閉じた。
たゆたう。
不可思議な安心感に抱かれ、無明の中を漂う。
己の周囲にはぼんやりと、杖が、杯が、剣が、符が浮かんでいる。
やがて無明の空間が、ゆったりと光で満たされ暗黒が溶けていく。
広がるは静かなる水。
さざ波ひとつない、冴えつく水面。
凍てついたような、青い、蒼い、碧い湖。
“あなたは私の加護を受けるのです”
美しい声。
遠く浮かぶ影は、まばゆい後光でよく見えない。
“あなたは我が騎士。作られし光の神でもなく、捨てられた街の魔物の神でもなく、この私の”
「あなたは?」
“私は粛水の女王レフィアラター。さあ、そろそろ目覚めの時です、我が騎士。湖の騎士よ”
レフィアラターと名乗られて、納得してしまうほどの存在感だった。
ゆっくりとその存在感は薄れ、とともに光も消えていった。
やがて、もとの無明の空間に戻り……。
目が覚めた。
「その年で、内面世界を覗くと疲れるだろ?まずはよく帰ってきたな」
ドゥンの声に、自分が現実に戻ってきたことを実感する。
あの神秘的な青い湖が、自分の内面世界だとは信じられない。
そう言うとドゥンは。
「じゃあ、レフィアラターに招かれたのかもな。神様に称号をもらうくらいだ。そんなこともあるさ」
「そういうものかな」
「さて、抜けていた魔力も戻っているはずだ。試しに魔法をひとつ放ってみるかい?」
やってみよう、と立ち上がる。
確かに抜けていた力は戻っていた。
妙な倦怠感はない。
外に出ると、快晴だった。
あの湖の青さとはまた違うが、空も青い。
青の下、ドゥンは魔法の心得を話す。
「魔法の発動で重要なのは呪文とイメージだ。まずは呪文の詠唱から教える」
「よろしくお願いします」
「キーワードは神に乞う、だ。使いたい呪文を担当する神様に乞い願う。例えば、杖の攻撃魔法を使いたいときは、真理の杖持つガストランディアに乞う、とかな。そして、その神様から降りてきた魔法の枠組みに、属性を付加して放つわけだ。その時は粛水の女王レフィアラターよ~~してください、と要求を伝えることで魔法の属性が定まる。枠組みと属性と二つの要素が組合わさり、魔法として放たれるわけだな」
「真理の杖持つガストランディアに乞う。その杖は我が敵を打ち払う物なり。粛水の女王レフィアラターよ。その力を我に与えたまえ。“杖”の第1階位“ウォーターボール”」
頭の中に浮かんだ呪文を詠唱すると、ベスパーラの手に水の球体が浮かび上がった。
だが、すぐに球体は形を崩し蒸発するように消えた。
ベスパーラの魔力もゴッソリ減る。
「杖魔法は、あまり得意じゃなかったようだな。まあ、初めてで魔法がここまでできるなら、上等だ」
「そうですか。しかし、ここまで魔力が減ると立ち上がるのも辛い」
「はは、へたばるのはまだ早いぞ。もうひとつの要素、魔法へのイメージの投射をこれから教える」
「イメージの投射ーー?」
「そう、さっきお前が見た自身の内面世界。まあ、お前の場合はレフィアラターの世界かも知れんが、そのイメージを脳裏に描きながら、呪文を詠唱してみろ」
レフィアラターの世界。
どこまでも青く、蒼く、碧く澄んだ湖。
それをイメージして、呪文を唱える。
「天恵の符を重ねるベリオラスに乞う。我は御身の業を仰ぎ見る者なり、幽世をたゆたうその符を窺う者なり。いざ、その力を我に貸し与えん。粛水の女王レフィアラターよ。汝の騎士の業の器に、汝が力たる雫を注ぎたまえ。“符”の第1階位“ウォーターコート”」
イメージのはずだった青い湖から、水が押し寄せる。
それは、溢れる魔力となりベスパーラの呪文に乗って、不可知の世界から薄い水の膜を呼び出す。
ウォーターコート。
相手の攻撃をわずかに受け流すことで、攻撃力と命中率をほんのわずか減少させる魔法だ。
その水の膜は、さきほどの水球より長く持続し、ベスパーラの魔力を使い尽くしたあと、消えた。
さっきと同じように、立てないくらいの疲労感、倦怠感を覚えたが、なぜか充実した気分だった。
「これで、本物の魔法使いになったな」
「本物の、魔法使い」
「そうだ。魔法とは便利な技術としての側面の他に、自分自身の魂そのものを顕している。今までの自分、今の自分、これからの自分。それを表現するために、自分の内面のイメージというのが重要なのだ」
ドゥンの言葉に素直に納得できた。
呪文の詠唱だけでは、どんなに効果を発揮してもそれは魔法使いになったとは言えない。
己の内面を、魂そのものを理解して、魔法を駆使する者こそ魔法使いなのだ。
ベスパーラは、その事を心の中心において、完全に疲れはてるまで魔法を練習し続けた。




