快楽の都編04
オルトロスというのは双頭の怪物だと言われている。
大地の母たる邪神ニグラスの眷族である蛇女神エキドナより生まれし怪物。
三頭の守護獣ケルベロスを兄に持ち、知恵の獣スフィンクスの父でもある。
その母たる蛇女神の形質を受け継ぎ、たてがみと尻尾が蛇である。
その名は古代の神の言語で“速い”を意味する、と言われる。
ワイバーンは時に飛竜と呼ばれるドラゴンの亜種もしくは劣等種だ。
ドラゴンが翼と四肢を持つのに対し、ワイバーンの腕は翼と一体化している。
古代魔道帝国の時代に、産み出された人造のドラゴンが原種とされる。
マンティコアもまた怪物の名である。
その姿は、コウモリの翼を持ち、蠍の毒を持つ尻尾の獅子だという。
並外れた食欲を持ち、一国の全てを食い尽くすと言われる。
名も“人を食らう怪物”を意味する。
なぜ、そのような怪物の名を組織の名につけたかは当時の長たちに聞かねばわからないが、モーレリアを食らいつくそうという意志はうかがえる。
そんな組織の一つ、オルトロス会の本拠たる“お屋敷”にベスパーラは招かれていた。
前を歩いているフェイオンは、ベスパーラにあわせているようでゆっくりと歩を進めている。
目に入ってくる光景は、本拠に近付くにつれて猥雑さを増していくようだった。
座り込んで、何かの煙を吸う若者。
その煙の中、ところ構わず交わる男女。
得体の知れぬ何かを売る商人。
それを品定めしている老人。
怪しい調合をしている魔法使い。
「珍しいですか?」
「グラールホールドでは、こんなところはありませんでしたから」
フェイオンの問いに、どうせバレてるとグラールホールドの名を出す。
「でしょうね。おそらく、この場所がこの大陸で一番乱れている」
フェイオンの声には、感情が見えない。
楽しんでいるのか。
そうでないのか。
「そろそろ、私をどうしたいのか説明していただけないでしょうか」
「屋敷のほうでお話しますよ。今は、モーレリアント観光を楽しんでください」
フェイオンは感情の見えない顔で微笑んだ。
屋敷の応接間の一つに案内され、ベスパーラは用意されていたソファーに腰かけていた。
調度品は、どれも高級品でベスパーラの実家のものと比べても遜色ない。
しばらく待つと、女給が飲み物を持ってくる。
出された紅茶は、最高級品でグラールホールドで飲んでいたものよりもうまい。
毒の可能性は消していた。
殺そうと思えば、フェイオンはいつでもベスパーラを殺せた。
ここで毒殺する意味はない。
うまい茶を雑念でまずくする意味もない。
「お茶のほうはお口に合いましたでしょうか」
「ええ、本当にうまいお茶ですね」
「それはよかった」
「さて、そろそろお聞きしてもよろしいですか?」
「ええ」
フェイオンは笑顔をうかべたまま、ベスパーラの前に腰かける。
「それで、私に何をさせたいのです?」
「それをお話する前に、スズメビーという人物をご存知ですか?」
「……知ってます」
スズメビー。
元グラールホールド、アルザトルス神殿騎士団長。
アーサー・カリバーンの前に騎士団を束ねていた男。
ベスパーラの兄だ。
「それはよかった、話が早い。では、本題に入りましょう。彼を倒してください」
「……それは、彼を、スズメビーを殺せ、ということですか?」
「いえいえ、そうではありません。もちろん、結果的にそのような形になる可能性もありますが」
実はですね、とフェイオンは話を続けた。
闇試合というものがある。
組織と組織の間で抜き差しならない状況に陥ったさいに、組織間の抗争になるのを防ぐために行うのだという。
具体的には、両組織の代表を選び、戦わせる。
その勝敗で問題を解決するのだそうだ。
「それでですね。ワイバーン連盟のほうは問題ないのですが、マンティコア商会の代表戦士が強すぎる、のですよ」
「それがスズメビー、ですか」
「そうなのです。ここ数ヶ月の闇試合全てで、彼が勝利してまして、マンティコア商会の影響力が露骨に強くなっている。一番被害が大きいのはワイバーン連盟ですが、我々も手をこまねいているわけにはいきません」
「それで、私ですか。あなたが出ればいいのでは?」
ベスパーラの知っているスズメビーは強いことは強いが、目の前のフェイオンのほうが強い。
「いえいえ、私は首領の側近、いわば護衛です。護衛が護衛対象から離れられませんから」
それに、とフェイオンは続ける。
私が出れば、組織間抗争が起こりかねませんし。
あまりに立場が上のものが闇試合に出れば、ルールを無視しても、それを倒したほうが得な場合もでてくるかもしれない。
そして、フェイオンはあんたのほうが強いだろ、というベスパーラの裏の意味を否定しなかった。
「条件がある」
「なんでしょう?報酬ですか?我々にできることなら、お望みのままですが」
「いや、フェイオン殿に指導を賜ってもよいかな?と思いまして」
強くなるための場所、かどうかはわからないが目の前のフェイオンは紛れもなく強い。
「わかりました。首領の護衛の合間に、ご指導いたしましょう」
はじめてフェイオンがベスパーラに見せた感情は、当惑だった。
外へ出ることを許されたベスパーラに、ロデオが会いにきた。
顔には苦笑が張り付いている。
「無事、か?」
「まあ、そうですね」
「どうやら、モーレリアントの裏側を少しは知ったみたいだな」
「ええ」
「闇試合、だろ?オルトロス会は数こそ揃えつつあるが、ずば抜けた戦士が少ない。あんた、見たところ腕が立つみたいだしな」
「どうやら、そのようですね」
「気を付けろよ。オルトロス会もそうだが、マンティコア商会もワイバーン連盟もあんたが思っている数段、最悪だ」
ロデオという衛兵の目的もよくわからない。
ベスパーラはそう思った。
オルトロス会の“お屋敷”の前から出ていったロデオは、ゲートタウンを抜けパレスフロントへやって来ていた。
本来の勤務先、王宮の前を素通りして商店街へ向かう。
表通りから、裏道に入り客の少なそうな雑貨屋に入る。
淀んだ目の店主を無視して、通用口から倉庫へ。
倉庫の床に空いた穴に取り付けられた階段をくだる。
下った先は、広い空間だった。
カモフラージュの雑貨屋とうってかわって活気のある場所だ。
数十人の商人が、走り回る。
作付けが、戦争が、魔法が、という声を横目にロデオは歩くのを止めない。
その奥にある扉を開け、中に入る。
防音効果のあるらしい扉を閉めると、外の喧騒は聞こえなくなった。
「オルトロス会は、スズメビーの相手を見つけたようだぜ?」
「そうですか。あなたの工作も無駄になりましたね」
答えた声は、老人のものだった。
深い知性を感じさせる低い声。
「そんなことはないですよ。少なくとも、ゲートタウンの店を一つ潰すことはできましたし」
「ああ、そうでしたね」
ベスパーラを騙そうとした店を、滅茶苦茶に破壊したのはロデオだった。
ベスパーラの腕を見込み、オルトロス会の武力の中心フェイオンをあわよくば殺させ、少なくても手傷を負わせることができるかと、画策したが失敗した。
オルトロス会が弱体化すれば、残るワイバーン連盟を数で押し切り、モーレリアント裏社会の覇権を得ることができるが、今はその時ではないようだ。
「それで、次はどうします?会頭」
会頭と呼ばれた老人。
本名はスコルピオ・アメンティス。
マンティコア商会の会頭である老人は、薄く笑って次の策を考えていた。




