闘技場編05
ズシリと重い槍を受け止め、俺はシュラを見る。
その顔に表情はない。
「悪いが、こいつは俺の舎弟なもんでね。勝手に殺されちゃあ困る」
「あ、アニキ」
「なるほど、委細承知。ならば、ことの是非は闘争にて決すとしよう」
そう言ってシュラは槍を引き、距離をとる。
仕切り直し、ということか。
「あ、アニキじゃ、勝てねえよ。あいつ、序列が上のハドラーに一撃すら入れられずに勝ったんだ。勝てるわけがねえ」
「勝てるわけがないからやらない、か。だが、俺は勝たなければならないから戦う。それじゃ、ダメか?」
「アニキーー」
「下がってろ、ここからは俺の戦いだ」
モンスを下げさせ、俺はシュラと対峙した。
悠然と立っているだけなのに、恐ろしいほどの闘気が透けて見える。
これが戦闘民族ヤクシ族か。
「久方ぶりによき言葉を聞いた。勝たなければならないから戦う、神聖なる闘争に相応しい覚悟だ」
「奴等のなにが、遺恨試合をやるほど気にくわなかったんだ?」
「相手の戦力を削ぐのは闘争の方法として間違ってはいない。ただ、私が気に入らなかった。それだけだ」
気に入らなかっただけで、上位の闘士を圧倒するのかよ。
ホント、最近は化け物だらけだ。
それきり、シュラは口を閉ざした。
後は、戦いで語れということらしい。
俺も、戦闘態勢を取る。
勝つために戦う。
ただ、それだけだ。
ざわつく観客席で、レリアは興奮していた。
「見た?レルラン。“槍士”はさすがだわ。序列三位のハドラーが手も足もでないなんて」
「そうですね」
と答えつつも、レルランは内心でレリアよりも驚いていた。
序列四位と三位の間は、もっと開いていると思っていたからだ。
魔法使いの第12位と第13位の間ほどに。
認識を改める必要があるな、と呟く。
いつ何時、レリアに襲いかかるかもしれない危機に対応できるように、情報は多ければ多いほどいい。
「それに、相手のーーカインだったかしら?誰かに似ている気がしない?」
「さて、どなたでしょう?」
「モーレリア関係者……じゃないわ。そう、確か昨年の北国代表会談でーー」
そこまで聞いて、レルランも見当がついた。
北国代表会談とは、年に一度モーレリア、ルイラム、デヴァイン、そしてレインダフの四ヶ国が諸国の利害調整や外交のために集まる会議のことだ。
今までは、レリアの姉であるリリレアが参加していたが、昨年からレリアが出ることになった。
海千山千の政治家の集まりに出すことで、レリアに経験を積ませようとする姉心らしい。
その時、レルランも同行し各国の代表と会った。
ルイラムのイヴァ女王の代行として、若き魔法使いアベルが。
デヴァインのデヴァール王の代行として、“支配者”ゼルフィンが。
そして、レインダフの“騎士王”ヌァザの代行として、“天騎士”ロアゾーンが参加していた。
そのロアゾーンにカインはよく似ている。
ロアゾーンを二十ほど若くすれば、あのような姿になるかもしれない。
「“天騎士”ロアゾーン。二十人の英雄の一人ですね」
「でも、おかしいわ。ロアゾーンにあんな大きな子供がいるなんて話、聞いたことないわ」
それは、レルランも思った。
ロアゾーンの跡を継ぐのは弟のルーグと決まっている。
あのくらいの歳の跡継ぎがいるなら、わざわざ弟をたてなくてもいいはずだ。
やはり、人違いか。
まあ、たとえそうだとしても、今この時この戦いにはまったく関係ない。
目を転じて、闘技場に掲げられている賭けの倍率表を見る。
賭けの倍率は、シュラが高い。
だから、レルランはカインに賭けることにした。
自分の心の声に従えば、自ずと答えはでる。
それが、レルランの信念だった。
観客のさまざまな囁き、声、思いは今のカインには聞こえなかった。
ただ、目の前のシュラと自分だけが闘技場に存在しているかのような気がしている。
思えば、自分より強い者などいくらでもいた。
彼らに挑み、あるときは敗れ、あるいは勝利し、そのたびに強くなってきた。
今度もそうなるだろう。
透徹した雰囲気のシュラは、ただ立っているだけだ。
わずかな空隙ーーそして、響き渡る「試合開始」の声。
カインの意識に、その声は届かなかった。
しかし、二人は同時に駆け出す。
剣と槍がぶつかりあい火花を散らす。
風のような速さで猛攻を繰り出すシュラに、カインは炎のごとく対峙する。
相手の攻撃を防ぎ、受け、流し、反撃する。
リーチは確かに槍のほうが長い。
だからこそ、カインは防戦一方だ。
そして、シュラのわずかな隙を狙って攻撃を繰り出す。
その反撃は防がれるが、シュラが防御をするため攻撃が途切れる。
それを繰り返す。
隙をこじ開けて、こちらのターンを引き寄せるのだ。
やがてやってきた絶好の機会に、俺はすかさず剣を振るう。
もちろん、シュラはかわす。
俺程度の攻撃速度じゃ、ハドラーすら相手にならないシュラにはカタツムリが這う程度にしか感じないだろう。
そんなちょこまかと動く相手に、アルフレッドはどう対処したか、俺は覚えている。
剣を蹴り飛ばして、無理矢理軌道を変える。
それを、今この場で再現してやる。
かわしたシュラが次の攻撃に備えて、移動するべき場所を予測し、その場所に向けて剣を蹴り飛ばすッ!!
無理な軌道変化で、俺の態勢も崩れる。
しかし、あのルイラム山脈踏破の修行の成果か、俺の筋量は以前より増えている。
崩れる寸前で、態勢を維持し更なる一撃を繰り出す。
蹴り飛ばし剣をギリギリ避けたシュラだったが、俺の最後の一撃は避けることができなかった。
だが、そのタイミングで槍をはねあげ剣を受け流せるのは、戦闘民族の名に相応しい技術だ。
結局、俺の渾身のコンビネーションはシュラの頬にかすり傷をおわせるのが精一杯だった。
距離をとり、シュラは己の頬の傷からでた血を指で拭う。
「すまぬ」
発された言葉に、俺は追撃しようとした勢いを削がれた。
「なんで謝る?」
「そなたの実力を低く見積もったことを謝らせてもらった。思い起こせば、仮にも大戦士殿の推薦試合であった」
「実力を低くって、それは別に構わんが」
「四割ほどと思ったがゆえ」
「……四割?」
「攻撃は防がれ、あまつさえ傷を負う始末」
「ちなみにさっきハドラーを倒した時は?」
「六割の力であった」
あれで、半分ちょっとの力しか出してない、だと?
「で、俺はどのくらいと見た?」
「八割、でいかせてもらおう」
ハドラーより高くみられて嬉しいやら、ここから二倍近く強くなるだと?で恐ろしいやら。
俺は複雑な表情をしていたに違いない。
そして、そこから今までの攻防がぬるま湯のようだったと思えるほどの戦いが始まった。
何かを考える余裕はなかった。
ただ繰り出される攻撃に自動的に対応していただけだ。
それでも、なんとかなっていたのはこの速さと強さの領域を体が覚えていたからだと思う。
あの崩壊しかけたグラールホールドで、炎の王の似姿となって炎の王と戦った時、俺はこの領域を体験していた。
それは、確かに魔力炉からの無限魔力を利用した借り物の力ではあったが確かに覚えている。
精妙無比で繰り出される槍の穂先をわずかな動きで回避、来るであろう追撃を予測し、攻撃を繰り出し、その回避も予測し、先へ先へと積み重ねられる攻撃の応酬を出来る限り予測する。
それでも、シュラはそれを超えてくる。
予測の先となったら、あとは直感とか第六感とかそういうレベルだ。
こいつ、純粋な戦闘能力なら炎の王に匹敵ーーいや、超える?
勘でなんとかなるほど甘い相手でないことはわかった。
考えうる限りの最善手を打つ。
それだけだ。
「なぜ、笑う?」
不意にかけられたシュラの言葉に、俺は自分の口角があがっていることを自覚した。
「笑っていたか、俺は」
「いまだ余裕があるということか、それとも戦いを好むか」
「どちらも違う。俺はな、笑いでもしなきゃ、あんたみたいなのと戦ってられないんだよ」
「強者と戦うにあたり、己を鼓舞するため、か」
なんだか、もっともらしい結論で納得されてしまった。
まあ、そんな感じで間違っちゃいないだろうが。
「……なれば、その期待に答えねばなるまい」
そのシュラの台詞に、俺の背筋が凍る。
猛攻が途切れ、シュラは2メルトほどの間合いをとって槍を構える。
「ひとつ聞くが、それは全力で来るということだな?」
「無論。ハドラーなどとは違う、真の闘士には全力で相手をしなければ礼を失する」
「そいつはどうも」
「実を言えば、あの領域で戦うのは久しぶりだった。最近の闘士はレベルが低いからな」
満足そうな顔だ。
その表情とは裏腹に、凄まじい気が集まっていく。
あれ、直撃したらまずいな。
俺も剣を構える。
おそらく、次に放たれるのは突き。
下手に反撃しようなどと考えずに避けるのに専念する。
「いつでも来いよ」
「では……。ヤクシ宝蔵院流奥義“震天”」
発動は見えなかった。
妙に引き伸ばされた時間の中、泥水の中を進むようにゆっくりと俺は動く。
緩慢な時間にも関わらず、シュラの槍は滑るように進む。
実時間で見れば、絶望的なスピードなのだろう。
右へ、右へと粘る空間を進む。
ゆるゆると避ける。
その間にも槍はグングンと向かってくる。
恐ろしい。
とは思ったが、恐怖に支配されることはなかった。
支配される時間もなかったが。
だからこそ、積極的に動けていた。
槍。
槍。
槍。
右へ。
剣を。
右手に力を込めて。
緩やかな時間が弾けた。
突如として、世界の時間が元に戻った。
というより、俺が元に戻ったというほうが正確か。
シュラの槍は、俺の頬のわずか指二本ほどの隙間をあけて突き出され。
俺の右手に握られた剣は、シュラの首筋にあてられていた。
「とんでもない槍だな、あんたは」
俺の本心が思わず漏れる。
その言葉にシュラは実にいい笑顔で笑った。
「私の負けだ。実に楽しき仕合であった」
シュラの宣言を受けて、審判が叫ぶように判定する。
「勝者、カインッッッッ!!」
凄まじい歓声が闘技場から放たれる。
それは、コレセントの街中に届いた。




