炎の王編01
兄が旅立ってから、三日が過ぎた。
定期報告が滞っていると、宮廷魔法使いから相談を受けている。
彼の言いたいことはわかる。
兄に何かあれば、私が摂政として国務を代行しなくてはならない。
ルーナ・テリエンラッドは物憂げに溜め息をつく。
あのセトによる内乱から四ヶ月ほどが立っていた。
国内に起こった騒乱は今では鎮静化している。
首謀者のセトが重傷で動けないこともあったし、セト軍の取り纏めをしていたアルフレッドが兵を御していたことも大きかった。
傍目には静けさをラーナイルは取り戻している。
そんななか、新たな問題が発生し国王になったばかりの兄、ホルスは対処におわれていた。
その問題とは、バラミッドの魔力異常、そしてそれに伴う付近の砂漠化だった。
内乱の勃発から、すでに何度かバラミッドで高濃度の魔力が放出されたのだという。
その濃度たるや、十階位以上の魔法使いが十人集まって十日間魔法を使い続けるのと同じくらいの量だったと計測された。
その魔力の放出の影響で、バラミッドの付近の炎の精霊の眷族が活性化し、砂漠化が促進している。
住民の避難も始まり、国王自ら調査とその指揮に向かうこととなったのだ。
なにも国王が行かなくても、という意見もあったが新国王の威勢を示すというホルスの言葉に退けられた。
そして、三日前。
ホルス率いる調査団はバラミッドへ出発した。
サバクオオカミの巣があった洞窟よりも遠いところにあるから、使者が遅れているだけなのかも知れないが。
なんにしろ、ルーナは不安だった。
ルーナの心中とはうらはらに静かな夜だった。
中原は、もう秋に入り涼しくなってくるころだろうか。
故郷とはいえ、何年かぶりでのラーナイルである。
ルーナにとっては久しぶりの砂漠の秋だった。
暑さはやや落ち着いては来たものの、それでも中原の真夏ほどの暑さだ。
だが、夜は冷える。
昼は、炎の女神イクセリオンの。
夜は、氷を歩むものイタカの加護を受けているが故に。
冷たい空気に溜め息が流れていく。
カインはどうしているのだろうか?
あの夜。
ルーナの前から旅立っていった青年。
ルーナたちのパーティーのリーダー。
ルーナの仲間。
仲間、か。
どこか危うげな彼を、ルーナは忘れられない。
それはもしかしたら、男性に免疫のない自分が初めて見た同世代の男性だったからかもしれない。
生まれたての雛鳥が、初めて見たものを親と記憶してしまう刷り込みのような。
それでも、この思いは嘘ではない、とルーナは思うのだ。
ラーナイルの王女として、いずれは名家に嫁ぐのだろう。
それはそういうものだと思う。
王族に生まれつくというのは、そういうことだ。
国のために生きて、死ぬ。
国のために、セト伯父は追放され流刑地で死んだ。
国のために、父は死んだ。
国のために、兄ホルスは若くして王となった。
ならば、私は国のためになにができるか。
それを考えたら、いくばくかの自由は諦めなければならないだろう。
それはいい。
それでいい。
ただ。
もう一度だけ会って、僅かな間でも夢を見るくらいは願ってもいいかもしれない。
雲で月が翳る。
それは、五つ数えるほどもない時間。
暗闇に、2つの光。
黄色く煌めく蛇のような両の目。
それに睨まれた瞬間。
ルーナは動けなくなった。
雲がきれたとき、そこには男が一人立っていた。
妙な紋様のローブを着た蛇のような目の男。
扉は施錠していたはず、とルーナは思い出す。
何の音もなかった。
気配もなかった。
誰もいなかったのに。
「人は衰えた。これしきの手品のごとき魔法も見抜けぬか」
男はルーナに近付き、その顔を覗きこむ。
「ふむ、やはり幾年たっても顔は変わらぬな。テリエンラッドの血族は変わらぬ。それは憎いことではあるが、嬉しくもある」
憎しみと喜びが、同時に浮かんだ顔。
そして、蛇の目がぎょろりと動く。
「これで、二人。そろそろ気付かれるだろうが、やれることはやろう。あのお方のために」
二人とはなんなのか?
あのお方とは誰なのか?
そして、目の前のこの男はなんなのか?
何もわからない。
何もわからないまま、ルーナは蛇の目に睨まれ意識を失った。
男は満足そうに笑うと倒れるルーナを支える。
まるで荷物でも持つような形ではあったが。
そして、また雲が流れ月が翳る。
次に彼女の部屋が月明かりに照らされた時、そこには誰の姿もなかった。
始まりが終わる。
これが、その契機だった。