神聖皇国編02
不自然だったのは教皇の様子だった。
相手は動く災害のようなものだ。
いますぐにでも動かねば大変なことになる。
「猊下、私は動きます」
「余はこのまま滅びてもよいと思った」
疲れきった声だった。
教皇になって十年余、その心労はいかばかりだったであろうか?
この炎の王の襲来に、教皇の心は折れそうになっていたのだ。
だが、それではこの地に住まう人々はどうなるのか?
無残に焼け死ね、というのか。
民に、仲間に、主に、生きていてほしい。
カインに語ったとおり、この白い鎧は全てを守るために着ているのだ。
諦めるわけにはいかない。
だから、カリバーンは言った。
「猊下、私は動きます」
同じ言葉だったが、教皇は頷いた。
「そなたなら、そう言ってくれると思っていた。やはり、余の隠居にはまだ早いようだな」
「私もそのように愚考いたします」
「ならば命をくだそう。アーサー・カリバーンよ、アルザトルス教会騎士団およびグラールホールド国軍全てを率い、炎の王を撃退せよ!!」
「復唱いたします。私、アーサー・カリバーンはアルザトルス教会騎士団およびグラールホールド国軍全てを率い、炎の王を撃退すること。確かに拝命いたしました」
カリバーンは立ち上がり、駆け出した。
グラールホールドを守るために。
大切なもの全てを守るために。
その姿がみえなくなったあと、教皇の表情が変わった。
変わったというよりは、表情が無くなったというほうが正しいか。
「邪魔者は追い出した。炎の王が来る前にやるべきことをやっておこう」
声も冷たさが含まれている。
国民の崇拝を受ける教皇の姿はどこにもなかった。
教皇はさきほどとはうってかわって軽快な動きで立ち上がる。
そこに声がかかる。
「準備はしておきましたわ」
影から現れ出たさらに黒い影、それは女の姿をしていた。
驚くこともなく教皇は影を見る。
「砂の王国でフェルアリードが死んだと聞いたが?」
「ご心配なく、彼がいなくてももう始まっていますわ」
「ならいいのだがな」
黒い影、いやリィナ・テリエンラッドは微笑む。
それを見ずに教皇は歩き出した。
上へ。
アルザトルス教会の最上層。
アルザトルス神殿へ。
時に。
この大陸で魔王と呼ばれる存在は二人いる。
一人は古代魔道帝国に大打撃を与え、その終焉のきっかけとなった魔王レイドック。
ただ、あまりにも昔の人物なのでおとぎ話のような扱いを受けている。
それよりもこの時代の人々にとって嫌悪と憎悪、憤怒の対象となっているのが、もう一人の魔王ロンダフである。
旧ガッジール王国を牛耳ったロンダフは、周辺諸国に侵略戦争を仕掛けた。
数年間続いた戦争で、ナス王国、セレファイス公国など四ヶ国が滅亡し、ガッジールに併合された。
レインダフや、グラールホールドといった大国ですら侵略を受け領国の一部を奪われた。
そして何よりも、大陸に恐怖をもたらしたのはその軍隊の構成である。
人、亜人を含む知性ある人間の割合が0.5%。
死骸や悪霊などのアンデッドの兵士が50%。
残りは低位の魔神を含む、魔族、そして魔獣の軍団であった。
数万のアンデッドや魔獣の軍団に攻められた国々は恐怖し、激怒し、憎悪した。
ガッジールの存在は許さない、という思惑が一致した諸国。
特に、プロヴィデンス帝国、レインダフ王国の二ヶ国は連合を組み、ガッジールに対抗した。
熾烈な戦いは、さらに一年にわたって続き、ガッジールの壊滅で決着した。
併合された国を含むガッジール領内は荒廃し、打ち捨てられた。
ロンダフは行方不明となり、いまだに見つかっていない。
それが、今から十九年前のことである。
その戦争を体験した人間は大勢いるし、肉親や友人が犠牲になった人も多いだろう。
国家間の戦役で、人間以外の戦力の使用を禁止する秘密条約が結ばれたのはこの時である。
再びグラールホールドに戻る。
カリバーンは外に出るなり、矢継ぎ早に命令を出した。
遠距離投射できる“杖”の魔法使いを赤い竜の迎撃部隊として配置。
市街への被害を防ぐためと、負傷者の救護のため“杯”の魔法使いや神官を後方に待機。
また、“杖”の迎撃部隊に隣接して“符”の魔法使いで炎の王の妨害部隊も置く。
そして、アルザトルス教会騎士団を含む戦士や騎士と“剣”の強化部隊を前衛にする。
現在、グラールホールドにおける最大戦力を投入していた。
市民は直近の都市に避難し、市街はカラになっている。
やがて、偵察隊が叫ぶように報せる。
「赤い竜を確認。炎の王が来たぞ!!」




