始動編11
灼けつくような沈黙。
焦燥が、俺の思考を占めていく。
ルアーは笑ったまま、俺の決断を待っている。
俺が死ぬか。
イシュリムが死ぬか。
俺が死ねば、イシュリムも死ぬ。
ただ、俺が死ぬまでの間、助かるチャンスはあるかもしれない。
イシュリムが死ねば、俺は今度こそルアーを倒せる。
しかし、まだ倒れたままのジョルジュがいる。
放心したままのコレルファンもいる。
おそらく、ルアーは俺が諦めるまで何人も殺し、何回でも蘇る。
この状況を作り出した手腕には、敵ながら脱帽するしかない。
いや、待てよ。
いくらなんでも、そろそろ誰か来てもいいはずだ。
上級生、教授、誰でもいい。
誰か来れば状況は変わる。
「誰も来ないよ」
「……ッ!?」
俺の思考を読んだかのように、ルアーが言った。
「私の得意なのは“杯”の魔法だ。“杯”の主な使い方はわかるだろう?」
“杯”は主に治癒魔法と結界魔法が得意だ。
治癒魔法、と結界……。
「結界を張っているのか?」
「そう。君と、イシュリム、ジョルジュ君、コレルファンの四人だけがいる結界。まあ、ジョルジュ君はイレギュラーなんだけど」
「いつから……」
「君が帰ろうと思ったあたりさ」
「コレルファンに襲われる前、か」
その時には、この状況に至るための一手が打たれていたのだ。
「さあ、そろそろ決めてくれ。どっちが死ぬかを」
「お、俺は……」
どうする?
「では、こうしよう。10数える。その間に決まらなかったら、この杖に力をこめる。そして、その後、君を殺す」
「そんな!?」
「十」
「ま、待ってくれ」
「九」
ルアーは笑みを崩さずに、カウントを続ける。
「八」
どうする?
「七」
イシュリムを、コレルファンを、ジョルジュを見捨てれば、あるいは勝ちの目があるはずだ。
だが、その勝利に何の意味があるのか。
「六」
俺が死ぬのなら……いや、その選択肢はもっと不味い。
結局、奴の言う“悪”人は全員死ぬだろうし。
このまま、ルアーを放置していたら大変なことになる。
「五」
どうする?
「四」
イシュリムを殺させず、一撃でルアーを倒す。
「三」
できるか?そんなことが。
「二」
賭けるしかない。
一瞬の勝機に。
「一」
俺は全力で踏み出そう、とした。
「ゼ……」
ガギンと硬い音をたてて、ルアーの杖が吹っ飛んだ。
ルアーの手から離れた杖はクルクルと飛んでいく。
やがて、どこか遠くに突き刺さる音がした。
イシュリムの頭の上ではないのは確かだ。
「なんだ!?」
それは、俺とルアーが同時に放った声。
「“杖”の第4階位“ナイトスピアー”だよ」
俺の後方、から聞こえて来た声はついさっき聞いたものだった。
「レイドック……?」
黒髪の、俺の級友。
レイドック・ダスガンが、そこに立っていた。
「おぉい、結界は完璧に解除したぜ」
続けて現れたのも級友だった。
ヘラヘラと笑う皇子アベル・ゼバブ。
「お前ら、なんでここに?」
俺の問いには、アベルが答えた。
「お前が心配になったから、だとさ。レイドックが言うには」
「ん、まあね。変な予言もしちゃったことだし」
死相が見えるとかなんとか。
俺は、下校前の会話を思い出した。
ついさっきのことのはずだったが、ずいぶん前のことだったような気がする。
「それで、助けに来てくれたのか?」
「本当に助けになると思っているのかな?」
薄笑いを浮かべて、ルアーが声をかけてきた。
二人もエサに釣られて、とても嬉しそうだ。
「大丈夫。僕たちはただの時間稼ぎだから」
レイドックはニコッと笑って、手を振った。
それは合図。
「時間稼ぎ……?」
ルアーの呟きは、宙に消えた。
その上半身ごと。
疾風のごとき踏み込みからの一閃。
柔らかなチーズでも切るような軽やかさで。
ルアーは両断された。
その人物は、持っていた鋼の剣の血を払う。
そして、スッと鞘に収めた。
「相変わらず、見事な剣筋ですね。アレスさん」
「たまたま非番だったから良いものを、私をボディーガードと思ってもらっては困るぞ。レイドック坊」
レイドックの呼んだ名前で、俺はその人物の正体に気付いた。
アレス・ゾーン。
帝国最強の騎士の一人。
宰相騎士団を率いる歴戦の勇士だ。
ああ、そうか。
レイドックは宰相カイ・ダ・ルハーンが連れてきた。
アレス・ゾーンは宰相のお抱えの騎士。
その繋がり、か。
そこまで考えて、俺は懸念すべきことがあるのに気付く。
「そいつは、復活するぞ!!」
ルアーは、両断された痛みをこらえながらも笑っていた。
そして、口を開く。
「“杯”の第13階位“ナインライブズ”」
再び湧き出た血の池に、ルアーは沈んでいく。
「悪趣味な魔法だ。だが、無駄だ」
アレスは、血の池へ歩み寄った。
その時には、既にルアーの腕が生えてきている。
地面を探して蠢く腕を、アレスは躊躇なく切り落とした。
断面は血に沈み、残った腕は地に落ちてビチビチと跳ねている。
アレスは面倒そうにルアーの腕を見ると、ためらうことなく踏みつけた。
グシャっと、まるで腐った果実を潰したような音がした。
腕は潰れて、動かなくなる。
しばらくすると、再び腕が生えるがアレスは切り落とす。
腕を踏む。
腕が生える。
切り落とす。
腕を踏む……。
「再生の、無力な時間を狙えばよかったのか」
あまりにも簡単な対応策に、俺は力が抜けた。
「見た目の派手さに騙されてはいけない。そもそもは相手の策にはまらないことが第一歩だが、はまった場合でも諦めず対応する。最後まで抗うこと。それが大事だ」
延々と再生するルアーの処理をしながら、アレスは俺に諭すように言った。
確かにそうなのだ。
諦めず対応すれば、派手さに惑わされずに攻撃していれば、追い詰められることはなかった。
「……はい」
「まあ、戦士としては悪くない。剣の腕、魔法の扱い、一流と言っても過言ではない。もし就職先に困ったら、ウチに来てもいいぞ」
フォローもしてもらった。
「アレスさんたら、もうスカウトですか?」
レイドックが冗談まじりに言う。
「馬鹿言え。早い時期に声をかけておくのが重要なのだ。先んずれば制す、と言うだろう?」
「急いては事をし損ずる、とも言いますけど」
「口ばかり達者になりおって」
「この弁舌で出世してアレスさんを部下にしてあげますよ」
「ふん。言ってろ」
仲の良い友達のような会話だった。
普段、見れない級友の姿に俺は意外な思いを抱いた。