始動編02
一年がたった。
あの事故の原因ははっきりしないまま、捜査は打ち切られ、スラム街は再開発された。
俺は体こそ完治したものの、記憶は帰ってこない。
それでも、日々は絶え間なく流れていく。
俺の日々もまた過ぎていく。
昨年末、帝国魔道士官学院への入学試験を改めて受け直した。
記憶を全て失っている俺が、以前の知識で受けたものは意味がないのではないか、と考えたからだ。
両親は、驚いた顔をした。
今まで、そんなことはなかった。
本当に変わったのだな、と二人して言っていた。
変わった、のとはまた違う気がする。
まったくの別人、という気さえする。
まあ、それはそれとして試験は無事合格した。
知識こそ失っていてはいたが、魔法使いとしての技量はそのまま残っていた。
ランクで言うと第13階位“死”に到達した段階。
魔導師としての出発点には立っていたようだ。
あとは失った知識を補うべく、猛勉強にはげんだ。
そして、この春から俺は学院生になる。
ルアー衛士は、この一年変わらず話を聞きに来た。
最近は、ほとんど世間話をするくらいの間柄になっていた。
ほとんど知己のいない、あるいは忘れてしまった俺にとって話ができる貴重な知人だった。
たとえ、その内実がどうであれ。
「魔道学院、決まったって?」
「まあ」
「実力?」
「以前はどうであれ、今の俺には使えるコネなんて思い付きもしないから、実力で突破するしかないでしょ?」
「頑張ったんだな」
「幼学校のレベルから、ほんと1から勉強し直したよ」
「噂はあてにならんね」
「前の俺の噂、ですか。とてもじゃないけど、そんな徒党を組んで市街を爆走するとか、俺のがらじゃないね」
「今の言葉、信じてもいいかな?」
「ん?ああ、信じてくれていいよ。大体二輪の自走車の乗り方も忘れたくらいだからな」
「そうか……まあ、学院生活頑張ってくれたまえよ。おそらく、仕事で君と会うのはこれで最後だろうしね」
ルアーは妙に爽やかな笑みでこちらを見ていた。
「俺のことは諦めたってわけ?」
「そう思ってくれていいよ。それに事故の件だって、もう解決は諦めている。私も上もね。だから、君と会っていたのは単なる好奇心だったに過ぎない」
「たとえそうでも、あんたと話すのは楽しかったぜ」
「それは、よかった」
ルアーが出ていき、俺は再び一人になった。
庭に出て、木刀を手に取り、振る。
鋭い一撃が空を裂く。
それでも、俺には満足感がない。
重さが足りない。
速さが足りない。
踏み込みが甘い。
技の出が遅い。
構えるのが遅い。
俺の最高の一撃には遠い。
それでも、振り続ける。
無心で、振り続ける。
今の俺には、それしかできない。
失われた何かを探すように、俺は木刀を振り続けた。
ルアーは、言った通りに翌日から来なくなった。
寂しいような気がしていたが、やることの多さに忙殺されて、いつしか日常に紛れていた。
魔道士官学院は、帝都の郊外にある。
今は更地となったスラム街より、さらに外だ。
俺は、そこの寮生となるため実家は出ることになっている。
荷物の運び込みや、手続きなどをこなしていたらあたりはすっかり春になっていた。
白くも、ピンクにも見える小さな花を幾千もつけるチエラル樹や、甘い香りのピエリチ樹、ほのかに香るプラマーム樹などの可憐な花がそこら中で咲き誇っている。
柔らかな風に、花びらが舞い散り、宙を流れていく。
入校式の前日に、全ての準備を終えた俺は一年ほどの記憶しかない実家を離れ、新たな地、魔道士官学院へ向かった。
帝都から、学院までは直通の結界船が運航していて、実はそれほど遠くない。
実際、帝都出身の院生には帝都の家から通っている者もいる。
けども、俺はそうしなかった。
なんだか、違和感を覚えていたから。
ここは本当に俺の家だったのか?
目の前のこの人達が、本当に実の親なのかどうか、まで考えた。
そこまでいったら、後はここを出ていくしかない。
家から公共の自走車で結界船駅へ。
運良く空いていたため、余裕で士官学院行きに乗り込む。
それほど待たずに、結界船は出発した。
帝都を覆う巨大な“杯”の結界。
ゆっくりとその内側に沿って、結界船は進んでいく。
士官学院行きの船は、真っ白い船体に緑のラインが入ったカラーリングだ。
帝都内を周回する都内環状航路の船は、黒い船体に緑のライン、ウルファ大陸航路は赤い船体に緑のライン、外大陸航路は青に緑のラインだ。
この緑のラインは、旅を司る“風の旅人ソライア”をイメージしている。
と、結界船運航公社の宣伝では謳っている。
春の、輝くような青空の中を白い船は進んでいく。
帝都から学院まで一直線に張られた恒久結界の上を滑るように。
帝都を出れば、後は甲板に出ようが、船室に居ようが自由だ。
俺は、甲板の手すりにもたれて遠く離れていく帝都を見ていた。
摩天楼がゆっくりと薄れていく。
「君も新入生か?」
不意に声をかけられて、俺は反射的に声の方を向いた。
「そう、だけど?」
背の高い青年、だった。
色素の薄い髪は、金髪というよりは砂色。
同じ色の目は、知性をうかがわせる。
やや上がった口元からは、俺への興味が示されている。
「いや、僕も魔道士官学院の新入生でね。同じような人がいたらついていこうと思っていたのさ」
「そうか。俺はカイン、カイン・ルーインだ」
「ファイレム・サンドラインだ。よろしく、カイン」
「よろしく、ファイレム」
やはり、明日が入校式だけあってこの船には新入生が多く乗っているらしかった。
その中で、なんで俺に声をかけたか聞くと、ファイレムはこう答えた。
「面白くなりそうだったから」
「その発想にいたるお前の思考のほうが面白いんだが」
「そうかい?」
「そうだよ」
「それは、ほら、僕は学究肌だから」
わけのわからない事を喋りだした連れに、適当に相槌をし、世間話をしているうちに結界船は士官学院前駅に到着した。
駅から出ると、そこはもう学院の敷地だ。
俺の新しい居場所。
「ファイレムも寮生なのか?」
「そうだよ。黄色三号棟」
と、手にした地図の西側を指差す。
「俺は、赤色三号棟……南側か」
「では、ここでお別れですね。まあ、新入生の集まりやなんかですぐ会うでしょうから、そのときはまた」
「おう」
手を振って、ファイレムは西側へ歩いていった。
ファイレムと別れ、俺も自分の寮のある南側へ歩き出す。
時折、すれ違っていく在校生が声をかけてくる。
「頑張れよ、“ホープ”」
とか。
「早く来いよ、“ホープ”」
というものだ。
ホープというのはなんとなく新入生のことか、と思ったが次の瞬間、わけのわからないことになった。
同じくらいの年の在校生二人。
一人が嘲るように笑いながら言う。
「今年も、また“ホープ”だな」
「くっ……」
「次も“ホープ”なら、いい加減諦めろよ」
嘲った方はおかしそうに笑いながら、去っていく。
笑われた方は、肩を落としてトボトボと反対方向へ去っていく。
俺とすれ違った、笑われた方は絶望的な顔をしていたのだった。