魔王編08
深い水の中で、ベスパーラは目覚めた。
いや、器である肉体は死んでいるので、正しい意味での目覚めではない。
「するとここは死後の世界か?」
「そうではない」
答えたのは聞いたことがある声だった。
そのセリフに最も相応しく無い声。
ベスパーラはその人物の名を呼んだ。
「兄上……」
ベスパーラが自らの手で倒したはずの兄。
スズメビー・ランスロー。
「私は確かにスズメビーだが、死人の霊がさ迷い出てきたわけではない」
「そうですか。恨み言でも言われたらどうしようかと思いましたよ」
「私はお前の魂に残った、スズメビーの欠片に過ぎない」
「魂?」
魂とはなんだ?
死霊ではない、と本人が言っていた。
「魂とは、自分のことが刻まれた魔力の塊のことだ」
「それは、世の魔法使いが聞いたら泣いて喜びそうな言葉ですね」
魂は自分のことが刻まれた魔力の塊。
「戯れるな。私は、お前が死にかけているが故に出てきたのだ。時間がない」
なるほど。
このスズメビーは、ベスパーラの魂に残っていた欠片。
普段は、ベスパーラの意思の下で眠っている。
しかし、ベスパーラが死にかけていることでその抑圧が無くなり、出てきたのだ。
「何を伝えたいのです?」
「何も。強いて言うなら感謝だ。あの老人に、いやミニオンに利用されていたのを解き放ってくれたこと、それに対する、な」
「それは……私のやりたいようにやった結果ですから」
「それでも、だ」
そこだけ、力強く言ってスズメビーは消えた。
唐突だったが、時間がない、とは言っていた。
そして、何もないのにあの兄が出てくる訳はない。
今の言葉に、何らかのヒントがあるのだ。
「魂とは魔力の塊、ということだろうな」
ならば、魔力とはなんだ?
単なるエネルギーではなさそうだ。
魔法の呪文によって、炎になり、氷になり、水に、雷になる。
また、強固な壁になるかと思えば、癒しの力ともなる。
もしかしたら、呪文、いや、意思の力でその形態を変える物質であるのかもしれない。
ならば、水を魔力に還元するベスパーラの力は、意思の力が、自然の意思を上回ったということになる。
もし仮に、肉体も魔力の何らかの現れだとしたら。
魂がそうなら、肉体も……。
そして、結論を得たベスパーラは凄まじい意思を持って周囲の水を魔力へ変え始める。
魔力を死んだ肉体に集め、死んだ部分を再生し、生命活動を促す。
そうだ。
確か、ガンガーダラは自分の体を水に、水の精霊に変えていた。
そういうことができるなら、逆もできるはずだ。
精霊を受肉させる。
やがて、肉体の再生が終わり、ベスパーラの魂はそこへ入る。
視界がクリアになり、大気の匂いを感じる。
生きていることを実感する。
あふれでる魔力を、レイピアに込め叫ぶ。
「飛燕流青滝閃・神無月アロンダイト」
単発技である青滝閃を追加し、神無月が現す十の斬撃を放つ技に変える。
その斬撃に、更に魔力を込め一撃一撃が必殺クラスの、アロンダイト級の威力を込める。
完全に不意をつかれたミニオン、ガンガーダラとニーラカンタはまともに受けた。
「な、お前は死んだはずだ」
「蘇生魔法は存在しないはず……」
二人を無視して、ベスパーラは水中に漂う腐敗物に触れた。
これは、グウェンだ。
水中に漂うグウェンの魂を探す。
自分が死んだ、という時点で活動を止めているグウェンの魂に魔力を注ぐ。
それは、短い時間ながらも共に過ごしたベスパーラの持っているグウェンの記憶だ。
それに刺激されグウェンが目を覚ますまで、ベスパーラはグウェンの体の再生に手をつけた。
やることは簡単だ。
水を魔力に変え、ベスパーラがそうしたように受肉させる。
あとは、本人の意思が己の肉体を作り直すだろう。
やがて、グウェンは起き上がった。
「あ、れ?私、死んで?」
「生きています」
力強い言葉をベスパーラは放った。
不安定な意思だと、魂が霧消してしまう可能性がある。
今は、生きていると信じこむこと。
そう導くことだ。
「死者蘇生!我らが探し求めた真なる魔法!いいぞ、その力を吾が輩によこしたまえ」
傷を治したニーラカンタが、再び喉の紋章をこちらへ向ける。
「あなたは散々、私たちに迷惑をかけましたね。ここで、その根を断つ」
ベスパーラは、レイピアを構える。
「遅い、“ニーラカンタ”」
「遅いのはあなたです」
青い光は空を貫いた。
神速で接近したベスパーラは、その魔法をかわし、そのレイピアはニーラカンタの喉を貫いていた。
「わ、吾が輩が、死ぬ?」
「死にます」
「これではなんのために、ミニオンになったのか……わからないではないか?」
「そうです。あなたの長い生涯は無意味でした」
ニーラカンタは絶望したような顔をして、事切れた。
「よくも、よくも先生を」
回復が遅れようやく立ち上がったガンガーダラは絶叫する。
「次はあなたの番です。グウェン」
「はい」
グウェンは糸を射出。
ガンガーダラを絡めとる。
「舐めるな。僕にこの糸が効かないことは知っているはずだ!」
ガンガーダラは水に溶け、水流を起こした。
「これを待っていました」
冷静なベスパーラは、自身も水に溶けた。
水流の中に、ベスパーラとガンガーダラが溶け合っている。
ベスパーラは見た。
ガンガーダラとレルランの境目を。
魔力の、魂の触れあいの中でベスパーラが知っているレルランの魂を掴みとる。
実体化しながら、レルランの肉体を魔力から作り出し魂を込めた。
そして、二人でドサリと床に投げ出される。
「ベスパーラ様」
心配そうなグウェンに手をふり、ベスパーラは呟く。
「約束したのは、ガンガーダラを倒すこと。レルランの生死は問わない。困難なご命令でしたがなんとか果たせそうです」
そして、ガンガーダラから引き離したレルランの頬をペチペチと叩く。
「う、ぐぐ」
「意識はありますか?」
「お前か……僕はレルラン、だな?」
「そうです」
「最悪な気分だ。だが、助かった」
「まだ、助かったわけではないですよ」
「何?」
ベスパーラとグウェンとレルランの前で、水が澱む。
引き離されたガンガーダラの魂が、精霊の状態で悶えている。
そして、さざ波のような声がする。
「よくも、我が依り代を奪ったな。許さぬ、絶対に許さぬ。我は大河を支える者ガンガーダラぞ」
津波のような大きな波が、押し寄せてくる。
ガンガーダラそのものの大波。
「どうします?避けるところはないですけど」
「そもそも僕は、そんなに動けないぞ」
グウェンとレルランの心配を、ベスパーラはいなした。
「レルランという肉体を失ったあれは、過去の残響に過ぎません。私はそんな者には負けません。“符”の第13階位」
「お前、いつの間に魔導師に?」
「まさか、一度死んだことで第13階位になったのですか?」
「そんなところです。行きますよ“ユルルングル”!!」
それは、ベスパーラの魔力が形を得た姿だ。
竜のような、蛇のような形。
七色に煌めくのは虹のようだ。
大きな口を開けて、ユルルングルはガンガーダラを飲み込んだ。
虹の竜の中で、ガンガーダラは分解され、その魂をバラバラに崩され、消滅した。