魔王編05
俺達はデヴァインの北門を抜け、街の北の古代遺跡を目指した。
カイラス山の麓を覆う森林が古代の街道を蚕食している。
鬱蒼と繁った森、そして暗闇の中でもわかるほど厚く天を埋める雲。
季節に似合わない立ち込める霧は、もしかしたら封印が解かれた時の魔力の残滓なのかもしれない。
アベルの灯した魔法の明かりを頼りに、俺達は北へ進み続ける。
やがて、森が終わった。
そこで、俺達の目にうつったのは聖域と呼ばれた魔王の城と、その前に布陣しているデヴァインの軍勢だった。
「なんだ、あれは?」
「旗印、紋章、鎧の形状、そのすべてを勘案すると……あれはデヴァイン軍と推測できますね」
俺の呟きにベスパーラが答える。
「今現在、この周囲に展開している戦力は、もしや?」
「さすがアーサー団長です。ゼルフィン特別機動連隊、通称“グラールホールド奪回軍”だと思われます」
グラールホールドからセトラール軍を追い出すために結成された“奪回軍”。
華々しい進撃とは裏腹に、奪回はもとより大した戦果もあげられぬまま、数日前に撤退を始めたという。
一番大きな収穫が、アルフレッド・オーキスの撃破なのだとか。
俺としては、アルフレッドがそんな重要人物だったっけ?という感想しかない。
もちろん、仲間としてのアルフレッドの死はいまだ受け入れがたい。
そういう意味では、アズと気持ちは同じだ。
そして、それを飲み込んでいるアズを素直に尊敬する。
話がそれたが、その奪回軍が俺達の前にいたのだ。
一糸乱れぬ軍容と、傷つき汚れた軍装から歴戦の兵士を思わせる。
しかし。
「奪回軍って志願兵が中心だったような気がするんだけど?」
エミリーの言ったことは、俺の感じていたことと同じだった。
志願兵中心の、悪く言えば素人の集団が、一年もしないうちにここまでの風格を備えるものなのか?
その答えは一つだ。
「魔王の魔力、か」
おそらくは、撤退中に陣容を整えていたところに封印が解け、放たれた魔王の魔力に当てられてしまったのだ。
カルエンさんは、状態異常になると言っていたが。
「彼ら、味方、だと思う?」
エミリーの問いかけに、俺は首を横に振った。
「だよね」
エミリーもわかってはいた。
魔王の魔力に当てられ、魔王の城の前を守るように並んでいる軍勢が、味方のわけはない。
「どうする、カイン?」
カリバーンが俺に決断を促す。
強行突破すれば、今の俺達なら魔王の城へたどり着けるはずだ。
だが、全員少なからず体力なり魔力を消耗し、そのあとのミニオン、そして魔王との戦いに大きく影響がでるだろう。
かといって、このまま手をこまねいて見ているわけにもいかない。
答えは一つしかないのだ。
「カイン、あのさ。ゼルフィン様と話し合い、できないかな?」
「“支配者”ゼルフィン?」
そう言えば、奪回軍を率いていたのはデヴァインの摂政にして、伝説の五人の一人たるゼルフィンだ。
第13階位の魔導師が簡単に、状態異常に陥るだろうか。
おそらくは、この軍勢の中にいる。
あわよくば、手を貸してくれるかもしれない。
俺の中に、微かに希望が生まれる。
「そう、どうにかしてゼルフィン様と会談して、無傷で通行しよう」
「賛成だ。で、どうする軍師様?」
方法までは考えていなかったらしく、エミリーは目を白黒させる。
しばらくして、何か思い付いたようでこちらを見る。
「相手の状態異常によるけど……」
「よるけど?」
「白旗をあげよう」
エミリー案によると、一糸乱れぬ整列であれば少なくても見境なく襲ってくることはないだろう、との予想。
また、白旗イコール降服という刷り込みは兵士であれば本能的に察知するだろう。
急に襲われたら強行突破で、ということだった。
文句があるなら代案を出せ、とエミリーが睨むので全員一致でエミリー案を採用することになった。
掲げているのは、カリバーンのマントである。
それをシュラの槍にくっつけている。
まさか、槍をこのように使うときがくるとは、とシュラが呟いていたが聞こえなかったことにしよう。
「我らは義勇軍である。ぜひ、ゼルフィン様にお会いしたい」
声を張り上げるのは、モルドレット。
さすが一国の王を名乗るだけあって、堂々とした態度だ。
立派すぎる気もするが。
しかし、心配はいらなかった。
なぜなら、兵士たちは無反応だったからだ。
何度か、呼び掛けてみたものの返事はなく。
こちらを向くような素振りもない。
あげくの果てに、アベルが発光の魔法を操って兵士らの目の前をぐるぐると動かしても、まったく反応はなかった。
「麻痺なら目の動きで判断できます。何かを伝えようとよく動く。また、魅了の場合も目が判断基準ですね。とろんとした目付きになります」
状態異常の解説をするのは、自身も状態異常魔法である“符”の魔法使いのベスパーラだ。
まったく反応のない兵士たちを前に、堂々と顔を触り、瞳孔をのぞきこんだりしている。
あの度胸は凄いと思う。
「で、こいつらはなんだ?」
俺の問いにベスパーラはこう答えた。
「支配魔法の影響下だと思いますよ。術者の指示がないため、動かない。と思われます」
支配魔法は、そのまま相手の精神と肉体を支配する魔法だ。
種別としては、雷光などで眩惑するもの、薬品などで精神をかき回すものなどがある。
後者のたとえを言うならば、モーレリアントにおけるベスパーラの兄スズメビーが、その状態だった。
そして、ウルファ大陸において、その支配魔法に最も長けているとされるのが……。
「これ“支配者”ゼルフィンの魔法、なのか?」
ベスパーラが頷く。
「その可能性は大です。推測するに、封印が解かれた時の魔王の魔力に兵士たちが状態異常に陥るのを回避するため、一時的に全員に支配魔法をかけ、己の支配下におくことで状態異常の上書きを防いだものと考えられます」
「わかったぞ。その支配者たるゼルフィンが今、状態異常で動けないから、兵士たちも動けない、ということか?」
「おそらく」
「なら話は早い。ゼルフィンを救出して、軍勢を押さえてもらい、さっさと抜け出す、だな」
「それがいいでしょうーー」
「お前ら、避けろッ!」
会話をかきけすかのように、ディラレフが叫ぶ。
俺も、ベスパーラも本能的に退避。
「なんなんだいったい?」
そう言った俺の目の前を、デヴァイン兵の剣の切っ先がかすめていく。
ディラレフのタイミングで避けていなければ、どこかしら斬られていた。
ぎこちなく、だが確実に、そして組織的にデヴァイン兵は動き始めていた。
「君たちの推測は半分当たりです。あの聖域から洩れる魔力に当たれば、ただの人間なら混乱状態に陥るだろう。だからこそ、私の魔法でそれを防いだ。それは当たりです。しかし、私が状態異常になったなどとはね。そこまで見くびらないでいただきたいものです」
兵士の群れから現れたのは、三十代後半の男性。
デヴァインの将校の軍服を着ている。
エミリーが小さく呟く。
「ゼルフィン様……?」
そう、その男こそ。
デヴァインの摂政にして、奪回軍の指揮官。
ゼルフィンだった。