神殿都市編09
イクセリオン修道院からでも、カイラス山の山頂の大火はよく見えた。
「エミリー達はやり遂げたようですね」
カルエン・ラル・イクスはテーブルの向こうに座る黒い騎士に話しかけた。
面頬の下半分を外して、熱いお茶をすする黒騎士は笑う。
「途中で援軍も来たからな、竜王ヴリトラといえど落ちるだろうさ」
「それにしても、久しぶりですね。ちゃんとご飯食べてます?」
「お前は母親か」
「あなたにしろ、ダインにしろ、まるで子供のようなものですからね。特にあなたはいくつになってもそうです。今何百才です?」
黒騎士は苦笑して、面頬をはめた。
表情は見えない。
「千と二十だ」
「イクセリオン様があなたを贔屓する理由が分かりません」
「俺もさ」
「あらあら、イクセリオン様拗ねてらっしゃいますよ」
「神の声を聞く力か。流石は“炎の娘”だな」
「もう誰も覚えてませんよ、その呼び方は。それに、もう“残り火のおばさん”といったところですしね」
「そんなに変わってないよ」
「お世辞は結構。それにしても、エミリーには本当に苦労させたわ」
「ナスの生き残り、教皇ロンダフことベルオレワの娘、か」
「ええ。彼女は一度死に、数年の眠りを経て蘇生した。記憶の大半は欠落していて、思い出そうとすると全身に火傷が起こる」
「それでも、なかなか勇気ある子に育ったじゃないか。師匠がいいんだな」
「あれは天性の性格ゆえですよ。私は何もできなかった」
「謙遜するなよ。二十人の英雄の一人だろ?」
「その呼ばれ方も、あまり好きではなかったわ。それに、マハデヴァが来たときに幻惑に掛けられて、エミリーが居なかったら大変なことになってたわ」
「あ~。まあ、あいつは性格悪いからな。しょうがないよ」
「確かに性格は悪かったみたいですね」
「昔は奴のせいで、いらん苦労をさせられたからな」
黒騎士は遥かな過去を思い出しているようだ。
「それで、私に会いに来たのはなんです?昔話をするためじゃないでしょ?」
「そうだな。単刀直入に言うとエミリーを冒険者にしろ、ということかな」
黒騎士の言葉にカルエンは、キッと相手を睨み付けた。
山から降りた頃には、既に日が暮れかかっていた。
冒険者ギルドへの報告は明日にすることにして、カインの治療のために治療所を探すことにした。
本当に専門ヒーラーがいないと言うのは大変なのだ。
と、行動しようとした矢先。
デヴァインの門の内側にカルエンさんがいた。
「カルエンさん……?」
「カインさんの火傷を見せなさい」
有無を言わさぬ口調で、カルエンさんはカインを見る。
「う、ぐ」
「なるほど、このドラゴンによる火傷は街の治療所では難儀するでしょう。修道院に来なさい。私が治しましょう」
「へ?」
カルエンさんの思いも寄らない言葉に、私は思考停止してしまった。
「エミリー。あなたもお仲間を連れて来なさい」
と言ってさっさと歩き出していった。
私は慌てて、あとを追う。
修道院につくと、カルエンさんはカインの治療の真っ最中だった。
とんでもない魔力が“杯”の治癒魔法として顕現し、みるみるうちに火傷を癒していく。
私が見たこともないカルエンさんの魔法だった。
「何をボーッとしてるの?お客様に軽いお食事を用意して、彼らの泊まる部屋を用意しなさい」
「お食事はともかく、修道院は男子禁制なんじゃ?」
「イクセリオン様が許可を出してます、と皆に言いなさい」
「便利だなー」
「何か言いましたか?」
カルエンさんの笑顔が怖いので、私はすぐに動き出した。
厨房へ行き、人数分のパンとシチューを獲得、運搬する。
それをカリバーン達に食べさせている間に、客間を用意。
手慣れたもんだぜ、へっへ。
そっか。
冒険者やってた時間より、ここでこうやって過ごして来た方が長いんだよね。
不思議な気持ちになる。
ドラゴンと戦っていた私も私だし、修道院でこうしているのも私だ。
それでも、仕事の手は休めなかった。
そんなこんなで慌ただしくも全てが終わった。
夜も更け、私も寝る準備をしていた時だった。
私は、カルエンさんに呼ばれた。
疲れた顔をしていたが、カルエンさんは元気そうだ。
「カインさんは無事です。一週間もすれば元気に動けるでしょう」
「ありがとうございます」
「ところで、あなたも戦闘に参加したのね?」
ド直球な質問だった。
嘘ついてもバレそうだし、素直に認めることにした。
「しました」
「気分はどうでした?」
「なんかもうギリギリでした」
これも本当だ。
ベスパーラの攻撃で、ヴリトラが倒れなかった時は死を覚悟した。
「そうですか……」
「あの、カルエンさん?」
「なんです?」
「怒らないんですか?」
私の問いにカルエンさんはクスッと笑った。
「私も昔は冒険者でした」
「え?え!?ええええー!?」
カルエンさんが、冒険者?
「なので、あなたが行った遺跡もだいたいコンプしてますし、国外に遠征も行きました」
しかも、レベル高いやつだ。
「そうだったんですか」
「だから、あなたの気持ちはよく分かります」
「そう、ですか」
「ですから、決めなさい。カインさんに着いていくか。修道院に残るか」
唐突な展開だった。
けど、実はそんなことになりそうな予感もあったのだ。
今までのことが一気に頭をよぎった。
そして、それ以上の鮮明さで今日の戦いが脳裏にうつしだされる。
それで、私は決断した。
「私は、冒険者に、なりたいです」
カルエンさんは今までに無いほどの笑顔を見せた。
「分かりました。エミリー・ダンフ。あなたが修道院を出ていくことを認めます」
「カルエンさん……」
「あなたに謝らなければならないことが二つあります」
「謝らなければならないこと?」
「一つ目はあなたの本当の親御さんのことです」
言葉の意味がよく入ってこない。
「親……?」
「あなたの父親は、ベルオレワという人物です。ナスという国で司祭をしていました。しかし、もう、亡くなっています。隠していたのは、あなたにショックを与えないためです」
聞かされても、そんなにショックはなかった。
見ず知らずの人物より、この修道院の人達が、カルエンさんが私の家族だったからだ。
「わかります」
「二つ目は、二年前のことです。あの時、不覚にも私は魔王の配下であるマハデヴァに幻惑されていました。あなたが居なければ、私も修道院もこの世に存在していなかったでしょう。本当にありがとう」
二年前の、マハデヴァの、こと。
カルエンさん知ってたんだ。
私のことを実の親以上に見ていてくれていた。
そのことを、私はようやく気付いた。
「カルエンさん……」
「エミリー。あなた泣いてるわよ」
言われて初めて気付いた。
両目からボロボロと涙がこぼれる。
大洪水である。
厳しいとか、気難しい、とか思ってた。
そんなカルエンさんの気持ちに気付いて、私も自分の本当の気持ちに気付く。
「わだじ、カルエンざんのごど、大好ぎでず」
「私もよ。エミリー、あなたのこと本当の娘と思ってたわ」
血の繋がった実の親より、育ててくれてカルエンさんの方が、私にとって大事な人。
私はありがとうございます、と何度も何度も言った。
それくらいしか、返せるものがなかったから。
カルエンさんはずっと、私を抱いててくれた。