神殿都市編02
あの男の第一印象を聞かれたら、私は軽薄そうな奴と答えるだろう。
彼女は違う感想をもったようだったが。
あの男は商人だった。
ここデヴァインの北にあるモーレリアで商売をしているのだという。
もともと、修道院では祈祷に使う道具をモーレリアから輸入していて、今までも向こうから商人がやってきていた。
ただ私の記憶が確かなら、その商人はもっと年のいった、老人と呼んでも差し支えない人物だったはずだ。
「マンティコア商会傘下のルーイン商店の者です」
第一声がそれだ。
対応したのはカルエンさんだ。
「デヴァイン・イクセリオン修道院はワイバーン連盟のオラクル商店と取引しておりましたが?」
「はい、それはもう存じております。ですがオラクル商店は昨年、我がルーイン商店と合併いたしまして。そのお客様の取引は私共が引き継いでおります」
ルーイン商店と名乗ったその青年は笑みを浮かべ懐から、オラクル商店との取引の引き継ぎの証明書を出した。
カルエンさんは頷く。
「わかりました。そういう事情であれば、今回は取引いたしましょう。ですが、来年からの取引は考えたいと思います。マンティコア商会はあまりいい噂を聞きませんからね」
「はは、これは手厳しい。まあ、品物を見てください。勉強させてもらいますから」
というような感じだった。
そして、その取引で何があったかわからないがあの男、ルーインはその夜にまた訪ねてきた。
「快楽の都モーレリアントの最高級化粧品を仕入れて参りましたので、今後のことも考え格安で販売していただきます」
その言葉に、いつもは渋い顔のカルエンさんは信じられないくらいの笑顔で迎え入れた。
なんというか、裏切られた感じがした。
修道院はたちまち、化粧品売場と化し女性達が集まった。
まあ、私も行ったんだけどね。
修道院生活は着飾ることもないから、化粧品の良し悪しなんかわからない。
そんな私に彼女はいろいろ教えてくれた。
言ってることの半分もわからないが、要するにこの化粧品は貴族も使うような最高級品であることは確かだ、ということだ。
適当に選んでる私の横で、あの男ーールーインは彼女に声をかけていた。
確かにあの中では、彼女が一番若かったし、綺麗だし、同じ年頃の私は地味だし、声をかけるならそうなるよね。
と思っていたが、ルーインの雰囲気がそういう下心のあるものとは違う気がした。
本当になんとなく、だ。
言葉で説明しろと言われても説明しようがないほどの違和感のようなものだ。
隣で見ていると、口説いているように見えるのは間違いないのだが。
ルーインが帰り、修道院が一時の熱狂から冷め、皆が眠りについた深夜。
彼女は、修道院を抜け出した。
私はと言えばぐっすりと熟睡していたので気付かなかった。
しかし、次の日の朝。
珍しく早起きした私は、隠れるように帰ってきて布団に潜り込む彼女の姿を目撃してしまった。
深夜に逢い引きか、やるな。
と思ったが、ちょっとマズイかな、とも思った。
預けられている“お客様”である彼女が深夜に抜け出すというような事態は、そういう施設である修道院の存在意義に関わるのではないだろうか。
ということで、私は動くことにした。
昼間は普通に修道院の用事をこなし、夕飯を食べ、夜のお祈りをする。
そして、いつでも動ける服装で布団に入る。
うん。
凄いドキドキする。
それからが長かったが。
ただ起きているだけの時間は辛いもので、考えることすら苦痛になってきた。
今にも閉じそうなまぶたをこじ開ける。
あれ、私別に起きてなくてもよくない?とか考えそうになる自分を叱咤する。
ていうか、寝たい。
私の幸せは快眠快食なのに。
その幸せを邪魔するルーインに腹がたってきた。
完全に八つ当たりである。
ともかく、その夜も彼女は動いた。
深夜、デヴァインの街並みから灯りが消え冷めた月の光だけがあたりを薄暗く照らす。
足音に気を付けながら、私は彼女のあとをつける。
誰もついてくるはずがない、と確信しているかのように彼女はあたりを見ずに歩いていく。
その後ろを私が歩く。
やがて、彼女は一軒の家に入った。
違和感。
ルーインはモーレリアントから来たと言っていた。
そして、彼がここに商売に来るのは初めてのはずだ。
だったら、なんでここに家があって、そこに彼女が入っていくのだ?
普通、彼の泊まっている宿屋とかで会わないか?
逢い引き、じゃないのか?
頭の中が疑問符でいっぱいになる。
こういう時は、悩み過ぎて動けなくなるから、私は何も考えず動くことにしている。
その時もそうだ。
私は、その家に静かに近付き中の様子を探る。
ルーインと彼女の、そういう行為とかの、音とか声とか聞こえたらやだな、とか思っていた。
そもそも、私はどうしたいのだろう。
二人の逢い引きを止めて、二人に恨まれ、カルエンさんにはおそらく怒られるだろう。
あれ、私にメリットなくない?
けれど、もし何もしないでとんでもないことになったら、私は後悔するだろう。
あの時、ああしていれば、こうしていればと後悔しながら生きていくのは、私のような単純な人間にはひどく苦痛なのだ。
私は楽しく生きたいだけなのだ。
家の中から物音はしなかった。
とりあえず、行為関係はまだないらしい。
それどころではない気がするが。
この家には窓がないことに、その時気付いた。
ヤバいなあ、ほんとに変なことに首突っ込んじゃったよ。
カルエンさんの言葉が頭をよぎる。
“マンティコア商会はあまりいい噂を聞きませんからね”
モーレリアの裏組織の話は、私だって聞いたことはある。
その中でも、マンティコア商会が一番危険だということも。
その焦りがあったのだろう。
私は背後からの衝撃を受けるまで気が付かなかった。
ルーインの仲間がいたことを。
暗い、闇の中を落ちていく感覚。
思考が緩んで、ばらけて、消えていく。
気が付くと私は、暗い場所にいた。
夢の中、だと思う。
なんだか、頭が上手く働かないし。
「我らと母を同じくする者よ、よく来たな」
声、に振り向くとそこには黒い山羊……のようなモノがいた。
山羊ではないけれど、一番近いものをいえば山羊、というイキモノだ。
ただし、本当にイキモノかどうかはわからない。
「何がどうなってるの?」
「そうか、混ざっているな?それで吾が輩のことがわからない、か」
「混ざっている?」
「ここは夢の国だ。そなたは意識を失ったゆえに、そなたに近しいこの場所に流れ着いたのだ」
「私に近い場所?」
「わからなくともよい。吾が輩らと我らが母はいつも、そなたを見守っている」
妙に優しい黒山羊は、微笑んだようだった。
「むう。何がなんだか、まったくわからないけど。とりあえずありがと。落ち着いたわ」
それは確かにそうだった。
マンティコア商会やらなんやらのせいで、焦っていたのは確かだったからだ。
「そうだ。中津国、いやそなたらの世界では、そなたの肉体は捕まっておる。悪しき者らゆえに気を付けよ」
「え?悪しき者らに捕まってるって終わってない?」
「そなたならなんとかなる」
まったくアドバイスでもなんでもない言葉を残して、黒山羊はトコトコと歩き去ってしまった。
起きたら始まるであろう、大変で、めんどくさそうな事態に私は始まる前から、かなり、うんざりしながら、意識を起こしたのだった。