神殿都市編01
あの娘のことを思い出すと、モヤモヤする。
彼女のことが嫌いなわけではないのだけれど、同時にあの男がたまらなく不快だったのを思い出してしまうからだ。
モヤモヤはもどかしさ、と言い換えてもいい。
明らかにあの男は、あの娘を何かに利用しようとしていた。
普通の人には見てもわからないかもしれないけれど、なぜか私にはわかった。
昔から、私にはなぜかわかるのだ。
それは、昨年の春先のこと。
この神殿都市デヴァインに起こった、ささやかな事件の話だ。
私はエミリー・ダンフ。
おそらく、二十代。
おそらく、というのは私には記憶の欠落があるからはっきりと断定できない、という意味だ。
幼少期、たぶん五歳くらいまでの記憶が私にはない。
うっすらと父親らしき人の思い出がよみがえることもあるが、そんなときはきまって頭痛がした。
酷いときには、全身が痛み火傷のように赤く爛れたこともある。
物心ついたときには、このデヴァインのイクセリオン修道院にいた。
私を修道院に入れた人物は、奇特な人間だったみたいで多額の寄付を修道院にしたのだという。
だから、私みたいな孤児でも人並みに扱ってくれた。
まあ、院長のカルエンさんはそんなことは言わないけど。
ちなみに寄付をしれくれた人物は、どうやら父親ではないようだ、とカルエンさんは言っていた。
こんな世の中ですから、いろいろな事情があるのでしょう、とカルエンさんが言ったのを覚えている。
あの娘がやってきたのは、そんな日々を過ごしていた頃。
私は多分十代の後半で、それなりに生きていた。
特にかわりばえのしない毎日。
そんな夏の日。
はじめに目に入ったのは銀色に見える髪の色だ。
カルエンさんのような白髪ではなく、銀色なのだ。
日の光を浴びて輝くそれに、目を細めたことを覚えている。
大きな目、形のよい鼻、冷たく引き結ばれた唇。
冷たい印象を与える表情。
けれど、私はそんなに不快感は覚えなかった。
言っちゃ悪いが、こんなところに来た人間が「明日から楽しい日々が始まるわ、ワクワク!!」みたいな気分になるわけがない。
不安と警戒で、そんな表情になるのだ。
その娘みたいに、何かの都合でここに送られる人間はけっこういる。
ここは、イクセリオンの修道院なのでかの炎の女神を信仰する国々から送られるのが多い。
家の都合、親の都合、本人の都合、いろいろな事情がある。
と、カルエンさんはやはり言っていた。
そして、その娘もその一人だったのだ。
はるか南の、砂の王国ラーナイルから来たという彼女は夏でもわりと涼しいデヴァインで羽織った上着を不安そうにつかんでいた。
心が寒かったのだ、と後に仲良くなったときに聞いた。
心というものが、どういうものかよくわからなかった私はへえ、とだけ言って深く考えなかったが今にして思うと気候やら感情やらを一発で表現できて便利だな、とは思う。
ともあれ、私と彼女は出会ったのだ。
彼女と私は、年も近いのもあってよく話すようになった。
というか、この修道院は年輩の修道女が多いから私くらいしか気軽に話せなかったのだろう。
わけありの、彼女のような人たちはいつの間にかいなくなっていることが多かったし。
私も、そういう人に自分から関わるような人間ではなかった。
話しかけられれば返事はするけどね。
話した内容は、世間話のようなうわべだけの言葉が多かったような気がする。
生まれも育ちも違った二人だから、話題があわないのも無理はない。
それでも、徐々に会話が増えていき内容のレパートリーも増えていった。
夏が終わって、秋がきて、雪が降り始めるころにはすっかり仲良くなっていた。
そのあたりから、彼女は戦闘訓練に参加し始めた。
イクセリオンがもともと好戦的な神様だから、その信者も一通りの戦闘訓練は受ける。
かくいう私も、落ちこぼれ気味だったけどなんとか訓練をこなしていた。
本当は、彼女のようなお客様はそういうのに参加しなくてもいいのだけれど、彼女は積極的に加わった。
訓練は護身術と魔法の双方をバランスよく鍛えるもので、本格的な戦闘には向いていないけれどもしものときに役立つかも、という内容だ。
私は魔法はなんとかできる、護身術は逃げたほうが早いレベルだった。
彼女は、もともとの素養があったのだろう。
“杯”の結界魔法と治癒魔法を使いこなし、護身術の域を超えてメイスによる近接戦闘の手ほどきまでされていた。
私は強くなければならない。
と、彼女はよく言っていた。
誰に対しての言葉なのかはよくわからない。
兄、あるいは父親なのかな。
うわべだけの友達には、そこまで聞けないのだ。
そして、私と彼女は連れだってデヴァイン近郊の遺跡へ冒険に出掛けるようになった。
彼女は覚えたことを試したくて。
私は退屈な毎日を変えたくて。
とは言うものの、大都市の近郊の遺跡なんてほとんど探索されつくしてしまっている。
お宝もないし、封印された凶悪な怪物なんてのもいない。
精々が住み着いた獣や、ゴブリンなどがいるくらいだ。
それでも、私と彼女は冒険をしていた。
彼女が前に出て結界で防御しながら敵を引き付ける。
そこへ、私が出来うる限りの魔法を打ち込んでいく。
タンクとヒールを両立できる彼女に、本当は私の助けなんていらなかったんだと思う。
けど、私は必要とされて嬉しかったし、彼女のときたま見せる笑顔に癒されたのだ。
本当に私は力不足で、ダメダメなのだ。
まず得意な系統の魔法がない。
“杖”の攻撃魔法を放てば、予想の半分程度の威力の魔法になるし。
“符”の妨害魔法を使えば、効果が半減するか自分にまで効果を及ぼしてしまうことが多々あるし。
“杯”で結界を作ればくしゃみで割れ、回復魔法は不発に終わる。
“剣”の強化魔法はほとんど強化にならないうえに、魔法を放っただけで疲れてしまう。
これを知ったカルエンさんは、呆れたような表情を浮かべ、すぐに取り繕って笑顔をつくりこう言った。
「あなたには他にできることがあるわ……きっと」
不安になるから、きっとなんて言わないでほしかった。
それでも、まあ魔法が使えないことはないのだが問題はまだある。
属性がつかないのだ。
地、火、風、水、闇。
のいずれも、私の魔法に反応してくれない。
だから、いつも私の魔法は無属性で効果が低い。
で、でもその代わり詠唱が短縮できるから魔法連発できるのは強みかな……。
それはともかく。
このポンコツパーティーは、近場の遺跡で修行していた。
修道院での訓練もあいまって、彼女はみるみるうちに実力を上げていった。
結界を応用的に使って、相手の進路を誘導して最適な攻撃を与える、なんてこともやっていた。
そんなこんなで、冬を過ごし。
春が来て、夏が来て、彼女が、やってきて一年が過ぎ。
そして、あの男がデヴァインにやってきた。