魔法ギルド編02
事の発端は、ある魔法使いの死だった。
ルーティ・フロストハンド。
27歳の若さで第十階位“運命”のランクを認定されたルイラムの次代を担うべき青年、だった。
彼は王宮魔法使いから衛兵隊に引き抜かれ、ルイラム史上初の騎士団団長に任命された。
そのための折衝は全て、衛兵長官であるジョルジュが行っていた。
表向きはルイラムの戦力向上のため。
裏の使命はレインダフの聖剣を奪取し、魔法技術の発展に寄与すること。
もうひとつ裏はあったが。
かなりの短期間で行われた騎士団創設と、団長の就任、そして初任務となるレインダフの聖剣認定参戦。
そのレインダフへ向かう旅の途中。
ルーティは死んだ。
死んだ、という情報はレインダフからもたらされた。
ルーティ・フロストハンドを名乗る魔法使いが実際は魔王のミニオンであり、レインダフに被害があったのだ、と。
そして、国境付近で本物のルーティの死骸が発見された、とも。
アベルはすぐに、衛兵長官であるジョルジュの身柄を拘束した。
「私が何かしたという証拠はあるのかね?アベル首席魔法使い殿」
嫌みったらしく、ジョルジュはそう言った。
「証拠?衛兵隊が国境付近までフロストハンド卿を送り、そのすぐあとに卿は死亡したと見られています。衛兵隊が関わっていると疑われても仕方ないでしょう?」
「レインダフで質の悪い野盗にでも襲われたのでしょうな。フロストハンド卿にとっては不幸なことに」
何でこんなに余裕ぶっているんだ?
アベルには証拠がある。
ルーティの亡骸に刻まれた傷跡だ。
ルイラム衛兵隊の制式装備である“剣”の強化効果がエンチャントされているサーベルの刀身の跡に間違いない。
量産型のエンチャント剣はほぼルイラムの独占なのでそのへんの野盗が同じような剣を持っているとは思えない。
まあ、魔力パターンさえ見れば誰がやったのかなんて一目瞭然だ。
そのことを知らないジョルジュではないはずだ。
仮にも、ルイラムの衛兵長官を十数年続けてきたのだから。
……あれ?
今まで何の疑問も抱かなかった点に、アベルは気付く。
十数年前に衛兵長官になったということは、先ごろ亡くなったジャンバラ王の息がかかっているということだ。
にも関わらず、ジョルジュは失脚しなかった。
現イヴァ体制になるまでに、ジャンバラ派の貴族や官僚が何人粛清されたと?
アベルだって、フェルアリードをはじめとして国外まで追跡したくらいなのに、だ。
ルーティの件で拘束するまで、こいつはその地位を失っていない。
目の前の手を縛られ、衛兵に監視されている男の顔が見たことのないものに感じられ、アベルは思わず聞いてしまった。
「あなたは、誰です?」
と。
「お前なら知っていると思っていたのだがな」
ジョルジュは不敵に笑う。
「僕が、知っている……?」
「他人の空似にしては、似すぎているし性格もそのままだったが……ふむ、どうやら警戒のし過ぎだったか」
「なにを言って」
「ここも潮時だな」
ジョルジュは興味を無くしたように、アベルから目を逸らした。
そして軽く力を込め、手を縛っているロープを引きちぎった。
「な……!?」
「ジャンバラ王に目覚めさせてもらってから十数年、なかなか面白い経験をさせてもらった。お礼と言ってはなんだが、この国は私が滅ぼさせてもらおう」
凄まじい魔力が、ジョルジュから放射される。
その余波で、監視していた衛兵が消滅する。
アベルは先程の問いを再び、繰り返した。
「あなたは、誰なんです?」
「私は偉大なる魔王のミニオン、“獣の王”パシュパティ、だ」
ジョルジューーいや、魔王のミニオンであるパシュパティはアベルに手を向けた。
放たれたのは鋭く尖った牙。
咄嗟に防ぐが、衝撃が体を貫く。
反撃しようと、魔法を紡ぐがすでにパシュパティは背に生えた黒いコウモリのような翼で飛び立ってしまっていた。
爆発のような、魔力の放出を残して。
「人のことを笑ってる場合じゃなかったな。国の要職に魔王のミニオンがいたなんて」
アベルはすぐに行動に移す。
パシュパティがこのまま、おとなしくルイラムを出ていくとは思えない。
奴の行き先と、目的を急いで特定しなくては。
走り出しながら、アベルはパシュパティの言葉を思い出した。
お前は知っていると思っていたのだがな……とはどういう意味だ。
『思い出せ』
グラリと景色が揺らめく。
いや、揺らめいたのは僕の方か。
今の声は一体?
『思い出せ、自分が何のために生まれたのか』
何のために生まれたのか、だって?
それは……。
それは……なんだ?
僕は何のために生まれたのか?
『遥かな時の流れを越えて、この時代にたどりついたその意味を』
この時代にたどりついた意味……?
景色の揺らめきは徐々にひどくなっていく。
僕はもう、立つことすらできずに倒れこんだ。
冷たい床。
パシュパティによって天井に開けられた穴から、真冬の風と雪が吹き付け落ちる。
冷たい。
そこで僕はようやく気付く。
だらだらと流れる赤く温かな液体。
ぬるぬると落ちていく、僕の血潮。
パシュパティの牙に貫かれたのだ。
「冷たいな」
声も冷たく掠れている。
ここで、死ぬのかな。
揺らめきはますますひどくなり、僕は耐えきれず目を瞑った。
眠い。
睡魔が。
これで。
終わり……。
視界が真っ黒く染まり、どこまでも落ちていくような感覚。
闇。
闇。
闇。
黒い、羊。
「羊?」
強いて言うならば、それは羊だった。
僕は寒さを感じなくなっていたことに気付く。
真っ暗な中に立ち、目の前には黒い羊。
異様な光景のはずなのに、僕はこれを知っているような気がした。
「千の年月を経て、再び現れるか。魔道皇帝よ」
「魔道皇帝?」
「そうか。主は記憶を引き継がなかったのか」
「記憶?」
黒い羊はアベルの方へ寄り、ほとんど黒目の瞳で見つめた。
「主は、風の旅人ソライアと契約を結んでいる。故に、新たな神に呼ばれることはない。ソライアが来るまで待っているがいい」
これは、もしかして第13階位認定試験、か?
知らないはずの知識にアベルは震える。
黒い羊はいつのまにか居なくなり、アベルは待つことにした。
おそらく、ここは夢の国。
迂闊に動き回って、帰れなくなったら怖い。
「そうだな。ここにとどまっている方が良いな」
その声を僕は知っている。
毎日聞いている。
やや老けているような、気はするが。
「僕の声がなぜ聞こえる?」
「僕は君だ。僕は君の心の中にいる。君の心の中から外へ声を響かせている」
さっきの、思い出せ、と言った声と同じことに僕は思い至った。
そして、僕はここで全てを思い出した。