騎士の都編10
「なぜ動かない?」
会場であるアーバーの丘周辺の一角。
そこだけ美しい泉が涌き出ている。
丈の短い草花が生え、涼しげな風が吹く。
主戦場である森から丘周辺の平野の喧騒が嘘のように、ここだけは平穏な静寂に包まれていた。
問いを発したモルドレットもその相手と事を構えようとしたわけではない。
ただ単純に、疑問に思っただけだ。
その相手、プロヴィデンス帝国のリチャードが鎧も着ずに芝生の上に寝転がっていたのをだ。
「動きたくないからだ」
「それは道理だが。動かねばならぬ状況だろう?」
「いや、カリバーンがなんとかするだろうさ」
ガッジールでいろいろあった経験から、モルドレットはその男の見た目と中身の差異に疑問を感じた。
プロヴィデンス帝国のリチャードは果たしてそういう口をきけるほど、アーサー・カリバーンと仲がいいのか、と。
「お前は誰だ?」
「なるほど、ガッジールで何かあったのはお前も一緒か」
俺のことも知っている?
そこまで、プロヴィデンス帝国の諜報が凄いのか、あるいは。
そこで、モルドレットは目の前の人物の声に聞き覚えがあることに気付いた。
その推測を迷わず口にする。
「黒騎士、だな?」
騎士リチャードの顔を持った男は、驚いたように、そして面白そうに笑った。
「正解だ」
リチャードの姿はたちまち消え失せ、そこには漆黒の鎧を身に付けた黒騎士がいた。
ガッジールでモルドレットを虚仮にして、そこでの計画を粉々に、跡形もなく潰してくれた男だ。
だが。
「やはり、そうか」
黒騎士は面頬で隠された顔に訝しげな表情を浮かべたようだった。
「なんだ?突っ掛かってこないのか?」
「俺はそこまでの熱と愚かさを失ってしまったよ」
「ほう?」
「あの廃都で生きるために右往左往している人々を見て、俺も右往左往した。あの国に必要なのは改革だの、再興だのという熱気ではなく、日々を生きるために何をするか、何が出来るか考える知性だということに気付いた」
「そうか」
「そして、冷静になったとき俺はアーサー団長に謝らねばならないと思った」
だからこそ、ここに来た。
アーサー団長がここにいると知ったからには。
「グラールホールドの件か」
「それもある。あとは騎士としての俺の態度、生き方、仕えかたといったところか」
モルドレットは苦笑した。
「そうか、ならばお前にもやれることがあるぞ」
「なんだ?」
黒騎士はどうやら面頬の中で、ニヤリと笑ったようだった。
黒騎士とモルドレットは連れだって、レインダフ城都内にある聖剣の間に来ていた。
どんな魔法を使ったかは知らないが、ほんの一瞬で。
見れば見るほど凄まじい使い手だ。
こんな相手と戦ったのだ。
いや、モルドレットが戦ったのはアズ・リーンという少女だったが。
「おお、あったあった」
そう言いながら黒騎士が手にしていたのは、聖剣クロノエクスだ。
「なんで普通に手にしているんだ?人を選ぶんじゃないのか?」
思わずモルドレットが呟いた疑問は至極当然のものだろう。
そもそも、それを選ぶために聖剣認定を行っているのではないのか?
「ん?ああ、これな。実のところ、これを含む三振りの聖剣は“旧支配者”が創造した魔力制御装置でな。彼らの技術者の平均レベルである第13階位以上の魔導師ならば誰でも使える。それ以下の魔法使いならば、聖剣に選ばれる必要はあるがな」
意味不明の単語がいくつかあったが、モルドレットはそれを理解しようと努力はした。
「つまり、古代魔道帝国の遺産で伝説の五人クラスの魔法使いなら使える、ということか?」
「まあ、半分当たり、かな?“旧支配者”というのは古代魔道帝国のさらに前の話だ。まあ、古い神々のことだと思ってくれ。伝説の五人クラスなら使えるというのは当たりだ。あとは細かいことだが、第13階位以上になると呼称が“魔導師”になる」
魔道帝国のさらに前?
神々の話?
壮大な時の流れに混乱しかけたが、モルドレットは持ち直した。
完全な理解を諦めたともいう。
「そ、それでその聖剣をどうするつもりだ?」
「カリバーンに渡す。向こうもキツイ状況だろうからな」
「キツイ状況?」
「魔王の配下たるミニオンが二人いる。カリバーン一人では大変だろう、と思ってな」
「噂に聞いていた魔王レイドックか?」
黒騎士はその名を聞くと、自嘲気味に笑う。
「はは、情報が早いな。それのことだ」
「不味いのではないか?」
「なんとかするだろうさ、カリバーンなら」
黒騎士は聖剣を握って、投擲の体勢をとった。
「何を……いや、まさか投げるのか?」
「ああ。アーバーの丘、奴等が集まった場所へ。行け、お前の主のもとへ、クロノエクス」
黒騎士は大きく振りかぶって、聖剣を投げた。
それは一筋の光となって、アーバーの丘へ向かった。
その少し前。
アーバーの丘周辺は騒がしくなっていた。
カリバーンとグウェン。
それに剣を向けるドラーケルク。
近付いてくるルーグとエドモンド。
そして、それを上から襲いかかるバイラヴァ。
「三人目と四人目、とったッ!」
「させるかッ!」
バイラヴァの緑色の刀身のダガーを、カリバーンは受け止める。
そこで、バイラヴァはニヤリと笑う。
訝しげな視線を向けたカリバーンは、不意に脱力感に襲われた。
そのまま、押しきられる。
「俺のダガーにはそれぞれ楽しいエンチャントがされてある。赤い刀身には込められた炎の魔力を射出するエンチャント。青い刀身は低級な魔法をレジストする。そして、この緑の刀身は受け止めた相手の魔力を奪う」
「吸血効果エンチャント、か」
「その言い方はなんか嫌だな。体力吸収とか、魔力吸収とか、あるだろ?」
会話の間にも、カリバーンは後ろへ下がっていく。
「戯れ言を!」
急な襲撃で固まっていたドラーケルク以下、レインダフの騎士たちはカリバーンの苦境を見てようやく動き出した。
「全員、ヨルカの騎士を止めろ」
ルーグ、エドモンド、ドラーケルク、そしてグウェンもバイラヴァを止めにかかる。
「おいおい、獲物のほうから向かってきてくれちゃってるんだけど?」
カリバーンは逃げろ、と叫ぼうとした。
大きな声をだす力すら吸われてしまっていることに気付く。
「“混沌”の第13階位“バイラヴァ”。我が前に立つ者はみな、恐怖の泥沼に沈め」
バイラヴァの放った魔法が、四人を襲った。
全員が、言いようもないほどの恐怖心を覚えた。
沸き上がる恐怖で動くことすらできない。
蛇に睨まれた蛙、という言葉が頭をよぎる。
「や、やめろ」
「おっと、あんたは掛からなかったか。俺に近すぎて効果範囲にかからなかったか、もしくは恐怖に耐える精神力を持っているか。まあ、どうでもいい。ここで賭けは俺の勝ち、お前も死ねば裁定を知る人間もいない。結局、全員殺す」
バイラヴァは黄色の刀身のダガーを取り出す。
「で、これが四本目。最大100人まで同時攻撃ができる。これで一度にやってやろう。苦しまないようにな」
バイラヴァがダガーをふりかざした。
その時。
カリバーンの目の前に、聖剣クロノエクスが突き刺さった。