古代迷宮編09
一番驚いていたのは剣の王だ。
「馬鹿な、砕かれし欠片たる我らが合体するだと!?」
アザゼルは泰然とした表情で、諭すように言った。
「我が主、アズ・リーンは我らを砕きし邪神ガタノトーアの娘、そのようなこと造作もなかろう」
「ガタノトーアの娘だと?我らを砕きし憎き仇の眷族に、よくも従っているものだな!?」
「我が主人は、かの神ではない。そして、我を幽冥の暗闇から引き上げたのは彼女だ。感謝こそあれ、憎しみなどない」
「ほざけ。そのような姿、到底承服できぬ。我が全身全霊を持って、貴様を砕いてやろう」
「来い、剣の王べリアルよ」
アザゼルと剣の王は激突した。
その戦いを横目に、アズは倒れたままのロンダフ老人へ歩み寄る。
「大丈夫……?」
虚ろな目をしていたが、ロンダフ老人は生きていた。
かろうじて。
「余はもう死ぬ」
「そっか」
助ける手段はないし、その気もなかった。
この老人は、アズにとって敵だった。
ほんのひととき、同じ敵である剣の王と戦っただけだ。
それも別々に。
「お前には、三度我が力を奪われた」
ロンダフ老人はアズの手にした杖を見る。
マステマ達、オセ達、そしてロンダフの杖。
結果だけ見れば、確かにロンダフ老人の力を全てアズが奪ったことになる。
「あたしは悪いと思ってないわよ」
ロンダフ老人は憑き物が落ちたような顔でクククと笑った。
「当然だ。強い者が全てを手に入れ、弱き者は失う。それが、世界の摂理」
「今さらだけど、あなたってそればかりよね?もっとないの?愛とか友情とか」
「笑わせる。そのようなものはない」
「ずいぶん、キッパリと断言したわね」
「余が心より愛した娘は、余が親友だと思っていた男に殺された」
感情のこもっていない声に、アズは恐怖を覚えた。
笑いが消えて、何の感情も浮かばぬ顔に潜んだとてつもない衝動を感じ取ったから。
「……そう……」
「死に行く者の昔語りだ。聞いておけ」
ロンダフ老人は、自身の衝動の原因を、原因となった昔語りを始めた。
誰にも理解されぬまま死ぬのが心残りなのか、敵であるアズへの嫌がらせかはわからない。
アズは口を挟まなかった。
今から二十年以上前、余はナスという国で神官をやっていた。
小さな国だった。
早くに妻を亡くし、幼い娘とともに暮らすのは楽ではなかったが幸せだった。
余が仕えたのは“黒山羊の女王”と呼ばれる大地の神シュブ・ニグラス。
ナスの外では邪神と呼ばれているらしいが、余はそう思ったことはなかった。
その神官の中の同期のオルファネスという男と余は親友であった。
同じ町で生まれ育ち、共に勉学に励み神官になった。
娘と親友と神のいる生活。
もう二度と戻ってこない過去。
余とオルファネスの関係が変わりはじめたのは、娘が三歳になったあたりだったかな。
大神官昇級試験というものが余とオルファネスに課せられた。
成績優秀などちらかが、大神官になれるというものだ。
競わせる方はより優秀な神官を得れるだろうが、競わせられる方としては納得いかぬところもあったな。
同じ勉学をしていただけあって、余とオルファネスはほぼ同じ実力を有していた。
30代後半で、共に第9階位の魔法使いの資格を持っていたのだ。
ただ、余には娘という枷があった。
もちろん娘は誰よりも可愛かったゆえ、それが原因で大神官昇級試験に落ちても仕方ない、と思った。
その場合、大神官には親友のオルファネスがなるわけだしな。
そして、迎えた試験の日。
筆記、実技ともにオルファネスがわずかに上だった。
当時の余は、親友の成長ぶりにただただ感嘆したものよ。
だが、神々というのは酷なことをする。
最後の試験、祈祷において我らの神、シュブ・ニグラスは余を選んだ。
オルファネスの落胆はひどいものだった。
何日も家に閉じ籠り、神官としての勤めも果たさなくなった。
そのころの余は、大神官昇級が決まりその準備でてんやわんやだったからな、親友の異変に気付かなかった。
いや、もし気付いていたとしても遠慮があったゆえに何も出来なかっただろう。
勝負に負けた者に勝者ができることはほとんどない。
しばらくして、オルファネスはナスから姿を消した。
大神官として神殿にこもっていた余は、かなりたってからそのことを知らされた。
忙しくしている間に数年が過ぎ、オルファネスのいない生活にも慣れてきたとき、当時大陸を侵略しまくっていた国家の軍がナスに攻め寄せてきた。
ロンダフ老人は話の途中で、アズを見る。
攻め寄せてきた軍の中身について、アズは思い当たることがあった。
二十年以上前に、大陸を侵略しまくっていた国家。
それは。
そうだ、お前は知っているだろう。
ロンダフだ。
奴の率いるガッジール王国の軍団が、ナスに攻めてきたのだ。
すでにセレファイス国が敗れ、滅びていたことをナスの指導者は知っていた。
選んだ結論は、無血開城。
一戦もせずに降伏する、ということに意外なほど反対意見はでなかった。
まあ、相手の恐ろしさは聞いていたし、お前も知っての通りロンダフは七体の魔族を同時召喚できる化け物だ。
余も、国民を守る大神官として当然のようにそれを承諾した。
交渉の席に、オルファネスがガッジール側で来たことを余は驚かなかったよ。
そういうこともあるかと思っていた。
ただ、以前より大分痩せ、目が落ち窪んだように見える。
視線だけは強かったが。
その交渉でオルファネスが言ったことに余は耳を疑った。
自治権の保証、軍への兵の供出をしない、資産の略取もない、ガッジール軍の駐留もなし、といった破格の申し出だった。
降伏したにも関わらず、この好条件に逆に不安を覚えたことを今でも忘れられない。
そのあとのオルファネスの言葉とセットでな。
奴はこう言った。
ただし、大神官とその娘を処刑すること。
次の瞬間には、ナスは全員が余の敵に回った。
交渉の場にいたナス側の出席者が全員で余を取り押さえ、そのまま監禁。
そして、翌朝には城の前の広場に絞首台が設けられた。
余はそこへ連れていかれ、首に縄をかけられた。
その時、余は必死に娘だけは助けてくれ、と懇願していた。
誰も聞いてはくれなかったがな。
絞首台に立った余の前に、磔にされた娘の十字架がたてられた。
可愛そうに、顔が涙でぐしゃぐしゃになって、それでも余を見つけると笑顔になって、お父さん、と言ったのだ。
その様子をオルファネスはニヤニヤと見ていた。
そして、火をつけろ、と言った。
木材が焦げる臭いが、あたりに立ち込める。
余は後ろ手に縛られていたが、それを外そうともがいた。
余が傷を治したこともある兵士が、余が動かぬよう押さえつけてきた。
火が十字架を舐めはじめ、炎が大きくなり、そして、熱いよ、お父さん、と娘が呟き、燃え尽きた。
余は神官としての心構えを、その時捨てた。
その魔力の全てを呪いに注ぎ込んだ。
オルファネスを呪い、兵士を呪い、ナスの全てを呪い、シュブ・ニグラスを呪い、そして最も自分を呪った。
何も出来なかった自分を。
魔力を暴走させようとした時、二頭の豹を連れた壮年の男が処刑場に現れた。
オルファネスの顔色が変わった。
そう、そいつがロンダフだった。
奴はオルファネスを叱責した。
ここははじめから、滅ぼすと決めていただろう、と。
なぜ、希望を与えることをするのか、と。
恐怖と絶望を与えることが、ガッジールの使命である、と言った。