古代迷宮編07
「早くお逃げください」
マステマの第一声に、アズは気勢を削がれる。
出現した瞬間は、マステマとも戦うことになるかも、と思っただけに。
「いったい、なんなの?」
という疑問を抱かざるを得ない。
「あなたがたはやり過ぎたのです。この本来ならば静謐を保たなければならない四つの棺の間で、契約交渉や、負の感情の発露など魔族が目覚めることをやり過ぎた」
契約交渉や、負の感情の発露。
確かに、魔族が興味をもって目覚めそうなことには違いない。
「それで、何で逃げなきゃないの?」
魔族が出てきたなら契約交渉すればいいというスタンスのアズにとって、マステマの物言いはよくわからない。
「ここに眠るのは魔王クラスの大魔族です。そこの木っ端魔族では太刀打ちできません。一度でも主人として仕えた人の命を無駄に散らせるわけにはいかない……と思ったのですが」
マステマの顔が苦渋に歪む。
「マステマ?」
「もう手遅れです」
マステマのセリフとともに、もう一つ棺の蓋が外れた。
白かった棺の間が、それの出現によって深紅に染まる。
全身にまとう炎が、部屋を深紅に見せている。
全長三メルト、深紅の甲冑を身に付け、深紅の大剣を持つ。
その姿は、アズの想い人が憎んだ戦士に似ていた。
しかし、禍々しさが違う。
露出した頭部は白い総髪に悪鬼の顔、額より突き出た二本の巨大な角が、それを魔の物だと象徴している。
背より生えた巨大な黒い羽を一度羽ばたかせる。
「我こそは、剣の王なり人の子よ。恐れ敬い、我を崇めよ」
魔族特有の金属のこすりあわせるような声で、剣の王は喋る。
意を決したマステマは口を開く。
「かくなるうえは、あなたと契約しましょう」
と。
マステマが顔に畏れを浮かべ、アズの前に立つ。
アズは動けなかった。
それほどまでに、剣の王とやらの威圧感が凄まじかった。
「け、契約?」
「私がいれば、即死は避けられます。死ななければ逃げる機会は来ます」
おそらく、とマステマは続ける。
ずいぶんと後ろ向きの予測だが、アズはそれが怖がりすぎだとは言えない。
アズもそう感じているからだ。
「わかった。あなたと契約を結ぶわ」
アズの意識の紐が、マステマに繋がる。
ギリギリの状況とはいえ、アズは失ったものを全て取り戻したことになる。
すぐ失うかもしれないけれど。
「もう良いか、人の子らよ。その塵のごとき短き生を終えるがいい」
剣の王が、その深紅の大剣を振りかぶる。
見るからに禍々しい魔力が集まり、剣を黒き炎で包む。
「“魔”の第12階位“ソドム”」
剣の王の魔法とともに降り下ろされた大剣は、黒き炎を剣の軌道に撒き散らしながら、アズ達を襲う。
「デカラビア!」
アズは早速、契約したばかりのヒトデ型の魔族を召喚する。
デカラビアの固有スキルは“五芒星の盾”、五つの属性地火風水闇の攻撃を完全に防御する、杯魔法の結界を強化したようなスキルだ。
しかし、張られた“五芒星の盾”は剣の王の黒き炎に抗えず、一瞬で割れ砕けデカラビアもそれに飲み込まれ消滅した。
「嘘でしょ……!?」
「我が剣より出でるのは魔の炎、下位の魔族の結界で防ぐことはかなわぬ」
剣の王の嘲るでもなく、見下すわけでもない淡々とした口調が逆にアズを打ちのめす、が。
こんなところで負けられない、という気持ちで前に向かう。
「守ることが出来ないなら、戦う。行くわよ、マステマ」
「御身と共に」
マステマから魔力を受け取り、更に仲魔を召喚する。
カイムを戻し、エリゴール、マルファスを呼ぶ。
ロンダフがかつて使った連繋攻撃を再現する。
それがアズの判断だ。
剣の王の追撃に追い付かれないように、畳み掛ける。
「バラム“咆哮”を、マルファス“遠目”、エリゴール“飛槍”、オセ“虚飾の王冠”」
それぞれのスキルを発動させつつ、アズもそれぞれの仲魔のスキルをコピーしながら発動する。
連続四つのスキル発動は、吐き気がするほど精神に負担がかかったが、泣き言は言ってられない。
二重のスキル発動で、最大限強化された仲魔たちは剣の王へ挑みかかる。
マルファスが囮になり、オセとマステマが攻め、バラムとエリゴールがそれを補助する。
合間にアズも“ダークランス”の魔法を打つ。
マステマの力を借りつつも、五体同時召喚という荒業を成功させたアズは、すでに召喚士として一人前を越えていた。
だが、それでも剣の王ははるか上の存在だった。
囮のマルファスを黒い羽の羽ばたきで吹き飛ばし、バラムとエリゴールを片手持ちの大剣の一振りで切り裂き、オセを空いた手から放った黒き炎で焼き尽くした。
あっという間に、同時召喚されたうちの四体が消え去った。
仲魔が消された時の精神的ダメージで、足がふらつく。
この迷宮に入った時の喪失感に似ていたが、それよりも痛みは深い。
けれど、止まるわけにはいかない。
アズは痛みを振り払い、ザガン、フラロウス、フォルネウス、シトリーを召喚する。
初めて使う仲魔であっても、契約したのならば固有スキルは使える。
ザガンの“水なる血”によって体力を回復、フラロウスの“色多き景色”で剣の王の視界を撹乱、フォルネウスの“捕食する波”で剣の王を攻撃しつつ炎の対抗属性である水で炎を弱め、シトリーの“豹の翼”で能力を高めてマステマで攻める。
剣の王はフォルネウスの水攻撃に不機嫌そうな顔になりながらも淡々と、アズの仲魔たちの攻撃を捌いていく。
体力回復役兼壁のザガンを真っ先に“ソドム”で焼き払い、強化しているシトリーへ大剣を投げつけ、空いた両手でフラロウスとフォルネウスを掴み、どちらも床に叩きつける。
圧倒的な戦力差だった。
九体の仲魔が叩きのめされ、アズの精神は限界に近い。
そこで剣の王は笑う。
「こんなものか、人の子よ。拍子抜けだな。最後にマステマを倒し、我らが同胞を再びこの地へ帰す。それで終わりだ」
剣の王は剣を拾い、構える。
その全身に魔力が集中する。
“ソドム”よりも遥かに巨大な力が顕れようとしていた。
「あれを食らえば、私でも消滅するでしょう。しかし、主人だけは守ります」
「マステマ……」
アズの前に立ち、マステマは笑った。
剣の王はついにその力を解き放つ。
「“魔”の第13階位“べリアル”」
力ある真言によって、剣の王の力が形を成し大剣にまとわりつく。
黒き炎の巨大な剣を剣の王は振った。
アズは目を閉じなかった。
白い部屋は、赤に染まり、そして今黒く染まる。
黒き炎の刀身が、マステマの肩口に食い込み、一気に切り裂く。
マステマは炎に焼かれ消えた。
しかし、黒き炎の勢いは衰えずアズに向かってくる。
目を背けることも、動くこともできず、アズは黒き炎を見ていた。
これに焼かれれば、あたしも死ぬ。
それだけはわかっていた。
そこへ、羽ばたきの音。
「主人の頼れる従者カイム参上」
引っ込めたままだったはずのカイムが降り立ち、そのまま黒き炎を受けた。
「あんた、何やってるの!?」
焼かれながらも、カイムは答える。
「主人を、守ることが、従者の使命なれば」
「カイムッ!」
「短い間、でしたが、楽しめました」
カイムを飲み込み、焼いて黒き炎は消えた。
「木っ端魔族め、興醒めなことをしてくれる」
と、剣の王は言ったがアズは聞こえていない。
ひらひらと落ちてきたカイムの羽が、アズの手におさまる。
アズは膝をつき、下を向いた。
涙が零れていた。
カイムをはじめとした仲魔たちが、いかに自分の支えであったかを理解したから。
だからこそ、涙が止まらない。