古代迷宮編03
アズは、意気揚々と迷宮の奥深くへ進んでいった。
最初の怯えっぷりから考えると、人が変わったような進み具合だったが、それは恐怖心の反動だったのかもしれない。
初めにカイムと出会ったような石造りの通路は、いつのまにか脈打つ桃色の柔らかい洞窟に変わっていた。
アズだって、死体の一つや二つ見たことはあった。
だから、この湯気が漂う洞窟が何かの臓物の中かもしれない、という予測はついていた。
「リヴァイアサンの腸内です。主人」
まったく敬う響きが感じられないカイムの美声が、アズの想像を裏付ける。
別に裏付けなくてもよかったのに、だ。
ぶにぶにと不安定な道のりは、そのままアズの道のりを象徴している気がする。
「リヴァイアサンってなに?」
「砕かれし欠片の中でも最大の物の一つ。嫉妬を司る大魔族ですな」
気になる単語に、アズは質問を重ねる。
「砕かれし欠片って?」
「我ら魔族は、遥か昔一つの存在でした。だが、天より舞い降りた邪神との戦いで我らは敗北し、粉々に砕かれた」
「その欠片が魔族だっていうの?マステマや、エリゴールやバラムやマルファスやカイムも?」
「もちろんそうです。七つの罪源を司る七大魔王と運命を司る74の魔族、それらを総称して砕かれし欠片と呼びます」
「はぁ、話が大きくなってきたわ。いったいどんな神様なんだろうね、あんたたちを砕いた奴って」
何の気なしにアズが発した言葉に、カイムが怒りを見せて答える。
「我らを砕いた邪神、そうそれは自らを、闇と魔物を司る神と呼んでいる。邪神ガタノトーア、我らが仇敵」
自慢の美声がしゃがれるほどの怒りの声に、アズは引く。
ガッジールの守護神らしきガタノトーアへの恨みに、どう反応していいものやら。
とりあえずスルーしておこう。
「そ、そうなんだ」
「まあ、さようなわけでございまして。あまり長くこの場所にいると、大変でございますな」
「大変?なにが?」
「いわゆるひとつのお約束、といいますか。要するに消化活動、ひらたく言えば……」
いつの間にか染みだした液体が通路を覆っていく。
黄色がかったその液体は、ゆっくりとだが着実に勢いを増して奥の方へと流れていく。
「もしかして、あたしたち食べられてる?」
「たちではありませんよ。僭越ながら、このカイム、飛べますので」
「生死を共にしてこその主従だわ」
今にも飛び立とうとするカイムの細い足を、アズがガシッと掴む。
「わ、わたしは命令コマンドは命大事にしか受け付けないタイプでして」
液体は、もはや流れが感じ取れるほどの速さになっている。
激流、と呼べるまでになるのも近い。
「溶かされる前に、ここを出るわよ」
「その前に胃袋に着きますよ」
アズとカイムは、生臭い液体に流されていった。
血まみれの回廊で、魔族は倒れる。
倒れたザガンの牛頭に手をかざして、ロンダフ老人は呪文を唱える。
「我が魂の力を、汝に結びつける。そは契約なり、制約なり、古の誓約の上に位置するものなり、我が命に従い、生命つきるまで、我に従う証なり」
ロンダフ老人の手から発せられた紫の光は、妖しく煌めき牛頭の魔族ザガンの全身に絡み付く。
「オ、オノレ人間メ。ソノ呪ハ禁ジラレシモノダゾ」
「黙れ魔族よ。もうすでにお前は我が制御下にある。大人しく従うがいい」
「イイダロウ。ダガ、貴様ハ、貴様ノ傲慢ハ、キット報イヲウケルゾ」
「“魔”の第八階位“デーモンダウン”」
紫の光はザガンを包み、魔族を縛る鎖と化した。
通常の契約交渉によらない、力ずくの支配だ。
ザガンは、全身を紫に発光させ叫ぶ。
「ワレハザガン。33ノ軍団ヲ率イル王デアリ総裁ナリ」
「よかろう。我が命に従い、我が為だけに働くがよい」
満足そうなそぶりはロンダフ老人にはなかった。
何か、自分にもわからぬ衝動に突き動かされているかのように老人は歩みを進める。
奥へ、奥へと。
一方、消化活動に巻き込まれたアズとカイムは酸性の泉で満ちた空間、いわゆる胃袋へと流されていた。
カイムの足につかまり、空に浮いているため溶かされるような事態には陥っていないがカイムの体力次第では覚悟しておいた方がいいかもしれない。
にも関わらず、カイムに質問するあたりアズも相当なものだとは思う。
「いったいいつからリヴァイアサンの中にいたのかしら?」
「わたしと会ったすぐあとですよ。魔族と出会うたびに自分の心情に一番近い罪源を象徴する場所へ送られるんです」
「魔族と出会うたびに、心情に一番近い罪源を象徴する場所へ送られる?つまり、私は嫉妬心の塊ってこと?自覚ないなあ」
「自覚なかろうと、この迷宮の設定をしたものにはそう判断されたのでしょう。つまり、主人は嫉妬心の塊」
「あんた、ほんとはあたしのこと敬ってないでしょ?」
「いえいえ、主人を蹴り落とさない程度には敬ってますよ」
「ふうん」
アズの顔に浮かぶ不信感と不機嫌さに気付いているのかいないのか、パタパタとカイムは飛んでいる。
「さて、主人。そろそろここから脱出しませんか?」
「あたしは結構前から、そう思ってたけど?」
「さすがは主人。で、いかがしますか?」
「その方法がわからないから、困ってるんだけど?」
「先ほどお教えしました通り、魔族と出会うことにより迷宮の奥深くへ移動するのです」
お教えしました通り、のあたりが嘲るような口調だったのでアズはカイムの脚をぐぎりと握る。
それで、カイムは素直に言う気になったようだ。
「じゃあ、カイム。連れてって」
「従者使いが荒いですなあ」
再度、ぐぎりと握る。
そのあとは文句も言わず、パタパタと飛んでいく。
そして、迷宮で二度目の魔族に遭遇した。
胃からさらに上昇して、おそらくは喉のあたりにそれはいた。
黄色い毛並みの逞しい豹の姿。
アズは一度見たことがあった。
「オセ……?」
「よくご存知でしたな、主人。その小さな頭によく魔族の名が入っていたものです」
「また、バカにしてるでしょ?」
「いえ、まったくそのようなことはございません」
「なら、いいけど」
柔らかい洞窟の上に寝そべるオセは、退屈そうに顔をあげる。
「見たことのある人間だ」
オセはアズを見てそう言う。
ルイラムで戦ったときのことを、覚えている。
アズはカイムの脚から手を離し、オセの前に降りる。
バランスを崩したカイムが天井に突っ込んだが気にしない。
「私はアズ。あなたと契約しにきたの」
「興味はない。ようやく解放されたのだ、少し休ませてもらおう」
「これはオセ殿とは思えぬ言い様、いかがなされました?」
天井から降りてきたカイムが訝しげに問いただす。
彼ら魔族にとって、契約交渉を成立させることは外へ出る機会を得ることだ。
こんな牢獄に等しい迷宮に、好き好んでいるわけがない。
オセは不機嫌そうに答える。
「無理な契約によって、我らは酷使された。思った以上のダメージを受けている」
「契約違反者に使役されていた、と?それは確かに休むべし理由となりましょうな」
納得しかけるカイムと、気だるげなオセの態度にアズは一喝する。
「いいから、あたしの仲魔になりなさい」
アズの声にオセは怒りをあらわにした。