古代迷宮編01
ラーナイルで、カイン達と別れアズは南下していた。
ラーナイルの広大な砂漠を歩くのは、幼い彼女にとってとてつもない苦難の道のりだった。
砂漠の南にあるヨルカの街やラソの町へ向かう隊商に助けてもらったり、人の目がないときは召喚した魔物に乗って進んだりしていた。
日差しというものに、死にかけるという経験は初めてだった。
水の重要性に気付いたのもよかったと思う。
多少遠回りでも、水の補充ができるオアシスを目指して進むほうが結果的には早くつく。
そんなこんなで、なんとか生き長らえて目的地までたどり着けたのは廃都ガッジールでの生活があったからだろう。
たどり着いた目的地が、あの砂漠より楽とは思えないが。
目的地について調べたのは、ラーナイルの王立図書館で、だ。
最も古い蔵書が、古代魔道帝国時代のものだという噂があるほど歴史ある図書館だった。
自分が前衛職には不適格というのはわかっていたし、努力でなんとかなるかもしれないが時間が足りない。
かといって、魔法使いとして一人前になるのはもっと時間が足りない。
なら、できることは魔族召喚というものを極めていくことだけだ。
その妙に乾いた図書館で、アズは魔族の幽閉場所である迷宮ダビディスについての記述を見つけた。
かつての、人と魔と竜の果てしなき大戦争の後、当時の魔道皇帝ソ・ルモーンが74体の魔族を封印したとされる遺跡がある。
それが、迷宮ダビディス。
マステマも、バラムも、エリゴールも、マルファスも皆、そこに本体があるはずだ。
本体と直接契約できれば、扱える力はさらに増すはずとアズは考えたのだ。
そして、カイン達と別れ一人でここまで来た。
二日ほど一緒だった隊商の護衛が教えてくれた。
砂漠を抜けると突然、密林が現れる。
その奥に一度迷いこんだことがあるが、ヤバそうな遺跡を見つけたことはある。
古老の話ではそこに入って、無事出てきたものはほとんどいないのだそうだ。
何が目的かは知らないが、止めておいたほうがいい。
護衛のリーダーらしき、壮年の戦士はアズを心配していた。
だが、もう一人いた護衛の女戦士は自分で決めたことなら、やりたいようにやればいい、責任を自分で取れるのなら。
と言った。
二人とも、アズを心配してくれていたのはわかった。
別れの時は、丁寧に礼を言って別れた。
そして、護衛の戦士が言った通り、突然密林がアズの目の前に現れた。
砂漠の蜃気楼にでも隠れていたのか、そこから砂漠が終わっていることにまったく気付かなかった。
「なんとなく、嫌な予感がするわ」
嫌な予感しかしない、と心の中で続ける。
それでもアズは、密林に足を踏み入れた。
森の中は、ざわめいていた。
アズがたてる足音の他に。
風に木葉がすれる音。
虫たちの羽音。
鳥の鳴き声。
獣らのうなり声。
それらは全て、警告だ。
入るな、危険だ、止めておけ、逃げろ。
と、語りかけている。
しかし、アズは歩みを止めない。
ここで帰ったら、何のためにここまで来たのか全くわからない。
カインや、アルフレッドと共に戦うにはもっと強くならなければならない。
そうでなければ、隣に立つこともできない。
非力な女の子のままでいるには、アズの矜持は高すぎたし、カインたちは強すぎた。
いつまでも、女の子のままでいられるわけでもないし。
苔むしたおどろおどろしい遺跡が現れたときには、さすがに驚いたけれど。
遺跡、といっても地表に現れているのは入り口の部分だ。
暗い入り口の奥に、うっすらと下りの階段が見える。
この地面の下に、魔族たちの封じられた迷宮があるはずだ。
アズがおどろおどろしい印象を持ったのは、その外観ではない。
外観も確かに、魔族の像が彫られていて造った人の正気を疑うような造形をしているが、もっと印象に残っていたのは入り口に掲げられた石の板。
正確にいうと、板に刻まれた言葉だ。
「ダビディスに入る者、一切の希望を捨てよ、か」
まるで、地獄の門にでも刻まれているような文言だ。
「いいじゃない。迷宮でも地獄でもなんでも来いってものよ」
アズはダビディスに足を踏み入れた。
そこからの変化は劇的だった。
アズの心の一部、魔族の精神と繋がっている紐がブチリと切れた。
肉体的にはなんら異常はないが、心、精神が想定外の事態に軋む。
それは、痛みに変換されてアズにもたらされた。
体の一部がむしりとられたような痛みに、アズは石の床に倒れこんだ。
体のコントロールがきかず、動けない。
冷たい床の上で身動きできない。
「このままじゃ、ダメ。冷静になれ、アズ」
と自分に言い聞かせる。
呼吸を落ち着かせて、鼓動を鎮める。
静かな遺跡に、アズの呼吸音だけが響く。
しばらくたって、アズは身を起こして壁に寄りかかる。
まだ立つことはできない。
痛みのかけらのようなものが、まだ疼く。
先程から試してはいたが、アズの力になってくれていた魔族は反応を返してくれない。
アズの中からいなくなってしまった。
カラスの姿をしたマルファス。
獅子の姿のバラム。
騎士の姿をとるエリゴール。
そして、アズの最強の仲魔マステマ。
今まで、そこにいた仲魔がいない。
それだけで、気持ちが萎えかけている自分にアズは気付いた。
あの暗闇の向こうが、心底恐ろしいと思った。
一切の希望を捨てよ、の言葉の意味はこれだ。
魔族に頼っていた者ほど、心が折れる。
振り返って出口を探そうにも、漆黒の闇に通路は包まれている。
倒れた時に方向感覚を失っていた。
どこから入ってきて、どこへ向かっていたのか、もうすでにわからなくなっていた。
自分が非力な女の子だということを、アズは認めざるを得ない。
それでも、歩き始める。
その先が果てなき迷宮だろうと、ここにじっとしているわけにはいかない。
ガッジールを出てきた時に、止まっていられないと気付いたから。
実のところ、ダビディス迷宮は一歩足を踏み入れた瞬間に迷宮のどこかにランダムで飛ばされる。
出口は無い。
下手をすれば、“いしのなかにいる”状態になることだってあり得るのだ。
その点、アズは運が良かった、と言えるだろう。
本人にとっては、そうは思えない状況だろうが。
歩き続けて、何分?何時間?何日?
時間の経過がよくわからない。
お腹はすかないから、それほど時間はたってないのだろうけど。
暗闇の通路は、折れ曲がり、分岐点あり、行き止まりあり、の本格的な迷宮だ。
ほとんど惰性ではあるが、アズが歩き続けているのは称賛に値するだろう。
たとえ、祝ってくれるものが魔族だけだとしても。
その魔族は、鳥型の魔物だ。
その姿はツグミによくにている。
ツグミという鳥を、アズが知らないことはまあこの際おいといて。
その魔族が、細い足で歩いてくる。
鳥なのだから飛んでくればいいのに、とアズは思った。
ある程度まで近付いた鳥型魔族は、くちばしを開いて流暢な言葉を喋りだした。
「ようこそ、悪魔の迷宮へ。それでは古式に則り、契約交渉とまいりましょう」
やけに美声なのが、なぜかアズのかんにさわった。