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灼熱の荒神  作者: 空暮
3/3

1-3

時間が掛りました。後で直す可能性があります。


誰もいない帝都の路地裏に誰かの声が木霊する。

「……なぁ、クロさんよぉ。別にアンタを疑ってるわけじゃ無ェが、本当に こんな所で情報が得られるのかよォ?」

何処か間延びした、うっすら怒気の篭った声を発する大柄な牛頭族の男。どどめ色の制服を着崩して身に纏っている彼は、己の先を歩く猫に語りかける。その猫の尾は、二又だった。

「やめなさい、無燈さん。クロさんは貴重な朝のお昼寝の時間を割いてまで、私たちの捜査に協力してくれているのですよ?」

その声質は、春風を思わせる爽やかさ。牛頭族に肩を並べていた華奢な馬頭族がそう男を諌める。

 「朝にお昼寝ってのも不思議な言い回しだがなァ、あぁ、眠ィ。ったく、お前らがオレを頼るのは、決まって面倒な事ばかりだな、不良警官兄弟」

 "クロ”と呼ばれる黒猫は、身をくゆらせて二人へ振り返ると、顔をくしゃくしゃにして欠伸をした。

 ただの黒猫に見える彼――クロは、我が強いはぐれ者が集まる【九〇課】の責任者であり、その彼らを見事に抑え込む、れっきとした警察に属する猫叉である。彼は長寿で知られるエルフよりも長い刻を生きており、この帝都においても彼の望む望まざるを無視して沢山の知り合いがいる。彼自身、希少種とされる”猫叉”という事で”警察”という組織から浮いてしまっているが、知恵者であり人格者である彼を慕うものは警察内外に大勢居る。この、天王寺兄弟もその知恵と人脈を頼って彼の元へ訊ねてきたのであった。

 「あはは、手厳しい。でもですよ? 人が人を頼るのは決まって面倒な事が起きた時かと」

 両腕を浅く広げてにこやかに笑う馬頭族の男。その彼に対し、クロは「滅入は屁理屈ばかり言うからなァ」と顔を背けてしまい、それが更に滅入と呼ばれた馬頭族の笑顔を濃くした。

 「いや兄貴、笑ってんじゃねェよ!! 俺ら何処向かってのか気になんねェのか!? さっきから臭ェ路地裏行ったり来たりして、意味分かんねェよ!」

 「不可解なのはこちらの方ですよ、無燈さん。貴方には感じませんか? この、誰かさんの腹の中を歩く、厭な雰囲気が。もし少しでも感じるなら、そのように声を荒げている余裕なんてないはずですよ?」

 じっとりと、路地裏の影が無燈に降り注ぐ。実兄に注意された彼は、反射的に胸の辺りを撫でた。そこには古今東西、数多のお守り、魔除け、護符がぶら下がっていた。それは彼の、精神安定剤と言っても過言ではなかった。

 「……まぁ、何だ。相手もオレだって匂いで分かるだろうし、悪くはしないだろうよ」

 落ち着かせるような言葉に、無燈は文字通り、胸を”撫で下ろ”した。ジャラジャラと、鎖が絡み合い、音を鳴らす。

 無意識に無燈は半歩下がる。その分、滅入が半歩進み出て、彼の前を歩く。その動きに気付くものは、誰一人いなかった。

 「さて、やっこさん。オレたちを迎えてくれるようだぞ。……アァ、だけど機嫌がすこぶる悪そうだァ。ちょっと怖ェ、様子見てきてくれ」

 クロの言葉通り、三人の前からは、面白みの無い石畳が並ぶ路地は消え失せていた。代わりに現れたのは常しえに暗い――黒の森だった。

風荒び、頬を打つ小雨は心の暖かみまで奪うが如く冷たい。時おり、森の茂みから覗く眼光には、ことごとく嘲笑、飢餓、殺気が籠められていた。

 「……さぁ、どっちが先でも良いぞ。オレはここから高みの見物よ」

 木の枝に駆け登り、丸くなったクロは欠伸をして二人を見下ろした。二本の尻尾は「早くいけ」と追い払うように振られている。

 残された二人は、獣臭立ち籠める森の中で見つめ合うこと数秒。口火を切ったのは兄だった。

 「すいません、持病のしゃくが……けほっ。すいませんが無燈さん、先に行ってくれませんか? けほけほっ」

 「きっ、汚ェぞ兄貴! 生まれてこのかた、アンタは風邪一つ引いたことねェだろコラァ!!」

 「いえ、貴方の兄は病弱なのです。四六時中一緒に居るのに気付きもしなかったのですか? あぁ、なんて弟を持ってしまったのだろう私は! かわいそうな私!!」

 「っざけんなコラァ! クネクネすんな気色悪ィ! 俺はおっかねェのが駄目なんだよ、知ってんだろ!? 下らなェ嘘ついてないで行けよっ」

 「……えぇ、そうですよ。嘘ですよ、何がいけないんですか? だとしても、私は嘘をついてでも、行きたくないっ」

 「開き直りやがったコイツゥゥゥ! クロさん見てたよな、なっ!? って何で目を逸らすのぉ、兄貴にガツンと言ってくれよぉ! このバカ兄貴にィ!!」

 「何とでもお言いなさい。貴方の兄は、己の言葉を決して翻さない。何と言われても! 私は己の言葉を初志貫徹――――来ますよっ!」

醜い言い争いは、ついに飛び出してきた獣の群れによって中断された。その数は五、いずれも四足。その口には煌く犬歯――命を奪うには充分過ぎるほど鋭利だ。

 今にも互いの胸ぐらを掴み出しそうだった二人は急転、左右から飛び掛ってくる獣たちに対して身構えた。

 獣は犬の出来損ないにも似た、汚れた布に覆われた”何か”だった。布は鼻と口と目を除き、全身をくまなく包んでおり、何処か奇妙な愛嬌を感じさせた。

 五匹のうち、四匹は天王寺兄弟の下へ。残りの一匹は木々に囲まれた古民家の前を陣取り、様子を窺っている。その目線は仲間の四匹、天王寺、そしてクロと向けられ、

 (野郎、殺気をぶつけてきやがって……!)

 確かにそれは、彼にまで届いた。が。

 (でもオレには関係ねぇか、つか眠ィ……)

 と、再び瞼を閉じてしまった。

 「オゥオゥ! 来やがれコルァ!!」

 最初の声を上げたのは無燈。彼はその図体と同じく人一倍大きい拳をぶつけ合わせ、鼻息を荒げている。その彼に飛び掛る影は二つ。両者とも口と爪を剥き出しにしており、計六つの銀閃が宙に描かれた。

 「……っ!」

銀閃は瞬く間に無燈の身体に六つの裂傷を残す。それを無抵抗に受け入れた彼は、噴き出す血飛沫と裂けた制服をつまらなそうに見つめ、

「この程度、じゃな」

何かを惜しむように呟くと、未だに血が流れ出す上半身に力を込めた。

膨らむ筋肉、脈動する血管、そして……収縮する傷口。無燈は事も無げに、己の傷を塞いでしまった。

「まったく、その頑丈さには驚かされますね」

横目で一部始終を見ていた滅入は呆れたように呟くと、己に向かって飛び掛って来る一匹に向かい、掌をそっと差し出す。

「――疾っ」

掌に獣が触れるか触れないかの刹那、そっと発せられた気迫は言葉となり力となり。爆発的衝撃を以って獣を吹き飛ばし、木へと打ち付けた。

木の根元にずり落ちた獣の頭蓋は、滅入の掌打の威力で歪み撓み、その痙攣したまま蹲る姿から容易にその破壊力を推測できた。

 「ふむ、見た目より随分と軽いですね……っと!」

 駆け寄ってきたもう一匹には弧を描く蹴撃。真上に振り上げられた右脚はしなる鞭のように獣の鼻先を撫でると、そのまま肉を鑿の如く――削り取った。

 獣は顔の半分を失くしたまま数歩ほど走ると、どうと横倒しになった。傷口からは黒い汁が溢れ出し、地を黒く染める。

 「言葉通り、噛ませ犬と言った感じですか」

 あっという間に二匹の獣を始末した滅入。その横では、

 「オラオラオラァ! くたばってんじゃねェー!!」

無燈が地面に、両手に鷲掴みにした獣を修羅の如き様相で叩き付けていた。飛び散る飛沫が彼の服を染めていくが、それを気にも留めず、文字通り”ボロ雑巾”になるまで手を止める事は無かった。

獣を始末し、二人は互いの無事を確認し合う。

 「相変わらず粗野ですね」

 息を切らし、玉の汗を滲ませている無燈へ、滅入が声を掛ける。

 「……俺は兄貴と違って出来が悪いからな」

 少しいじけたように顔を拭いながら答える無燈。その彼の肩を叩く兄の顔は苦笑を浮かべていた。

 「何を勘違いしているのです? 私はその制服に対する仕打ちを言っているのですよ。すぐ駄目にしてしまうのですから、この歳になっても裁縫する兄の気持ちも分かってもらいたいものです」

 言葉とは裏腹の笑みに無燈は居心地が悪くなり、「悪ィ」と呟くとそっぽを向いてしまった。

 「あー、イチャついてるとこすまないんだが……」

 「――イチャついてねェ!!」

 即座に反応した無燈。だがクロはあっさりと流し、

 「最後の一匹がお待ちかねだぞ。ちゃっちゃと叩き潰してこい」

 木から降りてきて、欠伸交じりに身体を掻き始めた。

 「……どうする兄貴? 行く?」

 「年長者に働かせると罰が当たりますよ。主に下すのは私ですが」

 やんわりと兄に断られてしまい、無燈が渋々と前へ出る。すると、その奇妙な獣は興味を失くしたように身を転じ、暗い森の中へと姿を消してしまった。

 「あ? どうしたァ? もしかして、この俺に恐れをなして……」

 無燈が自慢げに振り返ると、

 「どうやら機嫌を治してくれたようですね。いや、良かったです」

 「ったく、クソ面倒な性格しやがってからに。ほら、行くぞ」

 彼の両脇をすり抜け、二人は古民家へと足早に歩いて行ってしまった。そしてそれを、「お、置いてくなよ、兄貴ィ!」と無燈も後を追い、三人は暗い暗い闇の中へと姿を消してしまった。残された獣たちの死骸も、地面へととろけて、消えた。



 「――すまんのぉ。気分が悪いとどうにも、森の奴らが勝手に動き回るでな。まぁ、わざわざワシの気分の悪いときに来た、己の不幸を呪うんじゃな」

 「謝ってんだが文句言ってんだか分からねえなぁ、つか茶が熱ィ、飲めねェ」

 暗い家屋の中、囲炉裏を囲んでいる四つの影が見える。小さな影はれに、その横で尻尾を立てているのがクロ、几帳面に正座をしているのは滅入であり、足を崩して威圧的に構えているのが無燈だ。

 「茶が熱いなら待て。待てぬ人生に、幸せは訪れんぞ」

 「事件と悪人はこっちの都合なんざ考えちゃくれねぇ。待ってる余裕なんて無いさ、れに」

 二股の尻尾で湯飲みを挟み込み、冷まそうとするクロ。それをれには、扇子で口を隠して弓なりの目で見つめていた。

 「古い馴染みと語らうのは愉しいのぉ。じゃが、おぬしは仕事でしか来ぬから寂しいよ。で、今回は何用じゃ? そんな若い子らを二人も連れて」

 “二人”とは己らを差す言葉だろうと、二人は各々反応を示す。滅入は微笑み、無燈はおずおずと頭を下げた。

 「それがな。コイツら、上から言われて何かやべェ呪物を追ってるんだとよ。それが……えーっと、何だ、眠ィ。後は頼む」

 どうやら湯飲みの暖かさに当てられ、眠くなってしまったらしい。尻尾で二人を指すと、ごろごろと喉を鳴らして丸まってしまった。

 「まったく、前から変わらぬ寝太郎っぷりじゃな。上に立つ役職を得ても、この有様よ」

 「仕方ねぇだろ、猫なんだから。あー、あとお前ら。お前らはコイツの事を”れに”って呼ぶなよ、おっかねぇから」

 それが最後の忠告だったらしく、クロは尻尾を下ろして寝息を立て始める。一瞬、静寂が訪れたが、さらりと滅入が会話を紡ぎ始める。

 「では、何てお呼びしたら?」

 「ワシの事は店主とでも呼べ、若き馬頭族の男よ。己の名を名乗る事もせず、人に名を聞く愚を犯した事と共によくその心に刻んでおくのだな」

 突然の刺す様な物言いに、無燈が口をへの字にして呆れる。だが、滅入はその笑顔を崩さず、

 「あはは、申し訳ありません。職業病、というやつですかね? 私、天王寺滅入と言うしがない警察官でありまして、たびたび潜入捜査などを行なう故に人に名を教えるのを無意識に避けてしまうきらいがあるのです……いやはや、困ったものです」

 れにの流し目に対し、薄い笑みを湛える滅入。しかし、れにの口撃は留まる事を知らず、

 「その名も偽名じゃろ、分からいでか。良いか、ワシはクロの知り合いだから、おぬしらと口を聞いておるのじゃ。分かるか?」

 ついに、滅入の顔色が曇った……ように見えた。ただ、言葉を返さず、彫刻の如き笑みを浮かべる。

「それにワシは、おぬしのようにへらへら笑みを浮かべている優男が、一等気に食わん」

「んだッ、テメ――」

激昂しかかった無燈。しかし、それを遮るは兄の手と、

「――おやめなさい」

優しく諭す軽やかな声だった。それは淡雪のように心に沁み込む不思議なもので、聴く者の心を一瞬で沈静させる力を持っていた。それは、れににとっても例外ではなく。

「確かに、この名は両親がくれた本当の名前ではありません。しかし、しかしです。今の”滅入”という名は、私にとっては本物よりも価値のある偽物なのです。貴女を、謀ろうとして名乗ったわけではありませんが、不快に思ったのなら、大変失礼な真似をしてしまいました。……本日はお忙しいところ、時間をお裂き下さってありがとうございます。愚弟については、後でよく叱っておきますので、それでお許しください」

 頭を下げると、躊躇無く滅入は立ち上がり、家から出て行こうとする。慌てて立ち上がった無燈は、今いる場所の事など忘れて大声で彼を引きとめようとする。

「なっ、おい! 帰ンのかよ兄貴ッ!! どうすんだよ、何の手掛かりもねェんだろこの事件!? 解決出来なかったら俺たち、クビにされんだぞ!? 分かってんのかよ!?」

背を向けたまま、滅入は立ち止まる。その背中は、不思議と笑顔を浮かべているのが分かるものだった。

「知っていますよ、上が私たちを厄介払いしたくて、この仕事を任せたことなど」

「じゃあ、何で!?」

苛立ち、腕を横一文字に振るって無燈は怒りを表現する。鼻息は荒く、胸からぶら下がった御守りたちが喧しく音を立てた。

しかし滅入は振り返ることなく、ただ静かに、そして強く、宣言した。

「――職務、だからです。人を守ると言う、何物にも代え難い責を任ずるためです」

振り返る彼の顔にはやはり笑みが。それは無燈だけにではなく、静かに事の行く末を見守っていたれににも注がれていた。

「人を守るために、人に迷惑を掛けて良い道理などありません。大丈夫ですよ、警察を辞めても、人助けは出来ます。私たちがすべきは、職にしがみつくことではなく、困った人たちに手を差し伸べる事です。……まぁ、確かにいま担当している事件をそのままにするのは心残りですが、【九〇課】の皆さんが必ずや、解決してくれるでしょう。ね、クロさん」

寝たふりをしていたクロは飛び起き、辺りを見回すと疲れきったように床に伸びてしまった。

 「お前、突然オレに話を振んなよぉ、ったく。こちとら雲行きが怪しくなってきたから狸寝入り決め込んでたってのに。……で、だ。断る。仕事なんざアイツらの世話で精一杯よ。だからお前らが責任持って解決しろ、この不良兄弟。あとクビになるな、こっちにその分、仕事が回って来て困るからなァ」

 クロが尻尾でしっしっと頼みを払い除けると、滅入はそのまま一礼して土間で靴を履き始め、それに追従して、無燈も後ろ髪引かれるようにして渋々と退散する準備をし始めた。

 未だに静観しているれに。彼女にクロは、そっと囁いた。

「仕事熱心だろ?」

「おぬしと違ってな」

 一本取られ、クロは片目を伏せる。

 「アイツは見た目と違って融通が利かない頑固だからなぁ、どうにも敵が多くてな。内部だろうが外部だろうが、片っ端から悪をしょっ引く。煙たがれようが嫌われようが、そんな事は気にも留めずに」

 「知っている。だから静かにせよ。今、試してる……」

 奇妙なれにの物言いに、クロが「あぁ?」と声を上げる。その間に、

 「では、失礼します」

 「待ってくれよッ、兄貴ィー!!」

 二人は戸を開け、店内から出て行ってしまった。僅かに聞こえていた足音も聞こえなくなり、痺れを切らしたクロが帰ろうとすると、れにが口元にあった扇を用いて彼の前を遮った。

 「何だぁ? オレは誰かさんが協力してくれないツケの分、アイツらを手伝ってやらねぇといけないんだが……」

 少し不機嫌そうに振り向くクロ。それに対し、れには人差し指を口に付け、「黙れ」と意思表示する。

 「だから試していると言ったじゃろう。尻尾が二本しかない小童よ、待てぬ人生に幸せは訪れんぞ」

 そして突然、戸が開いた。木が擦れる音と共に入り口から顔を覗かせたのは――

 「おや、これは……?」

 ――滅入と無燈、だった。

 「アァ!? んだよコレぁ!! 森から出たら……あ? あぁ!?」

 事情が飲み込めぬ二人に、初めて笑顔を見せるれに。ぱちぱち、と拍手をする彼女に、二人だけでなくクロも絶句している。

 「……おめでとう、二人とも。ぬしらの言葉に、偽りが無い事が示された。話を聞こう、帝都を守る、おしどり兄弟のな」

 その言葉の意味を瞬時に理解した滅入は深い、それは深い笑みをれにに向け、未だに混乱の極みにいる無燈は、

 「誰がトリ頭だクルァ!!」

 と、随分とずれた突っ込みをれにに放っていた。しかしそれすらも彼女には面白いようで、くっくっと喉を鳴らして弛んだ口元を扇子で隠す。

 何となくれにがした事を察したクロは、心底面倒そうに溜息をつく。

 「ったく、どうしてこうも、面倒な性格してやがんのかなァ……ハナっからオレらの事を試す気でいやがったな、この性悪狐め」

 「一寸先の闇すら怖い、初心な乙女なのでな。己の身を守ろうとした可愛い可愛い自己防衛策じゃろが。分からぬかえ、クロ」

事も無げ、涼しい顔をしているれに。その態度がさらにクロの顔色を曇らせる。

そこへ、未だに状況を把握できていない無燈が割り込み、話を遮った。彼は混乱する頭を落ち着かせようとしきりに御守りを撫で回していた。

「おいおいおいおい待てよコラァ! 何だ、試されたっつーのはよぉ!! それに俺らは帝都に……クッ、意味分からねェ……!」

何処か疲れきった印象を受ける彼の肩に手が置かれる――滅入だ。兄の彼が、後を引き受けると無燈へと目配せした。すると、無燈はすんなりと後ろに下がり、兄の影へと隠れてしまった。

「私からも二、三、お尋ねしたい事があります。クロさん、至らぬ私たちにご鞭撻の程、宜しくお願いします」

有無を言わさぬ口調と強迫的な笑み。クロは「何でオレが……」とぼやいていたが、いつまでも滅入に見つめられたままである事を嫌がり、鳴き声を以って了承の意思表示とした。

 「まず、店主さんとはそもそも何者なのでしょうか? 見た目とは裏腹に、随分と大人びて――いえ、成熟しているような印象を受けますが」

 人差し指を立てる仕草は、連続で質問を投げ掛ける事を示しているように見える。

 「コイツは、れに。帝都に依存する狐だ。尻尾は五本、呪物を作るのも集めるのも売るのも得意で、定期的に帝都に厄介ごとを運んでくれて、オレたちが失業しないように気を配ってくれてる」

 「尻尾が二本しかないと少しの事で怒るようになるのかえ?」

 「付け加えると御年云百歳のご老体。若さの秘訣は他人に迷惑を押し付けても何も感じない図太さだっ」

 すぐさま言い返すれにと無視するクロ。そのやり取りを、無燈は何処か恐ろしげに見守っている。

 「なるほど、呪物と帝都に通暁している……では、次の質問です」

 中指も跳ね上がり、滅入は淡々と言葉を紡ぐ。

 「此処は何処です? 帝都にはこのような森などありませんし、何よりも先ほどの現象が不可解です。子供じみた表現ですが、まるで魔法のように、森を歩いていた私たちは気付くとこの店先に顔を出していたのですが」

 「あー……、それはだな……」

 ちらり、とクロがれにに目配せすると、彼女が発言を許可するように頷いた。

 「此処はれにの”箱庭”みたいなもんで、何だ。オレもよく分からん。れにが好き勝手出来る場所だって分かってりゃそれで良い。だからコイツに気に入られでもしてみろ、三日三晩は話し相手にされて外に出してもらえなくなるぞ」

 「まさかあの時のことを覚えておるとはのぉ、よほど嬉しかったとみたぞワシは。ならば次は一月ほど居てもらうとするかのぉ」

 れにの思い掛けない言葉に、思わずクロは尻尾と耳をぴんっ、と天に立たせたが、

 「あははっ、それはやめていただきたいですね。クロさんは色々な方の面倒を見ていらっしゃるので、帝都から居なくなられると困ります」

 滅入の助け舟に、「どっちみち楽は出来ねェなぁ……」とクロは下がってきた尻尾を頭に乗せてぼやいた。

 「なぁ、兄貴。そろそろ……」

 いつまでも本題に入らない兄に痺れを切らした無燈。彼は膝立ちになり、兄の傍へと身体を近づけた。

 「分かっていますよ。でもですね、無燈さん。何事にも順序というものがあるのです。今先ほど聞いた事はいつか、もしかしたら、役に立つかもしれない。”情報”という可能性を、地道に集めていく事。これこそ捜査の基本ですよ」

 兄にそう諭され、無燈はその外見には似つかわしくない従順さで素直に頷くと、胡坐を掻いて彼の隣に座り直した。

 「しかし無燈さんの言う通り、最後の質問に参りましょう。これは……そうですね、店主さん本人から答えてもらえるとありがたいのですが」

 「何じゃ、言ってみろ」

 即答するれに。対し、一呼吸置く滅入。先ほどより声を潜め、沈んだ声で静かに――囁いた。


 「人の欲望を現実世界に反映させるランプ……というモノをご存知在りませんか?」


 最初に反応したのはクロだった。彼は目を白黒させ、口を半開きにさせて驚いている。

 「……たまげたぜ。ヤバい呪物とは聞いてはいたが、そんな代物だったとは……そりゃ内密に事を進めたくなるのも頷ける。そんなモノ、帝都に野放しになんて出来る訳が無ェ」

 声には焦燥感が宿っている。眠気を感じさせる半目は、別の鋭い眼光を放つモノへと様変わりしており、纏う雰囲気も別人のようであった。

 「だから兄貴が選ばれたんだ。元"諜報部”の切り札だった兄貴なら、一人で解決できると踏んで」

 少しばかり自慢げな無燈。その彼に「私一人では無いですけどね」と兄は肩を竦める。

 「この度、私は『呪物回収』という命を受けています。本部の方で事前に情報が入手できたらしく、事が起こるより早く回収するようにとの事です。……で、どうでしょうか店主さん。この帝都に入って来る呪物の三割は、貴女の下を通っていると聞きましたが。何かご存知ありませんか?」

 「知っておるぞ。”猛き炎劫”の事じゃろ。つい先日、この店に入荷した」

 間髪容れず、れにはあっさりと目的の物の名を口にした。そしてそれだけではなく、その”猛き炎劫”の所持を匂わせる発言に、一同は驚きを隠せずにいる。

 色めき立つ三人に、れには扇子の持ち手で床を叩く事で牽制した。「まだ、私の番だ」と言わんばかりに。

 「少しばかり世話してやって、ここを訊ねてきた小娘にくれてやった」

 「な……ンだとテメェ……? マジで言ってんのか……?」

 今にも卒倒しそうなほど青い顔をしている無燈は、震える指をれにへ突きつける。

 「だから、くれてやったと。つまり、此処にはもう無い」

 今にもはち切れてしまいそうな弟を抑える滅入。しかし彼の顔にもうっすらと焦りが浮かんでいた。

 「では、その少女は何処へ? 住所などはご存知ですか?」

 「知らん。帝都の地理などからっきしじゃからの」

れにの返答にクロが「あぁ、またこんなだよっ」と嘆き、床を転がる。

その後、数回ほど滅入とクロがれにに質問を投げ掛けてみたが何れも芳しい答えは得られず、暗い森に夜の帳が下りる頃になると三つの影が古民家から出て行き、森は再び、何事も拒絶するかのような静寂に包まれた。

森を湿らしていた雨雲は晴れ、空には綺麗な満月が昇っていた。その月光は万物に等しく照らし、遠く、帝都の雑踏に紛れるリザードマンも照らしていた。



次回の更新もかなり間が空きそうです、申し訳ありません。

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