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灼熱の荒神  作者: 空暮
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1-1

 ストレス解消と息抜きで書き始めましたので、また突然止まるかもしれません。

 文章が固まっていないため、後で変更する可能性もあります。

 私は、ひどくありきたりな理由で家へ帰れずにいた。それは家族の不仲。何処にでも転がっているつまらない問題だ。

 両親は外の通りにまで響く大声で互いを罵りあう。

 『アレは俺の子じゃないっ! あんな、角の生えた出来損ないなんて!!』

 『殴らないで! 仕事に行けなくなったらどうするのよ!?』

 暴力的な父に、金のためならどんな男とも寝る母。私の子供の頃からの記憶をひっくり返しても、物語で読むような”家族の団欒”をした記憶は見当たらない。

 全ては、この出来損ないの顔と、額から生えた一本の角のせいだろう。私の両親は揃って馬頭族。なのに、どうしたことだろう。私の顔はのっぺりと潰れ、平坦な卵のような形になってしまっている。それだけではない、馬頭族特有のしなやかな筋肉と全身を包む薄い体毛、それすらも失われ、細木のような四肢に申し訳程度の毛が身体に数箇所、生えているだけという有様だ。

 一番の問題は、頭から生えた角。ずっしりと重さを感じさせる白く滑らかなソレは、折れず曲がらずどんな事をしても砕く事が出来なかった。全く以って無用の長物、何のために存在しているか分からない。一度、力自慢の巨鬼族の男に折ってもらおうとしたことまであったが、結局掌の皮を削ぐのみで白い角を赤く染めただけだった。

 家族の不和はそんな”異質”な私が原因だ。だが、その原因が家に帰らずとも二人は喧嘩をしている。もはやあの家庭からは「愛」とか「絆」とかいうモノは失われているのかもしれない。

 私は――何なのだろう。基本的に、私たちは母体と同じ種族、もしくは合いの子としてこの世に生を受ける。しかし私は馬頭族とは似ても似つかない。どちらかと言うと……そう、吸血鬼や氷鬼族に近い身体の形をしている。

 しかし、この私のような姿で角を生やしている種族は存在しない。生えていても、身体が巨大で目が一つであったり、鱗に覆われていたり、私とはやはり何処か違う。どちらにせよ、私が馬頭族らしい姿で生まれてきていたとしても、それが父の子であると言う証明にはあの母からでは、し難い気がする。

 そんな解決しようがない下らない悩みを抱えながら、私は帝都の東地区をブラブラと当てもなく彷徨っていた。

 不思議と、気分は悪くない。解決しようがない問題を抱えていると、その問題のことなど忘れてしまうものだ。目の見えぬ者が、四六時中盲目である事を嘆かないのと同じで、人は知らぬうちに己が陥っている泥沼に慣れ、現状に麻痺してしまう。絶望も鈍れば、掌に刺さった棘のようにしか感じない。それならば、何も考えず帝都の街並みを堪能すれば良い。

 進む大通り。家のある西地区とは違い、空気は澄み、人も何処か楽しげだ。道を往く人々の熱気に押され、私は知らず知らずのうちに道の端を歩いていた。

 (家でも何処でも、端の方が落ち着くから別に良いけど)

 友人と歩いているのだろうか? 楽しそうに肩を揺らし、笑みを浮かべて歩いていく者もいれば、足早に荷物を抱えて駆けて行く者もいる。ただの店が並んだ道に過ぎない通りも、まるでその「人」によって帝都成り得ている気がしてくる。「人」の代謝によって生まれた老廃物が凝り固まったモノ、それが「街」なのかもしれない。

 「だったら、私はいない方が良いかも……」

 自嘲気味にそう呟き、少し眩し過ぎる大通りから裏路地へ身を滑り込ませた。ひんやりとした空気は、待ち焦がれていたように私を包み、奥へと誘った。




 この世界に「魔法」はあるか、と問われれば。我は「無い」と答えるだろう。

 この世界に「魔法に似たモノ」はあるか、と問われれば。我は「在る」と答えるだろう。

 我は誰よりも「魔」に近く、そして「神」の如く強大だ。

 「魔」を窮めし我が力を以ってすれば、愚昧どもに一時の夢を与える事など造作も無い。

 我は誰よりも「魔」に近く、そして「神」の如く寛大だ。

 二千の願望、二千の希望、二千の欲望。どれも等しく叶えよう。

 ただし願いは三つだけ。お代は命と肉と骨。くべて並べて組み立てて、我が宿願の礎に。

 さぁ、この街では誰が我を手に取るか。飢えを蓋で押さえ込み、今しばらく待ち焦がれよう。

 「果て無き旅路の終着点、それが帝都となるとは何と言う巡り会わせか。面倒な事にならなければ良いが」

 薬臭い陰気な店の奥で、藁の毛布に包まれるのも飽いてきた。

 今日はとても気分が良い、群がる衆愚に真理の一片でもくれてやろう。

 「秋皇の魔都。気のせいか彼奴の臭いもするが」

 沸くまどろみ、意識が穿たれ、無限の闇が全てを喰らわんとした矢先、鼻を掠めた芳香は遠き昔に嗅いだ――――




 薄暗い路地裏の闇が、じわりと白い少女の肌を撫でた。石畳に咲くのは花などではなく、少しの苔と少女の足音のみ。ただ、それが静かに闇を彩る。

 行き先も分からず歩く少女、遠ざかる陽光と人の気配。無軌道に進む彼女は人気の無い道をひたむきに歩き、幾度も現れる曲がり角も無作為に選択し、ただただ何かから遠ざかっていく。

 だが、少女は気付いていただろうか。ここは”魔都”、希望と欲望が渦巻き、天使と悪魔が同居する無比なる都。何が起きても不思議ではないし、その偶然が不幸な誰かを選ぶこともある。

 この帝都の裏道――通称、”鍵尻尾の散歩道”は、何も知らない、もしくは余程の幸運の持ち主以外にはただのつまらない裏道である。しかし、ある一定の法則……ソレは歩幅であったり曲がり角での選択であったり掛かった時間であったり、特定の条件を満たすと、本来では辿り着くはずの無い場所へと繋がるようになる。

 摩訶不思議なる帝都の裏道、突然開けた空間が現れた。そこには粗末な”純秋皇風”の家屋が建っていた。そして、ソレの前で立ち竦んだ少女。

 「……え? なに……これ……?」

 彼女にしてみたら、一歩進んだら世界が一変していたのだ。これが驚かずにはいられない。先ほどまで覆い被さるように並んでいた石の壁は消え失せ、代わりに青々と繁る木々が。石畳はただの踏み固められた黄土の地面に。人々の喧騒は立ち消え、軽やかな涼風と何処からともなく聞こえてくる鳥の鳴き声がこの世界を支配していた。

 無意識に、少女は一歩後ずさった。そうすると不思議なことに、少女は元の帝都の裏路地に立っていた。そして、もう一度前へ出ると新緑の森。

 普通の者なら気味悪がって足早に此処を離れるだろう。しかし、少女は違った。彼女には――帰る場所など無かった。漠然と前へ進むしかない彼女は戸惑いこそしたが、その家屋へと近づく決心をした。

 木立が作る影は、石の建造物が作るものよりも柔らかい、そんな事を考えながら彼女は家屋の目の前に立つ。

 「ぼろぼろ……」

 その言葉どおり、家屋は一見すると廃墟と区別が出来ないほど”朽ち”始めている。壊れた窓から覗く中は漆黒の闇、仄かに香る腐った木の匂い、人の生気を微塵とも感じない。だが、彼女は直感的に悟った。ここは、普通じゃないと。

 普通とは、つまり常識。彼女の第六感がここを『常識の外』と認識したのだ。空に浮かぶ太陽。それすらも疑わしく、彼女にはまるで目の前の全てが薄っぺらな紙に描かれた絵のように感じられた。

 注意深く観察する彼女の目に留まったのは、一つの木板。それは家屋の玄関に無造作に立て掛けられており、何か意味のあるモノには見えない、が……。

 「えっと、『マヨ ガ』? 読めない……」

 果たしてそれはこの”店”の看板であったが、彼女は知る由も無かった。

 そして少女は、その看板から目を逸らして扉に手を掛けた。一瞬の逡巡、僅かながら開いた扉から洩れ出た内部の空気は、やけに粉っぽかった。

 ――きっと、これが少女にとって引き返せる最後の機会であったのだろう。ここで全てを忘れ、帝都へと帰っていれば、別の人生が待っていたに違いない。しかし、運命は彼女に、人生を棒に振らせる事を選んだ。

 一思いに開いた扉の向こう、少女は勢い余ってたたらを踏んで屋内へと飛び入る。中は、外見通り純秋皇風の作りになっていた。吹き抜けの天井、木と紙で仕切られた部屋、そして、多機能性を持った囲炉裏。想像を超えるモノなど何も無い――唯一つ、正座してこちらを睨む白髪の童女を除いては。

 「――おぬし、客ではないな? どうやって此処へ辿り果せた?」

 かろん、と鈴の音の如き声色。その見た目には似つかわしくない言葉。突然の闖入者を射抜く眼光は、夜の月にも似ていた。

 少女は、自分の年齢の半分にも満たない童女が居たことに言葉を失っていたが、彼女が手にしていた扇子の柄で軽く床を叩くと我を取り戻した。

 「え、あの……その、迷って、来ました」

 必要最低限の返答に、童女は無表情の仮面を打ち捨てて、笑った。笑うといっても、ただ口角を僅かに吊り上げて喉を鳴らしただけであったが。

 「面白い。なるほど、これも運命じゃろう。此の世に不条理を敷くのが運命なら、それを覆すのも運命か。全く以て面白い。長生きはするものじゃ」

 広げた扇子で口元を隠した童女に、言葉の意味が分からない少女。少女は、己の背をぞくりと冷たいものが駆けて行くのを感じずにはいられなかった。

 「あの、此処って――」

 「――待て、此の世には順序というものがある。水が高い所から低い所へと流れるように。人が、生まれ、病み、老いて死ぬように。まずはおぬしの名前を聞かせてもらおうかの」

 吐き出しかけた言葉は、言葉の弾丸で地に撃ち付けられてしまった。少女は目の前の童女に促されるまま、己の名を伝えた。

 「(しるす)……って言います」

 「”しるす"、か。良い名じゃの。その名に恥じない人生を送るんじゃ、標。おぬしは、来るべきして此処に来た、それを忘れるでないぞ」

 「はぁ……」

 褒められ、肯定とも否定とも取れない曖昧な返事を返す標に、童女は背後の暗がりから質素な木箱を取り出した。それを、静かに標の前へと押し、『手に取れ』と促す。

 「持って行け。いや、持って行かなければならないのじゃ。さぁ、早く。それを持って帰れ。アイツが、来る」

 転じて、突き放すような語気に標は面食らいながらもおずおずと木箱に手を伸ばした。触れた箱は、陽に当てられていたかのように、熱かった。

 「良いか。決して振り返らず、何があっても此処から出るまでは木箱を開けてはならんぞ。忠告ではなく、命令じゃ」

 それは確かに、絶対零度の冷たさを以って標の心に刻み込まれた。そして同時に、

 ――何でこんな事になったんだろう。

 彼女の心に、到底答えが見つかりそうもない疑問を生じさせた。

 (とにかく、帰ろう……)

 意味の分からない場所に辿り着いた。着物を着た童女に出会った。得体の知れない木箱を押し付けられた。早く帰れと焚き付けられた。本当に、意味が分からない。混乱した標は、何はともあれ自宅へ向かうことにした。

 手にした箱は蓋が緩いのか、時おりガタガタと音を鳴らす。それを標は掌で押さえ込むようにして脇に抱えると、一度童女に会釈をし、古びた家屋から出て行った。残された童女は、

 「さて、どうあしらうものかのぉ……」

 つまらなそうに欠伸をすると、瞳を閉じてしまった。




 家屋から出て来た標は、周囲が完全な森であることを確認すると、再度驚いた。本当に帝都の裏道から此処に辿り着いたのだろうか、実際に己の背後には純秋皇作りの家があるのか、と。

 振り返って後ろを確認しようと思ったが、彼女は寸でのところで童女からの命令を思い出した。

 『良いか。決して振り返らず、何があっても此処から出るまでは木箱を開けてはならんぞ』

 タチの悪い冗談だと、思わせてはくれない童女の迫力。それに標が屈するのはこれまで彼女が歩んできた人生からすると必然的であったと言える。

 またも行く当てを失くした彼女は、雲の上を歩くような不安定さで足を踏み出した。

 ただ、過ぎ去る。それだけのこと。それだけの事なのに、標は立ち止まってしまった。

 ――誰か、来た。

 何故か標は、無意識に「この場所に訪れるのは自分のみ」と考えていた。まさか、此処で誰かと出くわすわけがない、と。その無意識が、彼女の両足を地面に縫い付けた。

 薄暗闇の木陰から現れたのは、中肉中背の何の特徴もないリザードマン。標も、五秒もしたら忘れてしまう、何の変哲もない男だと感じた。ただ、この季節には少し暑そうな外套を羽織っている以外は記述しようがない程に、彼は無色透明だった。

 伏目がちに歩いてくる彼。その姿を認めると、標もようやく動き始めた。

 こんなところに何の用だろう、そう疑問に思った標。しかし、彼女はある大切な事に気付かなかった。それは――”こんなところ”に居るモノがマトモな訳がないという事であった。

 彼と彼女が交差する刹那、男は標に視線を傾けた。リザードマン特有の、全てを見透かすような瞳。瑠璃色の瞳に逆立ちして映った標は、不安そうに前を向いている。

 そして、標は帝都の裏路地へと姿を消し、男も陰気な家屋へと姿を消した。




 「預けたものを返してもらおう……帝都の呪物職人、れによ」

 「その名前でワシを呼んで良いのは古き友だけじゃ、若造」

 もし、言葉による殴り合いが存在するのなら。今この狭い闇で繰り広げられているコレこそがその表現に相応しいだろう。

 「それに預けた? 何を勘違いしておる。あれはワシが買い取ったんじゃ。此処に、おぬしのモノなんて何一つない」

 リザードマンの男は、己の気持ちを示すように大きな音を立てて息を吸い、吐いた。その流れ出した呼気は”れに”と呼ばれた童女にまで届き、彼女を心底嫌そうな顔にさせる。

 「……金など受け取ったつもりはないが」

 「金だけがこの世の通貨とは限らんよ。あの時は、ワシの”時間”をくれてやったつもりだが」

 空気が徐々に鋭化していく。男が首を傾け、ぽきり……と骨を鳴らした。

 「――調子に乗るな、雌狐め」

 するりと絹のような殺意がれにの首元へ突きつけられる。しかし、それを涼しげに受け流す彼女は意地悪げな笑みを浮かべ、

 「その言葉も買おうか、若造」

 歯切れの良い音を立てて扇子を閉じるれに。一瞬即発、男はれにを見下し、れには男を嗤う。果たして、先に動いたのは――――藍色のリザードマンだった。

 男は身を一気に沈み込ませると、右腕だけ背後へと置き去りにするように急加速。れにへ肉薄すると反動を利用し、残した右腕を振り子の要領で振り回した。

 ぬるり、と曇った黒鉄の刃が袖から飛び出した。大きさは男の手のひら大。刃渡りは手の先から肘関節ほどまで。十二分に、凶器として役に立つ代物が舌なめずりするように飛び出した。

 刃は空気を裂き、れにの腹部へと下から襲い掛かる。しかしそれでも彼女は動かない。まるで己の無事を確信しているように、ただ邪悪に歪めた口端から僅かばかり呼気を洩らした。それは、あまりにか細く弱々しいものだったが、確かに意味のある言葉を有していた。

 「――夢二、痴れ者を抑え付けろ」

 れにの背後、左肩の上辺りの闇から白い光が迸った。それは待ち侘びていたように、れにへ襲い掛かる刃を受け止めて刃先を絡め取った。

 己の一撃を受けた光の正体を確認する男。彼の視線の先には、刃を掌で受け止める白腕があった。その腕は、闇の中にあるためか、ぼんやりと仄かに光を放っているように見える。

 「護衛か、賢しい狐の考えそうなことだ。その程度の事で強気になっていたわけではないだろうな?」

 「若造、どの程度かは己の目で確かめるんじゃな。ワシの恋人は、強いぞ」

 がらんどうだった瞳に殺意が流し込まれる。気の弱い者なら一瞬で卒倒せしめる殺気を、れには心底興味無さそうに受け流し、己を凶刃から守った腕を、じっと見ていた。

 今の状態は完全なる均衡。どれだけ男が力を込めようとも、暗がりから伸びた腕はビクとも動かない。それでも、彼は一切の焦りを見せないでいる。

 それもそのはず。男の袖から飛び出している刃は、”横着者の花剣”と呼ばれる呪物。由来は古く、秋皇から海を隔てた先にある大陸、その大陸の”彼の者の嘶き”と呼ばれる山脈を越えた果てにある毒と霧と植物が支配する未開の地で作られたモノと伝えられている。

 その森に潜む人媒花――特に巨大なモノになると人格を持つと言われる――の根に偶然にも絡みつかれ、成長した鉱石。それは”母親”に似て魅力的で蠱惑的でそして何よりも……残酷に育った。

 それは触れる者の神経を犯し、蝕み、身体の自由を速やかに奪う。その上、特殊な環境下に置かれていた為か、鉱物にはあるまじき神秘的な伸縮性まで獲得していた。彼の”母親”が食料を得るために使っていた力は、そのままそっくり子供へと受け継がれていたのである。そのような因果な鉱物を好き好んで欲しがる者が居たということも、ある意味では因果であったのだろう。

 かくして、隠し刃として姿を変えた鉱物は、嬉々としてその力を存分に振るった。深く斬ればその者の鼓動を奪い、浅く斬ればその者の動きを奪う魔剣として。そしてこの場においても、それは例外ではない。

 (……そろそろ毒が回ったか?)

 刃と掌が触れて数秒。本来ならば痙攣して跪き、驚愕と憤怒に満ちた瞳をこちらに向けてくる頃。男はそう予想し、さらに肉へと刃をめり込ませた。

 しかし、幾ら待ってもその予兆が見られない。それだけではない、この時になってやっと男は気付いた。斬り付け、今も刃を受け止めている掌から流れ出る血の量が――極端に少ない事に。

 それでもリザードマンの男は焦る素振りも見せず、ただチラリとれにの背に広がる闇を見遣った。恐らく、”夢二”と呼ばれる人物が佇んでいるであろう領域。だが、彼がどれだけ目を凝らしても沸き、溢れる闇の向こうを見ることは叶わなかった。

 (苦悶の声も上げないとは……余程鍛えられているのか、それとも……)

 彼の考えを見透かしたのか、れには少しばかりの自嘲を込めて呟いた。

 「さすがは夢二、じゃの」

 途端、刃に掛かる力が増した。ギリギリと、刃を捻る白腕は、れにから危険を遠ざけるように、横へと刃を逸らそうとする。雫が、数滴落ちていった。

 均衡が崩れ、体勢すら崩れかけている男は、見切りをつけたのかあっさりと”横着者の花剣”を己の袖へと引き戻す。男の考えを察したのか、夢二は何の抵抗もせず刃を手放した。

 「力比べはおしまいかの?」

 「もう用は無い。それも、”屍人”なんぞにはな」

 既に背を向けていた彼だが、振り返ってれにの背後をもう一度睨みつけた。先ほどまでは見る事が出来なかった闇だが、男が入り口の扉を開いた事で今は僅かばかりの陽光が差し込んでおり、うっすらとだが『夢二』の姿を目視する事が叶った。

 ソレは、ツギハギだらけの蝋燭に似ていた。直立不動であるのに何処か歪で、肌はくすんだ白で生気が無い。何よりも目を引くのが伸ばし放題の髪の色。まるで朝焼けの如き赤は透き通っているように、淡い。

 髪に隠された顔から覗くのはパックリと深い傷跡が刻まれている唇だけで、他の顔の部位は全て隠れてしまっている。服すら着ていない身体にも、夥しい傷跡が残されていた。

 ――男の言う”屍人”とは文字通り、死人である。神の悪戯か悪魔の祝福か、魂を失った肉体が動く。 端から見たら奇跡の産物に思えるかもしれないが、実情を知る者はその存在を蛇蝎の如く忌み嫌う。それは、屍人に関わる者は例外なく悲惨な最期を迎えているからだろう。

 「手入れはしてあるようだが……死体が恋人とは。呪物職人にはお似合いだ」

 往々にして屍人は腐り、見るも無残な姿へと変わり果てる。それは屍人の生まれる背景に要因がある。魔術で生まれたモノであるなら定期的な”上掛け”により腐敗を防ぐ。それならば屍人は腐ることなく、擬似的ではあるが”永遠の生”を得る事が出来る。しかし、奇跡と言って差し支えない複合的な理由で生まれたモノは特殊な防腐処理を行なわなければあっという間に地へ還ってしまう。その手間は、赤子を世話するのに等しい。

 「お似合いじゃと、夢二。そんな事はワシらだけが知っていれば良いと思わんかの?」

 れにの言葉に、夢二は顔を真横に傾ける事で応えた。途端、男を言い様のない寒気が襲った。知らず知らず、男は身構え、外套の中に隠し持った武器をまさぐった。

 「嘘じゃよ。ワシは争うのが嫌いじゃ。だから、二度と来るな」

 声がやけに小さいのは、男が裾を翻して家屋から出て行ったからだろうか。れにが口を閉ざすと、またも静寂が部屋を支配した。時おり聞こえるのは鳥の囀りとれにの心音、そして夢二の微かな唸り声だけとなってしまった。

 そのまま時が止まってしまったかのように、二人はそうしていた。

 どれほど時が過ぎたか、夢二の手を肩に置いて目を瞑っていたれには、己の作った領域に入って来る嗅ぎ慣れた昔馴染みの匂いに目をうっすらと開いて、嘆息。

 「……今日はもう疲れた。だのに、こんな日に限って客が多いのは普段の行いが悪いからかのぉ。のぉ、夢二?」

 彼は、応えなかった。

 次の更新は準備が出来ているのでそれなりに早くなると思います。

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