八、デートの楽しみ方
やはり服というのは、その人を見るうえで重要なファクターだと思う。
人間の第一印象はどうしても視覚から入る為、汚らしい格好をしていれば中身もそうだという先入観が生まれる。センスどうこうも大事だと思うが、それは好みで印象が左右されるためいまいち曖昧だ。
だから俺はキリーに清潔感というテーマを与えた。
新調すればそれは解消されるので、そういう意味ではキリーの選んだ服は合格だ。だがやはり、常識的なセンスについても一言を呈しておくべきだったと、俺は深く反省するのだった。
あの後、みっちゃんが時間通りに現れ、軽く挨拶を終えた後、とりあえず昼飯を済まそうという話の流れになってファミレスに来ている。
「どうしたんだい、浅岡君? ハッ」
隣に座っているキリーが、赤い顔で俺に訊いて来る。
「お前がどうしたと俺は訊きたい」
紅潮しているキリーの顔面を溜息交じりで見る。
キリーの顔が赤くなっているのは、想い人のみっちゃんが主な原因ではない。着ている服がきつ過ぎて苦しいのだ。
「どうしたらそんなに厚かましいサイズを選べるんだよ……」
今にもはちきれんばかりにピッチピチである。
紛れも無いデブ、とまでは言わないが、キリーは細めの俺の1.5倍は体重があるだろう。それなのに俺でもきついくらいのサイズを選んできやがった。
「携帯電話のゲームでさ、ハッ、作ってたキャラのデータがあるんだけど、ハッ、それを見せてこれに近い服下さいって、ハッ」
酸欠一歩手前である。へこませている腹が今にもシャツのボタンを弾き飛ばしそうだ。
「ほら、汗吹けよ」
店員が持ってきたおしぼりを渡してやる。圧迫されて暑いのか汗だくだ。一人だけ。
「せ、せっかく集まったんだからさ、ハッ、僕の事ばっかりじゃなくて、ハッ、皆で、ハッ、話そうよ、ハッ」
お前の濃すぎるキャラがそれを阻害していることに気付け。
「あー、みっちゃんとやら」
「ん、なに? 浅岡君」
正面に宮野。その隣に座っているみっちゃんに話を振ると、気さくな感じで答えてくる。
みっちゃんはジミーズメンバーであることからやはり地味だ。
隣に座っている宮野と比較してみると、容姿や服装を含めた外見に大して差はなく、どちらも飛びぬけて美人などとは言えない。さっき宮野がお洒落に見えたのは、やはり見間違えだった。
しかし見た目どおり物静かな宮野と違い、みっちゃんは物怖じしない明るい性格をしているようだ。
「えとな、みっちゃ」
「ハッ」
「とりあえずめしを」
「フハッ」
「……」
食べたら、服を……。
「……バフーーーンッ」
「うるせーよっ!」
「ぶぼぉっ!?」
キリーの酸素摂取があまりにうるさかったしキモかったので、肝臓ブローで沈める。
「ひどい」
宮野にジト目で非難された。ごめんキリー、やりすぎた。
「ゴホンッ。えー、改めてみっちゃん、とりあえず昼飯食べたら服買いに行ってもいいかな? こいつの」
「うん、そうしよう。キリー君、苦しそうだもんね」
ああ、この一言でもう分かった。みっちゃん絶対いい奴。
「……ん?」
視線を感じたので正面を見ると、宮野が表情無くジッと俺を見つめていた。
何だ? という意図を込めて視線を飛ばすが、いつもどおり口を開くのが遅い。いや、開く気が無さそうだ。
「私には訊かないの? だってさ」
みっちゃんがニヤニヤと代弁してくれた。
「え、訊かないといけないのか?」
「ううん」
そうだろう。俺は何ら不自然さを感じなかったんだけど。
「な、何そのツーカー夫婦ぶり!? やっぱり二人は付き合ってたのねー!」
俺と宮野のやりとりを見ていたみっちゃんが色めき立った。
「みっちゃんウルサイ」
「ご、ごめん、文……」
宮野の静かなる一喝を喰らって、瞬時に制されるみっちゃん。ある種のシンパシーを感じた。
そんなにツーカーに見えたんだろうか。まあ宮野に遠慮などいらないとは思っているけど。
「ん?」
やけに静かだなと思って隣を見てみると。
「……ハッ……フハッ……」
キリーがどこかへ旅立とうとしていた。
そんな訳で、――訂正、キリーの明日が危ぶまれたので、俺達は昼飯も食べずにファミレスを後にし、近くにある大型ショッピングモールでキリーの服を調達することにした。
男物の服屋に着くと同時に、服も選ばずにキリーを更衣室に叩き込む。とりあえず、俺達が選んでやる間、貸しきり状態にさせてもらおう。
と、そこで良い案が浮かぶ。得意げに言うほどでもないが。
「みっちゃん、キリーの服を選んでやってくれ」
その方がキリーも喜ぶだろうし、会話も必然的に生まれるだろう。災い転じて福ってやつだ。災いというより自爆だが。
「よしきた。キリー君をめちゃかっこよく仕上げてあげる」
キリーの濃さに嫌悪するわけでもなく、ノリノリで服を物色しにいった。みっちゃん絶対いい奴。
こんな風に誰かの恋愛を応援するなんて久しぶりのことなので、少し懐かしさを感じてしまう。俺の知り合いは場慣れした奴らばかりなので、こんなまだるっこしいことをしなくても、勝手に女と消えているのが常だ。
さあ俺達はどうしようかなと、隣にいる宮野を見ると。
「消える?」
俺を見上げてさも当たり前のように言う。
相変わらず察しがよすぎる女だがしかし、もう少し違う言い方はなかったんだろうか。酒の席ならホテルに行こうと同義である。
「あー、大丈夫かな……?」
時期を見てそうしようとは思っていたが、早過ぎないだろうか。
「心配?」
「まあ企画した手前、少しな」
キリーは明らかに女慣れしてないし、また何かをやらかしそうで怖い。
「みっちゃんは良い子だから大丈夫」
「たしかに、みっちゃんはいい奴だ」
その点は間違いない。キリーピチピチ事件を顔色一つ変えずに潜り抜けた女だ。これ以上何をやらかしたらみっちゃんが引くと言うのか、会って一時間足らずだが絶大な安心感がある。
「そうするか、何かあったら連絡してくるだろうしな」
「うん」
と、そこまで話が進んだのは良かったのだが、消えた後のことをまったく考えていなかったと気付く。
とりあえずこの服屋を出ようと宮野を促して、近くにあった休憩所のベンチに腰を下ろした。
日曜日ということもあり、家族連れやカップルで賑わっているショッピングモールを眺めながら、この後の予定に思考を巡らせていると、宮野が先行して案を出した。
「帰る?」
おお、その手があったか。こうなってしまえば、俺達が共に行動する必要はもうない。
昨日キリーに借りていたゲームで夜更かししたから寝不足だし、帰って寝るのも魅力的だな。
「いや、帰らん」
偉そうにそう言うと、宮野が意外そうな面持ちになる。
「宮野とデートするってのもおもしろそうだ」
いわゆる普通のデートというのも、たまには悪くないだろうと思った。
抱くことを前提にした女とのデートなんかはよくしていたが、それを抜きにして女と遊ぶ機会はそれほど多くない。宮野が相手だし、退屈するなんてことはまず無いだろうと思える。
「うん。分かった」
宮野はコクリと頷いて了承する、のだが……。
「何だその、仕方ないわねやれやれ、みたいな顔は?」
「仕方ないわねやれやれ」
実際に言いやがった。しかも得意げに。
「イヤなのか? 浅岡孝太ごときではデート相手として不足か?」
「ううん、超過だよ」
おぅ……。
「あ、萌えた?」
「……OH」
また手のひらの上でコロコロされた。
ほらな、絶対退屈なんてことにはならない。負の意味に傾きそうだが。
「ああ萌えた。お前みたいな可愛い女、初めて見た」
「ふーん」
つまらない返しするな、とでも言いたげな眼差しだった。
「ちょ、そこで乗らないとか……ヒドイ」
なにか俺に恨みでもあるのか?
「じょーだん。嘘でも嬉しい」
芸に厳しいかと思いきや、パッと嬉しそうな表情に変えてクスクスと笑う。
まったく勝てる気がしない。本当にお前みたいな女は初めてだよ。
「じゃあ行こうぜ」
ベンチから立ち上がって宮野を促す。
目的もなく動き出したので、何か面白いテナントでも無いかなと辺りに目を流してみたが、人ごみがすごくてよく見えない。これはどうしてやろうかな……。
「……宮野?」
同時にベンチから腰を上げた宮野が、虚を突かれたように呆然と俺を見上げていた。
「どうしたんだ?」
「う、ううん」
珍しく言葉を詰まらせて、首をふるふると振る。
「行こ」
宮野がそう促してきた時には、一瞬だけ伺えた動揺のような気色は消え失せていた。
思い当たった事はあったが追求はせず、宮野と並列して人で溢れかえるショッピグモールを歩き出す。
「どこに行くの?」
少し早足になっている宮野に気付き、歩調を弱める。
「あー、この人ごみじゃあな……」
どこに行っても混雑してそうだ。
俺は人ごみは嫌いではないのだが、それはそこに参加しない場合に限る。
すぐそこにある、一時間は待ちそうな行列が出来ているラーメン屋とか信じられない。味を知っている人ならともかく、初めてでそこまで並んで不味かったら精神的に大ダメージだ。まあ多分、待った分だけ苦労のスパイスが味に上乗せされるんだろうが。
「宮野の行きたいところでいい」
特に思いつかなかったので丸投げする。度量が大きいようにも聞こえるが、真実は真逆である。
「じゃあそこのラーメン屋」
なんてこった。
「嘘。浅岡君、ラーメンは好きだけど並ぶのは嫌いだもんね」
顔色で分かったのか、だったら言うなという提案だった。
並んだ時給で代金を支払えそうなラーメン屋はさておき、昼飯を食べ損ねたので方向としては間違っていない。
「何か食べるか」
「うん、お腹減った」
左にしている腕時計を見ると、午後一時前。
うだうだしていたらもうこんな時間だ。それもこれも、キリーの溢れんばかりの才能の所為だ。
しかしどうしようか。俺が適当に決めた店に入ってもいいけど、できるだけ宮野にも訊いておこう。並ぶとかなら当然却下するけど。
「宮野は何がいい? パン系?」
以前、サンドウィッチを食べていたからそう訊いてみたが、宮野の好物なんてまったく分からない。
「並ばないならなんでもいい」
まるで自分が答えているのかと錯覚する返答だった。いや、もしかして並ばなくて済むよう、俺を気遣ってくれたんだろうか?
すぐ右隣にある宮野の顔を覗き見ても、表情からそれを窺い知れそうにない。考えすぎか?
「……宮野姫、少し宜しいでしょうか?」
お伺いを立てる。何となくだが、宮野に決めて欲しくなった。
「申したい事があるならわらわの前に跪いてから述べるがいい。コータ・ド・アーサーウォーカーよ」
突然の振りにも、一息も詰まらせることなく合わせてきた。俺はそこまで考えていなかったのに、舞台設定を匂わせる名前までついている。
「はっ。このコータ・ド・アーサーウォーカー、此度の逢引きでは、姫の御意を最大限尊重したく思います」
跪いてはいないが、いかにも恭しい様を作って言う。
「そのような甘言でわらわを篭絡しようなど片腹痛い。高貴なわらわは子爵風情には荷が勝ち過ぎるぞ? その旨、心して掛かってくるがよい」
あ、俺、子爵なんだ。一応、貴族にはしてくれたようだ。
それにしても、よくそこまでペラペラと出てくるな。演技ならそんなに喋れるのか。
「ふっ、ノリがいいな、お前は」
半ば呆れ気味に空気を戻した。本当に退屈しない奴だ。
「しかし求愛とは身分に関わらず甘露なものよ。そうは思わぬか」
「も、もしもしー?」
読書家魂を触発してしまったのか、宮野がどこかに逝ってしまった。
しかしすぐに戻ってきたようで、演じていた高飛車な姫の表情を崩し、口元に手を当てて堪え切れないように吹き出した。
「あはっ」
俺が見た中では、間違いなく一番楽しそうな宮野。
そんな姿を見てしまうと、宮野の意向を最大限尊重したいと言った言葉が、あながち冗談と言い切れなくなりそうだった。