六、腹の立たない女
俺は基本的に面倒くさがり屋だ。
部屋の掃除もあまりしないし、料理などするくらいな外に食べに出るし、アドレスを訊いても自分にメリットがなければ能動的に連絡しない。
そんなものぐさだから、女は抱ければそれで良いという思考に繋がっているのだろう。恋人という形式自体が、俺には根本的に合わないのかもしれない。
一人の女に決めて付き合えば、面倒ごとが山ほど出てくる。
恋人だからこうしないといけない。恋人だからこれだけ干渉しても良い。そのエリアが憲法にでも定められているかのように、全員決まってそうする事を求めてくる。少なくとも、俺が付き合って来た女はそうだった。
用が無くてもマメにメールして。誕生日や何らかのイベント日は必ず空けておけ。バイトを休んで相手をして。常に好きだと囁いて欲しい。……etc。
何の決まり事があって、それらを我が物顔で突きつけてくるのか。それが正当なものだと言うのなら、俺は恋人なんかいらない。
体を重ねるだけの女がいればいい。風俗でもいい。両者の求めるものが明白である分、純粋だ。
一言で言えば、俺は狭量なんだろう。自分の恋人に対して、その程度すら煩わしく思うんだ。思いやりの欠片も無い。だがこれを耳当たりの良い言い方に変換すれば、たちまち純な男になる。
──俺はそれらを叶えてやりたいと思うほど、本気で好きになれる女に出会っていない。
ほら、言葉って便利だよな。
「……ちょっと、待った」
極限まで密着していたまゆの体を引き剥がす。
アパートに着いて玄関のドアを閉めた途端、まゆはその場で俺に抱きつき、情熱的なまでに唇を重ねてきた。最初はそれを成すがまま受け入れていたが、俺からストップをかけた。
「ここじゃイヤだった?」
そういう訳ではない。
「じゃあ上がろっか。このままじゃ汚れるもんね」
そういう訳でもないが、とりあえず上がるのは賛成だったので、靴を脱いでワンルームのまゆの部屋にお邪魔する。
「……相変わらず散らかってるな」
アロマテラピーと化粧品が混ざったような匂いと共に、混沌とした惨状の室内が目に入る。
六畳程度の学生アパートでは女の部屋としては狭すぎるのか、化粧品やら衣服がクローゼットに収まりきらず、生活圏にまで進出してきている。
「散らかってないよ~」
不服申し立てしてくるまゆだが、どこか弾んだ声色だ。
んー、まあそうかも。物が多いだけとも言える。
「じゃあ、一服しよっか」
気をそがれたのか、まゆはそんな提案を出してきた。
「賛成」
と言いながら、俺はベッドを背にして小さな机の前に腰を下ろした。
「コーヒーでいいよね」
「ああ、サンキュ」
まゆは冷蔵庫から缶コーヒーを二つ取り出してきて机に置いた。
色気の欠片も無いが、俺達にはこれで充分だ。
「んしょ」
当然のように俺の真横に座って、体を密着させてくるまゆ。
まゆは普通に会話する時でも、こうやって触れ合うことを好む。俺は邪魔だと感じない限り、それに対して何も言わない。
「あー、そうそう。この前の新歓でね、部長がサークルの参加者が少ないって嘆いてたよ」
まゆは楽しそうにサークルの話を振ってきた。
「ああ、それいつも言ってるな」
俺達のサークルでは、飲み会の集まりはすこぶる良好なのだが、主目的のシーズンスポーツとなると、途端に参加人数が激減する。
サーフィンとかスノーボードとか、アウトドア系は金が掛かるからそうなるのも仕方が無い。部長がいくら嘆いた所でどうにもなるまい。
「孝太も飲み専門じゃなくて、そっちにも参加してくれって言ってたよ」
「金が無いから無理」
あったらバイトして無い。あっても多分行かない。
俺がサークルに入った目的は飲みと女だ。って、そう言うとすごいダメな奴になるな。そうだけど。
「私も無理だわー。スノボーとかできんしー」
「お前、運動神経ないもんな。……ぷっ」
「ちょ、ちょっと今、何に笑ったんよ!?」
思い出して吹いてしまった。
こいつは去年、サークルで海に行った時、浮き輪を持っていてなお溺れるという伝説を残した女だ。 本人いわく、上手くつかまれなかったなどと大騒動の後に言っていたが、何をどうやったらそうなるのか、凡人の俺には永遠の謎だ。
「は、ははっ、……おなか痛い」
「な、なにさもー。それは忘れてって言ったじゃん」
「あ、イタイイタイ、ははは……」
俺の悶えぶりで何のことか分かったのか、背中を強くつまんでくる。
こいつとの付き合いは大学からだが、こういうネタ話が尽きない。
「今年の夏は避暑地を予定してるって言ってたよ」
「はあ?」
よく企画するな。性格はどうあれ、本当に部長に向いてる人だ。素直に感心するわ。
「まあ俺は行かないけど」
「え? そうなん?」
「え?」
何故そんな不思議そうに。
「孝太が行くって言うし、私も行く事にしたんだけど」
「誰がそんなことを言った!?」
「へ? 部長だけど、違うん?」
やっぱりな。訊くまでも無かったわ。
俺は飲み会にしか行かないと何度言っても、部長は懲りずに誘ってくる。時にはこうやて外堀から埋める策略を取ってくるので性質が悪い。去年の海はまさにそれに嵌った結果だった。おかげで伝説の目撃者になれたけど。
海くらいなら交通費もそんなに掛からないし、サーフィンが出来なくても遊べるが、避暑地となったら当然泊まりになるだろうから、財布に大打撃になりそうだ。たしかにちょっと面白そうだけど。
「まあまだ五月なんだし、その時が来たら決めれば良いじゃん」
「行かんけどな」
「ふ~ん。ま、どっちでもいいけどー」
興味無さそうに言い、さらに密着を強めるようしな垂れかかってくる。それがサインだと感じ取ったが、いまだその気が湧かない俺は反応しなかった。
するとふいに、メールの着信音が甘ったるい沈黙の時間を切り裂いた。
まゆに悪いと一声かけ、体を離して受信メールを確認する。それに返信はせず、携帯をズボンのポケットに押し込むと、まゆは再度同じように密着してきてぽつりと呟いた。
「ねぇ、今何人いるん?」
その問いは、何人抱くだけの女がいるのかという意味だろう。
「私は孝太含めて三人」
俺が答える前に、まゆは自己申告した。
「……なんでそんな事を訊く?」
初めての問答ではないが、今更というか、別に知る必要の無いことだ。
まゆの申告数は、以前に聞いた時より一人増えていたが、俺には関係ない。
「だってさぁ、最近相手にしてくれなくなったしー、他に一杯出来たのかなーって」
「いや、そんなことは無いけど」
本当にそんなことはない。というか、今そういう女はまゆ一人だ。
一時期、遊んでいた女達は、こっちから関係の終わりを申し出たり、連絡をしなくなって自然消滅したりで、全員いなくなったと言っていい状態だ。
気が乗らない、面倒、などのごく簡単な理由からそうなった。別れ際に修羅場になることもなく、実にあっさりしたものだった。
「奇遇だな、俺も三人だ」
俺は嘘を吐いた。それは見栄とかではなく、お前一人だけと正直に言えば、重く受け止られる可能性があるからだ。体だけの関係に、そういうのはいらない。
俺もまゆにあんただけと言われれば、少し重く感じてしまう。だから訊かないのが一番いいんだが、先に言われては仕様が無い。
「えー! ちょー少ないじゃん、どうしちゃったの? もしかして枯れそうなん? それとも一人にハマッてるとか?」
「…………」
俺は週七日ヤッてないと死ぬ男なのかよ。俺が息子で息子が俺なのかよ。
理由なんか無いけど、そんな気が失せたんだよ、悪いか?
「こ、こーた? 顔が怖いよ?」
「……とうっ!」
「わぁっ」
まゆの両の手首を掴み、床に押し付けるように上から覆いかぶさる。
まったく力を込めず、かなりスローな動きだったので、強引というか誘導に近い。まゆは抵抗を欠片も見せず、ポテリと床に背をつけた。
「きゃー、おーかーさーれーるー」
う、嬉しそうだ。演技にやる気が感じられない。
「ここで残念なお知らせです」
「なんでちょー」
唇を尖らすな。足を絡めてくるな。
「……悪い。バイトが入ったんだ」
「…………はあ?」
ルンルン気分全開だった顔色が一瞬で様変わりした。ヤンキー顔負けのガン付けである。
さっきのメールはバイト先のマスターからで、今日遅番のバイトが病欠で休むらしく、変わりに出て欲しいというヘルプメールだった。出られるようなら三十分以内に返信をくれとのこと。
直接電話してこなかったのは、メールを返せないような状況なら別に構わない、というマスターの心配りだ。そんな風に気遣われると、嫌でも行く気にさせられる。
「マジで言ってんの?」
「……ご、ごめん」
只ならぬ怒気に圧倒されるが、それも当然だ。ここまで来ておいて肩透かしにもほどがある。
「もー、分かったわよぉ、あほー」
軽く押し付けていた手を開放すると、まゆは起き上がって乱れていた髪や衣服を直した。
こういう関係では極力、互いに干渉してはいけないというのが暗黙の決まり事だ。だが俺のドタキャンは、ルール違反ではないがマナー違反に相当する。行為が終わった後なら、まゆも何ら不快に感じることはなかっただろう。
「早く帰れ。んで死ね」
「……ひでぇ」
「じょーだんよ、また今度ね」
不満一杯だった表情を消し、気に病まないよう送り出してくれる。
こういう関係性を断ってきた中、まゆだけが残っているのは、この性格が大きいのかもしれない。
「ほんと悪い。今度なにか奢るから」
玄関で靴を履きながら、見送ってくれるまゆに謝る。
「じゃあ駅前に最近出来たフレンチレストランね」
「……俺のこれからの行動を無にするつもりか?」
それどころかバイト三日分くらい飛ぶ。
「うそうそ、じゃあね」
「ああ」
最後にもう一度謝って玄関のドアを閉める。
「っと、急がないとな」
携帯を取り出して、マスターに返信メールを打ちながら足を進める。
まゆのアパートを離れる際一度だけ零れた溜息は、バイトに駆り出される憂鬱が発露に違いない。