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三、新歓コンパの少年


 そろそろお開きかな。

 携帯電話で時刻を確認すると、午後の十時前。

 例年通りの盛り上がりを見せた新入生歓迎コンパは、過度のアルコール摂取の為に収束を見せてきている。中にはまだ元気一杯の奴も居て、二次会の計画を立てている会話が聞こえてくるが、俺は帰る気満々だった。

 去年、一昨年からすれば考えられない優等生ぶりに、自分の変化を認識できる。こうして隅のほうで静かに飲んでいる事もそうだが、以前の自分から比べれば本当に大人しい。

 それらに明白な理由は見当たらないけども、只単純に気が乗らないから、そうするのが楽だからそうしているだけの話だ。だから特段、不思議にも思わない。嗜好が変わっただけなんだろう。

「……んん」

 壁に寄りかかった宮野が時折喉を鳴らす。相変わらず、ちまりと俺の服の裾をつまんだままだ。

 宮野が潰れてからずっとその様子を伺っているが、苦しいのかそうでないのかいまいち判断つきかねる。

 こいつの家、たしかあの辺だったよな。男が送っても大丈夫なんだろうか、親御さん的に。

「こーたー」

「ん?」

 宮野を送り届ける算段を立てていると、まゆが机を挟んだ対面に座ってくる。

 昼に会った時とは服が違う。より胸元を強調した派手な衣服で、アイラインや口紅も普段より濃いように見える。居酒屋の薄暗い照明に合わせてきたんだろうか。その辺りは女で無い俺にはよく分からない。

「え、もしかしてずっとここにいたん?」

「そうだけど」

「ええー、マジー? いつからジミーズになったのよー、うけるー」

 机をバンバン叩いてケタケタと笑い出す。化粧が濃くて一見素面に見えるが、確実に酔ってるな。

「みやのんじゃん、潰れたの?」

 笑いが峠を越えたのか、ようやく俺の隣にいる宮野に気付く。

「ああ。俺が潰しちまってな」

「まさかそれで看護してんの?」

「まあそんな感じだが」

 何故そんな意外そうなんだ。いや、自分でも似合わないと思うけど。

「ええー、孝太ってみやのんみたいなタイプもオッケーだったのぉ?」

「…………」

 こいつは何故そういう下世話な考えしか……いや、俺の普段の行いがそうさせているんだろうけども。

「それよりもさ、二次会はどこがいい? 今皆で決めてるんだけどさぁ」

「おい、勝手に参加者に数えるなよ。俺はいかないぞ」 

「何それ? ノリわるー……。本当にみやのんとしけこむ気なの?」

 こいつの中で俺のキャラはどうなってるんだ。下半身で生きているとでも言いたげだ。うん、全否定はできないな。

「そういうことなら……私、今日大丈夫だよ」

 ぐいっと乗り出してきて耳元で囁き、机に置いている俺の手に、手を重ねてくる。金茶でふわふわなセミロングの髪が鼻先に触れ、首元からきつめの香水の匂いが漂ってくる。

 まゆの隙の無い容姿とその妖艶さで、欲望が湧き上がらせない男はいないだろう。

「別に二次会とかどうでもいいし」

 熱い吐息が耳に当たり、背筋がぞくりとした。

「……いや、今日はいい」

「あれ、気分じゃなかった?」

 まゆは特に気分を害した様子もなく言う。

 体だけの関係は、互いの合意というルールがある。女によってはここで不機嫌になる奴もいるが、まゆに関して言えばそれはない。お門違いの嫉妬もしないし、今までで一番波長が合う女なのは間違いない。

「宮野を送ってやらないとな。めんどくさいけど」

 眠っている宮野を一瞥して言う。

「あー、今日はみやのんの気分だったかー、じゃあしゃあないね」

「……お前の明け透けさは嫌いじゃないが、話を聞かない所はどうにかしてくれ」 

 下方面は自業自得と受け入れるから。

「……なんか、えらく優しいじゃん」

「俺が潰したんだから当たり前だろ。そうでなくても俺優しいし」

「ふ~ん、似合わないの」

 微かだが機嫌を損ねたのか。残っているフライドポテトをつまらなそうにつまみだす。  

「俺、優しいし」

 もう一度それを強調した。

「私が潰れた時に送ってくれた事あったっけ?」

「……いいえ」 

 無かった。いや、お前なら大丈夫かと思ってさ。

 というかお前が潰れた記憶がない。いや、あったか……な?

「まあいいや、じゃあね」

「おう、またな」 

 パッと表情を明るくして手を振り、二次会の為に集まっている奴らの所に歩いていく。「えー、孝太こねーの?」という声が湧き、非難がましい視線を向けられたが、悪いと手振りして収めた。

 今度は参加しようと思うが、それも今だけの気持ちなんでどうなるか分からない。

「ん、んん……」

「お。起きたか、宮野」

 頼りにしていた壁から体を起こし、重そうな瞼を頑張って開けている。

 真っ赤だった顔色が青く様変わりしており、嫌な未来を予感させる傾向だった。 

「お、おい、大丈夫か?」

 定まらない頭が俺の肩に着地した。

 宮野の細い体を支えた手に、垂れ下がったロングストレートの髪が乗ってくる。

「ふ、っかちゅした。……へへ」

 くたりと俺に体を預けて、胸元でぼそりと言う。顔は見えないがどや声だ。

 いや、ふっかちゅしてねーから。これっぽちもしてねーから。ちょっと面白いな、こいつ。

「ほら、水飲め」

「ん……、ありがと」

 あらかじめ水を汲んでいたコップを手渡すと、覚束ない手つきで口元に持っていく。

 一瞬、酒を渡してやろうかなと悪戯心が湧き上がったが、流石に自重しておいた。   

「……やっぱりな」

 深く嘆息した。まあ予想はしていたが、それ以上に零しまくりである。

 口に着ける筈のコップが明らかに目標を見失っており、受け止められない水が口端から流れ落ちていく。それがまたかなりの量で、首筋から胸元まで川のごとき勢いだ。ああ、服が……。

「ぷはぁ」

「ぷはぁ、じゃねーよ。子供か」 

 まあ酔っ払いなんて子供みたいなもんだ。

「こっち向け」

「んぅ?」

 んぅ、でもねーよ。

 新しいおしぼりを袋から取り出し、零れた水を拭いてやる。口元から首筋、濡れた服へと。

「………」

 胸元は知らん、自分で拭け。

 その間、宮野は俺にされるがままぼーっとしていた。虚ろな瞳がどこを見ているのかといえば、多分夢の国あたりだろう。

 酔っ払いの世話をする機会は結構あるが、ここまで親身になったことはない。特に女の世話をする場合は下心ありきでそうしていたから、親切とは程遠い。

 それでなのかどうなのか、抱かないようにしようと思っていた感情が、習慣のように湧き上がって来る。

「……怒った?」

 宮野が小首を傾げて、眉根をひそめている俺を見ていた。少し前にかがめば、うるんだ唇に届く近さで。

「怒ってないけど……」

「けど?」

「……なんでも」

 お前が無防備すぎて腹が立った。

 俺が珍しく下心なしで世話してやってるのに、それを自ら台無しにしようとする。宮野じゃなければもう連れ出している所だ。自分の地味さに感謝するんだな。

 声に出さなくて正解だった。めちゃくちゃ勝手なことを言ってるな、俺。

「お、ちょっと顔色が良くなったな」

「そうかな」

 大分持ち直したようで、青かった顔に血色が戻りつつある。

 宮野も酔いが醒めていくのを自覚したのか、居住まいを元の通りに正す。まだちょっとふらついてるけど。

 これで送らなくても大丈夫かな、と胸を撫で下ろしていると。

「……おいこら」

 宮野の不穏な手の動きを察知し、その細い手首をがしりと掴んだ。そして宮野の目的物、残っていたカルアミルクのグラスを逆の手で取り上げる。

「あ、あー、私のカルアミルク……」

 とても残念そうな声色で、遠ざかる白い液体に手を伸ばしてくる。しかしスクリーンアウトで阻止。

 これ以上はお母さんが許しません。正直に言うと送るのが面倒なのです。

「……けち」

 拗ねた。

 カルアミルクのグラスを更に遠ざける。

「飲んだら乗るな」

「私、電車……」

 うん、同じ地元民だからそうだと思ってた。単に言いたかっただけだ。

「電車だろうがなんだろうが、これ以上はダメだ」

「えー」

 こいつ、酔ったら我侭になるタイプか。それともこれが素なのか。

 珍しく表情が動くから面白いけど、その分厄介だ。

「大丈夫なのに……」

「酔っ払いの大丈夫は都市伝説」

「同じ駅だし……」    

「………」

 もしかして俺の送迎を当てにしているのか?

 同じ駅なのは知っていたけど、既に送る気が失せているからこれ以上飲まれると困る。

「メール消してあげたのに……」

 こ、このやろ。大人しそうな顔して人の弱みにつけこみやがって。

「わ、分かった、送るから」

「……送るの?」

 なんで疑問系なんだよ。そう誘導したかったんじゃないのか。こいつまだ酔ってるな。

「じゃあ、はい」

 カルアミルクを寄越せと手を出してくる。

「だが断る」

「えー、なんでー?」

 ほろ酔いの奴と潰れた奴。どっちを送りたいかと言えば、考えるまでもなく前者だからだ。 

「……分かった。もうやめとく」

 不満そうではあったが、聞き分けよく納得してくれる。「ごめんね」と一言添えて。

 酔いは随分醒めたようで、普段通りの表情が乏しい顔つきになっていた。

「今日は悪かったな。その、色々と」

 束の間の悪くない沈黙の後、俺から切り出した。

 ちょっと照れくさい。こんな風に正面きって謝るのは酒の席でないと無理だ。

 謝ったのは、携帯を強奪したことから、俺の酒に付き合ってくれたことまでの色々について。

「ううん」

「まあそう言うだろうと思ってたけど」

「うん」

 その返答も予想通りだ。

 何というか、俺の想像以上に良い子すぎるな、この子は。

 俺の事なんか放っといて、ジミーズの誰かと好きに飲んでいれば良いのに、無理してキツイ酒にも付き合ってくれた。

「……宮野」

「なに?」

「酔いが醒めたならもう俺に付き合わなくてもいいよ。今日はずっとここにいるだろ。二次会があるかもしれないし、今からでも友達の所に行ってきな」 

 宮野を子供のように危うく感じたので、同い年なのにそんな口調になってしまった。

 今日話してみて改めて得心したが、こいつは俺が傍にいていい女ではない。地味でも何でもいいから、ジミーズと一緒にいて、図書館で小説を読んでいて欲しい。勝手だとは思うが、願いにも似たそんな感想を抱いた。

「ううん、ここにいる」

「え?」

「いたらダメ?」

 胸元まである黒髪を後ろにやり、下から覗き込むように潤んだ瞳で見上げてくる。  

「……あのなぁ」

 今、確信した。こいつはいずれ絶対、悪い男に引っ掛かる。例えば俺のような、って違う。

 俺以上に節操の無い、遊んでいい女とダメな女の区別をつけない男にだ。

「なんだお前は。天然か? それともワザとか?」

「何が?」

 心底分かって無い風である。

「天然ですね。わかりました」

 はい君の未来は確定です。まだ引っ掛かった事はないだろうが、それも時間の問題。捨てられて泣いている姿が目に浮かぶ。希望があるとすれば、その前に誠実な男と出会うくらいしかない。

「いいか宮野。そんな風に男に色目を使ったらダメだ」

 俺はお父さんに移行した。

「そんな風って?」

 自覚してないって一番性質が悪い。こいつモテていたら絶対女に嫌われてるな。

「私、浅岡君に色目使ってたかな……」

 その髪を弄っている仕草が今まさにアウト。

 酒の所為もあるんだろうけども、女たる者もう少し気をつけねばいかん。どげんかせんといかん。

「お前は自覚が無いかもしれないが、仕草とか言葉とか、特に酒の席ではそういうことに注意しないと……って、どした?」

 腕を組み、昭和の頑固親父ぶって諭していると、宮野がまじまじと俺の顔を見ていた。少し目を見開いて驚いたような表情だ。そしてぽつりと一言。

「浅岡君がそんなこと言うんだ」

「がはっ」

 棚上げここに極まれり。お前が言うなと言ったも同然のツッコミで、心臓が握りつぶされたように軋んだ。

「れ、例のメール見たのか? そりゃ見てるよな……」

「うん。みっちゃんが見せてくれた」 

 みっちゃんが誰だか知らないが、俺がヤリチ○だというのは伝わっているらしい。それよりも以前に、宮野の耳に入っていてもおかしくないけど。

 ということは、さっきの「メール消してあげた」なんて脅しは、既知の上でのことだったのか。

「お前、中々いい性格してるな」

「ふふ、ごめんね」

 宮野の笑顔を見るのは二度目だった。

 少しずつ心を開いてくれていることが、可愛らしい悪戯とはにかんだ微笑みから感じ取れたが、俺はどうにも居心地が悪くなった。

「……ふん」

 だから一度目と同じように、笑うなという意図を込めて悪態をつく。それも宮野には通じなかったが。

「……じゃあ、俺と帰ることがどういうことか分かってるだろ」

「送り狼?」

 脅してみたがまったく動じずに返してくる。

 この子、本格的にダメだ。今日の帰り道に拾われてもおかしくない。

「そうだ。このままだとお前はホテルに連れ込まれることになる。それでもいいのか?」

 そんな気は欠片も無いのだが、宮野の拒絶を聞きたいが為に攻勢を緩めない。

 送るのが面倒だったのもあるが、それ以上に何もせず送り届ける自信が持てない。だから俺はこうやって危機感を煽っているのだと思っていたが、それはまったくの間違いだった。言うなればこれは、確認のような行動だった。

「いいよ。連れ込んでも」

 宮野は俺が見た中で最も平坦な表情で、あっさりと情事の誘いを受け入れた。

 今まで遊んできたどの女よりも恥じらわず、こなれた風俗嬢よりも事務的に。

 酔いの失言ではないと言いたげに、今まで揺れていた瞳は定まっている。

「ふふ、じょーだん」

 宮野はふわりと笑って言った。

「………いや、知ってる」

 知ってるが、俺は別の意味で一人勝手に気を病んだ。

 一瞬だけ囚われた──宮野は俺に好意を寄せているかもしれない、なんて過剰な自意識は今どうでもいいし、真実そうであったとしてもやはりどうでもいい。興味も湧かない。

 しかしにも関わらず、ふいに宮野が軽い女かもしれないと頭に過ぎっただけで、俺は宮野に失望しそうになった。そして宮野の口から冗談だと聞いた途端、安堵する自分をはっきりと捉えた。

「はっ、はは、……アホくさ」

 自嘲気味の笑いが口から零れていく。

 俺の宮野に対する人物像は、俺が勝手に作り上げていた妄想の産物に相違ない。

 既に汚れているかもしれないのに、清廉潔白であって欲しいなどと、清純で売るアイドルを妄信するように。

「あ、私の」

 七割は残っていた宮野のカルアミルクを一気にあおり、空いたグラスをタン──ッと机に叩きつけるように置いた。

「あっま……」

 男の勝手な独占欲と、非現実な理想は本当に救えない。


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