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一、何処にでもあったきっかけの内の一つ


 大学の学食横に設置されているベンチが俺のお気に入りの場所だ。

 ここにこうやって座っているだけで、年代の近い様々な学生が目の前を通り過ぎていく。俺は何をするでもなく、それをぼーっと眺めるのが好きだ。

 大抵の者は友人同士でツルみ、趣味の話だか、恋愛の話だかで盛り上がっており、決まったように喜色を浮かべている。それがまるで今のうちに人生を謳歌しておけといった風な、諦めのように感じられるのは俺の気のせいではないだろう。

 時折こういう世知辛い話も聞こえてくる。恐らく四年生だ。

「佐藤先輩、三十社くらい面接受けて全部落ちたらしいぜ。それでやっと受かったと思ったら、毎日終電コースのブラック企業だってよ。しかもサービス残業」

「やっぱりどこも厳しいよな……」

 俺ももう今年から三年生なので、そろそろ就職のことを考えなければならない。後二年もすれば大学を卒業し、学歴相応の中小企業に就職して、希望を見出せない不況社会の歯車になるのは確定的だ。

 だから今のうちに楽しもうとしている彼らの気持ちは痛いほど理解できる。

 ああ、つまんないよな、現実なんて。

 高齢の世代を支える為に安い給与で固定。一度でも仕事を辞めようものなら、受け入れ先は限定的。どうせ俺たちの世代で年金は貰えない。不況をほったらかして茶番に腐心する政治屋ども。

 この場所にいれば、そんなやり場の無い厭世えんせい的な感情を共有できる気がするんだ。

「………お」

 今日もその姿を見かけた。

 俺と対角線上のベンチに腰を下ろし、小説を読んでいる一人の女学生。相変わらず、そこら辺を歩いている垢抜けた女と違って地味だ。

 彼女の名前は知っている。学部は知っている。何のサークルに入っているかも知っている。出身校も知っている。どこに住んでいるかもおおよそ知っている。小、中、高と一緒で、大学もサークルも同じだからだ。

 だが話したことは無い。別に話したいとも思っていない。

 こうやって目に止まり出したのは最近からなのだが、それからは学部も違うのに見ない日が無いくらいだ。しかしそれで何かの接点が生まれるとは思えない。俺と彼女は対極の存在だろうから。

「わぁ!」

「うお」

 ドサリと誰かが背中に圧し掛かってくる。その際、きつめの香水の匂いが鼻をついた。

「何やってんのー、またお得意の人間観察? くっらーい」

「まゆか……。びっくりさせるなよ」 

 佐島真由子さじままゆこ。俺と同学年で同じサークルなのでよく話している女だ。まあ何時からか、それだけではなくなってしまったけれど。

「暗いとは何て言い草だ。俺はこうやって世の流れを見るのが好きなんだよ」   

「にっあわねーの。しかもちょーせまい世の中」

「ほっとけ。つか重い、どけ」

「重いってなによー、そんなこと言うからどいてやんない」

 後ろから首に手を回し、グイグイと圧力を強めてくる。豊満な胸がつぶれている感触がなんともごちそうさまだが、ふわふわした髪が顔に当たって痒い。やっぱりどけ。

孝太こうたは今日の新歓コンパ、もちろん行くよね?」

「え? あー、どうしようか迷ってる」

「はあーーっ!? ヤリチ○孝太がコンパと名がつくものに行かないなんて嘘でしょー」

「………」

 なんて事をなんてデカイ声で公言するんだこの女は。まあ、あまり間違っていない……というか正解だが、最近そっち方面に気が乗らないんだよな、何故か。

「もしかして熱でもあるの? あっ、さてはついに病気もらったわね! やだー!」

 と大声で叫んで、バッと逃げるように俺から離れる。周りの視線の量が増えたのは気のせいじゃない。

「お前……。少し、黙ろうか?」

「じ、ジョーダンだって、ジョーダン。だって孝太が持ってるなら私もじゃん。そんなに怒らないでよ」

「………」

 やっぱり殴りたい、この恥じらいの無いギャル。

「……とにかく、まだ行くかどうか分からん」 

 俺たちのサークルの新入生歓迎コンパは、毎年の恒例行事だ。強制ではないけれど、顔を出した限りではほぼ全員と見受けられる数が集まっている。

 サークルの人数は今年の新入生で三桁の大台に乗り、かなり規模のでかい集まりだが、活動趣旨は無いに等しい。シーズンに合ったスポーツをするという一応の決め事はあるのだが、各自好き好きにやっている。どこの大学にでもありそうな、いわゆるお遊びサークルってやつだ。

「たしか孝太そっちも講義は午前で終わりだよね。だったら一緒に帰ろ」

「悪い。俺はこれから大学の図書館に行く。またな」

「はあ? 何の冗談?」

 まったく信じていないまゆを置いて、図書館に足を向ける。その際、チラリと対角線上のベンチを一瞥したが、そこにはもう誰も座っていなかった。  




 大学にある図書館は、俺の第二のお気に入りの場所だ。俗世から隔離されたような雰囲気がどうにも病みつきになる。

「びみょうだ……」

 今流行のライトノベルを流し読んではみたが、そんな感想しか出てこなかった。

 同じ学部の奴に勧められてからライトノベルを読む機会が多くなったが、最初こそは面白くて夢中になったものの、今ではどれを読んでも途中で辟易している。

 そもそも俺は読書を趣味とする人間ではない。図書館ここに滞在できればなんでも良いんだ。

 今日は気が乗ったので耳にしていたライトノベルを読んでみたのだが、やはり以前のようには没頭できない。

 これはもう置いといて、携帯でも弄っていよう。

 ────。

 よお、さっきぶりだな。

 机を挟んで斜め前に座ろうとする女性に、危うくそう言ってしまいそうだった。

 彼女は音を立てないよう椅子を引いてふわりと腰掛けると、長いストレートの黒髪がぱらりと机に落ちた。手に持っている本は、おそらく純文学だろう。

 手元の携帯を見ていたので目端にしかそれらが映らなかったが、その清楚な所作と艶のある流麗な黒髪で、彼女が誰なのかおおよそ言い当てられる。

「……んん」

 病的なまでに白い手を口元に当てて咳払い。ここまでくれば、もう完璧だ。

 俺の斜め前に座った女性は、小学校から大学、果ては所属しているサークルまで同じ、だが一度も話したことがない宮野文みやのふみだ。

 読書前の咳払いは彼女の癖。

 それが分かってしまうほど、宮野とは鉢合わせる機会が増えた。

 俺がこの図書館に来るようになって約三ヶ月。とは言っても、週に二三度のことなので、それほど頻繁に来ている訳ではないのだが、その内の七割は宮野の姿を見かける。

 最初の頃は気付かなかっただけで、多分いつも居たんだろう。

 宮野はあまり着飾らず、文学少女を地でいっているので俺の目を惹かない。ブランドもののバッグや服、流行の髪型、化粧、香水などで飾っているまゆとは真逆の女だ。

 以前の俺は、宮野の格好などどうでもよかった。そこに座っていることすら意識の外だったと言っていい。

 いつからその姿を細部まで見るようになったのか。それは判然としないが、ここ最近、俺は確かに宮野を意識している。

「…………」

 視線は携帯の液晶画面に向けているが、視界の隅に入ってくる、ページを捲る白魚のような手に意識を引っ張られてしまう。

 自分の行動を振り返ると恋する乙女のようだが、それはまったく違うと断言できる。

 俺は純情とは程遠く、愛が無くとも女を抱ける男だ。

 一時期より減ったものの、現在いまも体を重ねるだけの女がいる。それは騙しているのではなく、互いの合意の下にそうなっているのだから、罪悪感などまったく感じていない。

 一人の女性に決めて付き合った事もあったが、いちいち干渉されるのがどうにも性に合わなかった。だから女との付き合いは、性処理以上の価値を見出せない。そして俺はそれで満足している。

 しかし、宮野は違うだろう。    

 小学校の頃から目立たず、成績と素行は常に花まる。友達はいるようだが総じて地味だ。いつも静かで、はしゃいでいる姿など見たことが無い。

 まさに清廉潔白に生きてきた女。俺とは貞操観念のギャップどころか、今読んでいるその純文学すら遠い彼方の価値観だ。

 だから同じ学校だろうが、同じサークルだろうが絡んだことが無い。

 俺と宮野は、性別以上に遠い存在だ。

「おわっ!?」

 携帯電話が手の中でぶるぶると震える。

 画面は見ていたのに意識が吹っ飛んでいたので、完全に虚を突かれた。

 あ、どうも。お騒がせしました。集まっていた視線に気付いて頭を下げる。

 くそ、恥かしい。図書館に来る前に設定したバイブ機能を、自分で台無しにしてしまった。

「ふふ……」

 ふと斜め前に目をやると、宮野が口元に手を当てて上品に笑っていた。

 おお、こいつも笑うんだな。と感心したが、よく考えなくても笑われているのは俺だった。

「フン」

 と少し不機嫌な様を作り、笑うなと抗議する。しかし宮野には通じず、そのまま声を出さずに笑い続けている。その笑いは馬鹿にしているという風ではなく、子供に向けるような温かみのある笑いだった。

「…………」

 こういう生温い空気は座りが悪い。どうしていいか分からなくなる。

 もう無視して届いたメールを確認しよう。


『サークルの皆さんへ。 今日の午後七時より、指定の居酒屋で新入生歓迎コンパを開催します。二年生以上は強制参加!(うそ) 新入生もなるべく参加してね! 地図は下記のURLから参照してくれい。 PS. 女子はお持ち帰りされないよう、浅岡孝太あさおかこうたには気をつけてね』


 あっはっは。名指しでヤリチ○とか言われてる奴かわいそー。

「って俺だよ!」

 携帯電話に突っ込んだ。それはもう全力で。危うくぶん投げそうだった。

 あ、また騒いだりしてすみません。っていや、行儀正しく謝っている場合じゃないぞ。このメールは俺だけじゃなく、サークルに所属している約三桁の人間に送信されているんだ。

 こんなことする奴は、というか全員のアドレスを把握しているのは部長しか居ない。

 あ、あのやろー、四年なんだからさっさと引退しやがれ。

「……はっ!」

 宮野が鞄から取り出した携帯を見ている。

 タイミング的に、同じサークル的に、このメール以外ない。

「あ」

 反射的に宮野の手から携帯をひったくる。

 そんな事はまったく想定していなかったのだろう、取られてしばらくしても呆然としたままだ。

 ああ、俺も想定していなかったさ。

「……メール、見た?」

「ううん。まだ」

 話したこともない男の携帯電話強奪事件に動じることも無く、宮野は普通に返答してくれる。

 俺自身、大胆を通り越した行動だと理解しているが、やってしまったものは取り消せない。こうなれば開き直って前に進もう。

「あのさ、多分今のメールはサークルからだと思うんだ」

「うん、そうだった」

 既にタイトルは見ていたようだ。

「新歓コンパの場所と時間の通知なんだけど、酔々《よいよい》っていう居酒屋知ってるか? 駅前にある」

「知ってる」

「そこに七時集合って書いてあった。内容はそれだけだ」

「そうなんだ」

「……」

「……」

 淡々。まさに淡々であった。

 宮野は終始、表情の無い表情でオウム返しのように返答する。

 脅えや不快感を出す訳でもなく、携帯かえせと憤る訳でもない。明らかに俺より落ち着いている。何を考えているのかこの女は。

「……お願いがあるんだが」

「うん」

「このメール、読まずに消してくれないか? 理由は訊かないで欲しい」

 勝手な頼みをしているのは重々承知だ。

 流石に人の携帯を勝手に操作する訳にはいかないので、宮野が嫌と言えば引き下がるしかない。

「いいよ」 

「え、ほんとに?」

「うん」

 宮野は俺の手から携帯を取ると、間を置かずにメールを消して「これでいい?」とばかりに見せてくる。

「お、おう。ありがとな」

「ううん」

 ふるふると首を振る宮野。怒ってはいないように見えるが、表情が乏しいので判断つきかねる。

 まあメールを見られなかっただけよしとしよう。少しほっとした。

 俺が節操無しというのはかなり周知の事で、今更な話だ。だから別に宮野に知られても何でもないのだが、それを目の前でというのは何か見ていられなかった。

 真白のウェディングドレスにコーヒーを零してしまうような、見事な風景画に落書きするような、そんな勿体無さ感じてしまう。

「じゃあな」

 宮野に別れを告げて立ち上がる。流石にこれ以上留まる気はしなかった。

「うん、また後で」

「……え?」    

 なにがだ? 何か約束とかしたっけ。いや、そんなことは無かった。

 立ち止まって宮野のほうを見ると。 

「新歓コンパ」

 そんな事もあったなぁと思い出した。

「あ、いや。俺行かないし」

「なんで?」

 いや、なんでって。メールであんなこと暴露されて、のこのこ冷やかされに行くなんて重度のM気質だろう。

「…………」 

 とは言えなかった。それを言ったらメールの内容を言ったも同然である。

「えっと、用事があるから」

 俺は方向転換した。

「行けないじゃなくて行かないって言ってた」

 あっさり行き止まりになった。

 中々鋭い奴だ、というかこいつは純文学嗜好者だった。俺の貧弱な語彙では太刀打ちできそうにない。頭も良いらしいし、こんな大学に来たのが不思議なくらいだ。まあ家が近いからだろうけど。

「行きたくないからだ。理由は言わん」

 開き直って直球を投げた。

「メール消してあげた」

 失投だった。押し出しで長い投手戦に決着である。

 何だこいつは。もしかして俺に来て欲しいのか? 今まで話したこともないのに、俺が行ったところで何がある訳でも無し。それとも只からかっているだけなんだろうか。それにしては張り付いたように表情が動かない。

「と、とにかく、行かないから」

「あ……」

 宮野を振り切って図書館を出て行く。

 少し悪い事をしたような気がするが、俺の決意は固い。どうせ居酒屋に入った瞬間、「ヤリチ○きたー!」とか悪乗りした酔っ払いどもに絡まれるんだ。

 そもそも最初からあまり気乗りしていなかった。コンパなんて大学に入りたての頃は毎週のように行っていたが、最近はもう面倒になってきている。そろそろ女遊びも打ち止めかな、なんて思ってたくらいだ。

 これも良い機会かもしれない。今日から俺は硬派を目指す。……なんて言ってはみたものの、人はそう簡単には変わらないよな。 


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