第二話「竹取物語」
全部フィクションです 全部関係ありません
青く澄んだ空に向かってノビノビ育った竹が、辺り一面を覆い尽くしている。風の流れに沿って体を右に左に揺らす姿は、それ自体一つの絵のようで、普段自然から離れて暮らす身には、とても神秘的な物として映った。
「へぇ、僕はおじいさん役か」
丁寧に畳まれた渋い色の衣装。傍らにはご丁寧に白髭とかつらが置かれていた。
弟の僕にあそこまでやり込められたのがよほど悔しかったのか、姉さん僕の手を借りずとも、きちんと準備をやり遂げていた。しいてあげるなら、着替えが車中である事ぐらいだが、そこまで言ってしまうのは酷というものだろう。
着替えをすませ車から出てきた僕を見て、姉さんが満足げに笑った。
「はっはっはっ、サイズ、ぴったりだな。すごいぞ、私」
「ほんとだね。僕もびっくりした。姉さん、やればできるじゃないか」
「いやいや、褒めるな褒めるな。私なんかよりも、大和の方がすげえよ。前の衣装といい、この衣装といい。何着せても似合うもんなあ」
姉さん鼻が高いぞ、と僕の肩をばしばし叩いてくる。前回の仮装大会みたいな衣装や、今回のおじいさんの衣装が似合うっていうのは素直に喜んではいけない気もするけど、姉さんだって悪気がある訳じゃなし、僕も褒められて悪い気はしないぞ。
「どうしたんだよ、姉さんがお世辞なんて珍しいなあ」
「写真写りの神様に愛された男っているんだなあ。ほら、どの角度から見ても完璧なイケメンだ」
そう言って、姉さんはカメラを覗きながら僕の周りをぐるぐると歩き回る。
「ははは、本当にどうしたの?そんなに褒めても何もでないよ」
「・・・えっ」
直前まで散歩用のリードを首輪につないだ時の犬みたいなテンションだった姉さんが、ぴたりと足を止めた。
手足をわなわなと震わせ、視線が空中を彷徨っている。
「・・・姉さん、正直に言って。何をしたの」
「その衣装、後払い・・・。私、お金ない・・・どうしよう、大和ぉ」
姉さんは両手を僕の肩にかけ、がちがちと歯を振るわせた。
「どうしようどうしよう、早く逃げないと。どこか、人里離れた山奥に」
「落ち着いて、姉さん」
「もしかして私、豚箱?臭い飯?豚臭い飯?」
「最後のはよく分からないけど、大丈夫だから。衣装の代金なら、積み立てたお金が会社にきちんとあるから」
「・・・ほんとに?」
この世の終わりを覗いたような顔色だった姉さんは、その言葉でいっきに血の気が戻り、ふぅーと深く息を吐き出した。安堵の表情を浮かべ、「なんだよ、驚いて損した」なんて言って、笑っている。
しかし僕には見過ごせない懸案が一つあった。
「姉さん、僕に払わせようとしてたでしょ」
「いや、全然」
「姉さん、嘘をついたらもっと馬鹿になるよ」
「ぐっ・・・」
姉さんはすでに大勢が認める馬鹿のくせに、これ以上馬鹿になることを極端に嫌がっている。本人にしか分からない、馬鹿の度合いというものが存在するのかもしれないが、正直僕には分からないし、興味がない。いつの日か発明されるかもしれない馬鹿のものさしを、首を長くして待っているよりは、こうして今眉間にしわを寄せ、額に汗をにじませながら苦しむ姉さんの姿を見ていた方が、いくらか疲れもとれるというものだ。
「さあ、どっち?」
このように追い詰められた姉さんは、その後の行動パターンが二種類に分かれる。まずパターン1。
「ごめんなさい。嘘つきばしたああああ」
と号泣しながら謝るパターン。
パターン2。
「うるせえ、しるかああああ」
と逆切れし、暴力に訴えて事をうやむやにするパターン。
さて、今回はどちらを選・・・グフッ・・・。
姉さんと僕、そして登場はまだ先であるにも関わらず何故かついてきたかぐやの三人で竹藪の奥へ奥へと突き進んでいく。
「おい、大和。笹だらけだ。食ってみろよ」
姉さんは地面に無数に落ちている笹の葉を適当に拾い上げ、僕に向かって投げる。それを難なく避けた僕が、まだ枝についている笹の葉を一枚もぎり、言った。
「四六時中ゴロゴロしてる姉さんの方がパンダに近いでしょ。ほら、今なら食べ放題だよ。姉さん好きだよね?食べ放題」
「・・・お前の顔にあざをつけてパンダみたいにしてやろうか?」
「ごめんなさい」
姉さんは自分に非のない時の口喧嘩がめっぽう強い。というより最後には口喧嘩から脅しに変わる訳だから、それはもう勝てたためしがないし、勝てるはずがない。
「ぷふっ」
それを聞いていた、少し後ろを歩くかぐやが思わず噴き出した。
「・・・何笑ってんだよ」
「あっ・・・えと、・・・ごめんなさい」
かぐやは小さな声で謝り、顔を曇らせた。語尾の方は少しだけ声が震えていた。
「馬鹿、仲良くしろって言ったろ」
そういって姉さんは僕の頭をこずく。
気まずい空気のまま歩き続け、ちょうどいい具合に竹が間引かれた場所に出ると、そこで姉さんが足を止めた。
「よーし、ここいらでいいだろう。うひゃー、たっかいなー」
姉さんは一際背の高い竹のてっぺんを見ようと、ひっくり返りそうになるくらい首を傾けた。
「ここではどんなシーンを撮るの?」
「えっとなー」
背負っていた登山家御用達のリュックサックを地面に下ろし、あれでもないこれでもないと中から物を取り出していく。ピッケルや飯盒が積みあがっていくのを、一体この人はどんな秘境に向かうつもりで準備してきたのだろうという目で眺める僕。ようやく最後になって出てきた台本は、並み居るサバイバルセットの中で揉みくちゃにされ、ぐしゃぐしゃの状態になっていた。
「竹を切るおじいさんと光る竹。それと竹の中に赤ちゃんを見つけるシーンだな」
姉さんはホッチキスの取れかけた台本を閉じると、またリュックにしまうついでに、棒状の物を二本取り出した。
「後で竹を真っ二つにするのに必要なのこぎりと、これは撮影で使う鉈だ。ほら、構えろ。さっさと撮っちまうぞ」
「へぇ、鉈なんて初めて見た」
隣ののこぎりに比べ、気持ち心もとない感じのする鉈を持ち上げると、刃先についたカバーを外し、少しだけ素振りをしてみる。金属特有のギラリと光るボディが、しゅんという鋭い音と一緒に振り下ろされた。
「おい、気をつけろよ大和。それ一応本物なんだから」
「え!?これ本物なの!?」
「そうだよ、だから気を付けろよ?よーし、じゃあ構えて」
姉さんはすでに平らな地面に三脚を立て終えていて、ファインダーを覗いたまま僕に命令を出す。僕は急いでカメラの前で鉈を構えたのだが、なかなか姉さんはシャッターをきらない。
「おい、大和。秒読み忘れてるぞ」
「あ、やっぱり今回も僕が出すんだ・・・。じゃあ、3.2.1」
掛け声の後、シャッターが二度三度きられた。
「ん、オッケー。次は光る竹な」
「了解。でも、どうやって竹を光らせる気なの?」
「待ってろ。秘密道具があるから」
そう言って、怪しい笑みを浮かべた姉さんはまたリュックサックに手を突っ込んだ。今にして思えば、あの中にはさっきまで本物の鉈とのこぎりが入っていたんだよな。そんな恐ろしい空間に躊躇なく腕を突っ込んでいた姉さんは、やはりいかれてる。馬鹿と怖いもの知らずは紙一重なんて言葉があるけど、僕に言わせればどっちも馬鹿だ。もういい歳なんだからそろそろ大人になってくれてもいいのにという弟の心配を他所に、姉さんの青い猫型ロボット風の道具紹介音と物真似を披露した。
「テラスタメノライトー」
「わっ、そのまんまだ」
姉さんの物真似が意外と似ていた事はさておき、手に握られていたのは見た感じどこにでもある量産品の懐中電灯だった。一体これをどう使う気なのだろう。
「In the bamboo.」
竹の中に懐中電灯をいれる・・・という事だろうか。中から外に向かって照らし、光る竹を演出する魂胆らしい。ちなみに姉さんは学生時代、すこぶる英語の成績が悪かった。それなのに唐突にぶっこんで来る辺り、やはり馬鹿だ。みんなも覚えておこう。出来もしないくせにやりたがるのは馬鹿の得意技だ。
「で、どうやって中にいれるのさ」
「I don't know」
姉さんはオーバーに手を広げ、眉を八の字に傾ける。何だろう。日本語で言われるより数倍いらっとするな。姉さんは外国人風(姉さんの勝手な想像)の悩み方として、ありもしないヒゲを整えるという性別すら超えた方法をチョイスした。
「Yamato,help me」
考え始めてからそれほど経っていないのに、姉さんは早々に根をあげた。髭を触りながら、一体何を考えていたんだか。僕は不本意ながら姉さんのノリに付き合ってやる事にした。
「I can't help you」
ちなみに僕にも姉さんと同じ血が流れている訳で、英語が得意ではない。内心これであっているのかびくびくしながら答えた。
「助けてよぉ、かぐやー」
姉さんはあっさりと僕を見限り、今度はかぐやに泣きついた。この変わり身の早さは流石である。姉さんにすがりつかれたかぐやは、困ったような顔を浮かべ、その場でおろおろと慌てふためいている。
「えっ、えっ。ど、ど、どうしよう」
「かぐやー、お姉ちゃんを助けてー。大和がいじめるんだよー」
ぐりぐりとかぐやの胸に顔をこすりつけ甘える姉さん。仕方ない、そろそろ助けてやるか。
「姉さん、そこは竹だけ撮って後で合成すればいいよ」
「あ、なるほどな。おい、なんで早くそれを言わなかったんだよー」
「だって、合成の作業は誰がするの?どうせ僕でしょ?パソコン音痴の姉さんができるはずないもんね」
「ささっ、撮っちゃお撮っちゃお」
都合の悪い話が聞こえなくなる都合のいい耳を持つ姉さんは、嬉しそうに三脚をたて、光っていない普通の竹にカメラを向ける。僕は後ろ手ため息をつき、やれやれと頭を振るのだった。
「私は背景用にもっと竹林の写真を撮ってくるから、戻ってくるまでに大和はこの竹を斜めに寸断しておいてくれ」
そう言って、姉さんから一本だけ切り倒された竹とのこぎりを渡された。
「怪我するなよー、じゃまた後でな」
のんきに鼻歌を口ずさみながら、姉さんは竹やぶの奥へと消えていく。その場に残されたのは僕とかぐやの二人。かぐやは隅の方ですごく気まずそうにしていて、さっきから辺りをキョロキョロと見回している。僕はといえば、まっすぐ前だけを見て仏頂面を決め込んでいる。
「かぐや、切れよ」
昔のような命令口調で言ってみた。
「あ、うん」
かぐやは僕の言葉に従い、女の子の手には少しサイズの大きいのこぎりを持ち、前後に動かし始めた。
「うんしょ、・・・あれ?おかしいな」
失敗を恥ずかしがるようにかぐやは僕に向かって微笑みかけるが、僕は目も合わせないし、返事もしなかった。
「うんしょ、うんしょ」
何度トライしても、一向にのこぎりの歯は先に進んでいかない。かぐやはおでこにぐっしょりと汗をかき、長い髪が何度も垂れてきて邪魔をする。それでもかぐやは、一生懸命に手を動かし続けた。
汗の雫が一滴、かぐやの輪郭をつたって地面に落ちる。
それを見た僕は何故だか無性にいらいらしてきた。
「代われよ」
「え?」
かぐやはびっくりした様子でこちらを見つめる。
「遅いからだ。姉さんが帰って来るまでに終わらせないと、僕が怒られるんだ」
「あ、そうだね。・・・ありがとう、大和くん」
僕はのこぎりをかぐやの手からひったくり、力強く動かし始めた。
「・・・それだけかっこつけて、なんで切れてないんだよ」
戻って来た姉さんは呆れながら僕に向かって言う。
「いや、聞いてよ姉さん。この竹、すっごく硬いんだよ」
泣き言のようで申し訳ないが、本当に硬いんだって。男の僕が本気で力を込めても、まるで歯が食い込む様子がない。あんなに柔らかいタケノコが、本当に竹の子か?って、どうしようもない疑問を抱くくらいにはのこぎりを引いたし、途中からは本当に石でも切っているような気分だった。
「大和くんは本当に頑張ってたの。でもね、お姉ちゃん私が悪いの」
あれだけの仕打ちを受けながら、必死に僕なんかのフォローをしようとするかぐや。その言葉を聞いた姉さんが意味ありげな笑みを浮かべ言う。
「お前らいつの間に仲良くなったんだ?まさかサボって乳繰り合ってたんじゃないだろうな?」
「なっ、何言ってんだよ!」「なっ、何言ってるの!?」
「まあいいや。ちょっとどいてろ」
寝転がっている竹からかぐらを遠ざけ、僕からのこぎりを受け取った姉さんは、「そっちじゃない」と地面に置いてあった鉈に持ち替えた。
「確かじいちゃんの構えはこんなだったか」
姉さんの言うじいちゃんとは、恐らく雷太さんの事だろう。前回の撮影には妻である秋絵おばあちゃんと一緒に夫婦で参加して貰った。撮影で雷太さんは今の自分みたいなおじいさん役で、その際に雷太さんが起こしたと思われる不可解な出来事。特に電柱ほどの太さがある木を、レプリカの斧で一刀両断してしまったのは記憶に鮮明に残っている。まさか姉さん、あの技を真似するつもりじゃないだろうな。
「ほっ」
姉さんは見様見真似の構えから、ものすごい速さで鉈を振り下ろした。次の瞬間、バキッという大きな音がして思わず目を瞑ってしまった。しばらくしてゆっくりと目を開けると、目の前には見事斜めに切り落とされた竹が横たわっていた。雷太さんが見せた魔法のような剣技ではなかったものの、目にしただけでここまでできるようになる姉さんが恐ろしくてたまらない。
姉さんはリュックからまた何かを取り出した。大事そうに抱えた物体は何かの箱みたいで、何故か紐でぐるぐる巻きに縛られていた。正面には走り書きの漢字が書かれたお札のようなものが貼ってある。
「それ何?」
「ああ、これはなあ」
すべてを聞き出す前に箱に手を伸ばした僕は、背筋につーっと冷たいものを感じた。
「おぎぎぎぎ・・・ぎぎ・・・・ぎぎ・・・おぎゃあ」
気づいた時には箱を投げ捨ててしまっていた。
「まだ持ってたの!?」
「どこかで使えるかなって思って」
「姉さん、これはもう燃やすなりお寺に持ってくなりしようよ。竹の中の赤ちゃんは、後で僕が合成でいれとくからさ」
「うん、分かった。そうする」
姉さんは放り棄てられた箱を拾いに行って、何事もなかったかのように慎重にリュックにおさめた。
「何だろう、私さっきから竹ばっかり撮ってる気がする」
「それも仕事だよ」
「ふーむ。まあいいか。撮るぞ、大和秒読み」
「はいはい。3.2.1」
「あっ、ちょっと待って」
「どうしたの?」
「今すげー面白いジョーク思いついた」
「・・・聞かせて貰おうか」
「私さっきから竹ばっかり撮ってるじゃん?これが本当の竹撮り物語、ってね」




