第五話「呪いの人形」
全部フィクションです 全部関係ありません
民家に戻ってきた姉さんは額に汗をにじませ、肩で息をしていた。
床の上に大の字に寝そべり、いつもなら「だらしなよ、姉さん」と小言の一つも出る場面なのだが、背中に秋絵おばあちゃんを乗せ、川の水を吸って膨れ上がった特大の桃モドキを引きづりながら上流まで戻ってきた姉さんを見ている僕は、流石にそこまで鬼にはなれなかった。
「ごめんなさいね、重かったでしょう?」
秋絵おばあちゃんは横になったまま立ち上がろうとしない姉さんを団扇であおぎながら、申し訳なさそうに謝った。
「いや・・・ばあちゃんはそれほど重くなかったけど・・・この桃いったい何が入ってんだよ・・・」
息を切らしながら、姉さんは玄関に置きっぱなしの桃を忌々しげに指さした。それに驚いた、たまたま近くに立っていた岩雄くん。よろめいて、桃の尖った部分に手をついた途端、桃がパカッっという安っぽい音と共に半分に割れた。そして中からおぎゃあおぎゃあと赤ちゃんが泣きながら現れたのだ。・・・まあ、もちろんこれも偽者だ。ただの人形だ。声はラジカセから流れている。
・・・ん?写真を撮るのにどうして声が必要なのかって?そんな事は知らない。なんせ発案、発注は姉さんだ。僕は言われたとおりに作っただけなんだから。
「うおっ。なんだそれ、かっこいいじゃん!すげー高性能!」
姉さんは急に飛び起きると、桃の方へ駆け寄っていった。人形の片腕を掴み、ぶらぶらと揺らしながら、すごいすごいとはしゃいでいる。
「姉さん、壊れるよ。優しく!優しく!」
ただでさえ大雑把で不器用な姉さんは、さらに遠慮やら手加減を知らないもんだから、人の物を勝手に触っては壊す癖がある。あの側らにあるカメラが、今だに壊されず原型を留めているのが不思議なくらいだ。しかしこれにはちゃんと答えがあって、それはあのカメラが姉さんの所有物(買ったのは僕だ)だからだろう。姉さんは自分の物となると手加減を思い出すのだ。それ故、なぜ他人の物となると、やってはいけないということを片っ端からやってしまうような悪魔的な姉さんに変わってしまうのか。ちなみに所有権を頑なに譲らなかった僕の携帯ゲーム機は、奪われた次の日にタッチペンが画面に刺さった状態でゴミ箱に捨てられていた。
「さあ、姉さん。いつまでも人形で遊んでないで、撮影に戻るよ」
「あっ、そうだった。あまりの可愛さに我を忘れていた。えっと、次は次は・・・」
「おじいさんとおばあさんが桃を割るシーンだよ」
「それだ。じゃあ、じいちゃんとばあちゃん、準備してくれ」
姉さんは三脚を立てずに、カメラをしっかりと顔の前で構えた。僕は人形を桃の中へ戻し、割れた桃を接合部分に沿ってくっつける。小道具を詰め込んだ箱の中からおもちゃの包丁を探し出すと、それを雷太さんに渡した。
「じゃあ電太さん。この包丁を桃の上から近づけてください。そこで一枚撮ります」
「ああ、分かったわい」
「私はどうすればええんですかね?」
「秋絵おばあちゃんは、それを隣で見ていて、何か表情をつけて貰えれば」
「はい、はい、分かりましたよ」
「では時間もないんで、早速一枚目撮りまーす」
全員の準備が終わって、シャッター音と一緒にフラッシュが光った。撮れていなかった場合のために、念のためもう一度姉さんはシャッターをおろした。
「どう、姉さん」
「おう、たぶんばっちしだ。次行くぞ」
「じゃあ次のシーン行きますんで、準備しておいてください」
久遠夫妻にそう伝え、僕は桃を軽く上から叩いた。しかし桃はうんともすんとも言わなかった。あれ、おかしいな・・・。もう一度、少し力を込めて叩いてみる。
その後何度か叩いてみたのだが、桃は一切反応を示さなかった。
「おい、大和。まだかよー」
「ちょっと待ってよ姉さん、桃が開かなくなっちゃったんだ」
「さっきはちゃんと開いてただろー」
「そうなんだよね、おかしいなあ」
もしかすると、接合部分がうまくはまらなかったのかな。
「まーだーかー」
「まだだよ、姉さん」
「・・・これを割ればええんか?」
今にも姉弟喧嘩が勃発しそうな雰囲気を感じ取ったのか、たまらず口をはさんだのは雷太さんだった。
「ええ、何故か開かなくなってしまって」
「大和くんや、少しどいとれい」
そういって雷太さんは包丁を持ってない方の手で、僕を桃から遠ざける。そして深く息を吸い込むと、おもちゃの包丁を両手で握りなおし、桃に対して垂直に振り下ろした。
スパン
この音を聞くのは今日二度目だ。一度目は電柱ほどの太さの木が倒れる寸前に聞いた。ずずずっと言う音を残し、桃が真っ二つに割れる。これぞまさにぱっかりという感じで桃が開いた。
「おお、やっぱじいちゃんすげーよ!」
姉さんは興奮しながらも、構えたカメラで二つになった桃と雷太さんの包丁を交互に写していく。
「おじいさんはね、むかーしシベリアの山奥で、自分よりも大きな熊と闘ったことがあるの。ほら、あれなんて言ったかしら。どこかの島で決闘した、遅刻して。ううん、そっちじゃないわ。そうそう、佐々木小次郎。周りの人からは、佐々木小次郎の生まれ変わりなんて言われてたのよ」
おばあちゃんはさも自慢げに、おじいさんの昔話を語った。雷太さんも照れくさいのか、「うるさいわい」と小さく呟き、頬をピンクに染める。
「す、すごい・・・」
僕も思わず賞賛の言葉を送った。しかし数秒もしないうちに、喜んでばかりもいられないことに気がついた。
「お・・おぎ・・・おぎぃ・・・・おぎぎぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ」
すっかり忘れていたが、桃の中には赤ちゃん(人形)が入っているんだった。雷太さんの包丁は、ラジカセをかすめ、赤ちゃんの人形と桃を見事にまっぷたつにしていた。姉さんもそれに気がついたのか、真っ二つになった残骸の片方を取り出してぶらぶらと揺さぶりながら言う。
「こいつの名前決まったぞ、大和」
「とりあえず言ってみてよ」
「チャックー。きっと体が半分になったってナイフ持って追いかけてくるような元気な男の子になるぜ」
「急いでお寺に持って行って供養して貰わなきゃ」
「二つ分の料金取られんのかな?」
どうかこの人形に魂が宿りませんように。安らかに眠れチャックー。
それはそうと、お前を真っ二つにしたのは雷太さんだからな。そこんとこ間違えるなよ。
「いや、ほんとかっこよかったっす!おじいさん!」
後ろでは手におもちゃの包丁を持ったまま雷太さんが、どんな状況でも爽やかな岩雄くんの褒め殺しにあっていた。
「すまんのう、大和くん。人形まで割ってしまって」
「いいんですよ、雷太さん。僕も説明不足でしたから。どうにか編集して、赤ちゃんの写真をいれときますよ」
姉さんが緊急オペ成功といって、ガムテープで胴体を繋ぎ止めたチャックーを写真で撮ったものの、誰が見ても心霊写真なのでボツにすることにした。
「みなさん、今のは忘れて。気を取り直していきましょう。次は・・・おっと」
肝心なことを忘れるところだった。衣装に着替えるよう岩雄くんに伝えなければいけなかったんだ。
「姉さん、主人公の服どこにしまったの?」
「ああ、あれな。ここだよ、ほら」
そういって姉さんは一際大きな袋を僕の目の前に投げてよこした。
「ごめん姉さん。ついでに岩雄くんにそれ渡しておいてくれない?」
僕は袋を姉さんに投げ返す。
「何言ってんだお前」
「何って、だからこの衣装を岩雄くんに」
「それはお前が着るんだよ」
「え?」
一瞬何の事だか分からず、僕の思考は止まってしまった。
「主人公役のモデルな、私が断っといたわ」
姉さんの顔がたちまち悪魔のように変わっていく。口のはしが裂けんばかりに吊り上がり、目がギラリと光る。尻尾が生えれば完璧な悪魔の降臨だ。
「え、どういうこと?だって岩雄くんは来てるじゃないか。もしかして姉さん、帰らせたの?」
「岩雄は主人公とは違うんだよ、だいたい岩雄は主人公って顔じゃねえだろ」
そこに異論はなかった。が、それなら一体どうなっているというんだ?
「だったら誰が主人公役をやるんだよ」
「お前しかいないだろ?」
姉さんは、それがさも当然であるかのように言う。
あまりのことになかなか頭の回転スピードが追いつかない。あれがこうして、これがああして。だいたい断ったってなんだ。姉さんは何でそんな事を。ようやく飲み込めたのは何故か自分が写真を撮る側ではなく撮られる側になっていたということくらいだ。
「僕?無理だよ。無理無理、絶対無理」
「私は車の中で言ったよな?もし何かミスがあればお前の体で払ってもらうって。払ってもらおうじゃないか。まさに今!」
「ミス?ミスって何?」
「これだよ」
姉さんが高々とチャックーを掲げた。
唖然とした。この人は一体何を言っているんだ。
「いやだってこれは」
「はいはい、そういうことだからさっさと着替えろよ。私はお前がその服を着ているところが見たいんだ」
また悪そうな微笑を浮かべ、姉さんは指で作ったファインダーを覗く。
「大変な事になったぞ。何なんだ、これは」
ぶつくさと文句を言いながら、とりあえず衣装にだけは着替えた。
ピロリロリ♪
聞き覚えのあるメロディが、微かだが聞こえる。
(どこだ・・・?・・・壁の中?)
一度止まったかと思えば、また流れはじめるメロディ。あれ、これって僕の携帯の着信音じゃないか?
「そうだ、大和。お前の携帯、壁に詰めちゃった。何だか楽しくなってさ」
「何でそんな事したの、意味分かんないよ!えっと、どこだ?ここか?・・・ああ、もう!取り出しづらいなあ。んー、よし取れた。もしもし?」
電話機から少し大きめに喋る男の声が漏れる。
「あ、はい。そうですか、分かりました。お願いします」
「大和、何の電話だ?」
「あれがもうすぐ届くって」
「おお、早いな。それなら、そっちからちゃっちゃと撮ってしまうか」
姉さんは外に出ると、民家の方に向けて三脚を立てた。
「雷太さんと秋絵おばあちゃんが玄関の前で手を振ってるシーンを撮ります。準備いいですか?」
「はい、はい、大丈夫ですよ」
二人がカメラの射線に入り、最後に僕がきびだんごと書かれた袋を腰に下げ、カメラの前に立った。
「・・・・」
「おい、大和。秒読み忘れてんぞ」
「僕がやるの!?」
「あたりまえだろ。お前以外誰がやるんだよ」
(自分が取られる秒読みってすごく恥ずかしい・・・)
「分かったよ、もう・・・。それじゃあいくよ、3.2.1.」




