第四話「老兵の意地」
全部フィクションです 全部関係ありません
「では明るいうちに、山でおじいさんが柴刈りをしているシーンから撮影しますね。その間、おばあさんと岩雄くんはここで休んでいて大丈夫ですから」
いつの間にかすっかり打ち解けて談笑している岩雄くんとおばあさん。僕は二人に声をかけると、衣装に着替え見事に童話の中のおじいさんへと変貌した来音のおじいさん、ならびに三度寝に興じようとしていた姉さんを連れて、民家の裏手にある森の中へと向かった。十分ほど歩き続けるうち、辺りを草木に囲まれ、細い枝のついた木が群生する雑木林にたどり着いた。
僕は両手の人差し指と親指で四角を作り、その間から景色を覗く。事前のイメージにかなり近い。ここなら、と僕は姉さんの方を見る。
ちなみにさっきから偉そうに肩からカメラをぶら下げている姉さんは、もとより写真の勉強を受けているわけではない。腕前も人並み、いやそれ以下だろう。写真を撮ることに対する特別な思い入れがあるわけでもなく、その姉さんがどうしてカメラマンなんて重要な役職に就いているのかといえば、曰く諭吉一人分の価値があるカメラを、大和が使うなんて何事か。
そしてこれも姉の弁なのだが、大和が樋口一葉を超える買い物をする際は、まず姉に許可をとること、だそうだ。
お分かり頂けただろうか。
僕という人間は常に、重度の過保護という言葉にカモフラージュされた姉のパワハラと言ってもいい呪縛を背負って生きているのだ。あの愛車(中古)だって姉さんが便利に使うために許可が下りただけだし、携帯ゲームだって買ったその日に姉さんに奪われるし。
あげつらえばきりがないのでこの辺にしておこう。
とはいえ、姉さんも自分が言い出しっぺだから、一応カメラの使い方は頭に叩き込んだみたいだし、カメラのメンテナンスくらいのことだったら僕は押し付けられても文句はないんだけどさ。
せめて一度くらい使わせてくれないかな。・・・壊されないうちに。
姉さんは三脚が立てられそうな平らな地面を探し始めた。手持ち無沙汰になった僕は、衣装のおかげですっかり背景に溶け込んでしまっているおじいさんに話しかける。
「ずっとおじいさんって呼ぶのもなんか変ですよね。失礼でなければお名前で呼んでもいいですかね?」
「・・・・」
返事はない。おじいさんは仏頂面のまま、じっと林の奥をにらみつけている。
いきなり馴れ馴れしかったかなと少し後悔し始めたとき、日本人にしては堀の深いおじいさんの顔がぎこちなく動いた。
「・・・ええぞ」
低い小さな声が返ってきた。僕ははっっとして、その後すぐに笑顔になる。
「ありがとうございます、雷太さん。僕のことは大和って呼んでください」
「・・・分かった」
またも唸るような低い声が返ってきた。
僕は何だか嬉しくなって、もっと他にも話しかけようとしたのだが、雷太さんは静かに顔の方向を元に戻すと、また林の奥の方を睨みつけるのだった。
「おーい、カメラのセッティング終わったぞー」
ちょうどよく三脚をたて終えた姉さんが大きく手を振って呼んでいる。
「じゃあ雷太さん。今から撮るのは、芝刈りに来たおじいさんがその辺の木を切っているシーンなんで、とりあえずこっちに来てこの斧を持ってもらっていいですか?」
僕は背負っていたリュックから小道具の斧を取り出して、雷太さんに渡した。
「この斧は偽物、レプリカなんで危なくありません。刃先を触っても、・・・ほら、大丈夫でしょ?ですから、雷太さんは枝に触れるか触れないかの所で寸止めして貰って、そこでシャッター下ろそうと思います」
「・・・・」
またも返事はなかった。雷太さんは手元の斧をじっと見つめると、時折手元の感触を確かめるように握りなおしている。
(返事がないけど、分かったのかな。まあでもプロの役者さんだし、大丈夫かな)
「じゃあ撮るぞー、じいちゃん」
姉さんはカメラの前に立ち、腰をかがめた。説明中、終始上の空だった雷太さんは、しかし流石役者という風に、斧を構え並々ならぬ気迫で掛け声を待っている。
「では撮りまーす、3.2.1」
そうだ、一つ忘れていた。姉さんがカメラマンという花形役者ならば、僕の役目は何なのか。意外なことに、僕は助監督というそこそこの役職をたまわっている。すごいだろう?見直したかい?
って言っても、助監督が助けるはずの監督はまだいない。なぜならシナリオから、撮るシーンから、衣装までもすべて姉さんが一人で勝手に決めてしまうからだ。要するに助監督とは名ばかりで、僕に回されるのはカメラマンから押し付けられる雑用ばかり。この会社において、カメラマンは助監督よりも決定権を握っているのだ。
スパン!
そうこうしていると、今までに耳にしたことのないような音が聞こえてきた。ぱんぱんに空気をいれたビニール袋を思い切り踏み潰して破裂させたような、そんな音。次の瞬間、目の前の電柱ほどの太さの木が、支えをなくしゆっくりと傾き始めた。がさがさと枝同士が擦れあう音が続いた後、最後には豪快に横倒しになってしまった。
「すげーな、じいちゃん!」
感嘆と歓喜の声をあげる姉さん。カメラの前に飛び出てくると、両手を天高く伸ばし飛び跳ねている。
「これでええんかの」
電太さんは手に持ったレプリカの斧を僕に返した。
目が点になる僕。そもそも枝だって切れないはずの偽物で、木の幹を、それも一刀両断してしまった。
「いや、オッケーオッケー!最高の写真が撮れたよ、じいちゃん。もう最高!」
テンションが最高潮に達した姉さんが、カメラを三脚からはずしながら電太さんを褒めちぎっていた。僕は慌てて戻ってきた斧を注意深く観察する。しかし何度調べても斧は偽物。これで切れるのはススキか、あるいは結ばれたのは前世からの運命だったなんて戯言を信じているカップルの仲くらいなものだ。
続いて倒れた木の方を調べてみる。まるで日本刀の居合いで斬られたきゅうりのように、断面が真っ直ぐだった。
「わしはもう帰ってええかの」
「・・・あ、はい。次の出番まで部屋で休んでいてください」
カメラと三脚を肩に担ぎ、器用にスキップで戻っていく姉さん。
この状況を一つも不思議に思っていない様子。
僕は見てはいけないものを見てしまったような、何かモヤモヤとした気持ちのまま姉さんの後を追うのだった。
「次はおばあさん役の撮影をしますんで、準備の方お願いします」
「はい、はい。分かりました~」
「大和くん、わしは少し寝とるけどええかの?」
「ええ、大丈夫ですよ。電太さん。」
「あらら、おじいさんいつの間に監督さんと仲良くなったのかしら。ずるいわ~、おじいさんばっかり。私も大和ちゃんって呼んでいいかしら?私のことは、ぜひ秋絵ちゃんと呼んでくださいな」
「あ、・・・えっと」
僕は返事に困り、苦笑いを浮かべる。
流石に年上の女性を名前で、しかもちゃん付けで呼ぶのはこっぱずかしいな。
助け舟を求めて辺りを見回すが、姉さんや雷太さんはおろか、岩雄くんまでもが床の上で寝息を立てていた。何だろう、撮影の現場ってこんなに寝てる人だらけでいいのかな。
「じゃあ秋絵さん、でいいですか?」
「そうね~、でもやっぱり秋絵ちゃんの方がいいわね」
あくまでこだわりますか・・・。
僕は顎に指を置きながら考える。何かいい案はないものか。
「それなら、秋絵おばあちゃんはどうでしょう?」
「明おばあちゃん・・・、そうね、大和ちゃんがそれでいいならいいわよ」
僕の手をとり、嬉しそうに笑うおばあちゃん。
「ばあちゃん、大和。もう行くぞ!」
一人待ちきれずに飛び出していった姉さんを追って、僕と秋絵おばあちゃんは近くに流れる川へと足を向けた。
「おい、本当にこの川か?」
「うん、そのはずだけど・・・」
「イメージしてた川と違うな。イメージではもっと鮎釣りとかしてそうな感じだぞ。これは熊がシャケ取ってる絵しか浮かばねえじゃねえか」
「仕方ないだろ」
「仕方ないって、この速さはカメラじゃ取れないだろ。もっと野球中継とかで使ってる専用の・・・、なあ」
「うん・・・そうだね」
川は昨日、一昨日と降った豪雨でえらく増水していた。ロケハンした時より川幅は広がり、流れは想像の範疇を超える速さになっていた。
「もうどんぶらこって感じじゃないもんな。ちょっとしたウォータースライダーだぞ、なんなら流しそうめんだ」
「まずいね・・・」
はるばる自作してきたお手製の大きな桃(偽物)。耐水性に重きを置く関係で、予定よりもだいぶ重たくなってしまった。この川ではおばあさんの洗濯、そして流れてきた桃を拾うという大事なシーンの撮影があった訳だが、もしかすると計画の見直しが必要かもしれない。
ここで少し勉強の時間だ。運動の勢いとは、これすなわち重さ×速さ。桃が重ければ重いほど、流れる速度が早ければ早いほど、桃を受け止める時に必要な力は大きくなる。
僕と姉さんは二人で川べりに一人たたずむ秋絵おばあちゃんに目をやった。川原の石に足をとられ、酔っ払ってるみたいにふらふらとしている。腕だって少し力を加えれば折れてしまいそうなほど細い。今からあの体に、下手をすれば交通事故と同等の衝撃が襲い掛かろうとしている。
「やめたほうがいいんじゃないか?私は殺人犯の姉にはなりたくないぞ」
姉さんは鼻の頭をぽりぽりと掻きながら言う。何だか聞き捨てならない言葉を聞いた気がしたが、この際突っ込まないでおこう。僕だって桃を流したから捕まったなんて、そんなマヌケな逮捕は絶対に嫌だぞ。
姉さんは一応カメラのセッティングをすませたものの、なかなか判断を下せずにいた。二人の苦々しい顔を気づいて、秋絵おばあちゃんが近づいてきた。
「ささ、やりましょうか」
「いや・・・、えっと、大丈夫ですかね?」
「平気よ、大和ちゃん。私こう見えても力持ちなの。なんたって家事を毎日やってるんだから」
そういって秋絵おばあちゃんは上品に笑った。姉さんと僕は半信半疑で顔を見合わせる。
「だって、姉さん。どうする?」
「うーん、・・・分かった。ばあちゃん、頑張れよ!」
姉さんはぐっと親指を立てると、カメラのレンズを覗いた。
「じゃあまずは洗濯してるところから、写真に収めていきますね」
「はい、はい」
笑顔で答える秋絵おばあちゃんが洗濯のシーンに使う小道具を取りにいった。
「おい、大和」
カメラを覗いた姉さんが小声で話しかける。
「川すげー濁ってんぞ。洗濯っていうのか、これ」
先述した通り、連日降った雨で川の中は1m先の視界がないほど濁っていた。
「土砂崩れとか、台風中継の映像がちょうどこんな色だよな、ははっ」
「笑えない、笑えないよ姉さん」
「・・・やるしかないだろ」
「そうだね。姉さんの作った味噌汁の方がもっとひどい色だった。よし、やってやろうよ」
(うわあ、白かった布が一瞬でまっ茶色だよ)
洗濯のシーンを撮り終え、僕は急いで小道具の桃を持って上流へ駆け上がった。
「じゃあ、流すよー!」
大声で姉さんと秋絵おばあちゃんに合図し、桃を流す。桃はみるみるうちに川を駆け下りていった。しかし何の偶然か、そして奇跡か。うまいこと桃が秋絵おばあちゃんの方に向かって流れていくではないか。おばあちゃんは桃を逃すまいとタイミングを合わせ手を伸ばす。
「やった!」
上流で思わず声を上げた僕。
しかし喜びもつかの間、溜まりに溜まった桃の運動量が秋絵おばあちゃんに衝撃となって伝わった。秋絵おばあちゃんは少し仰け反った後で、絶対に桃を離すまいと耐え踏ん張っている。だが、残念な事にその程度で桃の勢いは止まらなかった。少しずつ桃に押され、秋絵おばあちゃんが後ずさりを始める。
危ないと思った時にはすでに遅かった。桃を掴んだままどうしても手を離そうとしない秋絵おばあちゃんは、小道具の桃に飛び乗るような格好で桃と一緒に川の流れに乗ってしまったではないか。そのまま下流へとものすごい速さで下り始める。
「おー、ばあちゃんすげーな」
「姉さん、何見てんの!追って追って!」
姉さんの河原という悪条件を苦にしない懸命の走りで、なんとか川の本流に合流する前に秋絵おばあちゃんを助け出すことが出来た。姉さんのカメラには、捨て犬のような悲しい目で桃に乗ったまま川を下っていく秋絵おばあちゃんの姿が写っていたという。




