第三話「メイド服」
全部フィクション 全部関係ないです
「無理無理無理。何言っちゃってんのさ姉さん、冗談を言う時は場所と状況を考えてよ」
「謙遜すんな。うちの会社のトップ俳優じゃないか」
姉さんはヘラヘラと笑いながら、後ろから僕の両肩を掴んだ。
「僕らの会社に専属の俳優なんていないだろ。そもそも僕は俳優じゃないし」
「いるだろ、専属の俳優。ほら、猿っぽいのが。あいつは私が声をかければいつだろうが、何処だろうが飛んでくるぞ。まあ確かに俳優って言うよりはペットに近いけどな」
本人が不在でも容赦なくけなす姉さん。二作目の撮影以来、ちょくちょく姉さんに呼び出されている岩雄くんを僕は目にしている。それでなくとも、殴ったり置き去りにしたりと散々な目に合わせているにも関わらず、はっきりとペットと言い切る辺り、姉さんがとてつもなくひどいのか、それとも岩雄くんがあまりに猿に似すぎているのか。どちらにしてもペットってもっと可愛らしい生き物の事を言うと思うんだよね、僕は。
そういえばというか、なんとあの岩雄くんに彼女ができた。運命的な出会い、あるいは因果応報か。岩雄くんは遊園地で会った事のある、あのムチ女とカップルになったらしい。しかも付き合い始めるきっかけがお化け屋敷での、あのイベントだったそうだ。曰く、私をここまで興奮させた男は、今まで一人もいなかった。きっと二人は運命の赤いムチで結ばれているんだな。岩雄くんがOKした理由は・・・・・・下衆すぎて覚えていない。
と、まあ晴れて彼女持ちになった岩雄くんだが、何故かいまだに姉さんと絶対の服従関係にある。最近では姉さんからの連絡用に専用の携帯電話を買ったらしいが、ムチ女にはバレないよう隠しているらしい。浮気は即、死だそうだ。それを知ったら姉さんは喜んでバラすぞ、気をつけろ岩雄くん。
いや、ていうか今はそれどころではない。人の心配よりもまず自分の心配をしなければ。
「無理に決まってますよね、古井沢さん」
「え?あー、えっと・・・そうねえ・・・」
台本を開いて、台詞をチェックしながらうーんと唸り声をあげる。その間、どこからともなくひそひそと話し声が聞こえてきた。
「あれ誰よ?」「いやー、知らないなあ」
そりゃそうだ。
こんなキングオブ一般人を連れ出して、俳優の代わりをやれなんて無茶にも程がある。こちとらさっきまで不審者としてスタジオから追い出されそうになってた程の一般人面だぞ。それが俳優なんて、ちゃんちゃらおかしいよ。へそをオール電化にして、朝に発電した電気でお茶を沸かしてやるっつーの。
その場にいた全員が困惑する中、ずっと悩んでいた古井沢が口を開く。
「あなた・・・何かメディアに出た経験は?」
「えっと・・・メディア?・・・・・・絵本に少しだけ」
「絵本・・・?」
古井沢が素っ頓狂な声を出した。やがて周りからも嘲笑するような声が聞こえてくる。
「絵本だって・・・ははっ」「クスクス」「なんで絵本に人間が出てくるんだよ」
笑われて当然だ・・・。僕は口を一文字に結んだまま、思わず下を向いた。
「いいじゃねえか、絵本」
その時、隣にいた姉さんが笑い声をかき消すように声を上げた。
「ドラマだろうが絵本だろうが、同じ人が作った創作物だろ。上も下もねえし、笑われる筋合いもねえ。一体何がおかしいんだ、お前。言ってみろ」
近くにいた男のスタッフを顎で指名し、真剣な顔で言い放った。スタジオ内が一気に静まり返る。あの古井沢ですら、苦虫を噛み潰したような顔で口を閉じた。誰もがきょろきょろと周りを気にし、声を出すタイミングを伺う中、最初に喋りだしたのは意外にも引っ込み思案のかぐやだった。
「で、でも大和くんは・・・元々この仕事に反対だったし・・・その・・・」
必死に僕を庇おうとするかぐや。おおぉっ、今だけはお前が僕を助けに来た天使に見えるぞ。
「そ、それにもしも大和くんの人気が出たら、私どうしよう・・・」
窮地に駆け付けたはずが、あさっての方向へ飛んでいく天使。何処へ行く気だ、僕はここだぞ!その様子を見ていた古井沢がパタンと台本を閉じた。
「ふーん・・・なるほど。いいわ。その子を代役に立てましょう」
「「えー!」」
僕の声とかぐやの声が重なった。
「私も兄ちゃんでいいと思いまーす」
少し遠巻きに様子を覗っていた英子と雄太がもろ手を上げて賛成した。
「え、本気ですか?古井沢さん」
後ろにいた三人の男のうち、右の男が異議を唱え、止めに入るが、
「ええ、私は本気よ」
と、古井沢はこれを一蹴した。
「しっ、しかし・・・」
「私の決定に何か文句があるの?」
「うっ・・・ございません」
男は渋々という風に引き下がった。
「じゃあ、あなた。早く着替えてきてちょうだい」
「やったな、大和。お前今日から俳優だぞ」
「そ、そんな・・・・・・」
呆然と立ち尽くす僕は姉さんに背中を押されながら衣装部屋へと向かった。
「あー、もう駄目だ。吐きそう・・・」
僕は着替えている途中も、何度かトイレに駆け込んだ。緊張と吐き気で自分が地面に立っているのかすら分からなくなる。無重力空間とは、恐らくこんな感じなのだろう。
「今更何言ってんだよ、何事も経験だ。頑張れよ!」
ネクタイを締めてくれた姉さんが、送り出す時に背中を一回強くはたいた。
「他人事だと思って無茶言ってくれるよ」
「そんな事ないぞ。見ろよ、ほら。私も震えてるだろ?」
「・・・あ、本当だ」
見ると姉さんの足が小刻みに震えていた。そうか、姉さんも弟がこんな大役に抜擢(?)されて、緊張しているんだ。姉さんは鬼だ、熊だと罵った事もあったけど、やっぱり姉さんも人の子だったんだなあ。
「あ、違う。これ私の携帯が震えてるんだ。んー、もしもーし」
姉さんは顔色の悪い僕を一人残し、携帯電話を耳に当てながら控え室から出て行った。
呼び出されて、スタジオに入った。何人もの大人が忙しそうにそこら中を走り回っている。皆、自分の役割を理解し、少しでもいいものを作ろうと必死になっている。大きな影があっちに行ったり、こっちに行ったり。その中に二つの小さな影を見つけた。
「あっ、兄ちゃん」
「ああ、英子ちゃんと雄太くん。さっきはありがとうね」
素直に喜べないのが残念だが、一応お礼だけは言っておく。
「いいよ、だって兄ちゃんには不審者じゃなくなって欲しかったもん」
「欲しかった!」
二人は顔を見合わせて、僕の出演を歓迎してくれた。まあ最初から不審者じゃないんだけどね・・・。それにしても、えっと、・・・どっちがどっちだ?一度二人から離れると判別がつかなくなるなんて、双子はなかなかに厄介だな。
「えっと確か、君が・・・」
「私が英子」
「僕が雄太」
「二人合わせて英雄姉弟!」
「何それ!?」
しっかりと決めポーズをとり、どうだと言わんばかりのドヤ顔で並ぶ。
「へっへー、かっこいいでしょ」
「うん。いきなりでびっくりしたけど、二人ともかっこよかった。自分たちで考えたの?」
「違う。お母さんが二人揃って自己紹介する時は言いなさいって」
「へえ」
流石、我が子をこの歳から役者に育てようとする親は気合が違うな。
「そしてもう一つ。僕が雄太」
「私が英子」
「二人合わせて太子姉妹!そして私がタコ娘!」
「・・・・・・それもお母さんから教わったの?」
「「うん」」
いやあ、本当にすごいなあ。
「二人はどっちが歳上なの?」
「私がお姉ちゃんだよ」
えっへんと胸を張る英子。どこか誇らしげな顔で、こう見ると少しだけ二人の違いが分かったような気になる。
「僕が弟!」
「へえ、じゃあうちと一緒だ」
「兄ちゃんの姉ちゃんって、もしかしてさっき兄ちゃんの隣にいたボインの人?」
「ボ、・・・?う、うん・・・そうだよ」
「「似てない!」」
見事に二人の声が揃った。
「ははっ、よく言われるよ」
「すいません、リハーサルはじめまーす」
僕にスタッフから声がかかった。
「頑張ってね!」
セットの中に入っていく僕を二人は手を振って送り出してくれた。
スタジオ内が一斉に静まりかえる。裏方の作業をしていたスタッフが全員セットの中に注目し、集中する。視線の集まる一点にいるのが僕とかぐや。演じる役は名家の夫婦だ。
「じゃあカメラ回すわよ。3.2.1・・・」
『あなあなあななあなた、おおおおおかえりなさささい』
『ただいまぁ』
「やり直し」
「はい、カットー」
カチンコの高く透き通った音が響く。
「駄目駄目、えっと、君は・・・確か大和くんだったわね。声に緊張感がないわ。それに早口。あんな演技素人でもできるわよ」
いや、だから僕は素人なんだってば。
「・・・かぐやさん、あなたは・・・」
古井沢は一瞬だけ間を置き、
「最低よ」
一撃でかぐやの心を粉砕した。
「仮にも女優を名乗るなら、どんな時でも毅然としなさい。それができないのなら帰りなさい。所詮あなたもそこらの若いからってチヤホヤされている小娘と同じだったという事。光る物のない女優は何も掴む事はできないわ。お金も地位も、そして男も。あなたの好きな男はやがてあなたの前から消えるわ、絶対にね」
「何もそこまで言わなくても。かぐやだって一生懸命」
「あなたは黙ってなさい」
僕の反論は即座にはねつけられてしまった。
かぐやの体が震える。目は泳ぎ、まさにパニック状態。これだけ大勢の、それも知らない人の前で滅茶苦茶にこき下ろされたんだ。普通の精神状態でいろって言う方が難しい。そもそも僕らはこんな大人数で撮影に臨んだことはない。ここから立て直し、いつものかぐやになるなんて不可能だ。
しかし古井沢はそんなのおかまいなしで、スタッフにやり直しを命じた。
「行くわよ。3.2.・・・ちょっと待ってそこのあなた」
何事だと、僕とかぐやも古井沢の視線の先を見た。そこにいたのは使用人の服を着たまま、ステージ上に寝そべりポテチをばりばりと食べている姉さんの姿だった。
「え、何?」
「何じゃないわよ。YUカンパニーさん、どうしてあなたがそんなところにいるんですか」
「使用人の役だが?」
「あなたに役は与えてないでしょ。それにその手に持っているものは何ですか?」
「ポテトチップスだが?」
「知ってるわよ!」
「・・・ジャガイモをスライスして油で」
「造り方を聞いてるんじゃないわよ!」
「じゃあ、何だよ」
すごい剣幕で怒る古井沢と、他の味のポテトチップスまで取り出してまたバリバリと口に放り込む姉さん。まさに暖簾に腕押し。隣でその様子を見ていたかぐやが、いつの間にか手で口を押さえながら笑っていた。
・・・僕も何だかリラックスしてきた。
「すぃやせん、遅れたっす」
「きみは・・・・・岩雄くん?」
「あ、どうも。大和さん」
汗だくでスタジオに飛び込んでくるなりステージの上に乗り込んできた岩雄くん。
「どうしたの?」
「ええ、梅さんに呼ばれたんで、すっとんできましたよ」
「そうなんだ・・・、何のために?」
「えっと・・・自分も何か役を頂けるとかで」
岩雄くんは、すっかり自宅と同じくつろぎ方をする姉さんの方を見つめた。
「猿役」
「そんな役ないわよ!」
姉さんの返答に、また古井沢が吠えた。
「大和もかぐやも緊張しすぎなんだよ。見てみろ。私に大和にかぐやに岩雄。いつもとそう変わらんだろ?」
姉さんはそう言い残して、すんなりステージの上から降りていった。その言葉で完全に肩の力の抜けた僕たちは、なんとか最初のシーンを切り抜けることができた。
「次のシーンも僕の出番があるんだけど。ていうか僕の出番多くない?」
「そーかー?」
さっさと衣装から私服に着替えた姉さんが、週刊誌片手に気の抜けた返事をする。
「しかも次のシーン。あのおばさん演じる愛人とのキスシーンがある」
「え!?」
予想以上に大きな反応を見せたのがかぐやだった。
「えっと、あれあれ?そっか・・・」
台本を見直し、何度も何度も確認するように頷くかぐや。
「あー、ちょっとたんま」
姉さんが何かを察したのか、かぐやの肩を押して控え室へと連れていった。そして戻ってくるなり、また同じところに座って雑誌を広げる。
「よし、問題なし」
「全く良くないし、問題大有りだよ。むしろ何一つ解決した問題がないよ」
僕は姉さんの手にあった雑誌を奪い取り、話を進める。
「んな、キスって言っても、唇当てるわけないだろ?寸止めだよ、寸止め。キスする前に本人に聞いてみろよ」
それ以上姉さんは取り合ってくれなくなったので、僕は大人しく聞いてみる事にした。
「唇は当てませんよね?」
「ええ、当然よ」
よかった・・・。ほっと胸を撫で下ろす。そりゃそうか。相手は仮にも大女優だ。キスなんて軽はずみでしようもんなら、それこそ事務所問題に発展しかねない。ツイッターだって大炎上だ。・・・持ってないけど。
「ところで、かぐやさんは今どこに?」
「控え室にいるみたいですけど」
「そうなの・・・まあいいわ」
「それでは撮りまーす」
古井沢がステージに上がっている時は、代わりに小柄で神経質そうな助監督がスタッフ、出演者一同に向けて叫ぶ。
「3.2.1」
『-----』
『-----』
カットを何度も挟み、同じ尺でシーン数をわざと増やしたおかげで、台詞もなんとか覚えられている。台本を見たのは、今日が初めて。そもそも台詞なんてものは、僕らの絵本撮影には存在しないものだ。多少不安もあったが、そこはかぐやも練習してきたのか、どうにか付いてこられている。
そして、ついにキスのシーン。僕は古井沢の肩をしっかりと掴んだ。近づく顔と顔。間近に寄って始めて気がついたが、すごい香水の匂いだ。鼻が折れ曲がるかと思った。僕は息を止めて目をつむり、唇と唇が当たるギリギリのところまで近づけた。すると止めたはずの唇が、相手の唇とぶつかる。僕が止めた後も、古井沢の方から僕の方へ近づけたようだ。
「・・・!」
「・・・・・・はい、オッケーです」
助監督の声に、慌てて顔を遠ざける。
「ちょ、何するんですか!」
「ふふ、ごめんなさいね。事故よ、事故。もしかしてファーストキスだったかしら?残念ね、かぐやさんに初めてをあげられなくて、オーッホッホッホ」
何故そこでかぐやが出てくる。何が残念なんだ。そしてなによりどうしてファーストキスだとバレている。
「姉さん、僕は汚されたよ・・・」
「何を今更キスくらいで・・・。大和はキスなんて何回かしたことあるだろ」
「え!?」
僕も知らない事実に驚きを隠せない。だいたい姉さんが何故弟のキス事情を知っているんだ。
「一体僕は誰とキスしたの?」
「確か最初は・・・牛?その次は馬だったな」
姉さんは一つずつ指を折りながら数える。
「極めつけはサンショウウオだな」
「そんなものとキスした覚えないんだけど!」
その時、サンショウウオという単語によって、頭の左下辺りがズキンと痛み、見たこともない記憶が甦ってくる。これは・・・消したはずの記憶・・・・。
「それ以上はやめとけ、死にたくなるぞ」
「もう十分死にたくなったよ」
頭の片隅に何かモヤモヤとするものがあった。もう少しで思い出せそうなのに、なかなか思い出せない。
「何で僕は牛なんかと・・・あれ、その前に何かとキスしてたような・・・姉さん覚えてない?」
「・・・さあな」




