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smile  作者: 刃下
第一章
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第二話「姉弟のパワーバランス」

全部フィクションです。全部関係ありません。

「姉さん、もうすぐ着くよ」


ポテトチップスの袋に片手を突っ込み、文字通り食い倒れた状態で二度寝をかます姉さん。僕はルームミラー越しにどうにか起こそうとするのだが、一瞬だけ薄目を開けた姉さんはものすごーくめんどくさそうな顔になり、んんーっと怒鳴るような声と一緒に寝返りを打った。その拍子に持っていた袋から中身が座席の下へと散乱する。


「なんてことするんだ、そこは掃除するのが大変な場所なんだぞ!」

「うるへー、声がでかい。手が滑ったんだよ」

「嘘つけ、わざとやったくせに。姉さんはいつもそうだ。自分で掃除した事がないから、そんな酷いことができるんだよ。だいたい姉さんの部屋だって僕が掃除してるんじゃないか」

「はいはい、分かった分かった。わざとやったよ、私が悪かった。これでいいか?」


姉さんはぶうっとほっぺたを膨らませた。ルームミラーに映る、子供が親に怒られた時のようなシュンとした顔。人によってはこういう一面を幼くて可愛いだとか、ギャップ萌えなんて言葉を使ったりするんだろうが、何というか、それ故に我が姉ながら非常に残念である。なぜなら姉さんの場合、それはギャップでもなんでもない。精神年齢とわがままの加減が小学生の時から一切成長していないのである。もっと言えば、姉さんの内面は糞ガキ以下だ。






ご存知だろうか。

歯磨き粉が携帯食にもなるという話を。

これは噂でも都市伝説でも、あるいはサバイバルの知識でもない。

それはれっきとした事実である。


「うわあ・・・まじかよ・・・」

「はっはっはっ、面白いなこいつ」


弟が自分用にと買ってきたせんべいを姉が奪い取り、弟が注いだ二つの湯飲みのお茶を姉が二つとも飲み干す。どこにでもある一家団欒の風景だ。テレビでは特徴的な髪形をした男のお笑い芸人が、女性アイドルの口紅を食べるという一芸を披露している。


「あんなものよく食べるよなあ、絶対に後でお腹壊してると思うよ。いくらお腹が空いても絶対真似しちゃ駄目だからね、姉さん」

「はっはっはっ、どうして私が口紅を食べなきゃいけないんだよ。だいたい口紅なんか持ってないし。でもよ、これはこれですごい特技だと思わないか?もしもこいつが山で遭難しても、口紅さえあれば死なねえんだからな。他のやつは食料がなくて一人、また一人と力尽きる中、こいつだけは口紅を食べて生き残るんだよ。尊敬するなー」

「やってることは人として本当に最低な事なんだから、尊敬しちゃ駄目だよ姉さん」


そもそも性別が男である彼が、山の中を歩くのに食料は持たずとも口紅は持参しているというシチュエーションがすでにおかしい。なおかつ遭難して、運よく持っていた口紅を少しずつ食べながら生還するなんて事態が実現しうるだろうか。すると姉さんは手に持っていたせんべいを一枚ぼりっと噛み砕き、少し考えて呟いた。


「口紅がいけるなら・・・歯磨き粉だって食べられそうだよな」

「ど、ど、ど、どうかなあ」


そのとき僕はすでに嫌な予感に襲われていた。そして、姉さんの目を見て、確信した。ああ、僕は歯磨き粉を食べさせられるんだ。


「見たいなー、大和が歯磨き粉を美味しそうに食べてるところ」


姉さんの口から出る「見たいなー」は、つまりやれという意味である。おもむろに立ち上がった姉さんは、そそくさと洗面所へ向かうと開封したばかりの歯磨き粉を手に戻ってきた。


「ささっ、ぐぐっといっきにどうぞ」

「全部!?」


姉さんが手のひらを見せるように、どうぞどうぞとジェスチャーで急かす。


「今、大和は遭難しててお腹がぺこぺこだ。何か食べなきゃ死んじゃうんだぞ?」

「でもほら、遭難してるなら食料は節約しないと。一気に全部食べちゃうのは危険だよ。いつ救助が来るかも分からないし」

「黙れ。いいから飲め」


その日、僕はトイレで一夜を明かしたのだった。






「おい、前見ろ、前」


姉さんの叫び声ではっと我に返った。いつの間にか目の前には急カーブが迫っていた。どうやら辛い記憶を思い出すうち、トリップしてしまっていたらしい。僕は慌ててハンドルをきる。


「ちっ、危ないなあ。勘弁しろよー」


大きくため息をついて姉さんは座席の背もたれに深く倒れこんだ。


「ご、ごめん」


道路脇を木に囲まれ、雰囲気はいよいよTHE山の中。もしカーブを曲がり損ねれば崖下にまっさかさまである。姉さんが耳元で叫ばなければ、あるいは本当に遭難するところだったかもしれない。危ない、危ない。


「別にいいけどさ。頼むぞ?私まだ死にたくないし、死ぬにしたってこんな自然のど真ん中は御免だ。・・・、じゃあ姉さん、また寝るから」


そう言って、レバーを引き座席をかたむける姉さん。おい、まだ寝る気か。寝る子は育つってか。これ以上育ってもらうと困るぞ。主に食費とか、食費とか、食費とか。


「姉さん、もう着くってば。ちょっと」

「んー、あー、・・・ぐぅ」


早いな、この野郎。


「ほら起きて、起きてよ姉さん」

「ううーあー、ううー、やめ、やめて、梅ちゃんクイーズ!パンはパンでも食べられないパンってなーんだ」


初めての人は、いきなりの事で驚いただろう。実にごもっとも。驚かないやつはどうかしてる。

簡単に説明しよう。梅ちゃんクイズとは、一分一秒でも長く寝ていたいという姉さんの願望が生み出した苦肉の策である。自分の惰眠を邪魔する相手(主に僕)にクイズを出して、正解するまでの間、少しでも睡眠時間を延ばそうという悪あがきだ。ちなみに出題パターンはおおむね3パターンしかないが、答えは無限大にある。本人曰く、意識は眠ったままだからクイズは咄嗟に出てくるとの事。


「フライパン」

「ぶっぶー」

「パンダ」

「はずれー」

「パンツ」

「ちーがーうー」

「着いたよ」


鈍い音と共に、車が砂利の上で止まった。サイドブレーキを引いて、エンジンを切り、運転席から降りると、後部座席に回って姉さんを揺り起こす。


「で、結局今度の正解はなに?」

「正解はなし。食べられないパンなんてこの世には存在しない。つまり正解は沈黙」

「沈黙してたら姉さんいつまでたっても起きないだろ、馬鹿」


僕は寝ぼけて足元のふらつく姉さんを支えながら、山道にぽつんと建つ古ぼけた民家へと歩みを進めた。


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