第9話 荒くれ者たちの集う扉
日の光すら届かない、暗く鬱蒼とした『魔の森』を抜け――千代女の視界が、にわかに大きく開けた。
「なんと、だだっ広い! これは爽快じゃ」
見上げれば、どこまでも高く澄み渡る蒼穹。足元には、地平線の彼方までうねるように広がる緑の平原。
島国である日ノ本では決してお目にかかれない、大陸ならではの壮大なスケールの景色に、千代女は目を細めて肺の奥まで深く、美味い空気を吸い込んだ。
懐にはミアから貰った手作りのお守りの確かな温もりがあり、肩には獣人の集落で譲り受けた深緑のマントが、平原を吹き抜ける心地よい風にバサバサと揺れている。
「さて。まずはミアが教えてくれた人間の街を目指すか」
頭の中に広げた大雑把な地図を思い出しながら、千代女は一本の長く続く街道を悠々と歩き始めた。
その足取りは羽のように軽く、数刻も歩いた頃には、街へ向かう恰幅の良い商人の荷馬車とすれ違った。
商人は、見慣れぬ異国の装束を纏った美しい女が、魔物が出る危険な街道を独りで、しかも散歩でもしているかのような足取りで歩いていることにひどく驚き、親切にも同乗を申し出てくれたのだ。
代わりに道中の護衛を頼まれた千代女だったが――結論から言えば、彼女が愛刀の鯉口を切る機会は一度たりとも訪れなかった。
無理もない。千代女から無意識に漏れ出ている、歴戦の死線を潜り抜けた者特有の「底知れぬ覇気」にあてられ、街道沿いに潜んでいた魔物たちが本能的な死の恐怖を感じ、一目散に逃げ出していたからだ。
商人は「なんて運のいい旅だ! 旅の女神の祝福に違いない!」と大喜びで千代女の手を取って感謝したが、当の千代女本人はといえば「……なんの歯応えもない、ひどく退屈な道行きであったな」と、馬車の隅で頬杖をつき、少しばかり不満顔であった。
◆
数日後。
馬車に揺られた千代女は、巨大な石造りの城壁にぐるりと囲まれた人間の街――辺境都市『ファルサ』へと到着した。
一歩足を踏み入れれば、そこは活気あふれる喧騒の坩堝だった。
香辛料や焼けた肉の匂いが漂う市場、行き交う様々な種族や、見たこともない色鮮やかな服装の人々。
中には、使い込まれた剣や身の丈ほどもある杖といった武具を堂々と持ち歩き、鋭い眼光を放っている者たちの姿も多い。
日ノ本とはまったく違う、エネルギーに満ちた異世界の街並みを興味深そうに眺めながら、千代女は商人にお礼を言い、真っ直ぐに目的の場所へと向かった。
街の中央通りから少し外れた広場に建つ、一際大きく、武骨な造りの石造りの建物。
重厚な入り口に掲げられた木彫りの看板には、剣と盾が交差した紋章が誇らしげに描かれている。
「ここが、冒険者ギルド……。一人で軍勢と戦うような、一騎当千の猛者が集う場所か」
千代女はゴクリと喉を鳴らし、はち切れんばかりの期待に胸を膨らませた。
この扉の向こうに、某の命を余すことなく燃やし尽くせる『真の強者』がいるやもしれぬ。
ギィィィ……ッ。
年季の入った分厚い両開きのオーク扉を、遠慮なく堂々と押し開ける。
瞬間――喧騒と熱気に包まれていたギルド内の空気が、文字通り、ピタリと凍りついたように止まった。
安いエール酒の匂いと、汗、そして武具にこびりついた鉄の錆びた匂いが混じり合う、むせ返るような空間。
そこに居たのは、顔に大きな傷を持つ粗暴な顔つきの男たちや、薄暗い隅の席から品定めするような鋭い眼光を放つ戦士たち――幾多の死線を越えてきた、いわゆる『冒険者』たちであった。
彼らの獰猛な視線が、入り口に立つ見慣れぬ異国の女剣士へと一斉に突き刺さる。
新入りを値踏みするような、あるいは格好の獲物を見るような、剥き出しの敵意と暴力的な好奇心。
常人であれば、その場に縫い留められたように竦み上がり、悲鳴を上げて逃げ出してしまうような凄まじいプレッシャーだ。
しかし。
その殺伐とした視線の集中砲火を浴びた千代女の形の良い唇は、歓喜にワナワナと震え、三日月のような弧を描いていた。
「ほう……」
千代女はゾクゾクと全身の毛穴が泡立つような背筋の疼きを感じながら、極上の好戦的な笑みを浮かべて低く呟く。
「出迎えから、これほどの心地よい殺気とは。……まったく、随分と気の利いた挨拶をしてくれる。退屈させぬ場所のようだな」
冒険者たちに向けられた威嚇と牽制の視線を、あろうことか『極上の歓迎』であり『立ち合いの申し出』だと壮大に勘違いした最強の侍が、ついにギルドの床へと、嬉々として足を踏み入れた。
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