第6話 恩人への歓待と、強き母
「――というわけなの。私が奴隷商に捕まって、さらにトレントに襲われそうになったところを、千代女お姉ちゃんが助けてくれたの!」
集落の入り口で、両手を広げたミアの必死の訴えが響き渡った。
それを聞いた瞬間、父親である族長の男は、呆然とした顔で構えていた身の丈ほどもある大剣をポロリと取り落とした。
ガランッ、と重々しい金属音が土の上に響く。
「なんだと……? 忌まわしき奴隷商の魔の手から、この人間が……いや、こちらの御仁が救ってくれたというのか。しかも、あのトレントの群れを一人で……?」
父親は信じられないといった様子で、千代女とミアの顔を交互に見つめた。
普通の人間の剣士が、あの凶悪な魔物を、しかも傷一つ負わずに倒せるはずがない。
しかし、無事に帰ってきた娘の姿と、先ほど千代女から放たれた「本物の死線」を潜り抜けた者特有の凄まじいプレッシャーが、それが紛れもない事実であることを物語っていた。
父親はふと我に返ると、ゆっくりと巨体を沈めて片膝をつき、深く、深く頭を下げた。
「……私の、とんだ早とちりであった。あわや、愛する娘の命を救っていただいた大恩人に、取り返しのつかない刃を向けるところであった。族長として、そして一人の父親として、非礼を詫びよう」
「む……なんだ、立ち合いはせぬのか。あの気迫、久々に血が沸き立つ思いであったのに」
本気で、心底残念そうに肩を落とす千代女。
その戦闘狂すぎる反応に、櫓の上で弓を構えていた戦士たちは一様に頬を引きつらせた。
――その時である。
「あなた、ミアの大恩人様になんて事をされているのですか!」
集落の奥から、凛とした、しかし有無を言わせぬ迫力を持った女性の声が響いた。
戦士たちが慌てて道を開けると、そこから一人の美しい猫獣人の女性が足早に姿を現した。
ミアと同じ毛色のしなやかな耳と尻尾を持ち、纏う空気はどこか気品に溢れている。
「お母様!」
ミアが弾かれたように駆け出し、女性の胸へと飛び込んだ。
「いや……これは〜……その…ミアをだな。不審な人間が拐ってきたのだとばかり……」
「貴方様は黙ってらっしゃい!」
言い訳をしようと冷や汗を流す巨漢の族長を、母親はピシャリと一喝した。
先ほどまで殺気立っていた屈強な戦士たちが、全員ビクッと肩を震わせる。
しかし、我が子を抱きしめる母親の瞳からは、大粒の涙が溢れ出していた。
「ミア……無事に帰ってきてくれて、本当に良かったわ……っ」
「お母様…黙って一人で外に出てしまい、ごめんなさい。お母様に、ポポロの実を……」
泣きじゃくる娘の頭を優しく撫でながら、母親は千代女の方へと向き直った。
そして、先ほどの夫への怒りとは打って変わった、淑やかで深いお辞儀をする。
「千代女様。娘の命を救っていただき、本当にありがとうございます。愚夫の無礼、どうか平にご容赦くださいませ」
千代女は目を丸くした後、ふっと口元を緩めた。
「よいよい。母の強さは、日ノ本でも異国でも変わらんらしい。……それにしても、良い匂いが漂ってきておるな?」
千代女の視線の先、集落の奥からは、肉を焼く香ばしい匂いが漂い始めていた。
◆
通されたのは、集落の中央にある族長の大きな家だった。
獣人たちは人間への警戒心を完全には解いていなかったが、族長の妻の鶴の一声と、何より娘の恩人とあっては無碍にもできない。
焚き火のそばに置かれた素朴な果実酒と、豪快な骨付きの肉料理を前に、千代女は上座で堂々と胡座をかき、すっかりくつろいでいた。
「改めて礼を言う、千代女殿。私はこの集落を束ねる族長で、ガロンという。そして妻のルミアだ」
「うむ。気に病むな、ガロン殿。某はたまたま通りかかり、目の前の動く薪を斬ったまでのこと」
琥珀色の果実酒を美味そうに煽る千代女の姿を見て、ガロンは不思議そうに目を細めた。
「しかし、見慣れぬ身なりだ。その片刃の反った剣に、動きやすさを重視した独特の衣服……。千代女殿は、一体どこの生まれなのだ?」
「某か? 某は『日ノ本』という国の生まれだ。ここからどのくらい離れておるのかは見当もつかんがな」
「ヒノモト……知らぬ国名だな」
ガロンの言葉に、千代女は酒の入った杯を見つめ、静かに息を吐いた。
「そうか……」
やはり、ここは自分の知る世界ではない。
薄々感づいてはいたが、こうしてはっきりと告げられると、腹の底に落ちるものがある。
未練があるわけではないが、少しばかりの郷愁が胸を掠めた。
しかし、ガロンは太い顎に手を当て、何かを思い出すように続けた。
「だが、千代女殿の様な格好をした人間が、遥か東の大陸に住んでいるというのを、ある商人に聞いた覚えがある」
「ほう。東の大陸、とな」
「ああ。その商人というのは私の実の弟でな。獣人には珍しく異常なほど好奇心旺盛な性格をしていて、世界中を渡り歩いて商いをしている変わり者なのだ。数年前に集落に顔を出した際、『東の果てに、奇妙な片刃の剣を振るう強者たちの国がある』と、目を輝かせて語っていた」
その言葉を聞いた瞬間。
千代女の涼やかな瞳に、再び剣神としての恐ろしく鋭い光が宿った。
「……強者たちの、国」
その響きは、死に場所と骨のある相手を求める彼女にとって、何よりも甘美な誘惑であった。
日ノ本と同じような剣術を使う者たちがいるというのなら。
自分を満足させてくれる、あるいは自分を殺し得る「真の強者」がそこにいるかもしれない。
「ガロン殿。その東の大陸とやらには、どう行けばよいのだ?」
バンッ! と身を乗り出す千代女のただならぬ気迫に、歴戦の戦士であるガロンすら思わずたじろいだ。
「ま、待て。東の大陸に行くには、険しい山脈を越え、さらに海を渡らねばならん。それに、弟の話によれば、そこは魔物の強さもこの辺りとは比較にならんほどの『魔境』だぞ?」
「なんと! それは重畳!」
千代女はパンッと膝を叩き、この世界に来て一番の満面の笑みを浮かべた。
危険だと止めたはずなのに、なぜか最高に嬉しそうにしている恩人の姿に、ガロンはただただ困惑して額の汗を拭うしかなかった。




