第5話 こだまする少女の声
巨大な丸太で強固に組まれた集落の門に近づくにつれ、見上げるほど高い物見櫓の上が俄かに騒がしくなるのが分かった。
「――ッ! おい、あれを見ろ!」
「人間だ! なぜこんな森の奥深くに……待て、あの人間が連れているのは!」
獣人特有の鋭い視覚が、千代女の隣を歩く小さな見覚えのある影を捉える。
次の瞬間、櫓の上にいた数人の獣人の戦士たちが一斉に強弓を引き絞り、殺意に満ちた鋭い鏃を千代女へと向けた。ギリギリと弓弦が軋む音が、冷たい風に乗って届く。
「止まれ、人間! それ以上一歩でも近づけば、その身体をハリネズミに変えるぞ!」
張り詰めた怒声が頭上から降ってくる。
無数の殺気を向けられ、ミアは「ひっ」と短い悲鳴を上げて、震えながら千代女の背中に隠れた。
だが、矢面に立つ千代女は涼しい顔である。
むしろ、四方八方から向けられる明確な敵意を、春の陽だまりのように心地よさそうに浴びながら、まったく歩みを止めることなく堂々と進んでいく。
「ま…待ってください! 違うんです、この人は――!」
ミアが必死に千代女を庇おうと叫んだ、その時だった。
ギギギギギ……ッ!
重厚な木の門が内側から乱暴に開かれ、土煙を上げて一人の獣人が飛び出してきた。
他の戦士たちよりも一回り、いや二回りは大柄な、筋骨隆々のワーキャットの男。
その鍛え上げられた肉体には、数多の死線を潜り抜けてきたであろう無数の傷跡が刻まれ、彼が歴戦の猛者であることを如実に物語っている。
「お父さん……っ!」
ミアが顔を輝かせる。
彼こそが、この集落を束ねる族長であり、行方不明になっていたミアの父親であった。
だが、父親の血走った目に映ったのは、無事な娘の姿だけではない。
愛する娘のすぐ傍らに立つ、腰に刀を帯びた得体の知れない人間の剣士の姿。
「貴様ァ……! に……人間! 私のミアをよくもッ!!」
父親の咆哮は、激しい怒りと、娘を人質に取られた絶望で激しく震えていた。
彼は迷うことなく背に背負った身の丈ほどもある大剣を引き抜き、千代女を真っ二つに両断すべく、地を抉るような勢いで猛然と距離を詰めてくる。
親としての絶望的なまでの愛と、種族を守る長としての重い責任。そのすべてが乗った、決死の特攻。
しかし、千代女の目には、それがまったく『別のもの』に映っていた。
「ほう、いい気迫だ! 某も久々に気合いを入れねばな」
千代女の桜色の唇が、歓喜に三日月型に吊り上がる。
怒りと恐れから来る彼の震えを、彼女はあろうことか『武者震い』だと勘違いしたのだ。
異世界に来て初めて出会った、自分に向かってくる明確な「強者」の気配。
千代女の瞳の奥で、剣神としての昏く熱い炎がボワッと燃え上がった。
チャッ――。
愛刀『無銘』の柄に手を添え、親指で静かに鯉口を切る。
スッと重心を落とし、迎撃の構えをとる千代女。
その瞬間だった。
彼女の華奢な身体から放たれた、質量すら感じさせる尋常ではないプレッシャーに、物見櫓の戦士たちも、突進していた父親でさえも、本能的な死の恐怖で全身の毛を総毛立たせた。
――斬られる。
父親の野生の勘がそう直感した時には、すでに止まれない距離にまで踏み込んでいた。
両者が交錯する、一閃の間。
空気が凍りつき、血飛沫が舞うかと思われた、まさにその刹那。
「やめてーーーーーッ!!」
張り詰めた静寂を切り裂くように、ミアの悲痛な声が森にこだました。
少女は涙目で両手を広げ、父親の振り下ろされる大剣と、千代女の神速の抜刀の軌道上のど真ん中へと、己の小さな身体を投げ出したのだ。
「なっ……ミア!?」
「……む」
父親は驚愕に目を剥き、必死に地面を踏みしめて筋繊維がちぎれんばかりの力で無理やり大剣の軌道を逸らす。
ズガァンッ!と重い刃が千代女たちの横の地面を深くえぐった。
一方の千代女もまた、わずかに目を見開くと、すでに鞘から半分ほど飛び出していた神速の刃を、娘の髪の毛一本傷つける寸前のところでピタリと止め、カチリと澄んだ音を立てて鞘へと戻した。
寸分の狂いもない、神業としか言いようのない剣の制御であった。
「千代女お姉ちゃんは、敵じゃないの! 私を、悪い奴隷商から助けてくれた大切な恩人なんだから!」
両手を広げ、父親を睨みつけるようにして立つミア。
その必死な言葉に、父親の構えていた大剣が、力なくズルリと下へと下がっていく。
櫓の上で弓を構え、冷や汗を流していた戦士たちも、呆然として顔を見合わせた。
「……え? 人間が……この、恐ろしく強い人間が、お前を……助けた、だと?」
父親の間の抜けた戸惑いの声が、水を打ったように静まり返った門前に、ポツリと落ちた。
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