第4話 野営の夜、毒々しくも甘き果実
鬱蒼とした『魔の森』に、重苦しい夜の帳が下りようとしていた。
分厚い天蓋のような木々の隙間からわずかに差し込んでいた陽光さえも完全に失われ、森は底知れぬ暗闇へと沈んでいく。
それと同時に、どこからともなくガサガサと這い回る音や、得体の知れない獣たちの低い唸り声が、四方八方から剣呑に響き始めた。
「千代女お姉ちゃん……暗くなった森は、昼間よりずっと危険です。夜行性の凶暴な魔物も出ますし……」
ミアはすっかり怯えきった様子で、ピンと立った猫耳をレーダーのようにピクピクと動かしながら、千代女の背中に隠れるようにして周囲を警戒していた。
獣人である彼女には夜目が効く。
だからこそ、闇の奥で蠢く「何か」の気配が痛いほどに分かり、十二歳の少女にとってこの森の夜がどれほどの恐怖であるかは想像に難くない。
「ふむ、なれば無理に進むのは下策。今日は野営の準備だな」
千代女はあっさりとそう言うと、風を避けられそうな岩肌の近く、手頃な開けた場所を見つけて足を止めた。
そして、ミアが目を丸くするほどの速さで、流れるようにテキパキと準備を始めた。
「えっと、私、火を起こすための火打ち石とか持ってなくて……ひゃあっ!?」
「ん? 火ならもう着いたぞ」
カチッ、と小気味良い音が鳴ったかと思うと、集められた乾いた苔の上にチロリと火種が落ちた。
千代女は枯れ木や落ち葉を器用に集めると、愛刀の鍔と手頃な石を打ち合わせて、瞬く間に赤々と燃える焚き火を作ってしまったのだ。
さらに、道中で摘み取っていた、獣避けとなる独特のツンとした匂いを持つ薬草を炎の周りで燻らせ、あっという間に安全な野営地を構築していく。
一切の無駄がないその動き。
幼い頃より血生臭い戦場を駆け、道なき山野で雨露を凌いできた彼女にとって、野営など息をするのと同じくらい慣れ親しんだ日常であった。
「すごい……まるで、熟練の冒険者みたいです」
「いや、ただの侍だが?」
パチパチとはぜる炎に照らされ、尊敬の眼差しを向けてくるミアに不思議そうに首を傾げつつ、千代女はどっこいしょと焚き火のそばに腰を下ろした。
ふと、彼女の視線が、炎に照らし出された太い木の根元の群生に向く。
「しかし、この森は変な色や毒々しい模様をした物が多いのう。例えば、あそこにある紫と緑の斑点模様の丸っこいものなど、日ノ本であれば間違いなく猛毒を持つ茸の類だが……」
千代女が指差した先を見た瞬間、それまで不安げだったミアの顔がパッと明るい花が咲いたように輝いた。
彼女は小走りでその植物に近づき、大人の拳ほどもある、紫と緑の禍々しい玉を嬉しそうに両手でもぎ取った。
「あっ! これ、私が大好きな果物です!」
「なんと、それが果物なのか? どう見ても腹を下す色合いぞ。いや、下手すれば三途の川が見えるかもしれん」
本気で疑わしげな目を向ける千代女に、ミアは「大丈夫です!」と笑い、その果物の分厚い皮を器用に手でツルンと剥いてみせた。
すると、毒々しい外見からは想像もつかない、淡い桃色の瑞々しい果肉が顔を出す。
同時に、甘酸っぱく芳醇な香りがふわりと漂ってきた。
ミアが美味しそうに一口齧り、果汁を滴らせるのを見て、千代女も恐る恐る一つ手に取り、小さく口へ運んだ。
「……どれ、某も一口…………む」
千代女の涼やかな瞳が、パチクリと丸くなる。
「……甘いの~」
戦場では決して見せることのない、ふにゃりとした、年相応のだらしない笑顔。
見かけによらず、口の中いっぱいに広がったのは、極上の蜂蜜のような濃厚な甘みと、疲れを吹き飛ばすような爽やかな酸味だった。
噛むほどに溢れる果汁に、死に場所を求める冷徹な剣神の頬が、これ以上ないほどに緩み切っている。
「ふふっ、美味しいでしょう? これ『ポポロの実』って言うんです。私、これをお母さんに食べさせたくて、森の浅いところまで探しに来て……それで、あの奴隷商たちに」
ポポロの実を見つめるミアの耳が、思い出したように再びしゅんと垂れ下がる。
千代女は無言のまま、ポポロの実をもう一口大きく齧り、空いた方の、剣ダコのある大きな手でポンとミアの頭に置いた。
「美味い実だ。これならば、お主の母親もさぞ喜ぶだろう。……安心せい。明日、必ず送り届けてやる」
「……はいっ!」
炎越しに見る千代女の力強い瞳と、確かなぬくもりに、ミアはポロポロと安心の涙をこぼしながら大きく頷いた。
◆
そして、翌朝。
千代女が放つ、無意識の覇気のおかげか、魔物の襲撃を一切受けることもなく、二人はついに鬱蒼とした森を抜け、開けた場所へと出た。
眩しい朝日に目を細める。
「千代女お姉ちゃん、見えました! あそこが私たちの集落です!」
ミアが指差す先。
そこには、太く丸太で強固に囲まれた、巨大な砦のような集落がそびえ立っていた。
入り口には見上げるほどの重厚な木の門があり、その上部に設けられた物見櫓には、弓や槍を手にし、鋭い眼光を放つ屈強な獣人の戦士たちの姿がはっきりと確認できる。
いよいよ、人間を深く憎む獣人たちの不可侵領域。
案の定、櫓の上の戦士たちが人間の姿である千代女に気づき、慌ただしく動き始めるのが見えた。鋭い警戒の怒声が、遠くここまで響いてくる。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか……」
千代女は、腰の『無銘』の柄にそっと手を添え、まるで極上の獲物を見つけた猛禽類のように、ひどく面白そうに目を細めた。
「……案外、某を満足させる剛の者がおるやもしれんな」
ピリピリとした殺気が向けられているというのに、どこか楽しげに、うっとりと呟く侍。
そんな戦闘狂の彼女に連れられ、猫耳の少女はついに、波乱の予感しかしない故郷の門前へと辿り着いたのだった。




