第3話 猫獣人のミアと、相容れぬ種族
「……え? みみ、かざり……?」
千代女の突拍子もない言葉に、少女は涙の膜を張った大きな瞳をさらに丸くした。
自分の灰まみれになった頭頂部に生えている二つの耳を、両手で包み込むようにペタンと押さえ、ひどく戸惑ったように目の前の美しき剣士を見上げる。
「あの、これ、本物です。私、猫獣人ですから……」
「ほう、本物。……獣と人が混じった一族とな。日ノ本には天狗や狐の妖がおるが、それに近いものか」
千代女は興味深そうに目を細めると、警戒して後ずさろうとする少女の顔の横へスッと手を伸ばし、遠慮なくそのふさふさとした猫耳を指でふにふにと摘まんだ。
「ひゃんっ!?」
「ふむ、驚くほどに柔らかい。作り物ではないようだな。微かに脈も打っておる。……して、童、名は何と申す?」
獣人にとって敏感な部位を躊躇いもなく触られ、ビクンと肩を大きく揺らした少女は、耳の先まで真っ赤に染めながらも、恐る恐る小さな唇を開いた。
「ミ、ミアです。今年で十二になります」
「ミアか。某は千代女。見ての通り、しがない侍だ」
千代女は名乗りながら、周囲の凄惨な状況――緑色の体液を流して崩れ落ちたトレントの残骸と、原型を留めぬほどへし折られた男たちの死体――を改めて見渡し、不思議そうに首を傾げた。
「しかしミアよ。お主、なぜあのようなむさ苦しい男たちと一緒にいたのだ? 身なりからして、親族や連れ合いではあるまい」
「あの人たちは……奴隷商です。私、集落のすぐ外に薬草を摘みに出た時に、運悪くあの人たちに見つかって、網で捕まってしまって……」
ミアの視線が、血溜まりの中に転がっている分厚い鉄の首輪と鎖へと落ちる。
自由を奪われ、見世物や愛玩物として一生を終える恐怖を思い出したのか。
彼女の細長い毛皮の尻尾が、ブルブルと震えながら己の足にきつく巻き付いた。
「……なるほど。人攫いであったか」
その瞬間、千代女の涼やかな瞳から、スッと一切の感情が消え失せた。
森の空気が、急激に冷え込んだ錯覚に陥るほどの凄まじい冷気。
先ほどまでは「助けが間に合わなかった不運な者たち」と少しばかりの哀れみを感じて合掌すらした死体だが、事情が分かれば話はまったくの別だ。武士の風上にも置けぬ外道に、くれてやる情けなど欠片もない。
「ならば、あの大木どもに潰されたのも自業自得、天罰というやつだな。某が手を下すまでもなく、斬る手間が省けたというものだ」
「えっ……」
悪党の無残な死に対して微塵も同情を見せず、むしろゴミでも見るかのように吐き捨てた千代女の冷徹な側面に、ミアは思わず息を呑む。
だが、千代女はすぐにいつもの飄々とした態度に戻り、剣ダコのある白魚のような手をミアへと差し伸べた。
「立てるか、ミア。よければ、お主の集落とやらまで送り届けよう。こんな化物ばかりが跋扈する森を、十二の童が独りで歩くものではない」
「お、送ってくれるんですか……? でも……」
ミアは差し出された千代女の温かな手を取ろうとして――ハッと激しく躊躇い、その手を胸の前に引っ込めてしまった。
泥に汚れた幼い顔には、深い葛藤と、明確な恐れが浮かんでいる。
「千代女お姉ちゃんは、人間……ですよね?」
「いかにも」
「ダメです! 人間の大人が私たちの集落に近づいたら、問答無用で殺されてしまいます!」
ミアの悲痛な叫びに、千代女はぱちくりと目を瞬かせた。
現在、この大陸において人間と獣人は激しく対立している。
人間は獣人を「知能の低い野蛮な亜人」「絶好の奴隷の弾」と見下し、獣人は人間を「森を荒らし、同胞を拐う卑劣な侵略者」として深く憎悪していた。
ましてやミアは、誇り高き猫獣人族の『族長の娘』なのだ。
行方不明になっていた彼女を連れた人間の剣士など、血気盛んな集落の戦士たちからすれば「娘を人質に取って森へ侵入した卑劣漢」にしか見えないだろう。
弁明の余地など与えられず、無数の槍と矢が降り注ぐのは火を見るより明らかだ。
「私たちは、人間とは相容れないんです……。だから、せっかく命を助けてもらったのに、これ以上、千代女お姉ちゃんを危険な目に遭わせるわけには……っ」
恩人を想い、ポロポロと大粒の涙をこぼし始めるミア。
種族の壁という、この世界における深く重い事情。
普通の人間であれば、ここで面倒を避けて立ち去るか、森の出口付近まで案内して別れるのが定石だろう。
しかし、千代女の思考回路は、異世界の常識とは根本から違っていた。
「……はて?」
千代女はきょとんとした顔で、ミアの頭をポンと撫でた。
「なぜ、某が殺される前提なのだ?」
「え……? だ、だから、獣人の戦士は人間を親の仇みたいに憎んでいて、集団で襲って……」
「なんの。もしお主の同胞が某に刃を向けるというのなら、それはそれで一向に構わん」
千代女の桜色の唇が、三日月のように吊り上がった。
その瞳の奥には、死に場所と、己の命を脅かすほどの強敵を求める『剣神』としての昏い歓喜の炎が、チロリと、しかし猛烈な熱を伴って燃え上がっていた。
「むしろ、某を満足させるほどの骨のある強者がおるのなら、是非とも立ち合いを所望したい。さあ、案内せよ」
「えええええ……!?」
本気で命の心配をしているミアの手を強引に引き、千代女は意気揚々と足取りも軽く歩き出す。
人間と獣人の深い確執など、ただひたすらに剣の道と死地を求める狂人にとっては、まったくもって知ったことではなかった。




