第15話 剣の舞と、常識が壊れる音
――グオォォォォォォッ!!
坑道の空気を震わせ、鼓膜を破らんばかりの咆哮が轟く。
先頭にいた三メートルを超える巨体のオーガが、目の前の華奢な獲物をひき肉に変えるべく、大岩を削り出したような無骨な棍棒を、千代女の頭上へと猛然と振り下ろした。
凄まじい風圧。まともに食らえば、ただの人間など悲鳴を上げる間もなく、跡形もなく潰れる。
「ひっ……! あ、ああぁっ……!」
ソフィアは短い悲鳴を上げ、思わず両手で顔を覆って強く目を閉じた。
だが、待てど暮らせど、肉が潰れる嫌な音は聞こえてこない。
代わりにソフィアの耳に届いたのは。
――スゥン、という、冷たく鋭い風が吹き抜けるような静かな音と。
ドスゥンッ! という、とてつもなく重い肉塊が地面に崩れ落ちる音だった。
「……え?」
恐る恐るソフィアが指の隙間から目を開けると、そこには、彼女の理解が追いつかない信じられない光景が広がっていた。
先ほどまで棍棒を振り上げていた先頭のオーガが、右肩から左脇腹にかけて、綺麗な斜め一文字に両断され、ズルリと肉をズレさせるようにして倒れていたのだ。
ドクドクと噴き出す血の雨。
だが、千代女はその赤い飛沫の中を、まるで雨粒の間をすり抜けるように優雅に歩み、一滴の返り血すら浴びることなく、すでに次の獲物の懐へと肉薄していた。
「ふむ。ただ図体がデカいだけの的じゃな。まるで動きが止まって見えるぞ」
千代女の形の良い唇は、三日月のように吊り上がっていた。
仲間を殺され、怒り狂った数十体のオーガたちが一斉に襲い掛かってくる。
四方八方から迫る丸太のような太い腕や、凶悪な武器の嵐。
しかし千代女は、それらを紙一重の身のこなしで、まるで優雅な舞でも踊るかのように躱していく。
「ギガァッ!?」
オーガが驚愕の声を上げる間すら与えない。
振り下ろされた棍棒の軌道を刀の峰で滑らせるように受け流し、その遠心力を利用してオーガ自身の首を刎ね飛ばす。
前のめりに倒れ込む巨体の背中をふわりと蹴って跳躍し、空中で独楽のように回転しながら、迫り来る三体のオーガの頭蓋をまとめて真横に薙ぎ払う。
分厚く硬い皮膚? 驚異的な再生能力?
そんなものは、刃が触れたことすら気づかせず、再生する間もなく首や心臓を刎ね飛ばしてしまえば、まったく何の意味もなさない。
(……えぇ……な、なに、あれ……)
へたり込んだままのソフィアは、ただただポカンと口を開けていた。
魔法による支援もなく、重装備すらない細腕の人間の女が、たった一本の薄く反った剣で、Cランクのパーティーを全滅させた凶悪な魔物の群れを、一方的に、それも『鼻歌でも歌い出しそうに楽しそうに』狩っている。
戦闘ではない。
これはもはや、草刈りにも等しい一方的な蹂躙だ。
ソフィアの頭の中で、これまで冒険者ギルドで学んできた絶対の常識が、ガラガラと音を立てて崩れ去っていく。
三十体以上いたオーガの群れが、瞬く間にただの物言わぬ肉塊の山へと変わった、その時だった。
――ズゥゥゥンッ……!!
坑道のさらに奥から、岩盤そのものを揺るがす、ひときわ巨大な地響きが鳴った。
血の海を割って現れたのは、通常のオーガよりも一回りも二回りも巨大な、群れの長たる『オーガ・ロード』であった。
しかもその巨体は、この鉱山のミスリル鉱石を長年取り込み続けたのか、分厚い皮膚が金属のような青白い鈍い光沢を放っている。
「だ、だめです千代女さん!! あいつは普通のオーガとは違います! 皮膚が、ミスリル化して――!」
我に返ったソフィアが、必死に喉を裂くような警告の声を上げる。
ミスリル化した皮膚は、並の魔法はおろか、鋼の剣すら容易くへし折る。
それがこの世界の常識だ。
あんな薄い剣で斬りつければ、刃が砕け散るのは明白。
だが、千代女の目は恐怖するどころか、カッと強烈な歓喜に輝いた。
「おお! 鉄の匂いがするぞ! 貴様は、少しは某を楽しませてくれるのか!」
千代女は避けることすらしない。
オーガ・ロードが怒りの咆哮と共に、同じくミスリル化した巨大な棍棒を、空気を爆発させるほどの全力で振り下ろしてくる。
それに対し、千代女はスッとさらに一歩深く踏み込み、下段から愛刀を真っ向から振り上げた。
(――秘剣、『鉄斬り』)
極限まで練り上げられた剣気(ソフィアの目には魔法のオーラのように見えた)が、銀色の刀身を包み込む。
キィィィィィィンッ――!!!
鼓膜を突き破るような甲高い金属音が、坑道内に激しく響き渡る。
激しい火花が散り、ソフィアは思わず耳を塞いだ。
千代女の剣が折れたと思った。———だが。
「……は?」
ソフィアの目の前で。
オーガ・ロードの巨体が、振り下ろされたミスリルの棍棒ごと、頭のてっぺんから股下まで、一寸の狂いもなく綺麗に縦に真っ二つに割れて倒れたのだ。
パカン、と。
まるで、よく熟れた大きな果実でも真っ二つに割るかのように、あっさりと。
切断面は鏡のように滑らかで、数秒遅れてから、左右に分かれた巨体がズズンと重い音を立てて左右に崩れ落ちた。
「……むぅ」
完全なる静寂が戻った血の池の鉱山の中。
千代女はチャッ、と鋭い音を立てて刀の血振るいをし、カチリと鞘に納めると、ひどく不満げに桜色の頬を膨らませた。
「なんだ、鉄を斬るより手応えがなかったぞ。日ノ本の武士が被る兜の方が、よほど硬くて斬り甲斐があるわ」
つまらなそうに呟く最強の侍を前に。
案内役のハーフエルフの少女は、ついに完全に言葉を失い、プツンと意識の糸が切れて、その場で白目を剥いて気絶寸前になることしかできなかった。




