第14話 東の鉱山と、フードの案内役
「最近、東の街道沿いにあるミスリル鉱山に、ひどく厄介な魔物が住み着きやがってな」
タバコの煙がくすぶるギルド長室。
執務机の上に叩きつけられた血の滲む羊皮紙の依頼書には、丸太のように太い腕を持ち、頭にねじれた角を生やした、醜悪で筋骨隆々の巨人の姿が荒々しい筆致で描かれていた。
「オーガの群れだ。凶暴で桁違いの怪力を持つ上に、皮膚は鋼鉄のように硬く、傷の治りも異常に早い。並の剣士じゃ、その分厚い皮に傷一つつけられねぇぞ。すでに腕利きのCランクパーティーが二組、討伐に向かって返り討ちに遭い、全滅しちまってる」
「ほう、鬼か。日ノ本の御伽噺のようじゃの。任せておけ、まとめて相手をしてやろう」
並の冒険者であれば震え上がり、顔面を蒼白にするような凄惨な被害報告を聞いても、千代女はウキウキとした様子で依頼書をひったくった。
恐怖など微塵も感じていない、そのブレない様子を見て、ギルド長グレンは呆れたように大きなため息を吐く。
「……ったく、頼もしいこって。だが、いくらお前が強くても、この辺りの地理は分からんだろう。案内役を一人つけてやる。おい、ソフィア、入ってこい」
グレンが声をかけると、コンコン、とひどく遠慮がちなノックの音と共に、執務室の重い扉がギィと開いた。
入ってきたのは、目深にすっぽりとフードを被り、体型を隠すようなゆったりとしたローブに身を包んだ、小柄な少女だった。
フードの隙間からは、わずかに尖った耳の先と、小動物のように警戒心に満ちた大きな瞳が覗いている。
「紹介しよう。この街で一番、東の鉱山周辺の道や地形に詳しいソフィアだ。わけあって素顔は隠してるが、案内役としての腕は確かだぞ」
ソフィアは、人間とエルフの間に生まれた『ハーフエルフ』であった。
この世界において、混血であるハーフエルフは「どちらの種族でもない不浄な存在」として双方から忌み嫌われ、迫害されがちな過酷な境遇にある。彼女が深くフードを被り、極力人目を避けるようにしているのもそのためだ。
「……ソフィア、です。その、案内の依頼、お受けします」
今にも消え入りそうな細い声で自己紹介をするソフィア。
しかし、千代女はそんな彼女の複雑な事情など知る由もなく、また気にする性格でもない。パッと太陽のように明るい笑顔を浮かべて、豪快に歩み寄った。
「うむ! 道案内、よろしく頼むぞ、ソフィア!」
「ひゃっ……!? あ、はいっ、よろしくお願いします……」
有無を言わさぬ物理的な圧と、底抜けの陽気さに、ソフィアはビクッと肩を大きく揺らしながらも、こくこくと何度も頷いた。
◆
ファルサの街を出て、東へ。
青々としたのどかな平原は次第に姿を消し、ゴツゴツとした赤茶色の岩肌がむき出しの、荒涼とした山岳地帯へと景色が変わっていく。
「あの、千代女さん……本当にその格好で、武器もその薄い剣一本で行くんですか?」
足場の悪い険しい山道を歩きながら、前を歩く千代女の無防備な背中を見て、ソフィアはたまらず不安げに尋ねた。
重装の戦士ですら命を落としたオーガの討伐。
それなのに、千代女は鉄の鎧一つ着けず、まるで近所を散歩するようなひらひらとした軽装の異国服に、奇妙な片刃の剣を一振り下げているだけなのだ。
ソフィアには、千代女が自ら死に急いでいるようにしか見えなかった。
「案ずるな。鬼の群れであろうと、まとめて斬り伏せるまで」
「斬り伏せるって……オーガの皮膚は、分厚い革鎧よりも硬いんですよ!? それに、あいつらは知能があり、群れで動きます。鉱山に入ったら、絶対に音を立てないでくださいね。見つかったら最後、怒り狂ったオーガの数の暴力で押し潰されてしまいますから……!」
必死に異世界の常識と、魔物の恐ろしさを説くソフィアだったが、当の千代女は、
「ふむ、数の暴力か。それはそれで骨が折れそうで面白いのう」
と、まったく危機感のない、要領を得ない返事をするばかりであった。
やがて、二人は山の中腹にある巨大な洞窟――ポッカリと開いた大穴の入り口に辿り着いた。
そこが、目的のミスリル鉱山だ。
太陽の光すら届かない、漆黒の闇が広がる坑道の奥からは、むせ返るような濃密な血と獣の臭い、そして得体の知れない重苦しい瘴気が、冷たい風と共に吐き出されてきている。
「着きました……。ここからは、文字通り息を殺して進みます。私の足跡から絶対に外れないでくださいね……」
ソフィアが極度の緊張からゴクリと唾を飲み込み、隠密行動に移ろうと姿勢を低くした、その瞬間だった。
千代女が、スタスタと無警戒にソフィアを追い抜き、洞窟の真正面へと堂々と立ったのだ。
「えっ……ちょ、千代女さん!?」
止める間もなかった。
千代女は肺いっぱいに大きく空気を吸い込むと、腹の底から響くような、特大の声を洞窟の奥深くへと響き渡らせたのだ。
「たのもう!! この山の主はおるか!! 某は千代女! いざ尋常に、立ち合いを所望する!!」
ビーンッ! と。
不気味に静まり返っていた鉱山の中に、千代女の威勢のいい道場破りの宣宣布告が、幾重にも木霊する。
「な、な、な、なにやってるんですかぁぁぁーーッ!?」
ソフィアは顔面を紙のように蒼白にし、頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。
隠密も奇襲もあったものではない。
これでは「ここに新鮮な人間の獲物がいますよ! さあ食べてください!」と、わざわざ大声で宣伝しているようなものだ。
直後。
千代女の呼び声に呼応するように、真っ暗な坑道の奥深くから、明確な『殺意』が返ってきた。
――ズズン……。ズズン……。
それは、硬い岩盤を揺るがす、地鳴りのような重い足音。
しかも、一つや二つではない。
暗闇の奥から、らんらんと飢えに血走った無数の瞳が、不気味に浮かび上がる。
そして、丸太のように太い腕に、大岩を削り出したような巨大な棍棒を握りしめた、見上げるほど巨大なオーガたちが、腐臭のするヨダレを垂らしながらぞろぞろと姿を現したのだ。
その数、ざっと———三十体以上。
「あ、ああ……終わった……。食べられる……」
視界を埋め尽くすほどの、絶望的な数の暴力を前に、ソフィアはガタガタと震え、完全にへたり込んでしまった。
だが、その隣で。
千代女は、ついに目の前に現れた『死合の相手』を前に、最高に嬉しそうな、狂気を孕んだゾクッとするほどの美しい笑顔を浮かべていた。
「ほう……。なかなかどうして、立派な鬼どもではないか」
チャキリ、と。
静かな空間に、愛刀『無銘』の鯉口を切る澄んだ音が響く。
「さあ、死合の始まりじゃ!」
絶望に涙を流す案内役の少女を背に。
死に場所を求める最強の剣神が、嬉々として、三十体を超える鬼の群れへと単騎で駆け出していった。




