第11話 神速の木剣と、圧倒的な力の差
ギルドの裏手にある、長年の修練によって石のように硬く踏み固められた、広々としたすり鉢状の訓練場。
千代女と、試験官である巨漢のバルドが十歩ほどの距離を空けて向かい合うと、ギルド内にいた冒険者たちも「あの女が、一体どんな戦いをするのか」と、興味本位の野次馬となって訓練場をぐるりと何重にも取り囲んだ。
千代女はウキウキと腰の愛刀『無銘』の柄に手をかけていたが、そこへギルドの若手職員がひどく慌てた様子で、何やら長物を抱えて駆け寄ってきた。
「あ、あの! お待ちください! 実技試験はあくまで模擬戦であり、実力の測定です。真剣による殺し合いではありませんので、こちらの訓練用の武器を使っていただきます!」
「……なんじゃ。木剣ではないか」
押し付けられるように渡された、刃のないずんぐりとした木剣を見て、千代女は心底つまらなそうに眉を寄せ、露骨に嫌そうな顔で渋々それを手に取った。
ずっしりとした重みと硬さはあるが、当然ながら真剣の冷たい感触と、羽毛すら両断する鋭さには遠く及ばない。これでは相手を綺麗に「斬る」という剣の真髄は味わえず、精々「打撲させる」か「叩き折る」ことしかできない。
一方、迎え撃つ試験官のバルドは、自身の大柄な体格に合わせた、丸太のように太く巨大な木製の戦斧を肩に担ぎ、フンと鼻で笑った。
「ずいぶんと不満そうな顔だな、お嬢ちゃん。だが、訓練用の木武器だと侮るなよ? 俺の一撃をまともに食らえば、木の刃だろうが骨の三、四本は軽く持っていかれるぜ? 怪我をして泣きを見たくなければ、最初から本気で来い」
歴戦の元Bランク冒険者としての揺るぎない余裕と、新人をふるい落とす試験官としての威厳に満ちた言葉。
だが、戦闘狂である千代女にとって、その忠告は「出し惜しみは一切しない」という極上の誘い文句にしか聞こえなかった。
「ふむ……まぁいい。木剣であろうと素手であろうと、死合は死合じゃ。……では、行くぞ」
千代女が、だらりと木剣を右手に下げたまま、スッと半身になって重心を落とす。
その瞬間だった。
彼女の全身から放たれていた、風のように軽やかで陽気な空気が一変し、肌をチクチクと刺すような、絶対零度の冷たい『殺気』が訓練場全体をドーム状に支配したのだ。
「――なッ!?」
バルドの顔から、余裕という余裕が完全に消え失せ、全身の毛穴という毛穴がぶわっと粟立つ。
長年の勘と本能が、目前の女を「死」そのものだと認識し、狂ったように警鐘をガンガンと鳴らしている。大粒の冷や汗が顎を伝う。
――不味い、こいつは冗談抜きでヤバい。
慌てて迎え撃とうと、肩の木斧を両手で構え直した、まさにその刹那。
タァンッ!
硬い土の地面を抉る、乾いた踏み込みの音が一つ、短く鳴った。
瞬きする間すらない。バルドの視界から、千代女の姿が前触れもなく完全に『消えた』。
(消えた!? いや、速すぎるだけだ! どこだ!? 上か、右か、それとも――)
必死に血走った目を凝らし、見えない敵を探したバルドの耳に届いたのは。
恐ろしく遅れて聞こえてきた、空気を引き裂くような『破裂音』だった。
バァァァンッ!!
「……あ?」
バルドの手にあった巨大な木斧が、まるで内部から爆発でもしたかのように、乾いた音を立てて木端微塵に粉砕され、無数の木片となって空高く舞い上がっていた。
両手には、ビリビリと痺れるような衝撃だけが残されている。
そして――彼の太い首筋の動脈には、いつの間にか、背後に回り込んでいた千代女の木剣の先端が、寸分の狂いもなくピタリと突きつけられていたのだ。
「――――」
反応すら、まったくできなかった。
もしこれが、彼女の腰にある真剣であったなら。もし彼女に、わずかでも明確な殺意があったなら。
自分は、自慢の武器ごと、何が起きたかも理解できぬまま首を撥ね飛ばされていた。
その圧倒的なまでの死の恐怖と、どう足掻いても決して埋まることのない次元の違う力の差を脳が理解した瞬間。
バルドの太い両膝から、ガクリとすべての力が抜け落ちた。
「あ、ぁ……っ……」
巨漢のベテラン冒険者が、情けない空気が漏れるような声を出しながら、へたりと力なく地面に座り込んでしまう。
周囲を取り囲んでいた数十人の野次馬たちも、瞬きする間に終わってしまった、手品のような蹂躙劇を前に、水を打ったように静まり返っていた。
誰一人として声を出せない。
瞬きもできない。
息をすることすら忘れたかのような、完全な静寂がギルドの裏手を包み込む。
そんな、時が止まったかのように硬直した空気の中。
千代女は、首筋に突きつけていた木剣をスッと下ろすと、へたり込んでガタガタと震えるバルドと、周囲に散らばった粉々の木斧の残骸を交互に見つめて、ひどくつまらなそうにポツリと呟いた。
「……む? これで終わりか?」
死力を尽くし、互いの命を削り合うほどの熱い立ち合いを期待していた最強の侍は、本当に、心の底から不完全燃焼だと言わんばかりに、コテリと首を傾げた。




