第10話 ギルドの洗礼と、勘違いの立ち合い
冒険者ギルドの分厚いオーク材の扉を押し開けた瞬間、千代女の全身に突き刺さった無数の鋭い視線。
安酒の饐えた匂いと、長年染み付いた血と暴力の気配に満ちたその薄暗い空間に、千代女は「これぞ一騎当千の強者の集まり」と、三日月のような歓喜の笑みを浮かべた。
「出迎えからこれほどの心地よい殺気とは。……まったく、随分と気の利いた挨拶をしてくれる。退屈させぬ場所のようだな」
千代女は、ギルドの荒くれ者たちからの「洗礼」に応え、自らも気合いを入れるべく、スウッと短く、しかし深く息を吸い込んだ。
そして、静かに、床板を踏み鳴らすことなく一歩を踏み出す。
――ドンッ、と。
鼓膜ではなく、魂を直接揺さぶるような音のない衝撃波が、ギルド内を駆け抜けた。
「……ッ!?」
「な、なんだ……いまの……」
それは、ただの魔力による威圧などではない。千代女から無意識に漏れ出た、『本物の死線』を幾度となく潜り抜け、人の命を刈り取ってきた者だけが持つ、濃密すぎる覇気であった。
日常的に魔物と命のやり取りをし、死と隣り合わせで生きている冒険者たちは、野生の獣のごとく勘が鋭い。
彼らの研ぎ澄まされた生存本能は、入り口に立つ見慣れぬ異国の女から放たれた絶対的なプレッシャーに、一瞬で「あれは絶対に逆らってはいけない、人の形をした化け物だ」という最大級の警鐘を鳴らしたのである。
ザザザザッ!!
つい先ほどまで千代女を値踏みし、薄ら笑いを浮かべて威嚇の視線を送っていた荒くれ者たちが、まるで熱湯を浴びせられたように慌てて壁際へと後ずさる。
ある者は滝のような冷や汗を流して顔を引きつらせ、ある者はガタガタと激しく震える手で武器の柄を握りしめながら、誰一人として千代女の前に立ち塞がろうとはしなかった。
結果として、入り口からギルドの一番奥にある受付カウンターまで、まるでモーゼの十戒の如く、真っ直ぐで綺麗な道がぽっかりと出来上がってしまったのだ。
「む?」
千代女は、パチクリと不思議そうに瞬きをした。
(なんだ、誰も斬りかかってこぬのか……? せっかく某も、神速の抜刀で応える算段をしておったというに。口ほどにもない見掛け倒しめ)
血湧き肉躍るギルドの洗礼を本気で期待していた千代女は、心底つまらなそうに深くため息をつき、開かれた道を堂々と歩いて受付カウンターへと向かった。
だが、カウンターの前に立ったものの、勝手がわからない。
日ノ本であれば、他流派の門を叩く「道場破り」の厳格な作法があるが、ここは異世界だ。
千代女は周囲をキョロキョロと見回し、少し戸惑いながらも、コホンと咳払いを一つして、カウンターの奥で固まっている制服姿の女性に声をかけた。
「た、たのもう……!」
「……はい? あ、よ、ようこそ、冒険者ギルドへ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
受付嬢は、千代女の謎の道場破りの挨拶に一瞬きょとんとしたが、そこは腐ってもギルドの顔。
すぐに引きつり気味のプロの営業スマイルを浮かべて応対した。
「うむ。冒険者とやらになりたくて来たのだが、どうすればよい?」
「新規のご登録ですね、かしこまりました。それではまず、身分証をご提示いただけますでしょうか?」
「身分証? そのようなものは持っておらんぞ」
千代女があっさりと首を振ると、受付嬢は手元の書類から顔を上げ、少しだけ困ったような表情を浮かべた。
「そうですか。身分を証明するものがない場合、初期ランクを適正に決定し、ギルドの最低限のルールをご理解いただくために、簡単な『実技試験』を受けていただく決まりになっておりまして……」
その言葉を聞いた瞬間。
千代女の背筋が、バネが弾けたようにピンと伸び、不満げだった涼やかな瞳に、カッと猛烈な光が宿った。
「実技試験……! つまり、ギルドが誇る強者との立ち合いから始まるということか!?」
「え? 強者? あ、はい。戦闘能力の測定ですので、当ギルドのベテラン試験官と手合わせをしていただくことに――」
バンッ!
千代女は身を乗り出し、バンバンと木製の受付カウンターを叩き割らんばかりの勢いで両手で叩いた。
「なんと粋な計らいだ! 初っ端から腕試しとは! そういう事ならば、最初からそうと言ってくれればよいものを!」
「お、お受けいただけますでしょうか……?」
前のめりすぎる千代女のただならぬ熱量と、鼻息の荒さに、さすがの受付嬢も少しだけドン引きして身を引く。
「無論だ! 相手は誰だ? どこで抜けばよい!? いま、ここか!?」
ウキウキと腰の『無銘』の柄に手をかけ、今にもその場で抜刀しそうな千代女。
そんな彼女の背後から、地響きのような重苦しい足音が近づいてきた。
「おいおい、受付で騒がしいぞ。新人の相手なら、俺がしてやる」
現れたのは、顔の半分を覆うような大きな十字の傷を持つ、熊のように筋骨隆々の大男だった。
分厚い胸板を誇示し、背中には身の丈ほどもある無骨で巨大な戦斧を背負い、歴戦の猛者であることを全身の傷跡で主張している。
彼はこのファルサ支部の専属教官であり、かつて名を馳せた元Bランク冒険者のベテランであった。
「ほう……」
千代女は振り返り、自分より頭二つは大きなその大男を見上げて、ニヤリと肉食獣のような笑みを浮かべた。
(図体の大きさは先日の動く大木には劣るが……あの練り上げられた筋肉。ただの木偶の坊ではない、なかなかの剛の者と見える)
「俺は試験官のバルドだ。裏の訓練場へ来い。お嬢ちゃんが本当に魔物相手に冒険者をやれる器かどうか、俺が直々に計ってやる。怪我をしたくなきゃ、早めに降参することだな」
「うむ、一切承知した! バルド殿だな、よろしく頼むぞ!」
まさか自分が「ただの新人の実力測定」ではなく、「死に場所を求める剣神の、命を懸けた真剣勝負」の相手に選ばれたとは夢にも思っていないバルド。
千代女は、極上の獲物を見つけた狩人のように足取りも軽く、ウキウキと訓練場へと向かうのだった。




