あの事件
「どうしてあいつらと一緒に行こうなんて言ったの?」
アイリスは何度もそう繰り返した。
私は小声で答える。
「一回くらい一緒に行ったって、別に友達だなんて思われないよ」
本当は、そんなふうに他人を見下しているわけじゃない。
ただ、数少ない友達にからかわれるのは避けたいだけ。
……これが間違いじゃなければいいけど。
そして、本当に“何か”が見つかればいい。
街の外れ、駅を越えたあたりから、景色はだんだんと緑に染まっていった。
ジュリアン――坊主頭に四角い眼鏡の男子。
細いメタリックカラーのケーブルが光るヘッドホンをずっと着けている。
少なくとも二十分は歩いているのに、一度も外さない。
他の二人の女子は、どこかよそよそしい。
私たちが合流してから、ずっと距離を取っている。
「君たちがこういうの好きだなんて知らなかった」
控えめにそう言った男子が、汗ばんだ手を差し出した。
「マルコス」
無視するのも悪いと思って握手したけど、
その後でアイリスのシャツで手を拭く羽目になった。
「ちょっと! 何してるの!? 汚れるじゃない!」
しばらくして、私たちは廃墟のような建物に辿り着いた。
苔に覆われ、小動物がうろついている。
熊とかじゃない。リスとか、少し大きめのネズミとか、そういう類。
中はゴミだらけ。
壁はひび割れだらけ。
「これ、いつから放置されてるの?」とアイリス。
「そんなに経ってないよ。二年前に建てられた」
ジュリアンが答える。
「爆弾でも落ちたみたいね」
崩れかけた階段をどうにか上る。
内部の鉄骨がむき出しになっている。
先頭を歩いていた一人が、突然立ち止まった。
「……ここだ。見て」
壁に血痕。
いや、ただの血じゃない。
何かの“印”のような形。
誰も意味は分からない。
でも、長く見ていると、皮膚が粟立つ。
さらに奥へ。
暗闇は濃く、空気は淀み、吐き気を催す臭いが漂う。
アイリスはまだ怒ったような顔をしている。
三階の非常口を抜けた瞬間、空気が変わった。
重い。
胸の奥に沈むような圧迫感。
誰もが抱えている、あの嫌な思考が浮かび上がる。
時間の感覚を奪い、首に縄をかける直前まで追い込むような。
吐き気が込み上げる。
顔はきっと真っ青だ。
全員が座り込み、水を回し飲みする。
その時、マルコスが壁を見つめたまま動かないことに気づいた。
奇妙な紋様が五つ、並んでいる。
「マルコス?」
「……彼が、僕の名前を呼んだ」
「彼?」
紫色の霧が部屋を満たした。
低く掠れた声。
「おやおや……子供たち……」
現れたのは、
人間の形をした“何か”。
異様に長い手足、歪んだ胴体。
刃のような歯。
部屋の中央に立ち、
私たちの周りを踊るように、蛇のように回る。
まるでサーカスの道化師。
何度も。何度も。
恐怖――
そんな言葉じゃ足りない。
横目でアイリスを見る。
小さく合図する。
「……出よう」
他の皆が魅入られている隙に、
私たちは忍び足で逃げ出した。
階段を駆け下りる。
言葉は出ない。
何を言えばいい?
「ごめん」
家に帰ったら、まずそれを言おう。
その時、上階から悲鳴。
立ち止まる。
目が合う。
罪悪感が映る。
「戻るべき……?」
アイリスは私の腕を掴んだ。
「もう遅い」
出口へ走る。
扉を開けた瞬間――
「相変わらず空気が読めないわね」
青白い女が立っていた。
「ねえ、クロエ。ほんと、鬱陶しい」
彼女。
いや、怪物。
「せめて一人くらい助けられるかしら。
従兄は骨も残さないから」
跳躍。
地面が震え、姿は消えた。
上階から絶叫。
まるで屠殺場。
赤く染まる空。
甲高い口笛。
茂みから現れた影。
「行かせてよ!」
アイリスが叫ぶ。
「警察呼ぶから!」
包帯だらけの男。
左手に銃。
私はアイリスの前に立った。
——何してるの?
全部、私のせいだ。
償いのつもりだった。
けど、脚は震えている。
発砲音。
——ここは、どこ?
闇。
遠くから声。
「クロエ!」
瞼が重い。
それでも、かすかに見える。
男がアイリスを追っている。
もうすぐ追いつく。
……どうか。
アイリスは正しかった。
来るべきじゃなかった。




