表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

挫折のエリート 東洋バンタム級王者 米倉 健志(1934-2023)

作者: 滝 城太郎
掲載日:2026/01/02

米倉健志というのは本名ではなく、リングネームである。本名は健治だが、日本タイトルを獲得したのを機に健司と改名し、その後世界戦でペレスに敗れたのを機にゲンかつぎに健志に改名したのだ。最初に「健司」と名付けたのは作家、翻訳家として著名な野田開作で、米倉にとっては従兄にあたる。野田開作というとボクシング関係の書籍を著しているほどのボクシング好きだけに、米倉には相当な思い入れがあったのだろう。 

 日本の国民的スポーツである野球は、戦前の大学野球全盛時代から、推薦枠ではなく一般入試の難関を潜り抜けて名門私立大学や付属の高等部に進学し、プロに入った選手も少なくない。兵庫県立立川西明峰高校から立命館大学、社会人野球を経て同時代最高の捕手となった古田敦也などはその好例である。意外に思われるかもしれないが、かの川上哲治も野球に専念するために熊本工業に転校する前は、県下有数の名門、熊本県立済々黌中学(旧制)の生徒だった。

 本場アメリカにいたってはさらにスケールが大きく、往年のニューヨーク・ヤンキ-スのスーパースター、ルー・ゲーリッグのようにコロンビア大学出身という秀才もいる。彼などは日本の選手と比較するのもおこがましいが、ONを合わせた野球の才能を持つ東大卒のプロ選手といったところで、まさに文武両道の天才である。

 それに比べると、ボクシングというスポーツは殴り合いを基本とする荒っぽい個人技という特性のせいか、大卒は極めて少なく、戦後の選手でも一流どころは中卒からの叩き上げが多かった。大学出身の一部のアマ・エリートもほとんどがスポーツ推薦による進学組で、東大や京大への合格者を毎年輩出するような進学校出身者は皆無といってよかった。

 そういう意味では、昭和三十年代のリングを沸かせた人気ボクサー米倉健司は、例外中の例外といってもいいほどの文武両道ボクサーだった。


 福岡県直方市出身の米倉は、昭和二十五年四月、後にノーベル医学・生理学賞を受賞した大隅良典、世界的建築家の外尾悦郎などを輩出した名門進学校、福岡県立福岡高校に進学した。

 小柄だが滅法気の強い米倉は、全国大会を制したこともあるラグビー部に入部するが、体格的なハンデはいかんともしがたく、三年生からはボクシング部に転部している。

 当時の福岡高校ボクシング部を指導していたのは、同校OBにして早大時代には全日本アマチュアバンタム級最優秀選手に輝いたこともある鬼頭鎮三だった。鬼頭の指導によって、米倉のラグビーで鍛えた反射神経とタフネスは体重別競技であるボクシングでは最大限に生かされた。

 何と米倉は初めてグローブを握ってからものの数ヶ月で、ナット級で九州大会に優勝すると、国体ジュニア・フライ級福岡県代表選手にも選ばれているのだ。おそらく自身の中に眠っていたボクシングの才能を自覚したのだろう、進学に当たってはボクシングの盛んな明治大学を選んでいる。

 昭和三十一年、大学四年の時、明大は関東大学リーグで全勝優勝し、米倉はバンタム級最優秀選手賞を受賞した。またこれまであと一歩のところで逃していた全日本アマチュア選手権(フライ級)も獲得し、同年開催のメルボルン・オリンピックの代表選手にも選出された。オリンピックでは準決勝で敗れ、四位に終わったが、観客や関係者の中にも米倉を支持する声が多く、敗戦国民、有色人種といった偏見がまだ根強く残っていたことが判定で不利に働いたという見方があるほど、見事な戦いぶりだった。

 アマチュアで七十一勝七敗(十九KO・RSC)という輝かしい実績を残した米倉には、当然のようにプロからも声がかかったが、母親の猛烈な反対に遭い、一時は断念。共同印刷に就職し、営業部でサラリーマンとして働くかたわら、アマチュアボクサーとして元世界チャンピオンの白井義男とアルビン・カーン博士からも指導を受けていた。

 大学一年の時出場したゴールデングローブ大会でカーン博士の目に留まり、以来休日や大学での練習の合間をぬって科学的ボクシングのノウハウを叩き込まれていたのだ。ボランティアでアマチュア指導も行っていたカーン博士のもとには多くの学生がやってきて一種のオーディションによって選別されるのが通例だったが、米倉はいわゆるスカウト組で最初から別格だった。

 しかし、サラリーマンとボクサーの二束のわらじでは生活が厳しいことを痛感し、一年後にプロ入りを表明する。すでにアマのアジア選手権代表に選出されており、フライ級の優勝候補だっただけに突然のプロ転向は様々な物議を醸し出したが、三十三年三月二十七日、学生時代から練習に通っていた日興ジムと正式契約を交わした。

 支度金二十三万円の一年契約というのは、彼の実績からすると劣悪な条件のようにも思われたが、ジムの後援会長である暁印刷の中内喜代司社長が、もしボクシングをやれなくなっても、自分の目の黒いうちは一生生活の面倒を見る、という付帯条件もあった。

 二ヶ月後には二十四歳になる米倉にはそれほど多くの時間は残されていない。アマチュア実績がモノを言ってB級プロテストに合格した彼のプロ第一戦は、五月十三日、矢尾板貞雄とのエキジビションマッチだった。

 日本フライ級チャンピオンの矢尾板は、れっきとした世界ランカーであり、白井義男が失った世界フライ級タイトルを奪還する最有力候補であった。その矢尾板に対し、「それほど手強いとは思わない」と言ってのけた米倉は、世界ランカーのプライドをかけて本気で倒しにきた矢尾板と互角の勝負を演じてさらに株を上げた。

 リングサイドの採点ではドローだったというから、すでに公式デビュー前から米倉の実力は世界ランカークラスだったのだ。


 六月二十七日、日本フライ級二位の木村七郎を四ラウンドTKOに下してプロ初白星を飾ると、三連勝の余勢を買って矢尾板の持つ日本フライ級タイトルに挑戦することになった(十一月十一日)。

 すでに東洋タイトルも手に入れ、世界ランキング上位に進出した矢尾板の技巧を持ってしても、プロ四戦目に過ぎない米倉は全く予断を許さない相手だった。フライ級では長身の部類に入る身長一六五センチでリーチも長い米倉のジャブとワン・ツーは、世界一のフットワークを誇る矢尾板を確実に捉え、一度はダウンを奪ったものの、試合巧者の矢尾板にうまくポイントアウトされ、大金星とはならなかった。それでもこの試合は高度な技術戦で大いに観客を沸かせ、年間最高試合に選ばれるとともに、米倉も東京記者クラブ選出の技能賞を受賞している。

 年が明けた昭和三十四年一月四日、東洋王座防衛に専念するために矢尾板が返上した日本フライ級王座を現役世界ランカーの福本篤と争った米倉は、大差の判定でこの難敵を下し、デビューからわずか八ヶ月、キャリア五戦目にして日本王座を手に入れた。これは当時としては日本ボクシング史上最短記録であった。

 ところが、記録尽くめの米倉にスポットライトが集中したのはわずか十日ほどのことだった。一月十六日には、何とライバル矢尾板が史上最強を謳われる世界フライ級チャンピオン、パスカル・ペレスにノンタイトルで判定勝ちを収め、ペレスの連勝記録を五十でストップしたのだ。

 ペレスは動物的ともいえる反射神経を生かしたトリッキーな動きから強打を放つ変則的なボクサーだが、ロンドンオリンピック・ゴールドメダリストという輝かしいアマチュア歴が示すように、必ずしも荒削りというわけではなく、緻密で狡猾なボクシングにも長けていた。白井義男とノンタイトルで引き分けた以外は、ほとんど一方的に相手を下しており、当分天下が続くと見られていただけに、矢尾板の勝利は日本中のボクシングファンを狂喜させた。

 この快挙は米倉にとっての追い風にもなった。矢尾板を危険なチャレンジャーと判断したペレス陣営は、次期防衛戦の相手として世界ランキング入りを果たしたばかりの米倉に秋波を送ってきたからだ。

 二月十八日に行われたノンタイトル戦で米倉を一蹴したペレスはさらに自信を深め、八月十日にはリターンマッチでペレスが白井を撃退した昭和三十年五月三十日以来、久々の世界タイトルマッチが実現するはこびとなった。

 世界戦を記念して、七月十七日にはペレス一行の滞在先である品川プリンスホテルから、東京タワー、銀座、新宿とオープンカーでペレスと米倉のパレードが行われたが、今日では安定政権を築いた一流の世界チャンピオンでさえ、世界戦を前にここまで盛り上がることはない。

 それ以前に、炎天下の中、三十五キロメートルの行程を三時間半もかけてパレードするというのは、これから世界戦に臨もうという二人のボクサーにとってもあまりにも過酷である。そんな強行軍にも嫌な顔一つせず、沿道で手を振る群衆に笑顔で応えていたのは、各々が祖国の威信をかけてこのビッグイベントに臨むという、選ばれし者のみが持つ矜持と責任感の成せる業だったのだろう。それほど世界王座のステイタスが高かったという証である。

 日本人の期待値も含めて前評判は凄かったこの世界戦、蓋を開けてみれば、米倉のパンチはほとんどペレスを捉えることが出来なかったばかりか、ダウンまで喫する完敗だった。オーソドクスな矢尾板には通じたパンチも、変則的なペレスには全く対処できず、ここまでエリート街道を歩んできた米倉も経験の差に泣いた。

 これで減量の厳しいフライ級に見切りをつけた米倉はバンタム級に転向し、昭和三十五年一月六日にフィリピンの古豪レオ・エスピノサから東洋バンタム級タイトルを奪取する。すると、バンタム級でも世界ランキングに名を連ねた彼のもとにまたしても世界戦のオファーが舞い込んできた。

 世界バンタム級チャンピオン、ジョー・ベセラ(メキシコ)はかつて対戦相手を死に至らしめたこともあるハードパンチャーである。バンタム級でそれほどの強打者ということは、ペレス以上の強打を秘めていることは明らかである。そこで米倉陣営は、毎週のように白井-カーンコンビから指導を受けていたヒット・アンド・アウェイ戦法にさらに磨きをかけてこの試合に臨んだ。

 昭和三十五年五月二十三日の世界タイトルマッチは、前回のペレス戦と違い最後まで目が離せない接戦だった。ベタ足のベセラは米倉のフットワークについてゆけず、その強打はことごとく空転した。一方、米倉の繰り出すパンチは小気味良く王者の顔面を捉えてはいたが、一発逆転のカウンターパンチを警戒するあまり、距離を詰めて連打を放つことがなく、セコンドの指示通り、いいのが当たれば一旦間合いを外す、の繰り返しだった。

 九ラウンドは珍しく米倉がベセラをロープに釘付けにして連打を浴びせるシーンが見られたが、ここでもベセラが打ち返そうとした瞬間、バックステップして射程から逃れたため、派手な打ち合いにはならなかった。実はこのラウンドが勝敗の分かれ目だったのだ。

 副審の遠山こそ米倉の技巧を評価して大幅なリードと採点していたが、外国人の主審と副審はイーブンとベセラの1ポイントリードとしており、採点は三者三様だった。ところが、米倉のセコンドは遠山と同じ見解で、九ラウンドの攻勢によって残りのラウンドを無難に切り抜ければ勝てると早合点してしまった。

 終盤はベセラが打ち気にはやると、セコンドが「バック、バック」と声を荒げていたが、この消極策が結果として裏目に出た。つまり、ベセラのクリーンヒットは浴びていないものの、逃げ腰に見える試合運びが外国人審判の心象を悪くしたのだ。

 最終回のゴングが鳴り、コーナーに戻る米倉を迎えたセコンドは「勝った、勝った」と喜んでいたが、二対一のスプリットでベセラの勝利が告げられた瞬間、会場全体を大きなため息が包み込んだ。過去にプロ・アマを通じて一度もストップ経験がない米倉のタフネスからすれば、もう少し積極的に打ち合ってもよかったはずだ。ホームのリングとはいえ、安全運転に徹しすぎた。明らかにセコンドの作戦ミスである。

 技術的には世界チャンピオンを上回るものを披露した米倉は、この敗戦で株を下げるどころか、世界まであと一息、とこれまで以上に期待を寄せられたが、世界戦直前のエキジビションで、偶然のサミングによって痛めた右目(内直筋損傷)をさらに悪化させたため、以後は防御勘が次第に鈍り、攻防に精彩を欠くようになった。

 米倉が後年、斜視になったのは眼球を動かす筋肉を損傷していたからで、すでにベセラ戦の時には右目は物が二重に見えていたという。

 昭和三十六年、ファイティング原田の連勝を止めたエドモンド・エスパルサにボクシング人生初のKO負けを喫してからは完全に下り坂だったが、三十七年十月二十九日に十九歳のメガトンパンチャー、青木勝利にベルトを明け渡すまで東洋バンタム級タイトルを計四度防衛した。

 最後の試合となった青木戦も、終盤二度のダウンを喫したとはいえかなりの接戦で、技術だけなら青木は米倉に遠く及ばないという声が圧倒的だった。ラッキーパンチとスリップ気味のダウンによる不運な減点がなければ勝てていた試合だけに、リターンマッチの権利を行使するという手もあったが、これを放棄して三ヶ月後に引退を宣言した。

 最後の防衛戦はすでに世界挑戦が内定している青木への東洋の帝冠継承式という筋書きでマッチメークされた事実上の引退試合である。米倉はそこで男の意地を見せたが、ツキも味方につけた青木の勢いを止められなかったことで、これも運命と感じたのかもしれない。最後に輝きを見せた男の見事な引き際だった。

 引退後に立ち上げたヨネクラジムは、柴田国明やガッツ石松の他、世界王者五名、東洋王者八名、日本王者三十一名を輩出し、一九七〇~九〇年代にかけて「日本一のチャンピオンメーカー」と謳われた。しかし、後継者に恵まれず平成二十九年八月をもってこの名門ジムが閉鎖されたのは惜しまれてならない。 

 生涯戦績 十三勝十敗(一KO)一分

 

現役時代からクレバーなボクサーとして名を馳せ、引退後は名伯楽として長年ボクシング界に貢献してきただけに、柴田や石松のことさえ忘れてしまった晩年の姿はショックだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ