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第6話 死神と呼ばれる総司令官の”孤独”を初めて知った日


賑やかな歓迎会は夕方まで続き、片付けが終わった頃にはすでに夜だった。

流実(るみ)は居候しているリリィ宅で休む準備を整え、リビングで寛いでいる彼女に声を掛ける。リリィはそれに気付くと、手招きして流実を呼び止めた。


「ごめんね休むとこ。昼間の事なんだけど」

「? はい」

「アタシに聞いたじゃない?族長は皆から怖がられてるのかって」


緊張しながらソファに座った流実は、「あ」と小さく呟いた。そうだった。リリィは覚えていてくれたのに…。


「す、すみません。少し気になっただけだったのに」

「良いのよ。流実はこれから族長の世話係になるんだし、キチンと教えておかなければと思ってたの。ちょうど良かったわ」


やはりリリィは完璧な女性だ。頼りになる上、気遣いもできる。私もこうなりたいな…。


「まず…そうね。基本的なところからね。流実も気付いてると思うけど、この世界には様々な“種族”がいるの。ふむるは鳥族、アタシは狼族。皆人間より力が強いし、変身能力や様々な能力がある。それを“ヒト”と言うの」

「ヒト……ですか?」


「つまり、どういう事」と言いかけて、ここ数日の離れの改修で感じた彼等との違いに、口を閉じる。

この世界はそんな『ヒト』と『神』が住む世界。

もし自分が「人間って何?」と聞かれても答えられないのと同じ事だろう。


「その中で、族長は“闇の眷属(けんぞく)”と呼ばれているわ」

「けんぞく…」

「そう。眷属は、いわゆる“神憑(かみつ)き”の事。水神だったり雷神だったり、神が憑依して眷属となった者の総称よ。なかなか適合できなくて、少ないの」


適合。

まるでドナーのような言い方に少しだけ引っかかりながら、続きを聞く。


「“闇”の眷属は、北國にしかいない神が憑依してる者の事よ。族長の“死神”が代表的ね」


その瞬間、ドクリと心臓が鳴いた。

―――死神。

一瞬で、大きな鎌を持つ髑髏(どくろ)姿の何かが頭に浮かんだ。

(じん)さんに、“それ”が憑依してるのだろうか?そんな事、一言も言わなかったのに。


「そ、その、神様に……死神に憑依されて大丈夫なんですか?」

「適合すればね。ただ憑いた神の影響を受けやすくなる。族長は死神の…血も涙もない、冷酷な性格だから気を付けて」


あまりにハッキリとした物言いに流実はたじろいだ。

思わず真意を確かめたくてリリィを見つめてしまう。そんな流実を知ってか知らずか、リリィは強張った表情のまま話し続けた。


「まあ、そのお陰で総司令になってる訳だし。元々水が合うんじゃない?」

「……そんな、でも」

「アンタもその目で見たはずよ?」

「えっ」


何の覚えもない。

そもそも、靭が冷酷だと言われる事が理解出来ない。彼はぶっきらぼうではあるが冷たくないし、危ない人と思った事も…。


(……あ)


「この前リリィさんの家に来た時…」


思わず呟く。あの時の表情や雰囲気は、自分が知る靭とは全く異なっていた。あれは、まさしく『死神』と言っても過言ではないほどに怖かったから。


「そう。思い出した?伊達にあの若さで軍のトップをしてる訳じゃない。それなりの“理由”があるという事よ」


その“理由”は…少なくとも、軍人としての功績だけを指している訳ではなさそうだった。

リリィの表情を見る度に、何故か自分の気持ちも沈んでいく。違うと言いたいのに、喉が詰まったように何も言えない。


「今回の…アンタを世話係にする話。そもそも、今まで世話係なんて付けてなかったのに……あれは誰が聞いても信じられない事よ」

「…そ、そうなんですか?」

「あの人は“人間不要論者”で有名だから」


―――人間不用論者。

初めて聞いたその言葉に、流実はうまく返事ができなかった。


……そもそも彼も人間だから必要性を感じてないのでは?

でも、そしたらこの世界の“人間の尊さ”と矛盾する訳で。


(…というより、リリィさんは靭さんが人間だと知らないみたい…)


「良い?流実は族長の怖さがまだ分からないから仕方ないけど充分に気を付けて。『人間など価値はない』なんて平然と言えるくらいだから。油断は禁物よ」

「っ」

「族長の前では絶対大人しくしてること。あの綺麗な外見に騙されちゃダメ。気分を害したら殺されるから」


“殺される”

突然降って湧いた言葉に頭が真っ白になった。

いや、広場でも同じ事を誰かが言っていた。

……そんなにこの世界での彼の印象は…いや、彼の状況は。


(私と……同じ、だ…)


―――心臓が握り潰される。痛くて苦しい。

この話は、靭さんについてだ。彼が恐れられ、皆から距離を取られている話。

なのに、痛くて、悲しくて言葉が出ない。この辛さをもう感じたくなくて、薬を飲んだんじゃなかったか?


「! ちょ、ちょっと!」


そう言ったリリィが慌てて流実の顔を覗き込んだ。

ボヤける視界で目の前の美人をとらえると、彼女は長い指で流実の涙を拭った。どうやら無意識に泣いてしまったようだ。


「大丈夫?怖がらせるつもりで言ったんじゃ…」

「ち、違、違うんです…」


力なく頭を振る。違う。怖くて泣いたんじゃない。むしろ、彼を想って自分が苦しくなってしまったのだ。


「……世話係を辞めさせるよう、総主に頼んで――」

「っやめて下さい!」

「!」

「本当に、怖いんじゃないんです。だから…世話係を、辞めさせないで下さい!」


必死に訴える。

その様子に驚いた表情をしたリリィは、少し考え込むように口を結び、再びゆっくり口を開いた。


「アンタは、族長の事をどう思うの?」


リリィの質問にきょとんとした。

靭さんの事をどう思うかって?…どうって、そんなの、


「よく分からないです」


俯き加減に答えた。

よく分からない。これが本音だ。まだ数日しか関わってないのに彼の全てなんて分からない。

ただ森で会って話をした靭も、実際会って話をした靭も、無愛想で口が悪いけど優しい人だと思うし、何なら話しやすい人だと思っている。

リリィの言うような冷酷な死神に思えないのだけは確実だ。

…でも、自分は闇方(やみがた)軍総司令官としての彼は知らない。その部分を知らない私は、彼をどう思うかなど気軽に言えないと思うのだ。


「まあ、そうよね。でも、怖いとは思ってないのね?」

「はい」


怖いと思っていたら、この世界に来ていない。生き返った方がマシだと思った事だろう。

リリィは流実の答えを聞いて考え込んでいるようだった。暫くしてため息を吐いた彼女は再び流実を見つめるとゆっくりと喋りだした。


「分かったわ。心配だけど、アンタの意思を尊重する。だけどこれだけは覚えていて。アタシは流実の味方よ」

「……ありがとうございます」

「さ、もう休んで。明日から仕事が始まるわ」


流実は無言でペコリと一礼して二階に上がる。

あてがわれた部屋に入ると、そのまま倒れ込むようにベッドの上に落ちた。


―――味方でいてくれる。

嬉しい、はずだった。イジメられ、誰も味方になってくれず孤独の中自殺した自分にとっては。それなのに心の底から喜ぶ事ができなかった。


『……まぁ、俺にとっては“牢獄”だが』

狭間の森で少年姿の彼が言っていた事を思い出す。

あの横顔が忘れられなかった。あの顔と感情に覚えがあったから―――正直に言えば、彼と自分が重なって、何だか放っておけなくてここに来たのだ。


(―――確かに靭さんにとってここは牢獄なのかも知れない)


味方が一人もおらず孤独に苛まれ、他人から疎まれる事がどれ程辛いか。それは同じ経験をしてきたから分かる。あの悲しそうな横顔は、正しくその辛さからではないのか?


リリィは自分の味方でいると言ってくれた。

では、靭さんは?

彼は、一体誰が味方でいてくれるのだろう。もしかして、それこそ自分があの森で彼に出会った理由なのではないか?

どこか運命さえ感じるそれを思い、流実はまだ痛む心臓を押さえ、眠りにつくまでずっと蹲っていた。



◇◇◇◇



翌朝。眠い目を擦りながら寝起きの流実が階段を降りると、とても綺麗な衣装に身を包んだリリィがいた。


「あ、おはよう。よく眠れた?」

「はい。おはようございます。あの、凄くカッコいいです」


リリィは自分の身体に視線を落とし、「これ?」と苦笑する。

彼女の纏う衣服は「白」だった。一見膝下まであるトレンチコートの様な出で立ちだが、よく見ると軍服らしい。ウエストにはベルトが巻かれ、その脇には剣が携えてある。詰襟や襟袖の部分は金の刺繍が施され美しく、彼女の赤い髪が白い軍服によく映えていた。


「これは紅族(べにぞく)の正装よ」

「正装…。とてもカッコ良いです」

「あはは、ありがと。紅族の正装は白の軍服なの。戦闘服は別にあるんだけど」


リリィは照れながら礼を言った。


「実はね、昨日渡そうと思ってたんだけど流実にも制服があるのよ」

「紅族のですか?」

「いえ、世話係のよ。北國共通なの」


そう言ってリリィは白い箱を流実に手渡してきた。

流実がそれを開けると、朱色をした服が中に収まっている。


「今日からこの服で仕事をするの。着てみて。サイズは合ってると思うわ」


流実は頷くと服を脱ぎ、朱色の制服に腕を通す。

上着とズボンに分かれており、それぞれ少し緩い作りになっているがサイズはぴったりだった。しかし何というか…。


「…とても動き易そうですね」

「…そうね。動き易いのは大切だから」


甚平といえば聞こえは良いが、正直何とも言えないデザインだった。いや、世話係なんですから、機能性は大切ですけども。


「……さ、そろそろ族長が来る頃よ。広場に行きましょう」


ふと目を逸らしたリリィが話を変えるようにそんな事を言う。それだけで、何となく自分がどんな格好なのか想像できて、何だか居た堪れない気持ちになった。



◇◇◇◇



広場には、既に同じ正装を纏った紅族の面々がいた。真っ白の軍服が整列している様は壮観で、昨日までと打って変わって皆凛々しい騎士のようだった。


「二人共おはようございます」

「おっはー!」


やって来た流実とリリィに気付いたギルバートとアクバルが笑顔で手を振る。


「皆で正装なんて久しぶりね」

「たまには良いものですね。気が引き締まります」


微笑みながら返すギルバート。

知的に見えるモノクル眼鏡と白の軍服はズルい。とてもカッコいい。


「流実さん、制服お似合いですよ」

「えぇ?こんなダッセェ制服、流実には似合ってねーよ!」

「そうですか?」

「ギルのセンスは壊滅的だからなー。なぁ?そう思わない?もうちょい可愛いのが良いと思う」


アクバルの言葉に、「まあねぇ」と正直に同意するリリィ。

ガサツに見えて意外にセンスあるアクバルと、繊細そうに見えて全くそうでないギルバートの新たな一面を知る事ができた。

それよりも、とピシリと背筋を伸ばした流実が緊張して皆と並ぶ。今日からいよいよ仕事が始まるのだ。


「来たわ」


そう言ってリリィが見上げる。流実も追うように上を見た。

空はようやく日の出の時間。一面が朱色に輝く中、同じ色をした大きな物体がどんどん地上に近付いてくる。

ふむるだ。

ほんの数秒で大きな鳥だと分かる程に下降していき、あっという間に地表付近にやって来る。

広場には音の代わりにザワリと大きな風がたなびき、ストンとふむるの脚が地に着いた。


ゆっくりと靭がふむるから降りる。

その瞬間、流実は思わず息を飲んだ。


長身の彼から伸びる長い足はただ歩いていてもとても優雅で、堂々とこちらにやってくる姿は遠くから見てもとても目立つ。

彼の銀髪は朝陽に照らされオレンジ色に輝き、深い藍色の瞳は全てを吸い込んでしまいそうな程透き通っていた。人形のような端正な顔立ちと白の軍服が相まって、皆が恐れる『死神』のイメージとはかけ離れた神々しささえ感じられる。


「全員、礼!!」


呆けたようにその美しい光景を眺めていた流実は、ギルバートの声でハッと我に帰り、皆に倣って敬礼をする。

広場までやって来た彼はそれまでの雰囲気から一変し、ひんやりとした空気で皆を一瞥した。


「出迎えご苦労。話の通り今日から紅族を拠点とする。何かあれば伝令役かそこにいる世話係に通せ。―――以上、解散」


無機質で冷淡。まるで氷の造形物にでもなったような彼は、それだけ言うとさっと踵を返して去っていった。

皆が呼ぶ「離れ」に向かったのだろう。あっという間に背中が見えなくなってしまった。


「ふぁ〜あ、挨拶は短めで助かる」


彼の姿が見えなくなってから、気の抜けたダミ声が聞こえてきた。ガレアだ。流実が周囲を見回すと、皆安堵の表情をしてため息を吐いていた。


「どうにも族長を前にすると緊張する」

「そりゃ誰だってそうだろ。あ〜あ、分かっちゃいたがこれからずっとここにいんだろ?やだなぁ」

「聞こえたら俺らまで巻き添えになるだろう」

「あんだよ連れねーな。一緒に干し肉になろうや」


安堵からかガレアとグレードのやり取りに周囲から笑いが漏れる。しかしその内容はどうにも彼が歓迎されてないと分かり、流実の心はそれだけでモヤモヤし始める。


「流実。何かあったらいつでも相談するのよ?」

「そうです。最悪、総主に直談判もしますから」

「リリィさん、ギルバートさん。大丈夫ですよ。ありがとうございます」

「おう、嬢ちゃん。何かされたら言えよ」

「愚痴ならいつでも聞こう」

「……大丈夫ですから」


皆が憐れみの表情を向ける。

流実は段々その場にいるのが苦しくなって思わず彼を追って離れに向かった。

皆、私を心配してくれた。本当なら“嬉しい”はずなのに。なのに逃げるような態度を取ってしまった。

だって……彼がいなくなった途端、皆が彼の悪口を言い始めたから。


(こんなの、自分がされてきたいじめと変わらない…!)


でも、そんな彼等に「そんな事言わないで」と言えない自分が、一番情けなかった。

それを言った瞬間、自分が“標的”にされると知ってるから。


―――自分を守るために、彼を切り捨てた。それが、吐き気を覚えるくらい卑怯だと分かってるのに。

ああ、本当に、自分は最低のダメ人間だ。自分が嫌で嫌で死にたくなる。いじめられて辛い思いをしたのに、同じ事をされている人の味方をするどころか、加害者になってしまった。


“俺にとっては、牢獄だ”


掠れた声と共に、どこか押しつぶされそうな彼の表情が頭の中で鮮やかに甦っていく。

流実は込み上げる眩暈と叫び出したくなる衝動を堪えながら、ひたすら離れに向かい全力で走った。


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