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第5話 激震の族長令。でも紅族は温かい場所でした


「ただ今より族長令(ぞくちょうれい)を二つ申し渡します。第一。本日より猫族、流実(るみ)・黒井を闇方(やみがた)軍総司令官兼紅族(べにぞく)族長クロノア・アギル付きの世話係とし所属を紅族とするっス」

「―――!?」

「族長の!?」


中央広場に集まったのは総勢三十名ほどの紅族だった。

皆、ふむるの発した族長令に騒めき、所々で「あの族長が?」「どういうつもりだ?」と言った困惑の声を発していた。その様子から、余程信じられない事らしい。


騒めきを肌で感じながら―――流実は、そんな事より遠のきそうになる意識を必死で堪えていた。


広場の中央、皆に向き合うように立たされていたからだ。

紅族は様々な種族が集まると事前に聞いていたが、本当に三者三様だった。

ある者は大きな獣の耳が生えており、大柄な体型をしている。ある者は鮮やかな空色の髪に赤い瞳を持っている。ある者は尻尾が生えていたり、アクバルやリリィのようにエルフ耳を持っていたり。

だが、どの者も流実をジッと見つめているのは同じだった。


じわりと滲んだ汗が背中を伝う。


―――皆の視線が、怖い。

そう思った瞬間、これまでの記憶が甦った。

「根暗ちゃん」と嘲笑されるのだろうか?

何かを投げつけられるのだろうか?

それとも、面と向かって「こっちを見るな」と言われるのだろうか。


(だめ…新しい人生にしようって思ったのに。頑張らなきゃ。……でも)


―――ああ、やっぱり、怖い。

ついに、自分が正常に息ができているのかも分からなくなって、俯いてしまった。


「こら、皆が見過ぎたせいで俯いてしまっただろう」

「だってよう。黒髪に黒目だぞ?」

「猫族なら、たまにいるだろ」

「それよりも珍しいのは族長が世話係をつけた事だ」


各所で様々な声が行き交う中、誰かがそんな事を言った。

すると、それを皮切りに再び話が“族長”に纏まりだす。


「あの“死神”だそ。一体どういう風の吹き回しだ?」

「まだ若いのに可哀想にな。見ろ、あの怯えた姿を。一日と保たずに殺されるぞ」


(……え?)


―――死神?殺される?

ふと、そんな会話が聞こえてきて流実は咄嗟に顔を上げる。

パチリと目が合ったのは鮮やかなオレンジ色の短髪にエルフ耳の長身の男と、紫色で大きな獣耳を持った端正な顔の青年だった。


「おまっ。聞こえちまったろう!」

「よく見ると可愛い娘だな」


オレンジの短髪男が獣耳男に怒鳴るが、獣耳男は全く意に返さず、呑気に言い放つ。流実は会話の内容に処理が追いつかずポカンと二人を眺めていた。


「流実は紅族に慣れるまでリリィさんと行動してもらうっス」

「よろしく!」

「あ…!こちらこそ、すみません」


リリィが端の方から声を上げてパチンとウインクし、流実はハッと慌ててお辞儀をする。


「おい、ふむる!族長付きの世話係は分かったが当の本人は城だろ?」


その時だった。

広場の中から誰かがそんな事を言った。


「そうだ。その子は紅族所属なのに、すぐ城に行くのか?」

「―――もう一つ族長令があるっスよ」


それに答えるようにふむるはスッと姿勢を正す。

人だかりの中でギルバートとアクバル、リリィがサッと耳を塞いだのが見えた。


「族長は、今後の生活基盤を紅族とします。……三日後には、ここに来るっス」


それだけ言うと、ふむるは流実を見ながら自分の耳を塞いだ。どうやら耳を塞げと言いたいようだ。

慌ててそれに習って塞いだ瞬間、本日二回目の悲鳴が紅族中に響き渡った。今回は地響きが鳴りました。




◇◇◇◇



ふむるが族長令を伝達して以降はまるで嵐のような日々だった。

まず、(じん)が紅族に拠点を移すため、それまで使われていなかった彼の居住地―――もとい、“離れ”と皆から呼ばれている一軒家を掃除する事から始まった。


元々、族長就任後に執務を行う場所として総主から与えられていたらしい。だが普段城にいる靭には用途がない。それを皆も分かっていたので、管理などするはずがなくすっかり荒れ果てていたのだ。

朽ちて掃除どころの話ではない状態に、少なく見積もっても一ヶ月は掛かるだろう。

…そう思っていたのに。


みるみる出来上がっていく美しい部屋を目の当たりにして、初めて流実は彼等と人間の圧倒的な違いを肌で感じる事になった。


腐った床板や壁は人間であればハンマーを使って何回も叩くのに、彼等はワンパンで破壊。

壊れた木材を運ぶ一輪車も必要ない。大柄な一人が新しい木材や重い家具など難なく運んでいた。その上朝から動き回っているのに全く疲れた様子がない。


どうやら彼等は基本能力として力が強く、体力も相当あるらしい。

流実は当然役に立たないので床の雑巾がけや皆の食事の用意といった雑用をしていた。


「よっ、嬢ちゃん!」

「お、おはようございます」

「おう!今日もよろしくな!」


二日も経てば、自然に流実に話しかける者も出てきた。

一番話しかけてくれるのは、見かけ年齢三十代後半の髭を生やしたガテン系の男で、初日目が合った鮮やかなオレンジ色の短髪の男だった。名前はガレアと言い、狼族らしい。


「流実殿は本当に非力だな」


ガタイの大きなガレアの隣にいた線の細い男も話しかける。二十代後半くらいの獣耳男で、狐族。名前はグレードと言った。この二人は相性が良いのかよく一緒に行動している。


「それに良い子だしよぉ。俺ァてっきり族長の世話係になるくらいだから、相当癖のある奴かと思ってたんだが」

「え、えと…」


二人に囲まれるように話しかけられ、流実は緊張で身を固くする。


「流実はアタシらと同じ“事情”があって紅族に来たのよ。見ての通り、力の弱い子だから戦闘には向かないし、族長の世話係になったってわけ」

「お、姐さんのお出ましか」

「やめてそれ。怒るわよ」


いつの間にかやってきたリリィは、口籠もった流実を素早くフォローしつつガレアを睨む。この二人は同郷の幼馴染らしい。


「詮索しないのがマナーよ。知ってるでしょ?」

「ま、それもそうだな」


ガレアが大きな身体を竦めて言う。

どういう訳か、“事情がある”というと皆それ以上詮索してこない。この言葉は紅族にとってのマナーワードのようだ。


非常に気になる単語であるが、確かにそう言われると深く聞けないしこちらからも聞きにくい。

だが、逆にそれが流実には安心できた。それだけ……人に配慮できる人達、という事だから。


あっという間に時間は過ぎて最終日の昼。

初日に見た建物は見事に生まれ変わり、新築同然になっていた。

結局三日どころか二日と半日で一軒家の修繕が終わったのだ。信じられないとはこの事だ。


「そういや、嬢ちゃんは、もう族長に会ったのか?」

「はい。一緒に総主へ挨拶に行きました」


最後の片付けをしながら、言いにくそうにガレアが聞く。それに、少しだけ間を置いた彼が「その…世話係としてやってけそうか?」と心配そうに続けた。

ガレアだけではない。この数日話しかけられる内容はどれも同じで“族長の世話係をして大丈夫なのか”という事だった。


それはそうだろう。靭は軍のトップ…総司令官なのだ。突然身元不明な自称猫族の女が世話係になれば皆心配するだろう。


「精一杯、頑張ります」

「…お、おう。まあ、何かあったら言えよ」


何故か憐憫にも似た表情を向けられる。因みに、これも同じ反応だ。


「さっ。とりあえずこれで終了よ。お昼から流実の歓迎会よ!」


リリィがパン!と手を叩いて飛び切りの笑顔を見せた。

歓迎会?……まさか、私なんかのために?


「す、すみません」

「そういう時はありがとうって言うのよ。むしろ、バタついて今日になって悪かったわね」

「そうだぞ嬢ちゃん。早く行こうぜ!今日は夜通し騒いで良い日だ」


隣で陽気に笑うガレアに呆れたように「良い訳ないでしょ」と突っ込むリリィ。


「明日は朝一番で族長が来る予定なのよ?」

「ぐわ〜、そうだった!忘れてたぜ…」

「族長に干し肉にされるぞ。狼の肉は美味いそうだ」

「生々しい忠告ありがとよ。あー、気が滅入るぜ」


ガレアとグレードはそんな会話をしつつ先に会場に向かって歩いて行った。流実はそんな二人の後姿を見ながら――ふと、隣で歩くリリィに質問した。


「あの、良いでしょうか…?」

「どうしたの?」

「えと、クロノアさんの事で…」


そう、それは聞かない方が良いような。それでも、やっぱり聞かずにはいられなかった。


皆自分に話しかける内容は全て同じだった。

最初、“私が”彼の世話係として大丈夫なのか?と心配されてるのかと思っていた。


……だが、今までの皆の反応を統合すると、どうにも“彼の”世話係になる事が心配だから聞いているように感じたのだ。それに、死神とか、殺されるとか…気になる単語ばかり。つまり。


「クロノアさんって、そんなに怖いんですか?」


流実は口下手でコミュ障である。うまい聞き方がどうにも苦手だった。


「……。」

「……。」


リリィが目を見開いたまま固まった。

そして、流実も釣られて彼女を凝視したまま動かなくなる。


不思議な沈黙が流れた。

リリィは驚愕の…いや、恐ろしいモノを見る目で。流実はリリィの反応からまた自分は変と思われたのだろうかと恐れた目をして。

そんな二人の見つめ合いを破ったのは、いつの間にか近くにやって来た緑髪の青年、ギルバートだった。


「あの、宴会の準備できたんですが。二人で一体何を遊んでるんです?」



◇◇◇◇



流実の歓迎パーティを兼ねた昼食は賑やかな雰囲気に包まれていた。

いくつかのテーブルに並べられた料理はどれも美味しそうだ。スープにサラダ、パン。それにデザート。メインディッシュはバーベキューである。ガレアやグレードは真っ先に焼かれている塊肉を下見に行っていた。


「わぁ、凄い…!」


目を丸くして驚く流実がリリィと共にパーティ会場(広場)に向かうと、エプロンを着けた水色の髪の中年男性が話しかけてきた。


「新入りのお嬢さん。気に入ってくれた?」

「こんにちは。えと…」

「流実。この人は水狼(すいろう)。紅族の専属シェフよ」


戸惑う流実にリリィがすかさず紹介をしてくれる。

本当にありがたい。コミュ障の流実にとっては神様のような女性である。水狼と言われた中年男性はニコリと人の良さそうな笑顔で流実を見つめた。目尻のシワが似合う、ナイスミドルだった。


「改めて、水狼だよ。よろしくね」

「すいろう、さん。よろしくお願いします。この料理は貴方が作られたんですか?」

「そうだよ。楽しんでいってね」

「こんなに美味しそうな料理ありがとうございます」


ペコリと深くお辞儀をする流実に、水狼は少し驚いた表情をした。


「礼儀正しいんだね」

「え…変、ですか…?」

「いや、好感が持てるよ。あまり礼を言われた事がないからつい驚いて」


変と思われなかった事にホッと息を吐きつつ、疑問に思う流実。専属のシェフだから、あまりお礼を言われないのだろうか?


「水狼。あまりこの子を独り占めしないの。そろそろパーティを始めましょ」

「そうだった。さ、副長の所に行っておいで」


水狼はまた目尻に皺を寄せてニコリと笑うと、会場奥にいるギルバートを指差した。


「副長?」

「あれ?まだ紹介してなかったっけ?ギルは副長なのよ」

「そうだったんですか…!」


何も知らなかったとはいえ、そんな偉い人だったとは。

リリィはそんな流実の様子に気付くと、


「あはは、心配なんていらないわ。元々ギルは参謀なの。族長が帰ってこないから仕方なく代理をしてるうちに勝手にそうなっただけだから」


そう言って笑った。

リリィと共にギルバートの元へ向かうと、彼は二人に気付いて笑顔で手招きをする。


「待ってましたよ。さ、これを持って」


ギルバートに渡されたのはグラスに入った赤色の飲み物だった。炭酸が少し入ってるらしく少し発泡している。ギルバートはリリィにもグラスを渡すと、その場で声を上げた。


「さぁ、主賓が来ましたよ。皆さん乾杯をしましょう!」


ギルバートの掛け声で、それまで各自団欒していた者達がこちらに注目する。流実は再び緊張で身を強張らせるが、それに気付いたリリィが流実の肩を抱きウインクした。それだけで流実はホッと力が抜け、ぎこちないが笑顔も返せた。ありがとう、女神様。


「皆さん本当にお疲れ様です。今日はその労いと、ここにいる新しい仲間の歓迎会ですよ」

「よっ、副長カッコいいー!」

「ここで主賓の流実から一言頂きましょう」

「!?」

「―――というのは冗談で。流実はだいぶシャイな子なんです。皆さん、あまりガッツかないように!」


わはは、と会場の各所で笑いが聞こえる。流実はというと何と反応すれば良いのか分からず貼り付けた笑顔を浮かべる。


「さぁ、この新たな仲間の歓迎と、明日からの過酷な労働に喝を入れて…カンパーイ!」


ギルバートが天高くグラスを上げると、それに呼応した男達の声が広場に響いた。

最後の言葉に少し疑問も感じたが、流実も皆に倣ってグラスを傾ける。中身はぶどうジュースでとても美味しかった。


「改めてよろしくお願いします。申し遅れましたが、私は紅族の庶務や雑事なども請け負ってますので困ったらいつでも相談をして下さいね」


喋りながら、グラスを傾けて乾杯をするギルバート。

それに慌てて返しながら「こちらこそ、よろしくお願いします」と返事をした。

ギルバートは優しいだけじゃなく、便りになる。物腰も柔らかいし、元々歳上の人と話すのは嫌ではなかった流実は安心して笑顔になった。


「アタシもいるしね。今まで紅族に女子が居なかったから本当に嬉しいわ。女同士、頑張りましょ」

「……え?」


流実は咄嗟に広場を見渡す。そう言われれば確かに女子はいないような。

初日に自己紹介した時は皆を見渡す余裕なんてなかったから。


「心配?」

「え!?あ、いえ」


むしろ、その方が安心できるかも知れない。流実はそう思った。流実をイジメていた人達は皆女子だったから。


「おーい、嬢ちゃん!コッチ来い!肉焼けてんぞー!」

「おいで流実!美味そうだぜ!」


バーベキュー場から声を上げたガレアとアクバル。一瞬ギクリと身構えたが、呼んでくれた事に嬉しさも感じた。


「いってらっしゃい流実。アタシも後から行くから」


流実の不安を見透かしたようにリリィが笑う。それを見てホッと安心した流実はペコリと頭を下げた。

皆気の良い人ばかりで、本当に優しい。――今度こそ新しい世界では居場所を作らなきゃ。

…この先も、ここで生きていくんだから。

流実は、そう強く思い、一つ息を吐いて会場へ足を向けるのであった。


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