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第43話 『兄』と名乗ったのは


柚愛(ゆあ)が薬局にいる頃、古びた小屋の中では。



「…うわ」


流実(るみ)は目の前で広げたモノを見て何とも嫌そうな声を出していた。


この部屋に来て何日経ったか分からないが、いい加減自分の匂いが気になっていた。

(よう)がいない今、鬱々とした気分を変えたくてシャワーを浴びようと思ったのだが。


(葉さんの趣味なのかな)


そう思うだけでゲンナリする服だ。

少し腕を上げれば下着が見えてしまう程の短いワンピース。

ご丁寧に着替えを用意していたらしいが、これは酷すぎる。あまりの丈の短さにどん引いてしまう。



「…まあ、いいや」


どうせ葉は来ないのだ。

いや、むしろ葉が来る前にシャワーを浴びれるチャンスだ。


流実は気持ちを切り替え、さっさと身体を洗い服に腕を通す。

やはり思った通り丈が短すぎる。何だか落ち着かないが、まあ葉はいないんだし。


気を取り直して世話係の服を洗濯し、怪我をしていた手のひらはベッドのシーツを破いて包帯代わりに巻いた。


身体も服も綺麗になって少しホッと息を吐く。


すると、安心したためか途端に眠気に襲われる。

そういえば、睡眠だってろくに取ってないのだ。

これも、葉がいない時に少し寝ようかな…とベッドに倒れ込んだ時。



トトト、と足早に階段を降りる足音が聞こえてきた。



(…?柚愛さん?)


眠気が半分勝った状態で、ボンヤリとドアを見つめる。


もう、戻って来たのだろうか?

そんなに慌てなくとも、傷は大した事ないのになぁ。

焦った様子の足音に申し訳なさを感じ、ベッドから降りてドアに向かう。



―――そして、ドアの目の前に立って、気付いた。

臨月の妊婦である柚愛が、あんな軽快に階段を降りるはずがない、と。


気付いた時には、ドアは開いていた。目の前に立っていたのは葉。


「っ、葉さん…!」

「ごめん。突然だけど、ここから出るよ。しっかり掴まって!」

「掴ま…っひ!?」


恐怖で足が竦む流実をよそに、焦った表情の葉がグイッと腕を引く。そして獣化したかと思えば流実を背中に乗せて猛スピードで走り出したのだ。


(―――この犬!?)


振り落とされないように必死で犬の首にしがみつく。と同時に流実は目の前が真っ白になるのを感じた。


庭で遊んだのも、洗濯物と一緒に押し倒されたのも、玄関に居たのも――この犬だ。


『お前、分かってないのか』と呆れたような表情を見せた(じん)

『大丈夫ですか?』と焦って心配してくれたギルバート。


そう、皆初めから知っていたのだ。――私を除いて。


自分の中に言葉にできない程の怒りが込みあがり、思わず流実は「止まって!!」と大声を上げた。するとビクリと身体を震わせた葉が弾かれるように足を止める。


「ど、どうしたの?ごめん、早過ぎた…?」

「降ろして下さい」

「で、でも…」

「早く!」


ガラリと様子が変わった流実に気圧されるように葉は獣化を解いて流実をその場に降ろす。

降ろされた場所は住宅街だった。少し先には商店があり、人影もチラホラある。もちろん、流実にはここが何処なのか一切分からない。


「その…ごめん、痛かった?」

「……いえ」

「! 良かった。じゃ、早くー」

「駄目です」


ピシャリと返す。

普段とは様子の違う流実に葉も思わずビク!と肩を震わす。だが、その瞳は明らかに焦っていた。怯えていた、とも取れる。


……もしかして、紅族の誰かが近くにいたから焦っているのではないか?



「仕事は、見つかったんですか?」

「え?」

「急に外へ出てどうしたんですか?職場を案内してくれるんですか?」

「あ…!そ、その、これは別に」

「別に?」


恐怖で声が震えそうになるのを必死で隠し、毅然とした態度で葉に向かう。……もちろん仕事なんて見つかってないのだろう。そんな事どうでも良いのだ。

ここで恐怖を見せたら、連れて行かれる。何としてでも、対等な立場だと……許可がないと、連れて行けない人物だと、見せないと。


「ご、ごめん。とにかく今はここから離れなくちゃ。話は後でー…」

「いえ。今話をするべきです。約束はどうしたんですか?まさか約束を破ったのに結婚しようなんて言わないですよね?」

「っ…それは!」


チラチラと、少しずつヒトが集まってくる。中には何事かと家の窓から顔を出す者もいた。

周囲の視線の先には、方や今にも泣き出しそうな男。方や際どい丈のワンピース女が仁王立ちしている。


どう見ても修羅場だ。

きっと皆には自分が悪女に見えるだろう。だが忘れてはいけない。ストーカーは葉の方なのだ。



「本当にごめん。移動した先で、直ぐに見つけるから」

「何故移動するんですか?」

「それは…」

「理由は何ですか?話してくれるまで動きませんよ」

「っ…リリィさんが、いて」

「―――!!」


やはり、そうだった。直ぐ近くまで探しに来てくれていたのだ。これは願っても無いチャンスだ。

何とかここで時間稼ぎをしなければ!!


(皆の…靭さんの元に帰りたい!)



「―――何、考えてるの?」


再び、声が変わった。

思わず葉を見ればゾワリと肌が粟だつ。

また、感情をどこかに落としたような顔だったからだ。


「なに?その顔。もしかして…俺から逃げたいとか、思ってるの?」

「!!」

「…え?本当に?まさか、仕事を見つけたら結婚するって言うのも嘘じゃないよね?」



一番バレてはいけない事だった。

なのに、咄嗟の事で隠しきれずに恐怖で怯えてしまう。


―――次の瞬間、スッと葉が流実の間近にやって来て、上から覗き込んだ。

光のない茶色の瞳が目の前に写る。たったそれだけで流実の足は竦んで動けなくなった。



「あ〜、俺頑張ったのに。ねぇ?」

「……っ」

「ちゃんと好きになって欲しいから、なんて考えてたからダメだったのかな?」


自嘲するように笑って話す葉の目は笑っていなかった。それどころか、瞬きすらせず流実を見つめている。

それが、例えようもなく、怖い。


「ねぇ、何で黙ってるの?」

「っあ」

「俺から離れたいの?それとも紅族の……族長の元に帰りたいの?」


グッと言葉に詰まる。

「違う」の一言が言えなかった。恐怖とは違う…自分の本音がそうだと言っていたから。




「―――そう」


今まで聞いたこともない低い葉の声が、頭を冷やした。

だけどそれ以上の恐怖を感じたのは、葉が流実の首に手を巻き付けてきたからだ。


「っ!?や…」

「逃げないで。殺しちゃうから」


ザワッと周囲が騒めいた。葉の突然の奇行に、面白半分で眺めていた野次馬が悲鳴を上げたのだ。


―――怖い。

生暖かい手。今は入ってない力。でも、何のために首に手を這わせているのかは分かる。

恐怖で葉の手を退かそうと腕を叩く。だが、当然びくともしない。


「よ、葉さん、やめて…!」

「俺のものになるって約束したら、離してあげる」

「っ!」


つい、キッと睨み付けてしまった。


そして―――それが、引き金だった。



「っ、は…、!」


耳元でギリ、と手の食い込む嫌な音が響いた。

一気に力の入った葉の手と、喉が潰されるような感覚。


怖い、怖い!

このヒトは、本気でおかしい。なんでこんな事するの!?


上向きにされた状態で首を絞められ、苦しくて何とか逃げようとバタつき―――そのせいで、流実の黒髪が下にサラリと流れ落ちた。



(―――あっ……!?)


今までずっと隠していた筈の“耳”が、この時初めて露わになった。


「っ!その耳!?」


葉の動揺した声と共に、少し力が緩む。


その瞬間だった。

ドン!!と激しい衝撃と共に、一気に酸素が流実の中を駆け巡る。激しく咳き込み、急に酸素が回った事で目の前が真っ白になった流実は、その場に崩れ落ちた。


「―――大丈夫かっ、流実!!」

「っは、…ケホッ、!!」


(その声……アクバル、さん?)


暫く咳き込むが、やがて霞んだ目が見えるようになると、腹を押さえて呆然としている葉と対峙するアクバルを見つける。


「大丈夫!?」


今度は近くでリリィの声が聞こえる。

声のする方を向くと、走り寄ってきた彼女が直ぐさま自身の着ているローブを脱いで流実に被せてくれた。


「ご、ごめんなさい私」

「良いの!それより、間に合って良かった…!」

「っ違うんです、ごめんなさい…っ!」


震えて今にも泣き出しそうな流実に何かを感じたリリィは「まさか」と呟いた。



「耳なし……」


今まで呆然としていた葉が、ポソリと呟いた。


その瞬間、この場の雰囲気がザワリと変わった。

葉は蚊の鳴くような声だったにも関わらず、まるで全ての意識が流実に集中するかのように視線が降り注ぐ。



―――『人間』だ。


時が止まったように動かない群衆の中から、誰かがそんな事を呟いた。


 人間だ。

 本物か?

 まさか、本当に?


各所で騒めきが起こり出す。運悪く、この場所は住宅地の真っ只中。それ故に、意図せず多くのヒト達が『人間』を見てしまった。


咄嗟にリリィがぎゅっと抱き締める。


「っごめんなさ、私……っ」

「大丈夫、とにかくこのまま隠れ――……」



ふと、リリィの声が消えた。


疑問に思ったのも束の間、あれだけ周囲にあった騒めきもシン…と物音一つしなくなる。


(……何?)


不安になるも、目の前にリリィがいて状況が見えない。つい彼女の腕をキュッと掴んで…そこで初めて、リリィがカタカタ震えているのに気付いた。



「り、リリィさん?あの」


「………見つけた」



―――低い、掠れた男の声が響く。


ドクンと胸が高鳴る。

喉を潰したような、聞き慣れた声。思わず流実が声の方向へ目を向ければ…。


……精巧な、人形が歩いている。


そう、思ってしまった。

シャツとズボンのシンプルな軽服を着た、美しい人形。この場の誰もが彼の美しさに息を呑み、同時に目が離せずにいた。

そう、よく知ってる筈の人、だった。


―――彼の髪が“黒”でなければ。


それは紅族の二人も同じように戸惑っているようで、ポカンとしたアクバルがつい彼の名を口に…出来なかった。


彼が静かにアクバルを睨んだからだ。言外に「呼ぶな」とでも言うように。



「……成る程ね。ようやく、皆が守る理由が分かったよ」


シンと周囲が静まり返る中、乾いた笑いを浮かべながら葉が言い放った。それに片眉を少しだけ上げる靭。


「まさか、人間だったなんて」

「…なんの話だ」

「とぼけるの?さっきの、確実に耳ナシだったよ」


それに、少しだけピクリと身体を揺らす靭。そして、何事も無いように「耳ナシなど幾らでもいる」と吐き捨てた。

と同時に、鬱陶しいように髪を掻き上げ、自身の耳を晒した。現れたのは耳先の尖っていない“人間らしい”丸い耳。


「“妹”はたまたま黒目で生まれただけ。俺と同じ猫族だ」


返事の代わりにまじまじと見つめる葉。そして、再び乾いた笑い声を響かせた。その様子は、もう取り返しのつかない所まで壊れてしまった機械のようで、周囲をゾワリとさせる。


「そこまでして、助けたいんだ?あーあ。もうちょっとだったのになぁ。もうちょっとで、流実を永遠に俺のものにできたのに」


思わずビクと背筋が凍る。

…そう、私は葉に殺されそうになったのだ。


今更やって来た恐怖で震えていると……



それを見た靭が、ブワリと殺気を纏った。


―――訓練してない者ならば失神する程の重圧。

流実でさえ“殺気”だと分かる程のそれは、リリィにとっては更に耐え難いものらしく、顔は青ざめ、先程よりも更に大きく震えていた。


自分が何も感じないのは、きっと彼が“選んで”いるからだ。

事実、靭の近くにいた野次馬は、一瞬で波紋のようにバタンと気絶してしまった。


凍てつき、先の見えない深海のような瞳でゆっくり葉に近付いていく。それには葉も小さく声を出し、思わずその場に膝を付いた。



「―――あのアザを、付けるほど、首を絞めたのか」


更に葉へと近付いた靭が、低い声で言い放つ。


遂に目の前で歩を止めた靭に、フッと葉の意識が途切れる。それを冷えた目で確認した靭は、無言でゆっくり右手を出した。


…右手の手の平が淡く光り始める。

あれは、いつか見た、大鎌を出すサインだ。



(―――だめ!!)


気付いた時には、走っていた。

髪を黒く染めるほど、“妹”だと嘘をつくほど、素性を隠したい筈だ。だとしたら…今大鎌を出せば、彼が闇方軍総司令官だと言ってるようなものだ。


「っ…!」


ビクリと、靭の身体が大きく揺れる。

流実が靭の胸に飛び込んだからだった。

一瞬くぐもった声が聞こえた気がしたが、無視して力の限りギュッと抱き締めた。すると、先程まで感じていた殺気がピタリと止まる。


「っ帰りましょう!…お願いだから…!」


彼の胸に顔を埋めながら精一杯叫ぶ流実。

暫く無言で固まったままの靭。だが、やがてゆっくりと動き「駄目だ」と低く答える。


「お願い、“兄さん”!!」

「!」


それにビクリと反応した靭。恐らく、素性を隠してここにいる事を思い出したのだろう。

しばらく硬直していたが、やがて長い息を吐き終えて、ようやく緊張を解いた。


(……良かった…!)


安堵と、今更靭に会えたことに安心した流実は、腕を離して彼を見上げる。


しかし靭は一切流実を見なかった。そして離れた場所で青ざめていたリリィを呼び小さなビンを渡す。


「後始末は、やっておけ」

ビンには…赤い粉が入っていた。


その言葉にサッと怯えた表情をしたリリィだったが、やがて「はい」と答えてその場から去る。

今度はアクバルを見ると、「“妹”は連れ帰る。犬の処理をしろ」と言い放った。


酷く冷え切った掠れ声だった。

アクバルも小さく頷くのが精一杯なのか、流実を連れて踵を返す靭を見つめるだけ。


ただ……靭が必死に怒りを抑えている事だけは、誰の目にも明らかだった。




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