第41話 監禁と反撃
ボンヤリと霞んだ目を開けると、視線の先に天井の蛍光灯が冴え冴えと白い光を放っているのが映る。
(ここは…?)
流実は見慣れない風景に不安になり、とりあえず寝ていたベッドから身体を起こそうとして……その瞬間、鳩尾に激痛が走り思わず蹲った。
なんで、こんなに痛いんだろう。
いや違う。ここは、本当にどこ?
蹲った状態で周囲を確認する。
古びた木の匂いと、木板の壁。家具はベッドにテーブル、あとは本棚が一つあるだけだった。
窓はあるもののその先は真っ暗で、蛍光灯の光だけが頼りなく映る。…十畳ほどの古い小屋のような場所だった。
じわじわと恐怖と焦燥感が湧き出たところで、背後の扉がガチャッと開く音がした。
「大丈夫?」
声と共に入って来たのは葉だった。
走馬灯の様に先程の出来事を思い出した流実は、瞬時に恐怖に襲われる。
そうだ。
突然離れに葉がやって来て……そして、お腹を殴られて気を失ったのだ。
咄嗟に叫ぼうとしたのだが、殴られた鳩尾が痛すぎて声が出ない。
「! ごめん、大丈夫?結構力を抑えたんだけど想像以上に入っちゃったみたいで…」
「っ…こ、ないで!」
コップを持った葉が申し訳なさそうにその場に立ち尽くす。
その様子を見てこれ以上近付いて来ることがないと分かりホッとするも、痛くて動けない。
だが、動けない程度で良かったのかも知れない。葉の言う通りだいぶ加減をしてくれたのだろう。そうじゃなければ、今頃死んでた。彼はまさか私を人間だとは思ってないだろうから。
―――それよりも。
「なんでっ…こんな事…!」
「こうでもしないと、中々流実と話せないから…」
「だからって」
「……ごめんね。ここは誰も知らない家だから、ゆっくり、話そうよ」
ぞわり、と背中に冷たいものが這う。
(誰も知らない?ここは…ウォークじゃないの?)
途端に、目の前が真っ暗になった。
自分が気絶してどのくらい経ったのかは分からない。分からないが、ヒトならばだいぶ距離を移動できるだろう。それが女一人抱えていようとだ。
この世界に来て紙上での勉強は沢山した。
どこに、どんな場所があるのか地図では知っている。
でも、実際にこの目で見た事は?
ウォーク以外の街を歩いた事は?
通貨は?連絡手段は?
自分は、何も知らない。第一知ってたとして、幾重にも結界が張られている紅族の場所など、一度出てしまえば戻る術はない。
(どうしよう……)
胃の奥が冷えて吐き気がこみ上げてくる。
今更最悪な状況を理解した流実はただ葉を見つめた。
目の前のストーカーが、正しく自分の運命を握っている事が、どうしようもなく怖い。
「これ、どうぞ」
そんな流実の恐怖を知ってか知らずかスッとコップを差し出す葉。思わずビクリと反応するも、なるべく彼を刺激しないように恐る恐るそれを受け取った。
彼はにこりと微笑んで、そのままベッド下の座布団に腰掛ける。
「香茶だよ。食堂にも置いてるやつで、俺が仕入れてるんだ」
「……」
「それは薬にもなる。痛みや疲労が早く回復するよ」
これも初耳だ。
本当に自分はこの世界の事を何も知らなかったようだ。
いつまで経ってもお茶に口を付けない流実に、葉は困った顔で笑う。
「そんなに警戒しなくても良いのに」
「……っ」
「流実はあの人には怯えないのに、俺には怯えるんだ」
「あ、あの人…?」
「総司令だよ。普通はそっちの方が怖いのにね」
「っクロノアさんは怖い人じゃないですから!」
思わず声を荒げてしまった。
つい癖で、靭が悪く言われるとすぐカッとなってしまう。だが今この状況では火に油を注ぐ行為に違いなかった。
「ねぇ、なんで庇うの?死神なのに?」
「死神なんて…!彼は良い人ですよ。何も知りもしないで!」
「そんなにムキになるなんて。……もしかして流実はあの人の事好きなの?」
その言葉に、固まった。
違うと、直ぐに言えなかったからだ。
「ま、別に関係ないけど」
「―――え…?」
「これからは俺が一緒にいるし、好きになってくれるよね?」
ニコリと爽やかに笑う葉。
流実はただポカンと口を開けた。
目の前のストーカーが、何を言ってるのか、さっぱり分からない。
「とりあえず今は休んでて」
「!」
「身体辛いでしょ?また来るから」
そう言って何事もなかったかのように部屋から出ていく。
閉められたと同時に「ガチャン!」と鍵の掛かる音が部屋に反響した。
後に残された流実は、ズキズキと痛む鳩尾と共に恐怖と絶望で目の前が真っ暗になっていった。
◇◇◇◇
その頃、離れの書斎では部屋の主である闇方軍総司令官と伝令役、そしてその伝令役が連れてきたイソラ駐屯地の医療責任者である寧楽が顔を合わせていた。
相変わらず息も出来ない程の重圧と、突き刺すような殺気が充満する中、寧楽は堪らずチラリと伝令役を見る。
普段から元気がトレードマークのふむるは、今や顔色は無く寧楽に隠れるように縮こまっていた。
つい先程、顔を真っ青にして飛んで来た時は何事かと思ったのだが成る程これは堪らない。
原因である闇方軍総司令官は先程から無自覚に殺気を飛ばしており、目だけが据わっていた。
背後には砕け散った本棚と、本棚を通過しめり込んだ壁がぽっかり大きく空いている。
これを見る限り、どこかに怒りを発散させないと自我を保てなかったらしい。
寧楽は小さく溜息を吐き、意を決して口を開く。
「流実さんの場所は特定できません」
ピクリと靭の指が動く。と同時に更に重い殺気が放たれた。寧楽は気圧されそうになる意識をグッと保ちつつ、更に続ける。
「私は治療専門。呪術系の力は強くありません」
「では直ぐに得意な者を呼べ」
「……猫族の中でも呪術を得意とする者は里から出てきません。…そもそも協力するかも怪しい」
そこで初めて無表情だった靭に変化が現れた。明らかに怒った表情になり、そのままギロリと寧楽を睨む。
それには堪らず、寧楽はすぐ口を開いた。
「私は呪術系の能力は低いですが全くない訳ではありません。少しなら、個人の能力を高める形で付与できます」
少しだけ殺気を薄める靭。だが、すぐに鼻で笑い「あいつの匂いでも追っていけと言うのか?」と吐き捨てた。
「その通りです。彼女の気配を感じるようにする事ができます」
「……」
「彼女に近い者ほどその効果は高い。この中では、恐らく総司令が一番強い効果を発現できるかと」
「その“総司令”自ら一介の世話係を探すのか。そりゃ敵の間者も大喜びだな」
今度は分かる程の嘲笑だった。
まるで話にならない。とでも言うように。
―――事実、一度『ウォーク』の外に出ればどこに敵国のスパイが紛れ込んでいるか分からない。戦に詳しくない者ですら長い銀髪は『死神』のそれだと分かる。
その『死神』が“たかが”世話係を自ら探していると知れたら敵は何と思うだろうか?
その世話係が、『死神』にとってなくてはならない者だから探すのだと思うだろう。
例え人間だとバレようがバレまいが、探している理由が何だろうが、『死神』だと知れた瞬間、全ての矛先が流実に向く。
葉に囲われてる今とは比べものにならないくらい状況が悪くなるだけだ。
「何のためにあいつ等に探させてると思ってる」
「しかし、これが一番確実です」
「俺はウォークから出られん。この髪色である限りな」
自嘲気味に銀髪を握り潰す。その顔は心底憎々しげに見えた。
すると、寧楽は、一呼吸置いて予想外の事を言い放った。
「では、死神ではなくしましょう」
◇◇◇◇
流実が閉じ込められている部屋の窓は、外側から木の板が打ち付けられ完全に遮断されていた。外の光が入ってこない部屋にいると、どうにも時間の感覚がない。
いつからこの部屋にいるのか。そして、どうやったら逃げ出せるのか。流実はそればかりを考えていた。
「葉さん。そろそろ仕事は良いんですか?」
「今は無職だからね」
「それは駄目ですよ。ニートはいけません」
「にーと?」
きょとんと首を傾げる葉。どうやらニートは人間界だけのワードらしい。流実はしまったと思ったが、それ以上に目の前の葉に何処かへ行って欲しくて話を続ける。
「働かない人達の事です。お金が無いとご飯食べられないでしょう?このまま餓死するつもりですか」
「それも良いねぇ。流実と一緒に死ねるなら本望だよ」
駄目だこりゃ。
流実は気付かれないように小さく溜息を吐いた。ようやく腹の痛みは治ったものの、たまに食事を持ってくる以外に自分のそばを離れようとしない葉にどうしたものかと考える。
―――あれから葉は、流実に何かする訳でもなく、ただ側にいてずっと会話をしていた。
どうやら“一緒にいれば自分を好きになってくれる”と本気で思っているらしい。以前の問題でこんな部屋に監禁する人を誰が好きになるのか、という話だけど。
どうすれば葉はいなくなるのだろうか?
言葉を選ばないと、何をするか分からないし…。もちろんストーカー心理なんて分からないし。
(…?なら、一番想像できない事をしてみるとか?)
ふと湧いたアイデアに、流実は一縷の光を見た気がした。
しかし、それが果たして成功するのか。という不安も頭を掠める。
もし失敗すれば確実に今より状況が悪くなるだろう。…でも、何もやらずにただ時間を過ごしていても、良くなる訳でもない。
ぐっと拳を握った流実は、決心したように小さく息を吐いて葉を見つめた。
「葉さんは、私の事が好きなんですか?」
「! もちろん好きだよ。当たり前じゃないか」
「私と、結婚したいんですか?」
「そうだよ!え?もしかしてー…」
「だったら、今のままじゃ駄目ですね」
「え!?」
途中まで期待に満ちていた表情の葉が、分かりやすくどん底に落ちた。その顔は、言外に“何故?”と言っている。
……何だか、その顔を見ると上手くいきそうな気がしてきた。なので、トドメの一撃を放ってみる。
「私、生活力のない人は嫌いなんです」
「!!」
衝撃を受け、鳩が豆鉄砲を食ったように固まる葉。
そして小さな声で「せいかつりょく…?」と呟いた。
「無職の人がどうやって妻を養うんですか?」
「うっ」
「私、亜人なんです。だから世話係だったのに。職を失った上、葉さんも無職なんて。生活できないなら結婚もできませんよね」
流実のド正論にショックを隠しきれない葉がフラリとベッドの淵に倒れ込む。
予想外の流実からのカウンターパンチはよく効いたようで、葉は顔を青くし「一体どうすれば…」などと泣きそうな声で流実に助けを求めていた。
え、本当に上手くいきそう…?
―――なら、あともう一息…!
「どうするもこうするも、こんな事をしている暇があれば、早く仕事を見つけてください」
「っ直ぐに見つけるよ!!…見つけたら俺と結婚してくれる?」
「日銭程度の仕事はダメです。一生安定した暮らしができる仕事じゃないと認めません」
「分かった!」
そう言って葉は、意を決したように立ち上がった。
その様子を見て流実は―――心の中でガッツポーズをした。
―――本当に成功した!!
これで葉は暫くここへは来ないだろう。その隙に脱出方法を探せば良い。そう思ったのだが。
「じゃあ行ってくるね」
「あっ、仕事が見つかるまで帰って来なくて良いですから」
「分かった。でも、流実が心配だから知り合いに頼んで一緒に居てもらうね」
「……えっ?」
「餓死しちゃうと困るし。じゃあね!すぐ見つけてくる!」
「あっ…ちょっ…!!」
キラキラと輝く笑顔で去って行った葉。
流実の叫びも虚しく目の前でガチャンと鍵が閉まる。
「と、友達…?」
後に残された流実は力なくその場にヘタリ込む。まさかこの誘拐劇に加担している馬鹿者がいるなんて。
どうやら、葉の方が一枚上手だったようだ。




