第39話 アクバルの正体と鍵の向こう
葉が離れにやって来た翌日の早朝。
闇方軍総司令官の書斎には、伝令役のふむる、欠伸をして目を擦るアクバルに、それをたしなめるギルバート、そのやり取りを全て無視したリリィが集まっていた。
「あの“犬”をなんとかしろ」
彼等をこの書斎に呼びつけた靭は、目の前の四人を一瞥すると、簡潔に言った。
サッと表情を変える三人。唯一、アクバルのみ何の事か分からずポカンと口を開ける。それに気付いたギルバートがこそりと耳打ちした。
「葉の事ですよ。食堂の」
「あ!あの犬族の!……葉がどうしたの?」
犬が何なのか分かったアクバルだったが、何故「なんとかしろ」と言われたのか分からず首を傾げる。
それに今度はリリィが答えた。
「どうやら流実を気に入ったらしいのよ。ほら、犬族ってストーカー問題多いでしょ。その様子だと相当付き纏われてるのね?」
「……昨日も堂々とこの家にいた」
その言葉に、皆が一斉に驚愕した。
よりにもよって、『死神』の二つ名が付いている闇方軍総司令官の家に侵入して来たのか。
「流実さんは大丈夫だったんですか?」
「酷く怯えていたが、何もされてはいないようだった」
頭が痛くなったのか、目頭を強く揉む靭。
「このままだと、あいつが人間だとバレる日も近い」
「……だから流実さんを人間だと知ってる我々を呼んだ訳ですね?」
「そうだ。この件は早急に対処する必要がある」
皆シンと無言になった。
早朝から呼びつけるほどだから、何か重要な話だとは思ったが、確かにこれは重大だ。一個人の問題ではない。人間を意図的に隠しているとバレれば、『極刑』だからだ。
「…じゃあ城は?あそこなら安全だろ?」
「城はここより環境が悪い」
遠慮がちに言ったアクバルに即座に返す靭。分からないと言いたげな表情のアクバルに、今度はふむるが答えた。
「ご主人様の地位を狙う者は、城には沢山いるんス。“今まで付けた事がない世話係”というだけで、充分流実は注目されてるっス。それが人間だったと分かれば…」
「闇方軍総司令官が、知ってて人間を隠していた、という事になるわけね。どの道、ヒトも多いしリスクはここより大きいわ」
リリィがため息を吐きながら言葉を重ねる。
「では、ウォークにいたまま葉を何とかするしかありませんね」
ふむ、とギルバートが顎を摩る。
これは彼が考え事をする時の癖だった。残りの三人もそれぞれ考え始める。
「まず、葉の住居と普段の行動を確認しましょうか。あとは、協力者の洗い出しも」
「潜入捜査ぁ?また俺かよ!」
「頼みますよアクバル」
「えー」と本人は肩をすくませるが、潜入捜査でアクバルの右に出る者はいない。本人は「地味だから嫌」といつも文句を言ってるのだが。
「あとは、流実さんの警護ですね。数日警護できてもずっと続けていくのは難しいですし、どうしますか?」
「……猫族はどうだ」
突拍子もない提案に、思わず誰もがポカンと靭を見つめる。暫くしてギルバートだけが「確かに」と頷いた。
「猫族は術に長けた部族ですし、耳なしを変えたりできるかも知れませんね」
「それに人間だと知ってるから話が早い。―――ふむる」
返事をしたふむるが靭を見つめる。
「今の話を駐屯地の寧楽に伝えろ」
「了解っス!」
そう言って敬礼し、すぐさま獣化して飛び立った。
ギルバートはふむるが出て行った窓から目を離し、再び顎を摩る。
「では、その間の警護を固めましょう」
「ここは俺が見ておく。それ以外は、奴から目を離すな」
「分かりました」
「ええ、任せて」
「頼んだぞ」
最後の言葉を聞いた瞬間、目の前の三人はそれぞれ信じられないとばかりに目を丸くして驚いた。その反応に、靭は不快感をあらわに眉を寄せる。
「…クロノアが俺らを頼ってくれるのって初めてだな。なんか嬉しくなるぜ」
「!」
本人も無意識だったのか、少しだけ動揺する。それに、皆が嬉しそうにニヤついた。
「とにかく、任せろよクロノア」
「…お前、その呼び方どうにかできんのか」
「俺はこう呼ぶって決めたんだ!」
「とにかく流実さんは我々が守りますので」
「一緒に、でしょ?」
嬉しそうな表情の三人に、どこかむず痒そうな靭は目を逸らすのであった。
◇◇◇◇
いつも通りの時刻に起きた流実は、いつも通り洗濯をする為に一階に降りたところで、いつもと違う光景に思わず首を傾げていた。
「……おはようございます」
「ん」
「あの、何してるんですか?」
「見りゃ分かるだろ」
仕事ですよね。
そう思ったが言わなかった。誰がどう見ても彼は執務をしている。知りたい事は、何故書斎ではなくリビングでやっているのかという事だ。
流実の疑問を表情で察したのか、彼は「どこだって良いだろ」と素気なく答える。
……まぁ、分からなくもない。一日中あの書斎で書類と格闘してたら、少しは違う景色も見てみたい気もする。
だがこれでは朝の洗濯から始まって夜食のココアを用意する所まで一日中この人に見られる事になるのだ。
正直言って、とても嫌だ。
そうで無くとも昨日はこの人に思い切り抱き締められて少しだけ気まずいと思っていたのに。
……いや、本当は感謝するほど安心したんだけど。でもそれとこれとは別だ。
しかし、書斎で仕事をして欲しいなどともちろん言えない流実は、とりあえず洗濯をするため洗面所に向かう。そこで、再び首を傾げる事になった。
「―――あの、靭さん」
「何だ」
リビングから返事。
しばらくすると、心配したのかわざわざ洗面所にやって来る。
「突然無言になるな。どうしたんだ」
「……私の服」
「は?」
眉間に皺を寄せて答える靭。流実も流実で戸惑った表情でその場に立ち尽くした。
「私の世話係の服とか…その、下着とか…」
「それが何だ」
「…無いんです」
「何だと?」
一気に声のトーンが低くなった靭にドキリとして振り向くと、彼は想像通りの冷えた表情をしていた。
「盗まれたのか」
「えっ?いや、まだそう決まった訳では…」
「だが無いんだろ」
「今日洗う予定で置いておいたはずなんですが」
「……あの犬野郎」
憎々しげにボソリと呟く。それは蚊の鳴くようなとても小さな声だった。しかし、すぐ真後ろにいた流実には物凄い殺気と不機嫌そうなオーラと共にそれがバッチリ聞こえた。
(……あの犬野郎?)
「葉さん、ですか?」
「他に誰が?…まさか俺だって言いたいのか」
「靭さんはそんな事しませんよ。あ、でも靭さんの軍服は無事ですよ」
洗濯籠の中を確認しながら、そう言った。
「そりゃ俺の服盗んでどうすんだ。それより、自分の服が盗まれたんだぞ。気持ち悪いと思わないのか」
「もちろん本当だったら嫌ですよ!でも…靭さんの軍服の方が大事なので」
正直気持ち悪い。でも、盗られたと決まった訳ではないし…。
それに、本当に軍服が無くなると困るのだ。始末書を書かないといけない。以前洗濯の時にボタンを引っ掛けて取ってしまっただけでA4一ページくらいの始末書を提出したのだ。無くなったら最後、一日かけても書き終わらないだろう。忙しいのに、やってられない。制服は消耗品だから簡単に支給されるしなぁ…。
そんな事を考えていると、突然背後から伸びた手によってグイっと顔を上に向けられた。
―――再び至近距離で靭と目が合った。
自分の頭は彼の胸に、そして顎は彼の手によって上に向けられており、目の前に端正な顔がドアップで映り思わずヒュッと喉が鳴る。
突然の事で、洗濯カゴを落としてその場に立ち尽くしていると、自分を見下ろした靭が何故か不機嫌そうに眉を寄せた。
「こういうところだ」
「へ?」
「お前は危機感が無さすぎる」
ん?
言ってる事が分からず、ついポカンと彼を見つめる。
「お前がボケっとしてるから犬野郎に目を付けられるんだ。嫌なら嫌とハッキリ拒否しろ」
「……あ、はぁ」
その返事に、げんなりとした表情になった靭がようやく流実を離し、そのままため息を吐く。
「とりあえず、服は探させる。いいか。俺が言ったことをよく考えて行動しろ。気軽に男に愛想を振りまくな、触れさせるな、危機感を持て。これ以上犬野郎を増やすな」
「……はい」
「……よく分かってねぇだろ」
返事はしたものの、確かにいまいち彼の言いたい事が分からない。それに。
「別に靭さんにされても嫌ではないので、拒否しなかっただけです」
それだけ言って、落ちた洗濯カゴを持ち仕事に取り掛かった。
彼は勘違いしているみたいだが、そもそも誰にも愛想は振り撒いていない。できるくらいなら、最初からコミュ障になってないのだ。
それに、許可せずとも皆勝手に触ってくる。この世界の過剰なスキンシップには、最早諦めるしかない。だから耳さえ気を付ければ、人間だとバレないから大丈夫。
靭に触られるのも嫌ではない。少しだけ…いや、正直むしろ嬉しい。だから彼が注意した事は間違っている。
そう思って告げた言葉は、彼を暫く一時停止させる程度には破壊力があるらしかった。
◇◇◇◇
隣町であるカラック街は紅族の町ウォークとは別世界だった。
商店や居酒屋に露店。そして所狭しと並ぶアパートらしき住居と多くのヒト達で賑わっている。
「おにーさん、立派だねぇ!あたし達と遊んでかない?」
路地に立つ煌びやかに着飾った女達がローブをまとった男に話しかける。呼び止められた男は足を止めて愛想の良い笑顔を見せた。
「悪いね、用事があるんだ」
「えーっ。そうなの?」
「終わったら遊んでやるよ」
「ほんと?待ってるわ」
キャラキャラと笑って手を振る女達と別れて、ローブの男…もとい、アクバルは生え揃ったあご髭をさすりながら路地を進んでいく。その姿は誰が見ても、無骨そうな中年男だった。
―――アクバルの正体は雷だ。
普段の姿も雷を具現化しているだけで、どんな「形」にもなれる。
時には少年に、時には老婆に。そして今はこの街に溶け込みやすいように、中年に差し掛かった剣士風の男に姿を変えていた。それを知る者は少ない。天族自体、数が少なく謎が多い種族だからだ。
住宅街がひしめく迷路のような路地を慣れたように進んでいくアクバルは、ようやく目的の人物を見つけた。
「これで良いか葉?」
「うん。これお金…あれ、ごめん財布忘れたみたい。取ってくるね」
「あいよ。じゃ、この食料は店の前に置いとくな」
紅族の専属コックである水狼の血縁者が営んでいる八百屋だった。葉は毎日ここへ通って食材を仕入れてやって来る。それを知っているアクバルは真っ直ぐこの場所に来ていた。
何も知らない葉が財布を取りに行く背後から、アクバルはゆっくりとその後を追う。
(…なるほど、ここが葉ん家ね)
何処にでもあるような雑居アパートの一室だった。
だが、お世辞にも良い暮らしをしているようには見えない。
ここら辺はスラム街と住宅街のちょうど境にあるところで、物価が安い。きっと葉の収入は紅族ぐらいしか満足にないのだろう。
しばらくアパートの下で待っていると、トトト、と小気味の良い音を立てて葉が階段を降りて来た。
「こんにちはー」
「…おう」
アクバルの前を通り過ぎる時、ニコリと爽やかな笑顔で挨拶をする葉。葉の本性を知らない者ならば、きっと爽やかな好青年に映ることだろう。
一方の葉は、ローブの男をアクバルだと思わずそのまま去って行った。
それはそうだ。アクバルが姿を変えられる事は紅族でも限られた者しか知らない。だからこそ、潜入調査はアクバルの大きな仕事の一つだった。
葉の背中が見えなくなった事を確認すると、アクバルは上を見上げた。階段を登り三階へと向かう。三〇六号室。これが、葉の家。
(んじゃ、悪いけど入らせてもらうね)
そう心の中で呟きアクバルは鍵穴に人差し指を置き意識を集中させる。
すると、指先が淡く光を放ち形が変形していった。長く、細い状態になった指はスルスルと鍵穴に入っていき、ガチャン!と鍵が開いた。
「へぇ、案外綺麗にしてんだな」
想像以上に整頓され、ゴミ一つない部屋にアクバルは驚いた。
家具もテーブルと本棚くらいしかなく、あまりの殺風景さに生活感すら感じない。
とりあえず部屋の隅々まで探していく。しかし、葉の私物以外は出てこない。
(ベタ過ぎるけど…ベッドの下に何かあったりして)
ふと、探していなかったそれを持ち上げてみる。すると、一瞬で視界に飛び込んできた“それ”に、アクバルは「うっ」と低い声を漏らした。
「……マジかよ…」
込み上げてくる吐き気を何とか抑えつつ、ボソリと呟いた。
目の前にあったのは、朱色の見慣れた世話係の服だった。
それだけならまだ良い。下着や、ビニールに入った髪の毛まであり、思わずアクバルは目を逸らしてベッドを元に戻す。
(…あいつ、マジもんだな)
頭を抱えるようにその場を後にするアクバル。想像以上の絵面に衝撃を受けたからだ。
過去犬族の番に対する執着を聞いてきたが、実際目で見てしまうと最早笑い事ではなかった。これは、確かに流実が危ない。
「―――後は葉の交友関係か。……女の姿の方が警戒されないしな」
そう言うと、素早くパチンと指を鳴らす。
艶やかな女の姿になったアクバルは逃げるように足早に雑居アパートを後にするのであった。




