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第3話 総司令官の直々のお迎えは”連行”だった

薄い光を瞼に感じ目を覚ました流実(るみ)は、眠い目を擦りながらゆっくりと身体を起こした。

時刻は日が昇るのに少し早い頃。背後の窓から夜明け前の青白い光がぼんやりと室内を包んでいた。部屋の隅は、未だに暗い。


何となくその隅を見た先には、男がいた。

その瞬間叫び声を上げた筈が実際には恐怖で喉が張り付き、声が出ていなかった。見間違いかと思ったが、確かに男はその場にいる。


(り、リリィさん…!)


引きつりながらも何とかリリィを呼ぼうとする。だけど怖くて、本当に喉がくっ付いてしまったかのように声が出ない。

一方の男は部屋の隅に立ったまま流実を見つめていた。

何故見つめていると分かるのか?肌に刺さるような視線を感じているからだ。


男だと分かるのは背が高いせい。薄暗くてよく見えないが、百八十㎝以上はあるはず。それに軍服のような服を着ておりスラリと伸びた四肢と均整の取れた身体は大人の男性だと分かった。


ゆっくりと男が動く。

コツンと靴を鳴らして、長い脚が暗い場所から伸び窓の光が届く所まで歩いてくる。

流実は呆然と…正確には、この状況をどうする事もできず恐怖で身体が硬直していた。


―――同時に、サラリと靡く長い銀髪が視界に入り、ようやく男が誰なのかが分かった。


「……迎えに来たぞ」


少し不機嫌そうに言い放った声は、やはり喉を潰したようなハスキーボイス。だが、だいぶ低くなっていた。


(じん)……さん?」

「クロノアだっつったろ。絶望的だな」


ぶっきらぼうに答える靭――ことクロノア。

その姿は二十代半ばの青年だった。


(あの時の……姿だ)


狭間の森から連れて来れられた時に変化した、あの美しい青年姿だった。

凛々しい眉にスッと通った高い鼻筋。強い意志を感じさせる切れ長の目から覗く瞳は透き通った藍色のまま。形の良い唇や左右対称の輪郭も、誰もが見て分かる程の端正さだった。

そして、長い銀髪は今や腰近くまで伸ばされ、後ろで一つに括られていた。まるで精巧な人形のような姿だ。


「……えと」

「まだ寝惚けてんのか」

「だ、だいぶ大人ですね…?」


思わず敬語になった流実に、フンと鼻を鳴らす目の前の美青年。

成る程この姿が本来の…。うん、この外見で軍の総司令官なんて言われてたら、最初から世話係をお断りしていた。だって綺麗過ぎるし偉すぎる。


(―――それより、一体いつからここに?)


ついさっき森で会って居場所を教えたばかりなのに。それにいつの間にこの部屋の中に?色々と怖い。


あまりの衝撃で何も言えずに固まっていると、突如彼はピクリとドアを見た。

まるで何かの気配を探っているように見える。思わず流実も彼の視線を追うと…。


「いいか、何も喋るなよ。俺の事は知らん振りをしとけ」


「え?何で…」そう口が開いた時だった。


「族長!!」


部屋に入って来たのはリリィだった。

流実は驚いて目を見開く。というのも彼女の足音や気配が全くしなかったからだ。


リリィは、何故か顔を青くし切羽詰まったような表情だった。流実と目が合うと一瞬ホッとしたものの、すぐさま靭に視線を戻す。


「族長、これには訳が――」


一つ呼吸を置いたリリィが意を決して口を開いた時。


―――“キン”と音が鳴るほどにその場が凍り付いた。


一瞬で空気が変化し、ゾワリとした恐怖が湧き上がる。

それは……流実でさえ分かるほどの、明確な『殺気』。


「俺に黙って人間隠すなんぞ大した度胸だな」

「―――っ。も、申し訳、ございません」


突き刺すような低い掠れ声に、リリィは堪らず頭を下げる。その身体は誰が見ても分かるほどに怯え、震えていた。


でも、それが理解できるほどに…彼を取り巻く空気は冷え切って鋭利だった。


(な、なんで急に……?)


何故こんなに“怖い”態度を取るのか。それに……私はちゃんと森で“保護”してもらったって言ったのに?


「この人間は、俺が連れていく」

「――っ!!」


リリィがバッと顔を上げる。

その表情は、真っ青になり悲痛に歪んでいた。まるで許しを請うような、必死な顔で。


「どうか……どうか城に…!」


絞り出すような声で言ったリリィを靭はギロリと一瞥する。


「てめぇに指図される覚えはねぇ」


彼が言い終わるや否や、流実は突然ぐらりと宙に浮き、視線が地面に落ちた。どうやら、自分は彼に俵担ぎをされたらしい。


そう気付いた時には遅かった。

流実を担いだまま移動した靭は、窓を開け、そのまま飛び降りたのだ。

窓から落下する瞬間、リリィの叫び声が聞こえた気もしたがこっちも同じくらい叫びたい。

でも、恐怖で声すら出せず、ただぎゅっと目を瞑り、身をこわばらせる。


(……ん?)


いつまで経っても訪れない地面と衝突する衝撃。

なぜだろう?と恐る恐る目を開くと。


(地面が…離れていく?)


何が起きてるのか理解できないまま、遂には最初に見た特徴的な赤茶色の屋根も見えるようになっていく。


「―――えっ、飛んでる!?」

「うるせぇ」


意図せず靭の耳元で叫んでしまい、不機嫌そうに言った彼が流実の腰を強く引いた。すると、それまで逆さまだった視界がぐるりと元に戻ってくる。

そして、彼の前に座る形で、ようやく流実は自分が“飛んでいる”原因を知った。


「―――鳥!?」


二人が乗ってもなお大きい鳥。その鳥の背に跨る形で空を飛んでいたのだ。

ハンググライダーくらいの大きさで、朱色の美しい羽を動かし力強く滑空していく。

もちろん人間界にそんな大きな鳥なんていないけど、この世界にはいるらしい。


ふと、リリィの叫び声が聞こえてきた。

流実が背後を振り返ると既に小さくなりつつあるリリィの自宅から、彼女が窓から身を乗り出しているのに気付く。


それにハッと焦り「あ、ありがとうございました!」と精一杯の声で叫んだ。

その間にも鳥はぐんぐん上昇し、普段からボソボソ喋っている自分の声が聞こえたか怪しい。


「大丈夫…かな…」

「次会った時話せば良いだろ」


独り言を言ったつもりが、律儀に返してくれた靭に改めて存在を確認する。先程の殺気は嘘のように消え、森であった時の彼に戻っていた。


(あれ?もう、怖くない。……さっきのは、何だったんだろう…?)


もしかして『族長』の威厳を保つ為に、リリィの前では怖い人に見せていたのだろうか?

…え?本当なら…あんなに怖くして、大丈夫だったのかな。


(けど……今は…!)


「まさか、鳥に乗って空を飛べるなんて」


つい、興奮して笑顔になってしまった。

流実の反応が予想外だったのか、一瞬間を置いて背後から「本当に変な女」と小さく聞こえる。


―――変?鳥に乗って飛べる事に興奮しないなんて、そっちの方が変じゃないだろうか?

普通に生きていて、鳥に乗って空を飛べるなんてある訳ない。それだけでもこの世界へやって来て良かったと、思ってしまうのだから。




◇◇◇◇



鳥の背に乗ってどのくらい経っただろうか?

最初は空を飛んでいる事に興奮し喜んでいた流実は、ふと、命綱も無い状況で生き物の上にいるという恐怖に気付いてしまい、必死で鳥の羽を掴み緊張のまま移動していた。


一方の靭は慣れているようで何の反応も無かった。

そう、何も反応がないのである。


「あの、一体どこへ向かって……」

「城だ」

「あ、はあ」


流実はそれだけ答えると口を閉じた。

怖い雰囲気はすっかり無くなったものの、すぐに会話が終了する。狭間の森でのキャッチボールはなんだったのか?しかし、もちろんそんな事は言えない流実は、「早く着かないかな」と今どこを飛んでいるのか確認するため、下を見た瞬間。


―――いつかの、あの屋上での風景が甦った。

足元から吹き上げる風。裸足でフェンスを越えた時の冷たさ。……そして、死にたいと思っていた自分。


一瞬で息が止まり、そのままバランスを崩し勝手に身体が横に倒れていく。


「っおい!」


焦ったハスキーボイスが聞こえたかと思えば、次の瞬間、腕を掴まれて引き寄せられる。


「っ!?」

「何ボケてんだ。危ねぇだろうが!」


一瞬何が起こったのか分からなかった。

片腕を回した彼が背後から抱き締めるように、流実を包んでいる。そこで、ようやく自分は落ちそうになったのだと気付いた。


「っごめんなさ……つい」

「つい?また死ぬつもりか」


瞬間、彼の腕に力が入りギクリとする。そんなに危ない状況だったのだろうか?


「そ、そんなつもりじゃ」

「とにかくもう着いた。“ふむる”!」


怒鳴るように鳥に話しかける靭。するとそれを合図にして鳥が急下降し始めた。


「―――っひ!」

「お前はコイツの“肩”を掴んでおけ」


急に傾いたのと、下降のスピードで再び体勢を崩した流実に、靭は流実の手を掴み鳥の羽の付け根を握らせ、その上に手を重ねた。

まるでジェットコースターかフリーフォールに乗っているように、自分以外の何かによって無理矢理下に引き摺り下ろされる感覚。

彼の大きな手とすっぽり覆う身体が唯一の安心点だが、恐怖しかない。命綱もないのだ。アトラクションとはワケが違う。


ザシュッと雲に突っ込んだ。

耳元でバシバシ水分が当たる音がする。しばらく水蒸気で息苦しさを感じながらようやく雲を抜けると……。


目の前に巨大な黒い街と、それを取り囲む広大な山々が一面に映った。緑の森と、黒の街。それが印象的だった。

その街の中心部に聳え立つのは、荘厳で厳しい大きな城。


鴈立城(がんりつじょう)だ」


耳元でハスキーボイスが囁く。

朱色の大きな鳥は躊躇なく城に突っ込んでいく。

黒い城はもうすぐそこに迫っていた。流実は目をギュッと瞑り、固く羽を握り続けると――突然フワリと身体が浮いた。


「―――着いたっスよ」


その声に恐る恐る目を開ける。

すると、いつの間にか黒い城の一角にある、塔の上に降りていた。下を見れば、大きな鳥の足がしっかりと地面を踏んでいるのが確認できホッと身体中の力が抜けていく。

まさか――『落ちる』って、こんなに怖いものだったなんて…。


「ご苦労“ふむる”。戻って良い」


いつの間にか鳥から降りた靭が言った。


(……ふむるって、鳥の名前だったんだ)


「そうしたいんスけど、このお嬢さんが乗っかったままで戻れないし、肩も掴まれて痛いし」


…んっ……?

その瞬間、流実は真下にいる大きな鳥を見た。

今、確実に誰かが喋った。そう、この下から。


「おい、いつまで乗ってんだ」


驚いて固まっていると、隣で靭の声が聞こえ再びぐいっと俵担ぎで地上に降ろされる。痛む腹につい口が開きそうになったが、もちろん何も言えない。

そうこうしているうちに、目の前の朱色の大きな鳥が、みるみるうちに小さく――もとい、人型に変化していった。


「―――っえ!?」


久しぶりに出た、大声だった。

目の前の出来事が信じられず、ただ硬直する。


鳥は流実の少し年下くらいで背は同じくらいの少年になった。朱色の長い髪を後ろで三つ編みにしており、前髪の一房が上にピンと跳ねているのが特徴的な金目の少年だ。


「初めまして!オイラはふむる。鳥族っスよ!」


やはり、先程の声だ。


「っえ、鳥がっ……!?」

「あはは!鳥族は初めてっスか?オイラも人間は初めて見るっスけどね!」


屈託無く笑い、スッと流実の手を取るとブンブンと音を立てて握手をする。

当然悲鳴を上げて手を引こうとするが、思いの外力が強く振り解けない。


「名前は何スか?」

「えっ。る、流実と言います」

「流実と呼んでも?」


衝撃で何も考えられなくなった流実は、ただ「はい」と答えて終わる。目の前の出来事を飲み込む時間すら与えてくれないふむるを呆然と見つめたところで。


「いい加減にしろ」


少し不機嫌そうな靭が口を挟んできた。


「お前、この後の仕事はどうした」

「今からっスよ、ご主人様!」

「ご、ご主人様?」


聞き慣れない単語に今度こそ口に出てしまった流実。

するとふむるがそれに答えてくれた。


「オイラはクロノア様専属の伝令(でんれい)役っス。だからご主人様と呼んでるっスよ」

「伝令役…ですか?」

「書類や戦況などの情報を運ぶっス。鳥族はそれを生業にしてるんスよ!」


どうやら鳥族は、鳥に変身できる上に運送屋さんらしい。

そしてクロノア専属、という事は彼は同僚だ。私も世話係になるんだし…。

流実は初めが肝心とばかりに、恐々「よろしくお願いします」と丁寧に頭を下げた。

ふむるも釣られて「こちらこそ」と同じ様に頭を下げる。しかしその顔は嬉しいのだろうか、ニヤニヤしている。


「……ふむる」

「はっ。そうだった。では、これで。またね流実!」


ふむるは再び朱色の大きな鳥に変化し、バサリと大きな音を響かせ飛び立って行った。


流実は、大きな朱色の鳥が小さくなっていく姿を呆然と眺めただ「凄い…」と呟く。

どうしても少年が鳥に変化し、飛べるなんて信じられない。

これが『神の国』の普通なんだろうが、すぐに理解できるものでもない。そんな流実の心情を知ってか知らずか、


「お前はこれから“総主(そうしゅ)”との謁見だ。いいか、今度はヘマするな」


と靭が言った。


「総主…?」

「この国の王で、神の事だ。総主と呼ばれている。一度目は逸れて、今度は落ちて死にそうになったんだ。今度こそ妙な行動を起こすなよ」

「…すみませんでした」

「正式に許可をもらいにいく。世話係のな」


『神の国』で世話係になるには、『神さま』に許可をもらう必要があるらしい。

―――そうだ。この人の世話係になると決めた以上、どんな事が起ころうと、どんな人達がいようと、ここで生活するという事だ。


今は……あの屋上の風景など思い出さず、この世界で“生きること”だけに集中しよう。

ここは『神の国』。新しい、自分の人生なのだから。


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