第36話 その考え方が好きだから
宴会が終わり、流実は焦る気持ちを抑え小走りで北塔に向かっていた。
すぐに戻ると言ってから随分時間が経っている。まだ仕事もあったのに…靭さんが待ってるかも知れない。とにかく早く戻らないと、怒ってるかも!
そんな時だった。背後から駐屯兵に呼び止められる。振り返ると、そこにいたのはシモンだった。
「シモンさん!どうしましたか?」
「少しだけ良いだろうか」
どうしよう。本当なら少しの時間もない。
だからと言って断る事もできない流実は「少しだけなら」と立ち止まった。
「その…先程の件で謝罪したくて…」
「えっ、謝罪、ですか?」
「流実殿の事をよく知らず…あんな失礼な事を」
そこでようやく、『亜人』の事を言われていると気付く。
アクバルが教えてくれた『亜人』とは、力がなかったり異質な能力がある者の事を言うそうだ。
だとしたら人間の自分はヒトと比べて力がないのは当然だろう。追いかけてまで謝ってもらわなくても、正直、傷付いてもない。……それよりも。
「その、私は大丈夫なので…。私じゃなく、玄武さんに謝罪をして下さい」
つい、口から出てしまった。
私は良い。『亜人』と呼ばれる事がどんな意味を持つのか、どういう気持ちになるのか分からないくらいだから。
でも玄武は違う。
あの傷付いた顔を見たら――彼は、軍の中でずっと辛い思いをしてきたはずだ。
そもそも、ヒトも、獣人も、人間も。誰一人として同じ人はいない。むしろ違って当然なのに。
……そう、“変わってるから”という理由でイジメられた自分だって――本当は何も悪くないのに。
つい嫌な思い出が頭を掠めたところで、流実は慌てて首を振ってシモンを見た。
シモンは気まずそうに俯いて何も答えない。その様子では謝罪はおろか、悪いとすら思っていないようだ。
「何故私には謝罪をして玄武さんにはしないんですか?」
「っ!それは…」
「私が総司令官の世話係だからですか?それとも…玄武さんには差別して良いなんて、思ってるんですか?」
それにもシモンは答えなかった。
ゆっくりと流実の中で不快感が広がっていく。
―――同じだ。また……いじめられた時と同じ嫌な感じがする。
「……軍律で、決まってるからですよ」
その時だった。ポツリとシモンが呟く。
聞こえた瞬間、息が止まりそうになり思わず視線が揺れた。まさか、軍の“法律”で差別が決まってる、と言ったのだろうか?
「そんな…玄武さんはとても素晴らしい方なのに、何も思わないんですか?」
「っ我々軍人は規範が全てです!」
拳を握ったシモンが初めて語気を荒くした。
「おかしい事は百も承知。しかし我々は規範通りに行動しなければならない。それを変える事は許されないんです!」
苦痛に歪む。
その姿は、やはり差別はおかしいと分かっているようだった。
(でも、分かってるだけで、何もしていない)
それって、結局『傍観者』と何が違うんだろう?
イジメられた私を見ていただけの『加害者』と何が違うんだろう?―――傍観は時には加害になるのに。
胸の奥がじくじくと痛む。
この痛みは、経験しないと分からない。
本当におかしいと思ってるなら…
一言でも良い。「味方だよ」と言ってあげても良いのに。
そう思うのは、私のわがままなんだろうか?
その時だった。コツ、という靴音が静かに響き、次の瞬間にはシモンが青ざめた顔で固まってしまった。
「…ここで何をしてる」
低く、苛立ちを孕んだ掠れ声。
驚いて振り返るとそこには月を背にして佇む靭の姿があった。薄暗い中で、その表情はよく見えない。しかし目線は真っ直ぐに自分に向いているのが分かる。
慌ててシモンが「総司令!」といって敬礼する。
…そうだ。靭さんは、軍のトップ…総司令官だった。
流実は冷え切って怒りを漂わせる彼を見た瞬間、恐怖よりも違う事が頭をよぎった。
―――軍の法律は誰が作るんだろう?と。
「お前がシモンか?」
「っ!!まさか私の名前を…光栄でございます」
「俺の世話係が面倒かけたようだな」
「は…?いえ、滅相もございません!」
シモンは分からないままとりあえず答える。すると、その瞬間射殺さんばかりの殺気を浴びる事となり思わず縮み上がる事になる。
「あの、クロノアさん」
「何だ」
「軍の法律って誰が作ってるんですか?」
「は?」
予想外の質問だったらしく、声を上げる靭。
「実は先程“亜人”の話題になりまして…」
その瞬間、靭が再び殺気を纏った。流実は気付かなかったが、それは確実にシモンに向けられていた。
「お世話になった獣人の玄武さんが、辛い立場にあるみたいなんです。クロノアさんなら何か知ってるんじゃないかと思って」
「この駐屯地の軍律なら、砦の責任者が決める事だ」
「じゃあ…ガダ中佐なんですね」
残念そうに眉尻を下げる流実を一瞥し、再びジロリとシモンに視線を向ける靭。
「“亜人”など忘れろ」
「…でも、玄武さんが辛そうで」
「違う。獣人や亜人に関する記載は俺が総司令になった時に消した。だから、そもそも本来聞くはずのない言葉だ」
そこで、今まで息を殺していたシモンが驚いた声で「そうだったのですか!?」と言った。
本人を前に恐怖は拭いきれないものの、つい、我慢出来なくなったらしい。
「俺が書いた軍事法には“亜人”などくだらん文言はない」
「つ、つまり我々が勝手に差別をしていた…んですか?」
「チッ」と舌打ちした靭は分かりやすく悪態を付き「俺が知るか」と返す。それに再び顔を青くしたシモンが素早く敬礼をした。
「……まあ、ガダは着任してからずっとパラマとの小競り合い続きだったからな。単に目を通してないんだろう」
「!」
「だが上に立つ者が軍事法に目も通さないのはあるまじき事だ。俺から指摘してやる」
その答えにシモンは驚いたように目を丸くし「まさか…」と呟いた。
「なんと言えば良いか。総司令自ら進言頂けるなんて、思ってもみませんでした」
「……!」
「深く御礼申し上げます」
シモンはそれだけ言うと、ピシッと敬礼する。
「ずっと…罪悪感はあったのです。これで玄武殿も喜ばれるでしょう」
そう言って眉尻を下げたシモンは、少しだけ流実を見つめて――そして、再び敬礼してその場を後にした。
去って行くシモンの背中を見つめながら、流実はポツリと「靭さんて本当に素敵ですよね」と呟いた。
背後から話しかけられたせいなのか何なのか、珍しく驚いて振り返った彼は、名前呼びの注意も忘れ流実を見つめる。
「まさか、法律を変えてたなんて」
「っ別に、くだらんと思ったから消しただけだ」
「そう感じて、行動できるのは凄いと思うんです」
「っ…」
差別がダメとか、可哀想とかではなく。本当に“くだらん”の理由だけだったとしても。
それを変えようと思った時点で、この人は“行動できる人”なのだ。
それが、単純に素敵だと思った。
「そう言えば紅族にも法律があるんですか?」
一転、それを聞いた靭は少しだけ不機嫌になり、フンと鼻を鳴らして歩き始める。流実も慌ててそれについて行った。
「ある。紅族は部族とはいえ軍でもあるからな。戦闘能力に秀でた者なら誰でも良い」
「それが紅族の法律ですか?」
「……悪いか」
「いえ、とても分かりやすいです」
思わず吹き出しながら答える流実。総司令直属軍である紅族の…ひいては彼らしい法だと思った。
実力さえあれば誰でも認められる。獣人であっても、亜人であっても。
流実はそんなシンプルな彼の考え方がとても好きだ。それに、先程の件も口ではああ言っていたものの、結局助け舟を出してくれた。やはり、彼は優しくて良い人なのだ。
思わず胸の奥に、ぽつりと温かいものが灯る。
それが何かも分からないまま、流実は自然と口にしていた。
「…好きです」
「―――っは!?」
珍しいまでの大声に、ビクリと肩を揺らす流実。
咄嗟に己の主人を見上げるも、やはり月の逆光で表情はよく見えなかった。
だが、とても焦っているというか、困惑していると言うか。
流実は自分の言葉足らずで彼を困らせてしまった事を慌てて謝った。
「ご、ごめんなさい。靭さんの考え方がとても好きで…そう言ったんですけど…」
「っ!」
「玄武さんも紅族に来れれば良いのに…」
「――っ他人にかまけている暇があるから仕事しろ!大体、お前がいつまで経っても来ねぇからわざわざ迎えに来てやったのに」
「え!?」
まさか、ここに来たのは怒って迎えに来た為らしい。
やっぱり宴会に長くいすぎたのかな?!
慌てて謝罪をして付いて行った彼の背中は、いつもよりスピードが早かった気がした。




