第34話 名前で呼ばれる距離
中央塔にある救護室はようやく以前と同じ様子に戻りつつあり、術師や医療スタッフも笑顔で会話する程の余裕が生まれていた。
そんな中、お昼休憩にカイルと共に向かう玄武は駐屯兵だ。
玄武はあれから医療スタッフの手伝いとして中央塔に残っていた。
「最近は随分と顔色が良くなったな」
休憩室に入って直ぐ、玄武がカイルに話しかける。
「ああ、ちゃんと休めてるから…お陰さまで」
「……その割には、元気がないようだが?」
「え?そうですかね?」
「流実殿がいなくなって寂しいか」
それを聞くや否やカイルは顔を赤くした。
狼の獣人である玄武は、その毛並みを撫でるように顎髭をさすり、目を細めて笑った。
「隠さんでも良かろうに」
「は、はぁ?」
「可愛らしい娘だ。だが、それ以上に気性が真っ直ぐで優しい。お主が惚れるのも無理はない」
「そ、そんなんじゃないっスから!」
金の髪を掻き毟り、更に赤くなった顔を隠そうと顔を背けるカイル。
「一生懸命、頑張ってたのに。だから一言も言わずに突然世話係に戻っちまうなんて連れねーなって…それだけですよ!!」
「はっはっは」
「もう、勘弁して下さいよ!」
からかわれたのかと声を荒げるカイル。
すると、玄武が休憩室の入り口へ大きな耳をピクリと傾けた。
「―――噂をすれば」
「えっ!?」
「失礼します…あ、カイルさん、玄武さん!」
遠慮がちにドアを開けて入って来たのは久しぶりに見る流実だった。全くの偶然だがあまりに良いタイミングだったため、カイルは慌てふためいた。
「あの、お邪魔でしたか…?」
「い、いや!それより久しぶりだな!元気してたか?」
「はい。あ、挨拶もなしに世話係の業務に戻ってすみませんでした」
「全く全く。ちょうどその話をしていたところよ」
「ちょ…玄武殿!!」
何故か顔を真っ赤にして声を荒げるカイル。
流実はその姿に戸惑う一方で、声を押し殺して笑う玄武に首を傾げた。
「あれから何人も駐屯兵が来てくれてさ。玄武殿も手伝ってくれるし…。だから流実が抜けても大丈夫だったよ。それに世話係が本来の仕事だろ?気にすんなって」
「そうですか…。それなら良かったです」
「して、どうした?世話係の用事でここに来た訳ではあるまい」
玄武の言葉にようやく本来の目的を思い出した流実は、ニコリと笑顔になった。
「宴会を開くんです。参加自由なんですが、是非、カイルさんや玄武さんに来て頂きたくて!」
そう言って微笑む流実を前に一体誰が断れるだろうか。二つ返事で了承したカイルに、やはり玄武は目を細めて笑うのであった。
◇◇◇◇
「流実ー!やっと見つけた!」
中央塔から出ると、前方から見慣れた紅い軍服の二人組が手を振ってこちらに来ていた。
「お疲れ様です。アクバルさん、凪さん」
「お疲れ!もしかして救護室に行ってた?ちょうど、宴会の参加人数聞きたいんだけどさ!」
どうやら、凪が取り纏めをしているらしい。五名程参加する事を伝えると、次にアクバルが口を開いた。
「俺は族長から伝言!仕事しろってさー」
「っ!」
“族長”。その言葉に流実がピクリと反応したのをこの二人は見逃さなかった。
「……何かあったの?」
「えっ!?な、何がですか?」
「いやに族長に反応してんじゃん。もしかして『誉』あげた?」
「? 誉?…あ、別に」
「………そうみたいだなー」
その瞬間、ニヤニヤしていた二人がスンと落ち着いた顔に戻る。どうやら流実の答えが期待とは違ったらしい。
「…ま、とにかく仕事が溜まってるらしいぜ。早く行った行った!」
「また宴会に来れるよう、言っといてよ。――あ!そうだった。ガレアが、約束破って飲み過ぎてごめんって。ちゃんと伝えたからねー」
何故かつまらなそうに去っていく二人。
流実はそんな彼等の後ろ姿を見つめながら、これ以上深く追求されなかった事に安心して息を吐いた。
未だ謎のままの『誉』のお陰である。
……気になるけど、今は誉より頭が一杯な事がある。
(仕事しろ、かぁ…)
そんな事、分かってる。
執務室へ行き辛いのは一体誰のせいだというのか。
(…いや、自分が悪いんだけど)
何と言っても、本人の前でバカ呼ばわりしてしまったのだ。
絶対怒ってるはず。と翌日恐る恐る執務室へ行けば、何も言わず不機嫌ですらなかった。
もしかして結構酔ってたのか?とにかく怒られずにホッとするものの……あの夜を思い出す度に、靭と顔を合わせずらくて執務室から足が遠ざかってるのだ。
―――あの笑顔は、反則だ。
普段ぶっきらぼうで仏頂面の人がふと笑顔になるだけでとんでもない破壊力になるのだと身をもって分かった。
思えば靭は誰よりも端正な顔立ちをしている。それにあの若さで軍のトップであり独身。
普通ならば女性は放っておかないだろう。なのに全くと言って良いほど浮いた話も女性の影もない。
それは『死神』という二つ名のせいだけではないはずだ。普段からあの笑顔で生活していたら、今頃私など世話係の仕事はさせて貰えなかっただろう。
ふと右の頬を撫でた。
彼の、大きな手の感触が今でも残っている。
至近距離で靭と目が合った時、何故か動く事ができなかった。
彼は普段よりも気だるそうで、でも瞳だけは普段通り冴えていたのを覚えている。
自分より大きな身体。大きな手。掠れた低い声。近くに来ると、より一層それを意識してしまう。
そして極め付けは、あの核爆弾だ。それも目と鼻の先で。
「っあああ―――も―――!!」
突然の奇声に近くを歩いていた兵士がビクリと肩を揺らし、そして恐ろしいモノを見る目で去っていく。
そんな事に一切気付かない流実は顔を真っ赤にしてその場に蹲み込んだ。
ようやくこの世界の過剰なスキンシップに慣れてきたというのに、昨日のやつは“何か”が違う気がした。
普段一緒にいるはずの彼が全くの別人に見えて――まるで愛しいものを見つめるような目で見られ、変に意識してしまうのだ。
「もう!勘違いしちゃうのに!!」
いくら酔ってたとはいえ、あんなの冗談でも二度とやらないで欲しい!
前言撤回。やっぱり、バカと言ったのは正しいと思います!!
◇◇◇◇
◇靭視点◇
この日も執務室にやって来た天族の部下は、相変わらずノックもせず部屋に入り、勝手にベラベラと喋っていく。
ただ、何故か始終ニヤついており、それが非常に不快だった。
「……何だ」
「え?何?」
「言いたい事があるならハッキリ言え」
ついギロリと睨めば、天真爛漫な天族の少年は首を竦ませる。
「つい。ごめんって。本当に流実のお陰だなぁと思ってさ」
「は?」
積み上がった書類越しにそんな声を上げると、アクバルは苦笑して返した。
「少し前は、まさか自分がこんな所にいて、族長と話してるなんて思わなかったから」
「!」
「実は俺、ずっと前から族長と話したかったからさ」
思わず「何?」と声を上げる。
…まさか、そんな事を考えていたのか?
「だって、その若さで総司令になった奴はいない。そんな凄ぇ奴が俺らの族長なんだぜ。誰だって興味あるだろ」
アクバルはニコリと笑ってそう言った。
「でも、正直怖くて近付けなかった。冷酷で情がない奴だから総司令になってんだろうなって勝手に思ってたし」
「……」
「けど、流実は怖がるどころか楽しそうにしてるし、本当に族長の事を好きなんだなって見てて分かるし」
それを聞いた瞬間、再びペンを折りそうになった。
無表情のまま気付かれないようにペンを置き、一息つく。
今日も表情筋は仕事をしていないらしくアクバルは気付かない。
「だからさ、族長は案外良いやつなんじゃないかと思ったんだ。実際良い奴だし!こえー顔も、これが真顔なんて初めて知ったもんなー」
悪かったな、こんな顔で。
眉を寄せ、いかにも不機嫌そうな顔をする。それにアクバルは笑って「いい意味でだよ」と言った。
「今まで族長の事全然知らなかったんだ。なのに勝手にイメージ作って勝手に怖がって。そんなの、自分が同じ立場だったら嫌じゃん?俺の事を知りもしないで勝手に決めつけるなって」
―――確かに、ずっと思っていた。
だからといって今更何もするつもりもなかった。生き方を変えても死神がいなくなる訳ではないし、銀髪が変わる訳でもない。
……このせいで散々な目に合ってきた。
今更誰かを信じる事も、好かれようと努力するのも無駄だと知っている。ならば、最初から一人でいた方が楽だ。
…そう思っていたのに。
「俺、もっと族長の事知りたい。同じ紅族だし?だからこうして近くにいたいなって」
「……は?」
「族長だって、俺らに近付きたいと思ったから宴会に来たんだろ?」
…いや、参加したのはあいつが泣きそうになったからだ。約束した手前泣かれるのは困る。とは言えず、押し黙る。
「皆もそう思ったはず。だからこそ印象が変わった。ガレアなんか単純でさあ。族長は良い奴だなって言ってるよ」
ガレア含めこいつらの脳内回路はアルコールに侵され過ぎではないか?
そんな事を考えていると、ふとアクバルが「お願いがあるんだけど」と真剣な表情で話し始めた。
「族長の事さ、名前で呼んでいい?」
「は?」
「だめ?流実は呼んでんじゃん」
「あれはあいつが勝手に呼んでるだけで…」
「ホント?じゃ、俺も呼んで良いんだな!」
既に決定したように、笑顔で言うアクバルに
「話を聞け」と突っ込んだ。
「お前は部下だろ」
「流実だって部下じゃん。いいだろ?俺、仲良くなりたい奴は名前で呼ぶって決めてんだ」
そう言って執務机の向かいにやって来て、じっとこちらを見つめる。そう言われると何故か言い返せずにぐっと口籠った。
「……様を付けろよ」
「やった!!やっぱ良い奴なんだよなぁ。じゃ改めてこれからよろしくな!クロノア!」
「様を付けろと言ったろうが!」
こいつも人の話を聞かん奴だな!そう思ったものの何故か本気で怒る事は出来なかった。
それは心底嬉しそうに満面の笑みを浮かべている部下のせいなのか、その姿が誰かと重なるせいなのか分からない。
そんな時だった。
ゴンゴンと少しだけぶっきらぼうに扉を叩く者があった。
(……ガレアか?)
何故ここに?と思ったがとりあえず返事をする。
すると、少しだけ気まずそうにオレンジ頭の大男が入って来た。
ガレアはアクバルをチラリと見つつ「…今、時間良いか?」と言った。どうやらアクバルがいる事が気になるらしい。
その視線で言いたい事が分かったらしいアクバルがクイっと両手を上げて「はいはーい」と席を立った。
無神経な割には、こういう機微には長けるらしい。
「じゃ、またなクロノア」
「さっさと行け」
「もう来るな」の一言も追加してやったのに、何故か本人は終始上機嫌だ。
どちらかと言えば、ガレアの方がアクバルの言動に驚き、目を丸くしている。…それはそうだろう。俺を名で呼ぶようになっているのだから。
アクバルが出て行って直ぐ、沈黙が流れる。
話があってやって来たはずの大男は、終始気まずそうに目線を下に落としていた。
何も言わずに、ひたすら下を向いているガレアに思わずため息が出たところで。
「―――悪かった!」
ようやく口を開いたガレアは、そう大声で怒鳴った。
「…何の話だ」
全く身に覚えがなく、つい、聞き返す。
突然やって来て謝罪…いや、謝罪なのかも分からないが、一体何だと言うのか。
「俺は今まで…族長は、冷徹な人殺しだって、そう仲間に言いふらしてた」
「……は?」
つい、そんな間の抜けた声が出た。
本当に何の話だ。それを俺に言ってどうする。
「でも、リリィや副長、嬢ちゃんもアンタは良いやつだって言うし、こないだの宴会だって確かにその通りだと思う。……でもな、やっぱ納得いかねぇんだ」
「だから、直接聞きに来た」そう言って、初めて顔を上げたガレア。
「……何で、サンシェを殺した?」
その言葉でようやくガレアが来た理由が分かり、スッと目を細めた。前回の戦闘で、俺が『処罰』した者の名だ。
「何故、そんな事を聞く」
「……俺なりの、ケジメってヤツだ」
その真剣な表情に自然とため息が出た。
よく分からんが、ケジメなら伝えてやる。
「…戦線放棄をした。だから軍法に則って『処罰』した。これが、理由だ」
―――そう。それが、理由。
いくらあの時死神をコントロールできなかったとはいえ、奴が逃げれば戦線崩壊していた。『処罰』せざるを得なかった。……だが軍法とはいえ…アレに罪悪感がないかと問われれば、嘘になる。
一方のガレアは、何かを考えているようにずっと無言だった。無意識に握った手からギリ、という音が微かに聞こえてくる。
そして、長い沈黙の後「…よく、分かった」と呟いた。
ガレアの目線が上がる。そして、その場で膝を突く重い音が響いた。
「―――何のつもりだ」
「…ケジメだ」
ジロリとこちらを睨み上げた姿に、一瞬何がケジメなのか分からなくなる。しかし、本人に気にせずにそのまま頭を下げた。
「すまん。族長、本当に誤解してたらしい」
「サンシェの事、申し訳なかった」そう言って、暫く首を垂れる。
「狼族のガレア・バトロン。この時より、族長を信じ、如何なる族長令にも従う」
「……」
……重い。
そう思ったが、立ち上がって今まで見た事もない真剣な表情をしていたガレアに、つい頷く。
この確認で何がケジメになったのか分からなかったが、奴の中ではきっと区切りが付いたのだろう。
本当に、ここ最近の変化に自分自身がついていけない程だ。
流実が来てから、何もかもが変わっていく。
……それはどこか、腹の中がむず痒くなるような、掻きむしりたくなるような、そんな感覚になっていた。




