第33話 変わったのは、俺か世界か
◇靭視点◇
件の飲み比べを境に、闇方軍総司令官の周りは変化した。
主に、今までやって来なかった部下達が頻繁に顔を出すようになったのだ。
「いる?失礼しまーす」
この日もノックもせずに部屋に入る部下に、思わず靭はため息を漏らす。
「酷いなぁ!ため息かよ」
「ノックぐらいできんのか」
「あっ。ごめん俺いっつも忘れんだよね。ギルにもよく注意されんだけどさぁ」
屈託なく笑うのは天族の少年アクバル・アルク。その様子だと直すつもりもないらしい。
アクバルは御構い無しに入ってくると執務机の上にある書類の山を見て「また凄い量になってる」と目を丸くし驚く。
眉を顰め、マナーのない部下を無視すると再びペンを走らせる。一方のアクバルは用事もなさそうなのに軍服を脱いで居座ろうとしている。思わず「何の用だ」と睨めば、当の本人はあっけらかんとして答えた。
「特に用はねーよ?」
「……暇じゃねぇと何度言ったら分かるんだ」
「だろうなぁ。この量、総司令ってのは大変なんだな」
他人事のように言い、かと言って手伝う訳でもない部下に苛立ち「掃除でもしてろ」と言い放つ。
「え、嫌だよ!」
「邪魔だ。行け」
言われたアクバルは首を竦めるが、出て行く気はないらしい。
本当に今まで寄り付きもしなかったのにどういう風の吹き回しか。これ以上言っても時間の無駄だと悟ると、再びため息を落として仕事を再開させた。
「こんこん、失礼しまーす」
「お、凪」
口でノックをし、返答を待たずにガチャリと開けて入ってくる華族の少年、凪・ウエスティン。アクバルに続いて部下のマナーのなさに心底うんざりする。
ぐるりと部屋の中を見回した凪は「流実いないね」と言った。それに思わずピクリと反応してしまう。
「来るまで待ってようかな」
「ここで待つな」
「え、何で?」
「お前らは目ぇついてんのか。俺は仕事中だ」
手を止めてギロリと睨む。
しかし、睨まれた部下達はどこ吹く風である。
……これも、以前ならば顔を青くさせ、すぐに出ていくはずなのに。
「だってここで待ってれば流実来るから。あ、一応報告だけど、ガレア達ちゃんと便所掃除やってたよ!」
「はは!死にそうな顔してたぜ?二日酔いで気持ち悪い上に便所の悪臭で何度も吐いたって」
「あっ、さっきアクバルが話してたのはその件だったんだ?族長令って言っといたけどさ」
あはは、と笑いながら話をする二人に一切無視を決め込んで資料に目を落とす。別に便所掃除の族長令など出してないが、それを否定するのも面倒臭い。
「―――で、族長は結局どうだったの?」
「……」
「流実から『誉』もらった?」
「バカ言え」
無視するはずが、直ぐに反応してしまった。
誉は貰ってない。貰うどころか、当の本人は暴言を吐くだけ吐いて走り去っていった。
「…ま、あの感じじゃ誉の意味も分かってなかったみたいだけど」
「それより、あいつに何の用だ」
「あいつ?あ、流実?別に大した用はないよ。ガレアから約束破ってごめんって伝言言われただけ」
「約束だと?」と怪訝そうに凪を見る。
「飲み過ぎるなって言ってたのに、一番最初に酔ってたから」
凪の返答に「ふん」と鼻を鳴らし、再び書類に目を落とす。
暫く仕事をしていると、扉の向こうから笑い声が聞こえてきた。その聴き慣れた声ともう一つの声に思わず眉間のシワが寄る。
「あ、流実来たね。…誰かと一緒みたいだけど」
凪の言葉にすぐ声の方向に目を向けるアクバル。
天族とはいえ、やはり五感に優れるらしい。相手が誰であるか直ぐに分かったようだ。
「ありゃシモンだな。………そういや最近流実と一緒にいる事が多いな」
―――ベキッ。
突如部屋に響き渡る音にアクバルと凪が目を丸くして驚いた。
「な、何の音!?」
突然の異音にキョロキョロと慌てる部下を尻目に、思わず「チッ」と舌打ちし、割れたペン先を変える。
思いの外、力が入ったらしい。
ちょうどそのタイミングで扉をノックする音が響く。
返事を返すと、静かに扉を開けて一礼する白衣の寧楽が顔を覗かせた。チラリと隣にいた部下を見つけると少しだけ困った表情をする。
「来客中とは知らず。もう一度出直します」
「いや、構わん」
「ちわー。てか凄ぇ美人!駐屯地にこんな綺麗な女の人いたんだな!?」
アクバルの自由な発言に、少しだけ眉を顰めた寧楽が丁寧に返す。
「よく言われますが、私は男です」
「おと…嘘ぉ!?」
「黙れ。―――用は何だ」
「クロノア様に報告と礼を申し上げようと参りました」
衝撃で石のように固まっている部下を無視し「何だ」と続ける。
「兵士の方々がよく働いてくれ、助かりました。お陰さまであと二日もあれば負傷者の治療も済むでしょう。ご報告までに」
「ああ。ご苦労」
未だにこの駐屯地にいる理由は、兵の怪我の回復を待ってるからである。つまり、あと二日で帰還だ。
「族長がなんかしたの?」
「医療スタッフの人数が足りなかったんです。そこへ駐屯兵を寄越して下さいました」
「へぇ〜!」
「今まで交流がなかったもの同士、いい機会にもなってます」
凪の質問にニコリと微笑む寧楽。
「あの、流実さんは?」
―――どいつもこいつも。
思わず寧楽を睨み「廊下にいたろう」とぶっきらぼうに返す。
「いえ、特に見ませんでしたが…」
「あれ?…確かに気配が消えてる。さっきまで居たんだけどなぁ?」
「要件があるなら伝えるが」
「いえ、彼女に直接お礼を言いますので。よく働いてくれ助かりました」
そう言うと再び静かに一礼し、「では」と部屋から出て行った。
「…あの人が救護班のトップ?あんなに美人とはなぁ」
ひょえ〜と言いながら驚いたままのアクバルが言う。
「流実は男って知ってたのかな」
「え?同じ猫族なら知ってるだろ?」
「―――あ、それもそうだよなー」
マズい、という顔をして慌てて肯定するアクバル。アクバルは流実が人間だと知る数少ない内の一人だ。そして、嘘が下手でもある。
「ん?てか、むしろ何で流実にあんな他人行儀な訳?同じ猫族だろ」
凪の最もらしい疑問に、ついアクバルは慌てる。
「ま、まあ同じ部族でも会ったことない奴もいるだろ?」
「華族なら分かるけど、猫族は結束強いだろ」
「え?そうか?喧嘩中とかさ。色々…」
「……いい加減にしろ。お前らは何しに来たんだ」
あまりに酷すぎる言い訳に、つい口が開いた。
「だから、流実に会いに…」
「暇ならお前らで本人を探してこい」
「え、俺も!?用があるのは凪だろ!」
「掃除とどちらが良いか選べ」
「流実捜索でーす!」
「見つけたら書簡が溜まってると伝えろ」
「りょうかーい」そう言って二人はそそくさと部屋から出ていく。
ようやく厄介払いができたと溜息を吐いたところで、入れ替わるように扉を叩く音。
返事をすれば、心なしか焦った様子のガダが滑り込んできた。
「レオンハルトからの書状です。クロノア様宛かと…」
ガダから受け取った書状はまだ封がされたままだった。
裏を返すと封蝋にはシグネットリングで印された獅子が描かれていた。レオンハルトの印に間違いない。
目線で頷き、渡された書状を確認する。
「…休戦協定だな」
読み終わった手紙をガダに渡す。それを確認終わったガダは、安堵とも困惑とも取れる複雑そうな息を吐いた。
「パラマ地区の占領を認める。だが、これ以上の進行は認めない。軍を撤退させれば、我々も撤退する……ですか」
「奴らしい書き方だ」
「飽くまで上から許可ですね。そして本人は一度も戦う事なく退却…。結局サバランを消したかっただけですかね?」
「パラマ地区を手離してまで消したい人物とは思えんが」
(―――まあ、本命は俺だろう)
心の中で毒付く。
切れ者と言われるレオンハルトがそれだけの理由でここにやって来るはずはない。
きっと俺が『城』から出た事を知り、その理由を探りに来たのだ。サバランはその“ついで”に首を落とされた。ついてない男だが、この世界は“そういうところ”だ。
「ええ全く。…それより、休戦協定は如何致しましょう」
「受け入れる。だが駐屯兵が回復してからだ。あと数日もあれば回復すると寧楽が言っていた」
「ではそのタイミングで返事を致します」
ガダが一礼し踵を返す。そこで、忘れていた事項を思い出し、ガダを呼び止める。
「どうやら馬鹿騒ぎをしたい連中がいるらしいな?駐屯兵と紅族の宴会とか」
「! も、申し訳ございません。普段は許可などしないのですが」
「休戦協定もある。警備に穴が開かない程度なら、許可する」
「…は」
ポカンとした表情をしたガダ。その表情に苛立ち、つい睨み付ける。
「! 失礼しました。……その、クロノア様もそのような事を言われるのだな、と」
「…どういう意味だ」
「決して悪い意味ではありません!今までこちらへいらした時よりも随分と印象が違うと言うか…。いや、きっと私の認識が間違っていたのです。……部下が喜びます。では」
そう言って深々と頭を下げ部屋から出て行くガダを、呆然と見送った。
―――何故か、最近そう言われる事が多くなった。
“今までと違う”“雰囲気が柔らかくなった”
言われるだけではない。己に対する周囲の態度や視線が異なるのを肌で感じる。今まで寄り付きもしなかった部下が頻繁にやって来るのがいい例だ。
(…奴らについては、どう考えてもあの宴会がキッカケだが)
俺が宴会の会場に来た時など、緊張で身体が強張る者やあからさまに敵意を持つ者すらいた。全て見慣れた光景で、やはり来た事が間違いだったと苛立った程だ。
だが、いざ終わってみるとどうだ?
「……俺は…人殺しの死神だ…」
ポツリと呟く。
例え軍の総司令官という立場であっても、俺が死神である事は変わらない。そうでなくとも、この銀髪は忌み嫌われるモノなのに。
―――ふと、己の左手を見つめる。
あの時感じた流実の柔らかい肌の感触が、未だに残っている。
何故触れてしまったのか……未だに分からないでいた。
……あいつは、俺が死神であろうと、銀髪であろうと関係なく側にいたいと言う。
だが「世話係として」と言うほどだ。戦場では逃げてもいる。だから嘘を言ってるのかと思った。でも態度で、言葉で、表情でそれを真っ直ぐに示されると…信じざるを得ない。
そんなあいつが近くにいると、酷く心地良く、気分が落ち着いた。……恐らく、そんな気分の落ち着きが“雰囲気が変わった”という事なのだろう。
あいつが来てから全てが変わったのだ。あいつが側にいるから。あいつが触れてくれるから。
―――あいつの事が、大切だから。
―――バキン!!
今度こそ何かが折れたような大きな音と衝撃が手の内で響き、それと同時にバシャ、と液体がこぼれた。
「ごめーん、軍服忘れたわ。失礼しま…!?どうしたんだ、それ?」
またもやノックもせずに入室したアクバルの動揺した声を聞き、ようやく我に返る。
見れば、書類の上に墨を撒き散らし手に持ったペンが真っ二つに折れていた。
「墨、ぶち撒けてるぜ」
「……見れば分かる」
「…新しいペンと墨、持ってこようか?」
「…あと、ふむるも呼んでくれ」
案外冷静に対応してくれる部下に、目の前の状況を理解して目頭を揉む。
(―――何考えてんだ、俺は)
はあ、とこの日一番のため息を吐きながら、廃棄になった書類をグシャリと潰す。
あいつの事が大切?それはそうだ。何故なら『人間』だから。
俺は『人間』を連れてきた責任として、あいつを大切にする義務がある。それ以上でも、それ以下でもない。
―――そう、それだけだ。それ以外の大切など、あってはならない。
暫く経ってやって来たふむるの「重要書類――!!」という叫び声は、そんな煮詰まった考え事を吹き飛ばすくらいの声量だった。
たかが紙だろう。耳に響く。




