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第31話 流実の”誉”をかけて


「ちょ、押すなよアクバルっ!」

「うるせー(なぎ)!あ、いたいた!何してんだよ流実(るみ)!」


部屋に雪崩れ込んできたのは、アクバルに凪、そしてガレアだった。

三人は、一時的とはいえここが総司令官の執務室だと気付いていないようだった。彼らが入ってきた扉のすぐ背後にいる状況になった(じん)は、プンと匂う酒の匂いに思わず眉をひそめる。


「皆さん、だいぶ酔ってますね?」

「そうかぁ?俺ぁいつも通りなんだがな!」

「もぉー助けてよ!流実が早く来てくれないから皆も終われないって呑み続けてんの、さっさと来て!」


唯一、凪はしっかり意識を保っているらしい。だがその顔は赤い。いつも通りと言ったガレアは既に目がすわっていた。


「今から丁度行こうと思ってたんです」

「おっ。やった♬」


それを聞いたアクバルは満足したのか笑顔で踵を返す。

部屋から出て行こうとする時、ふと、思い出したように振り返って流実を見つめた。


「族長は?」


その瞬間、背後の靭の指がピクリと動く。

どうやら、本当に彼の存在に気付いてないらしい。流実はあえて靭を見ずに笑顔で「一緒に行きます」と答えた。


一瞬間が空く。

その空気感に、思わず靭は眉を顰めた。

―――だが返って来た台詞は予想外のものだった。


「マジか!やったね!んじゃ待ってっから!」

「本当に!?さすが流実じゃん」

「おっしゃ、遂にサシ飲みかぁ。ちゃんと言っとけよぉ!負けらんねーからなぁ!」


賑やかな笑い声が遠ざかっていく。

呆然とその場に立ち尽くす靭。その表情から、彼等の反応に本当に驚いているようだった。


「……最近、皆が靭さんの雰囲気が変わったって言うんですよ」

「……は?」


どういう意味だ?とでも言いたげな靭に、流実は綻ぶように笑って彼の手を引いた。


「さ、皆さんお待ちですよ」




◇◇◇◇



会場となっている東塔の大広間には、紅族のほぼ全員が集合し、大宴会となっていた。

といっても、ここが戦場であるとわきまえている者が殆どなので羽目を外している者は少ない。例の二人以外は。


「流実ー!こっちこっちー!!」

「おっ。きたな主賓!!おーい、来たぞー!」


扉を開るやいなや、直ぐにアクバルとガレアの声が響く。先に入った流実に皆笑顔を向けるが、それに続く靭を見た瞬間、酔いも浅い数名が緊張で身体を強張らせたのが分かった。

―――いつも通りの反応に、靭もつい不機嫌を露わにする。


「クロノアさん。あそこの席が空いてるようですよ!」


そんな空気に気付いてないのか、流実が靭の服を引っ張る。どうやら酔っ払い二人に呼ばれた奥の席に連れて行きたいらしい。

靭はげんなりしながら「分かった分かった」といって仕方なくついていく。

そんな様子に、先程まで緊張して様子を伺って見ていた者達はギョッと目が釘付けになる。まさかあの“死神”が世話係に連れられ、素直に酒の席に着くとは思ってなかったからだ。


「族長、流実さん。すみません。気付いた時にはこんな状態で……」

「ガレアだけならまだしも、アクバルまでね」


着いた先には上機嫌の酔っ払い二人と苦笑いするギルバート、リリィがいた。

流実はリリィから渡されたグラスの片方を靭に渡し、指定された席に座った。彼もため息を吐いて流実の隣の席に座る。


「―――さ。簡単ではありますが、パラマ地区陥落の祝杯ですよ」

「さーさ、飲め飲め!」

「ちょっとガレア!流実は飲めないのよ?」

「ありがとうございますリリィさん。一杯だけなら…」


「折角注いでくれたので」と言ったものの。

……これはウイスキーだろうか?とても強そうなアルコールの匂いがツンと鼻をついた。それに、よりにもよってストレートだ。これは…飲まないと駄目なのだろうか…?

隣を見ると、彼も仏頂面のままギルバートから同じ酒を注がれていた。どうやらこの世界のお酒の嗜み方は、アルコール度数の高いものをストレートで飲む事らしい。


「―――さあ、改めて祝いの乾杯といきましょう!!この度の勝利に!!紅族の勝利に!!」


その場にいた全ての者が乾杯の杯を空ける。

さすがに口を付けない訳にもいかず、流実も意を決してグラスを傾けようとして――

その瞬間、隣から伸びた手が流実のグラスを掴み一気に酒が無くなった。


ポカンとしたのは何も流実だけじゃなかった。

周りの誰もが、靭の行動に目が釘付けになり、そして固唾を飲み込む。


―――あれだけ騒いでいた場が、一瞬で静まり返る。

当の本人は流実のグラスを空けると、次に己に注がれた酒も飲み干し、その空のグラスを目の前のガレアにグッと突き出した。


ガレアはもちろん動くことすらできない。

緊張した空気がその場を包む。靭の一挙一動にどんな意味があるのかとそれぞれが思案し、そして見守った。

やはり、いくら世話係に大人しく連れられて来ようが彼は冷酷無慈悲な『死神』なのだから。


「ガレア」


キンと冷えたハスキーボイスが響いた。

初めて己の名を呼ばれた本人は先程とは真逆の顔の青さでビクッと反応する。


「何してる」


仏頂面の靭がくい、ともう一度ガレアに手を突き出し、焦ったガレアは咄嗟にグラスを受け取った。


「俺とサシ飲みするんだってな」

「!」

「付き合ってやる」


ドン!と近くにあった酒瓶をその場におき、じっとガレアを見つめる靭。

―――そこでようやく、靭は真顔なだけであって睨んでいる訳ではないと……ガレアは直感で理解した。


「…面白れぇ。その勝負、乗った!」


言っておくがガレアは相当酔っている。

だが、靭との勝負にガレアが応じた事でその場の雰囲気がガラリと変わった。今まで緊張で身を硬くしていた皆が嘘のように興味を持ち始めたのだ。


「……マジかよ。急に何考えてんだ?」

「わかんねーよ。…だが、面白そうだ」

「ちげぇねぇ」


各所でザワザワとそんな声が聞こえてくる。


「そもそも族長は酒強いのか?」

「知るかよ…。それよか、どうせなら何か賭けろよ」

「っありめーよ!賭けにゃつまらんだろうが」


ガハハ、と笑いながら答えるガレアはいかにも何か含んでそうな目線でチラリと靭を見る。

その視線で状況を理解した靭は、面倒くさいと思いつつ「好きにしろ」とぶっきらぼうに答えた。


「負けた方は百ギル支払うってのはどうだ?」

「それじゃ安すぎだろ。ガレアが負けるわけないからな」

「じゃあ、土下座は?」

「! アンタら、加減ってもんを―――」


酒の悪ノリだとしても、軍の総司令官相手に無礼すぎる発言だ。思わずリリィが声を上げるが、当の本人は「別に」と肯定する。

皆がギョッと靭を見つめるが、その表情からは何の感情も読み取れない。


「つまんねぇ。余程自信があるんだな、族長サマは?」

「飲んでみれば分かるだろう」

「ッチ!」


心底つまらなそうに舌打ちするガレアは、ふと靭の隣にいる流実と目が合った。


「……良いねぇ。良い『誉』があるじゃねーの」


何故かニヤニヤし始めるガレアにキョトンと首を傾げる流実。


「勝った方は、流実の『誉』を貰えるってのはどうだ?」


その言葉を聞いた瞬間、再び靭の指がピクリと動いた。


「! 名案だな、それ。じゃ俺も参加するぜ!」

「俺も!」

「―――しゃ決まり!!」

「えっ!?私の…え?」


(ほまれ?…って何?)


突然賭けの対象にされた流実は動揺した。

だが怒涛の勢いで盛り上がった場に口を挟むことができず、困ったように己の主人を仰ぎ見る。

―――そして、後悔した。


「……好きにしろ」


静かにそう言い放った靭は、死神の表情になっていた。


(えっ、そんなに怒るような事なの!?)


よく分からないが、何だかヤバい事になって来た。

何故急にノリ気になったのか、先程はあれだけ緊張感があったのに嘘のようだ。それが逆に怖い。

恐ろしくなってついリリィを見ると、彼女も彼女で冷たく鋭利な表情になっていた。


「安心して流実。万が一アンタの不本意な結果になったら、ちゃんと仕留めてあげるから」

「え!?仕留める!?」


狩人の目をしたリリィは、そう言って流実の頭を撫でる。

二人がここまでの反応になる『誉』とは、本当に何なのだろうか。怖すぎて何も聞けないではないか。


「負けは土下座で良いんだな?」

「つまんねーだろ。そんな一瞬で終わるの。どうせなら駐屯地の便所掃除にしようぜ」

「うーわ最悪。あそこだけは勘弁してくれ」

「馬鹿っ。もし族長が負けたらどうすんだよ?もっとマシな…」

「構わん」

「いーのかよ!?」


アクバルが盛大に突っ込む。

予想外の承諾に、いよいよ皆が席を立ち始める。こうなるともう、開始のゴングがなるだけだ。


「えと、クロノアさん、その…」

「黙ってろ」

「……すみません」


本当に良いのか?の質問は、靭の静かな怒りによってシャットアウトされた。これは怒ってる。お口にチャックだ。

結局流実は『誉』がどういう意味なのか分からないままこの勝負の行方を見守るのであった。


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